第218話 知り合い
『……ということがありまして』
イヤリング型の魔法具を通して聞こえてきたイリスの声に、ゾエは首を振りながら返答する。
「なんというか……もっと早く知りたかったわね」
『え?』
イリスの不思議そうな声が聞こえた瞬間、ぶつりと魔法具の接続が切れた。
もう通じない。
とは言っても、別にゾエの魔力がつきたわけでも魔法具が壊れた訳でもない。
「改めて思うけどそれ、反則よね」
そう呟いたゾエの視線の先には、奇妙な雰囲気の男が立っていた。
ぼさぼさの黒髪に、古びたローブを身にまとった男だ。
口元ににやにやとした笑みを浮かべてゾエを見る姿は、一種狂気的なものすら感じないではないが、しかしその青い瞳は思った以上に理知的である。
何か学者然としているというか、物事を現象として観察する視線を持っているというか、そんな雰囲気をしているのだ。
ゾエが言ったのは、そんな彼の雰囲気や仕草に対してではなく、彼の周囲に浮かぶ八本の武器を見てのことだった。
男は一切、それらに手を触れていないにも関わらず、その武器の群れはふわふわと浮いているのだ。
そしてそれぞれの武器の刃から漏れ出しているのは紛れもなく、聖気である。
つまり、あの武器群の全てが、劣化聖剣と呼ぶべき存在であることは明白だった。
しかし、それをただの光景として見たならばむしろゾエは美しいとすら思った。
何せ、男の周りに浮かんでいる劣化聖剣は一本一本、どれも姿を違えていて、片手剣もあれば、大男しかもてないであろう大剣もあり、また短剣や細剣も見え、さらには大槌や斧すらも存在しているのだ。
聖剣と言いつつも、必ずしも剣の形を取っている必要はないらしいその反則的な状態に、ゾエは眉を寄せてため息を吐く。
そんな物憂げな様子のゾエに男は言う。
「私に言わせれば君の方がよほど反則だがね? この私の作りだした八聖剣を槍一本で抑え切る技量や身体能力を持っている上、その槍は……。聖剣と打ち合えば通常の剣であればほんの数合で折れるはずなのに、その兆候すら感じられない。相当な力の籠もった魔槍であることは明らかだ……にも関わらず、その無頓着な装飾。まるでそこらの数打ちほどにしか気を払っていないことがわかる作り! 物作りに対する冒涜に感じるね。しかし、力は本物だ……なんだか話しながら腹が立ってくるくらいだ」
「あら? これ、そんなにいいものじゃないと思うけど」
ゾエは自らの槍を見つめながらそう言った。
実際、ゾエにしてみればは心の底からそう思って言ったに過ぎない発言だったが、向こうからしてみれば自分の作ったものは"そんなにいいものではないもの"すら破壊できないと侮辱されたように感じられたらしい。
冷静さを失ったりすることはなかったが、少し、いらいらとした様子で男は言う。
「まったく、その実力、その余裕! すべてが私を苛立たせる……しかし、同時に面白いな。世界は広いというのが最近、よく理解できて来た……そう、君を見ているといつだかのことを思い出すよ。あのときの一団にも君のような雰囲気を持った少年がいたよ。古代魔族の研究が趣味とかいう少年だ。ふと思いついたのだが、君はあのときの少年と知り合いかね?」
当たり前だがいきなりそんなことを尋ねられてもわかるはずもなく、ゾエは首を傾げた。
「と、言われてもね。私はあなたの記憶を覗けるわけじゃないから、名前も知らない誰かのことを知り合いかどうかなんてわかるはずがないわ」
言われて、男は初めて気が付いた、という風に目を見開き、顎に手をつけて言う。
「そうか、確かにそうだな……名前か。実験材料には番号しかつけていなかったから、その発想が私には存在しなかったよ。言われてみれば君の言う通りだ。あの少年の名前は……ルル、と言ったかな? 四人連れだったのだが、連れの女性がそう呼びかけていたのを聞いたよ」
その言葉にゾエは額に手をついて、
「あぁ……それは、確かに知り合いだわ……」
と頷く。
その表情には一体あの方はどこで何をしていてこんなものと知り合ったのか、という疑問と、どうしてそのとき仕留めてくれなかったのかという少しばかりの不満がないまぜになったものだったが、今そんなことを言っても仕方ないだろう。
そもそも、ルルはかつて力の限り努力して戦ってきたのだ。
新たな人生の中で多少抜けたところがあっても、それこそが彼の人生にとっての休暇になるのかもしれないとすぐに心の中でルルを責めるのをやめた。
そもそも、そんなことをするのは不敬であるというのもある。
ルルがあまりにもゾエに気さくに接してくれるために忘れがちになるが、ルルはゾエにとっての絶対者なのだ。
その指示にはすべて従うし、死ねと言われれば死ぬ。
そんな彼を責める権利など、自分にあるはずがない。
そう考えて、ゾエは改めて相手に言う。
「それで? だとしたら何だったというの?」
「いや? どうもしないがね。しかし君も、あの少年も少し変わっている……できれば、二人そろって私の研究に協力してほしいのだが」
あまり穏当な研究への協力を求められているとは思えず、ゾエはその誘いには返答をせずに質問を返した。
「研究ね……あなたは、学者なの?」
「そうさ。私は生物の生態とその可能性について研究している……まぁ、手慰みというか、暇つぶしにこういうものも作ったりすることはあるがね。こういうものは専門ではない」
そう言って男は周囲に浮かんでいる劣化聖剣を見た。
いずれもかつての勇者が持っていた本物の聖剣よりは落ちるとは言っても、存在しているだけで周囲の魔力を消失させていくおそるべき武器である。
あんなものを手慰みで作れるということそれ自体が、彼自身の持つ高い技術力を示していた。
そんな彼はいったい何者なのか、気になったゾエは最も聞きたかったことを尋ねる。
「……あなたは一体何者なの?」
男はその質問に口の端を持ち上げ、答えた。
「その質問に対する答えは明快だよ。私は、古代魔族だ」
そして、男が八聖剣と呼ぶ武器群が躍った。
◇◆◇◆◇
「ッ……!」
向かってくる八本の劣化聖剣に槍を向けてゾエは構えた。
速度はそれほど速いわけではない。
古代魔族であるゾエにとって、それは十分な対応の出来る速度であった。
しかし、八本もの武器が間断なく襲い掛かってくれば、一つ一つの武器が大した速さでないにしてもそれなりに苦しくなるのは当然の理である。
しかも、命中すれば魔力を奪われることもはっきりとしており、触れることもできれば避けたい武器だ。
ゾエは古代魔族ではあるが、ルルやイリスのように極端に強大な魔力を持っているわけではない。
あの二人はいろいろな意味で例外的な存在なのであって、ゾエはもともと古代魔族においても一般兵だ。
人族に比べて高い身体能力を持ち、また古族に匹敵する魔力を持っているという程度であって、本当に逸脱した存在、というわけではない。
ゾエから見ても、ルルは不世出の化け物であり、イリスもまたそれに近い何かである。
ルルは魔王だったから当然といえば当然であるにしても、イリスについては両親の血を受け継いだのだろう。
天性の才能を持った、ルルの側近であったバッカスと、魔力だけなら側近たちにも十分に匹敵する母親、ユノの血を。
そんな彼女たちなら、たとえ聖剣を模したとはいえ、所詮は劣化したレプリカに過ぎない劣化聖剣程度の攻撃を何度受けようとも、体内の魔力が限定的に減少するくらいの影響で済むだろう。
しかし、ゾエはそうはいかない。
おそらくは、一度命中すればそれで魔力が数日はなくなり、さらにその状態でくらえば、命中した部分は消滅の危険すらある。
だからこそ、一撃でもくらうわけにはいかなかったのだ。
それをわかってか、相手は非常に冷静に、一歩一歩手を詰めるようにゾエの逃げ場をなくすように武具を動かしていく。
その理屈っぽい戦い方は確かに彼自身が申告したように学者らしい戦い方であるといえ、それだけにいやらしくしつこかった。
あきらめないという精神は学問を探求するものとして理想的な資質と言えるかもしれないが、ことこのような戦いの場において、敵である存在に発揮されると最も腹立たしい性質でもある。
できることならさっさとあきらめてもらいたいところだが、そういった期待が持てないことは相手の執念深さの覗く粘着質な笑みからして明らかだ。
仕方なく、ゾエは自分自身があきらめることにした。
出来れば劣化聖剣を一本くらい確保したい、とか、無傷で勝利を、とか考えているから苦戦しているのだ。
そうではなく、真剣に戦おうと意識を変えることにしたのだ。
「……ふぅ」
縦横無尽に飛び回る劣化聖剣を避け、ゾエは一瞬目をつぶって深く息を吐いた。
それから、深呼吸をして周囲の魔素を取り込み、体内で多量の魔力を作り出す。
魔力が体の奥深いところで熾火のように燃えていた魔力に放り込まれ、徐々に大きな火炎へと変わっていくのを感じた。
魔力が、体に満ちてくる。
槍に通っていく魔力と、自らの体にまとわれていく魔力の両方が輝くのを感じた。
紫色の、少しまがまがしいような輝きである。
その間にも、相手の男の操る劣化聖剣はゾエを狙って突き、薙ぎ、そして振り下ろされていて、命中はしないもののまれに肌の近くを掠めることもあった。
そのたびに、まとわれた魔力がごっそりと削られるが、消える魔力はゾエの生み出した魔力によりすぐに補充されていく。
それを見て、相手の男の表情が変わったのをゾエは感じた。
「……魔力をそのように生み出す手法は初めて見る……魔素を魔力に変えることを意識的に行える者がいるなど、ついぞ聞いたことがない……いったいどうやって……!?」
現代において基本的には、魔力が枯渇した場合、自然回復に頼るしかないと言われる。
だからこそ、より多くの魔力を貯蔵できる者こそが強大な魔力を持つものとされるのだ。
しかし、ゾエをはじめ、古代魔族には空気中に存在する魔素を取り込み、魔力へと変換する手法があった。
ルルやイリスはもともと持っている魔力が強大なため、こんなことをする必要など滅多にないだろうが、ゾエのような一般兵にとってはむしろ必要不可欠な技能だった。
十分な魔力を発生させたゾエは、相手の男を見て笑う。
「ま、それは内緒ってやつよ……さて、覚悟はいい?」
言われて、男は困ったように手を開いて、
「いやはや……我ながら頑張ったつもりだったんだがな。君のような理解できない存在がいると計画がいつも狂ってしまう。君の友達にも伝えてくれないか? 今後、できれば私の邪魔はやめてくれと」
どうやら男はゾエに勝てるとは思わなくなったらしい。
あきらめの良さもまた、理屈で考える者らしいと言える。
ゾエはそんな男の言葉に、首を振り、
「そんなことは……自分で言うことねッ!」
槍を振りかぶって、男の腹を思い切り突いた。
ゾエの槍は男の腹部に深く刺さったが、この程度で死ぬような輩にはそもそも見えない。
抵抗できないように重傷を与えようと考えての一撃であり、実際、それは通常なら間違った選択ではなかっただろう。
しかし、この男はゾエの想定を大きく逸脱した存在だったらしい。
「……できれば私もそうしたいのだが、この様子ではそれも難しいだろう?」
槍に腹を貫かれた状態で地面に縫い付けられながらも、しかしまるで痛痒を感じていないかのような表情でゾエに向かってそう言った男が示したのは、自分自身の体である。
「いったい何を言って……っ!?」
首を傾げたゾエの前で、その現象は起こった。
相手の男の体、それが蒸気を吹きだして溶け始めたのだ。
溶けていくその男から魔力が流れ出しているのも感じる。
これは、魔力持つ生き物が死ぬときに起こる現象である。
この男は死ぬのか……?
いや、そもそも、それなりの重傷とはいえ、こんなにすぐに死ぬほどのダメージではないはずだった。
それなのに……。
首をかしげているゾエに、男はその困惑を理解したかのように説明を始めた。
「ふむ……お友達から私のことを聞いたことがないかね? 私の名は、ベルンフリート=ケプラー。古代魔族なのは先ほど言ったとおりだが、それはいい。まずはこの体のことだが……これは、私の本体ではなくてね。遠くから操っているだけの人形に過ぎないのだよ」
言われてゾエは納得し、周囲に感知範囲を広げてみるも、魔の前の男、ベルンフリートと同じ魔力を発見することはできない。
遠く、というのは本当に遠くであるらしい。
少なくとも感知ができない程度には。
「以前も君の友達に負けたが……今回も負けた。次は負けないように努力したいところだが……まぁいい。実はね、目的の大半は達成したのだよ。新たに作った魔物どもの試験も出来たし、彼女の技術もいくつか教えてもらえたしね……では、さらばだ。ええと……?」
ふとゾエの顔を見て何か聞きたげな顔をした男に、名前が聞きたいのだと理解したゾエは仕方なく名乗った。
いつかまた、この男とは見えることがあるだろうと思ってのことだ。
「私はゾエよ。ベルンフリート……あなたのことは、そのうちとっつかまえて八つ裂きにしてやるから覚悟しておくことね」
ゾエの言葉にベルンフリートは面白そうな顔をし、言った。
「ほう? それはまた……では、楽しみにしているよ! はっはっは……!」
そう言って、ベルンフリートの体は完全に消滅した。
それと同時に浮いていた劣化聖剣にぴしりと罅が入り、がらがらと地面に落ちた。
それから徐々に金属の色から土気色に変わっていき、ぼろぼろと崩れてしまった。
回収して解析しようかと思っていたのに残念なことだとゾエはがっかりする。
しかし、呆けてばかりもいられない。
ベルンフリートの“人形”は溶けきったあと、地面にじゅくじゅくと吸い込まれるように消えようとしていたからだ。
もしかしたら何か森に害があるかもしれないとゾエは瞬間的に地下に結界を張り、隔離した一部を火炎を起こして燃やしたが、どうやらその行為は正しかったらしい。
溶けて消えたと思ったものはいまだにある程度残っていて、じゅくじゅくとした粘液として地下に潜っただけのようだった。
ゾエの起こした火炎の熱に暴れるように身を動かしていたが、今度こそ完全に消滅したらしく、灰が動き出すことはなかった。
「古代魔族、ね……」
ゾエはそう言って深くため息をつき、それからイリスと連絡をすることにした。
本物の古代魔族である自分たちに言うにしては滑稽なセリフだが、鼻で笑うには少しばかり問題のある技術力を持っているのも確かだ。
現代の水準からみれば、脅威というほかなく、無視はできないのは明らかだった。