第215話 治癒魔術
「何かあったのか!?」
連絡を持ってきたらしい男が冒険者風の様子だったので、オロトスが彼に近づきそう尋ねる。
すると、その男はあわてた様子で答えた。
「冒険者組合に……侵入者が……!」
「何? 一体誰が……フィナルの街は問題ないんだろうな!?」
「それは、問題なく。ただ、冒険者組合に捕らえていたあの少女が重傷で……」
困惑した様子の男である。
この報告にはオロトスも首を傾げた。
なぜなら、侵入者だというのならそれはあの人型達に与する者であって、それはつまりこの間捕らえたあの少女達の仲間であると考えるべきだからだ。
侵入の目的も、冒険者組合に来たというのなら冒険者組合への強襲か、もしくはあの少女の救出だと考えるべきで、それなのにどうしてあの少女が重傷、などということになるのか。
オロトスはその疑問を率直に言葉にする。
「……? 一体どういうことだ、説明しろ」
そして男は説明を始めた。
◇◆◇◆◇
男の説明によると、どうやってかは分からないが結界の張られていたはずの街にすんなりと入ってきたらしい奇妙な少女が、突然冒険者組合に何食わぬ顔で入ってきて、冒険者達を次々と倒していったのだという。
少女が街にすんなりと入ってきた、という話は、街中でその少女にに出会ったらしい街人が「至って普通の子に見えた。会話も普通だった」と証言したことから明らかになったらしいが、しかし侵入した瞬間を見たわけでもないのでどうやって街に入ったのかは分からないようだ。
そして少女は冒険者組合に入り、捕虜として捕まっている少女の居場所を尋ねて地下牢へと進んだが、その後の詳しい経緯は分からないと言う。
と言うのも、その少女が地下牢へ続く階段手前に結界を張ってしまい、冒険者達の努力も実らず、それが破壊された頃にはすでにそこには侵入者である少女はおらず、ただ体を貫かれて血だらけの捕虜の少女が、同じく傷を負った小さなネズミを抱いて虫の息で倒れていただけだったからだ。
敵とは言え、重要参考人である。
そのまま死なれては困ると今は手を尽くして治療をしている最中だというが、望みは薄いらしい。
ネズミの方も何か意味があるのかもしれないと一応治療したらしく、そちらは見た目よりもずっと傷は浅く、治癒魔術を軽くかけて元気になったらしい。
妙に少女に懐いていて、放しても逃げ出さないで少女の近くにいるのだという。
「……ネズミはどうでもいいが、あの娘、なぜそんな傷を……」
首を捻るオロトスに、クロードが、
「そこは考えても分かりそうもねぇ話だが、その侵入者がどんな奴なのかがまず一番気になるところだな。そもそもどうやってその状態で逃げたんだ? 階段以外に出口は無かったはずだろう? 構造的に」
と尋ねたので、それもそうだとオロトスは冒険者の男に答えを求める。 男は、
「階段の途中の壁に横穴があけられておりまして、かなり長いトンネルが掘られていました。おそらくはそこから逃走したものと。冒険者組合建物の外に出口が繋がっておりましたので……来たときと同様、悠々と出て行ったと思われます」
と、逃がしてしまったことに無念そうに口を噛んだ。
しかし、むしろその方が良かっただろうとルルは考える。
「そもそも戦っても歯牙にもかけられないほど強かったんだろう? そいつは」
と男に言えば、
「ええ……あれを化け物と言うのだと思いました。小柄で華奢な少女なのに、フィナル冒険者組合でも一、二を争う巨漢を軽々と蹴り飛ばしてしまいました。あまり魔術の気配も感じなかったとその場にいた魔術師が語っておりましたので、おそらく素の力がそれに近かったのだと」
まるでどこかで聞いた話だな、と思いつつもルルはそこには触れずに言う。
「だったら、冒険者組合の者達に何もしないで逃げてくれただけ、ありがたいことだな。一歩間違えたら皆殺しだっただろうに……なぜやらなかったんだ?」
ルルが軽く言った一言に男は血の気が引くが、冷静に考えればその通りだ。
いくら冒険者として命を惜しんではいないと言っても、一瞬で肉塊に変えられるようなことはごめん被りたいというのが正直なところだ。
それから、男はルルの疑問に答える。
「それは分かりませんが……元々の目的が捕虜の少女の救出にあったから、なのでは……それに、侵入者の少女の性格も、思いのほか、甘いと言いますか……彼女と街中で会話したという女性の話によれば、彼女は最後にその女性の家のある方角を聞いて行ったというのです。一体どういう意味があるのかとそれを聞いたときは首を傾げましたが、侵入者の少女の掘ったトンネルのことを考えますと、その女性の家屋にダメージを与えたくなかったのかも知れないと……ちょうど正反対の方角に掘られていましたし」
半信半疑な答えだったが、意外と真実はそんなところなのかもしれない。
残酷さと優しさがない交ぜになったような妙な性格をしているらしいが、人というのは案外そんなもので、あまり不思議だというわけでもないとも思える。
敵とは言え、世話になったら情も湧くというところだろうか。
ただ、仲間だったはずの少女を無惨に傷つけた理由がそうなると余計に分からなくなってくる。
一体何があったのか……。
それは、死にかけているその少女自身に、尋ねるしかないのかも知れなかった。
そこまで考えたルルは、
「……俺を、あの少女のところに連れて行ってくれ」
そう言ったルルに、オロトスとクロードが首を傾げた。
「ルル、おまえ、行って何をする気なんだよ?」
「魔術は当分使えないと言う話だっただろう。それなのに……」
確かにそれはその通りだ。
ただ、厳密に言うなら、使えない、というより使うと痛いから使いたくない、というのが正確である。
ここまで傷ついた状態で魔術を使えば、一体どういう風になるのか、ルルにも予測ができないため、今までは使ってこなかったのだ。
ただ、一種、賭けのようになってしまうにしても、一度、試してみたいと思っていたというのもある。
ちょうどよく、そのための機会がありそうなのだから、と自分を鼓舞しつつ、ルルは言う。
「あと一回くらいなら無理も通るんじゃないか? 俺があの少女に治癒魔術をかけるんだよ」
その言葉に、その場にいる者達が全員が驚いたのは言うまでもない。
◇◆◇◆◇
「……お義兄さま」
イヤリング……つまりは、声の途切れた連絡魔道具に手を触れながら、イリスは森の中を鋭く見つめた。
そこには先ほどから逃げ回っている人物の気配が感じられる。
また、周りには多くの魔物がおり、二つの勢力がぶつかり合っているのも見える。
片方がバルバラ率いるログスエラ山脈の魔物であり、もう片方が誰が黒幕なのかまるで分からなかった魔物集団である。
ただ、今は必ずしもそうとはいえない。
おそらくは、その魔物集団を指揮していると思われる人物が二人、目撃されたからだ。
魔物集団に混じって飛び回り、指示のようなものを魔物の小集団を指揮する人型に告げては消えていくその影を怪しいと感じない者はいない。
ただ、その速度は速く、また実際にもそれなりに実力が高いようで、捕まえるべく向かったバルバラの配下の魔物たちはそのことごとくが返り討ちに遭ってしまった。
バルバラ本人は戦場全体を見る役割がある以上、自ら追いかけるという訳にも行かず、そこで適度に遊撃役を担っていたイリスとゾエに白羽の矢が立ったというわけだ。
言われずとも追いかけるつもりだったので、何の問題もなかった。
そして、その追いかけっこも今、終わろうとしている。
向こうが疲れたのか、あきらめたのか、それとも反対に他の魔物たちのように返り討ちにするつもりなのか、一点で停止したらしいのをイリスは察知したからだ。
「どんな思惑があるにせよ、自ら止まってくれるなどとは、ありがたいことですわ……今向かいますから、待っていていただきましょうか」
そう行って微笑み、イリスは森の中に消えていく。
◇◆◇◆◇
フィナルに戻り、ルル達はすぐに治療院に向かった。
傷病者の診察をし、そして治癒魔術をかけるための治癒術師が常駐している施設であり、戦いによって傷ついた者も多くが送られる。
冒険者組合にも治癒術師が常駐しているところもあるが、そちらは冒険者専門であって、一般には治療院の方が利用される。
また、あまりにも重傷であるような場合、つまりは治癒魔術をかけても回復の兆しが見られないような重傷者の場合には、入院施設のあるこちらが利用される。
これは決して珍しいことではなく、傷だけならともかく、病である場合には本人の自己治癒力や薬に頼るしかない場合も少なくないため、そのようになっている。
代表的なのはこじらせた風邪などだろうか。
特効薬も存在せず、また風邪一般に聞く治癒魔術と言うものもない。
ただ本人の体力を維持しながら病気を克服してもらうのが最善の治療であり、治癒術師ができることが少ないのだ。
ただ、それでも体力が落ちてくれば本人の生命力を活性化させる魔術を使用して持ち直させることもできる以上、常に治癒術師がいる治療院に入院する、というのが一番だと言うことになる。
今回のあの少女については、怪我自体はどうにか塞げたらしいのだが、それでも回復の兆しが見られないと言うパターンのようだった。
これが一般的な人族であれば、何らかの病に罹患している可能性が考えられ、その特定をすることが次の作業になり、ここでだいたいの理由が分かるのだが、今回の少女についてはその時点で詰まってしまったのだという。
さらにそんなことをしている間にも徐々に生命力が失われていっていることが彼女に繋がれた各種の魔法具からも察せられ、これ以上打つ手がないのだという話だった。
「これは……確かにまずそうだな」
ルルは自らも冷や汗を流すくらいに体調が悪い中、気を張って立ち上がり、少女を見た。
そこにいる少女は確かにあのときの少女であるが、顔色が悪く、今にも死にそうであると言われても納得せざるを得ない有様だ。
「なぜ……傷は塞がっているようだが」
穴があいていた、という胸部をちらりと見るが、そこには何の痕跡も見当たらず、傷自体がどうこう、という状態ではないことが分かる。
それからルルは少女の手をとり、魔力の流れを見た。
すると、
「……なるほどな、こいつは……」
と言った。
その言葉にクロードが、
「何か分かったのか!?」
と尋ねたのでルルは答える。
「あぁ……こいつは魔力不足だ。たぶん、こいつの欠損を治すのに人族用の治癒魔術を使ったのが悪かったんだろうな……」
しかし、その言葉の意味を正確に理解した者はこの場には居なかった。
困惑するようにオロトスが言う。
「人族用の……? 何を言っている。治癒魔術はどんな種族でも共通だろう?」
そう言われて、ルルははっとした顔で、
「あ、あぁ……そう言えば、そうだったな……だが、まぁ、こいつにはうまく効かなかったらしい。何度普通の治癒魔術をかけても、だめだろうな」
とつぶやく。
それはもはやどうしようもない、という宣言に聞こえ、その場にいた者はほとんどが黙りこくった。
少女に対して敵だという思いはあるが、見た目だけ見れば年端もいかないような少女が今しも死を迎えようとしているようにしか感じられない。
そのことが、その場の空気を重苦しくしていた。
しかし、クロードはルルの言葉と表情に何かを見つけたらしい。
ふっと尋ねる。
「……おい、ちょっと待て。普通の治癒魔術はだめってことは……普通じゃない治癒魔術なら可能性があるって聞こえるんだが?」
そんなものあるのか?
と聞きたげな様子でクロードはルルを見た。
そして、ルルはクロードの言葉に当たり前のように頷く。
「あぁ、もちろんだ。俺が治すって言ったろうが、クロード……まぁ、見てろ」
そう言って微笑んだルルは、少女の手を取って呪文を唱えだした。
「『欠けた肉、欠けた魔力を新たな素によって補いたまえ……魔治療』
そう唱えた瞬間、ルルと少女の手の繋がれたところが青く輝き、そしてその光は少女の腕から胸へと伝い、吸収されていく。
大きな魔力の動きが感じられ、その場にいた治癒術師たちも見たことのない治癒魔術に驚きの表情を浮かべる。
対して、魔術を使用している本人であるルルは、冷や汗を流しながらもいつもと変わらない表情をしている。
しかし、ここにイリスがいれば、ルルにやめろと言っただろう。
見る者が見れば分かる、ルルの珍しくも厳しい表情がそれであると分かるからだ。
そして、光は徐々に収まっていき、全ての光が少女の胸に吸い込まれて、ルルはぐらりと倒れた。