第211話 欺瞞
「……来たか」
ルルが剣を片手にぽつりとつぶやく。
ずしん、ずしん、と地面が一定のリズムで揺れ始めたからだ。
それは明らかに地震のもたらすようなものとは異なっており、他の何かが引き起こしていることが感覚的に理解できる。
他の何かとは一体どんなものを指しているのか。
その場で戦っている騎士や冒険者たちの多くが首を傾げていたが、一部の者にとってそれは自明だった。
おそらくはこうなるだろう、と思っていた。
だからクロード、モイツ、それにオロトスに可能性を伝え、そのための方策を共に練ったのだが、出来ることなら予測が外れてくれた方がいいとは思っていた。
しかし、残念ながら現実はそう甘くも無いらしい。
近づいてくる地響き、そしてその主がその場に姿を現したとき、ルルはため息をつきながら言った。
「全く困ったもんだ……街の近くでもうしばらく寝転がってればよかったのに」
目の前に屹立する山のようなそれ。
肩に乗せた美貌の青年がまるで小人のように見える。
つまりはそれほどの巨体を持っていると言う訳だ。
戦っていた騎士や冒険者たちは、それを見て呆けたように上を見上げた。
今まで相手にしていたものは、魔物とは言え、せいぜい大きくて5、6メートル程度の相手だった。
しかしたった今、この場に現れたものは……。
そう思ったのだろう。
実際、その大きさは10メートルは優に超えているように思われ、迫力は比べるべくもない。
生えている角も、そして一つ目であるその顔貌も含めて禍々しく恐ろしげで、一目見ただけで体が竦んでしまうような威圧感があった。
巨人はどんどんと近づいてきて、それからその場にいる者たちに襲い掛かる。
何も考えていないのか、それとも初めからそのつもりだったのか、拳を振るい、また突進をして、吹き飛ばしていく相手はフィナルの者たちのみならず、彼らのおそらくは味方であるはずの魔物達もだった。
ただでさえ混戦の様相を示していたその戦場は、この巨人の登場で余計に乱れる。
騎士も冒険者も魔物も逃げまどい、巨人の独擅場となりかけたが、そうはさせるわけにはいかないとルルは地を蹴って巨人のところに向かった。
吹き飛ぶ騎士や冒険者に、地味に結界や治癒魔術をかけつつ、死にはしないように配慮しながらの道行きであったが、それでもルルの加速の前にはさほど時間はかからない。
「……やっぱりデカいな……」
ルルはそう言いながら、掌を上に向け、巨人の顎に向かって巨大な火球を放つ。
ルルがあまりにも静かに、気配も察知させずに近づいたためか、それとも魔術の発動が早すぎたためか、巨人は一切の防御も取れぬまま、その顎に思い切り火球の直撃を受けた。
「……がふっ!」
ぼがぁん、と爆音が鳴り、巨人の頭部をもくもくと黒煙が包んだ。
巨人はその衝撃に巨体を支えきれなくなったのか、膝ががくりと崩れ、うつ伏せに倒れていく。
ルルはついでにあの青年を……と思い、巨人の肩辺りを見つめたが、すでにそこに青年の姿は無く、
「早いな。逃げたか?」
と呟くと、横から声が聞こえてきた。
「……ルル殿。向こうだ」
横を見れば、そこには頭の上にニーナを乗せたシュゾンが鋭い眼を空中に向けて立っていた。
その瞬間は女性の姿であったが、
「少し遠いな……」
とルルが呟くと魔物の姿に即座に戻り、
「乗れ」
と言って背中を示す。
「いいのか?」
「我が主があなたに協力しろと言うのだ。背中くらい貸そう」
ルルとしては別に自分の足で向かっても良かったのだが、魔力集束砲を放った影響でまだ少し体が軋む。
無理はしない方がいいかとシュゾンの言葉に甘えることにして、その背中に飛び乗った。
走り出したシュゾンの背から、後ろを振り返る。
巨人の男には確かに魔術をぶち当てたが、あの大きさである。
また起き上がって来ないとは限らなかった。
いっそしっかりと息の根を止めた方がよかったかもしれない、そう思ってのことであったが、振り返った先で先ほどまで巨人に怯えていたはずの騎士や冒険者たちが群がって攻撃を加えようとしているのを見て、任せてもいいかとあまり心配しすぎないことにする。
フィナルを守るための戦いなのだ。
フィナルの者たちが自ら守りたいだろうし、あまりルルが活躍しすぎるのも問題だろうと思った部分もあった。
既にルルが初めに放った魔力集束砲の威力によって、フィナルの者たちには一目どころか二目も三目も置かれているところなのだが、その辺の感覚が微妙にずれてるルルである。
まだ自分はそんなに目立ってない。
そう思いながらのシュゾンの背中であった。
「……強い者とは、みな、こういう方ばかりなのだろうか……」
シュゾンがぼそりとそう言ったが、ルルもニーナも聞いておらず、その言葉は戦場の風の中に消えたのだった。
◆◇◆◇◆
「ちょっとあんた! 何してるんだい! 早く逃げな!」
そんな風に声をかけたのは、フィナル市民の一人の中年女性である。
声をかけられたのはボブくらいの長さの灰色の髪を持った一人の少女であった。
ふらふらとした足取りの、危機感のないような雰囲気で、今、北門前において戦闘が行われているフィナルにおいては少々浮いているようにも感じられる。
「あぁ……そうだな。そうしたいところだが、どこもかしこも扉がしまっててよ。難儀してるんだ。どっか……俺みたいなのに開放してくれてる公共施設とかねぇのか? ……冒険者組合とかよ」
ただ、その返答から、危機感がなさそう、というのは勘違いだったらしいと中年女性は感じる。
逃げる先がなくて、怯えを必死に隠してるからこその冷静さ、というところだろうかとあたりをつけ、さらに少女の質問について考えた。
確かに、ほとんどの家屋はその扉をきつく締めてしまっている。
中年女性もまた、自宅に帰れば同じようにするだろう。
今外に出ているのは、先ほど地震のような揺れを街が襲ったので、近所の家々でも老人が住んでいるような世帯を家具の下敷きになってはいやしないかと心配して見まわっているだけだ。
「そうだねぇ、冒険者組合なら向こうにあるよ。確かにあそこなら扉も開いていると思うけど、今は血気盛んな冒険者たちが出入りしてるからあんたみたいな娘があまり行くべきところじゃないよ。どうせなら、うちに来るといい。少しの間ならかくまってやれるよ」
中年の女性に気遣いに少女は、
「いや、ありがてぇが、おばさんにも迷惑だろう。遠慮しておくぜ……それよりありがとうな。とりあえず冒険者組合に行ってみる」
そう言って歩き出した。
中年女性はそんな少女を心配して手を前に差し出そうとしたが、少女の毅然とした態度にその手は止まる。
それから踵を返し、家に戻ろうとしたところ、
「――そうだ」
と少女の声が聞こえたので振り返った。
首を傾げて少女の顔を見ると、少女は言った。
「おばさんの家はどのへんだ?」
「え? ええと……あっちの方だけど」
中年女性はそう言って自宅のある方角を指した。
フィナルの東地区に彼女の家は存在する。
それを確認した少女は、
「分かった。すまねぇな、引き留めてよ……じゃあな」
そう言って走り出した。
最後の質問に一体どういう意味があったのかは分からないが、あとでお礼にでも来てくれる気があるということだろうか?
中年女性は首を傾げて、自らの家に向かって歩き出したのだった。
◆◇◆◇◆
げしっ、と何かを思い切り蹴り飛ばす音が聞こえ、その直後、壁に重いもの――おそらくは金属が叩きつけられるような音が響いた。
その場所は冒険者組合一階であり、叩きつけられたのは鎧を纏った冒険者であった。
相当な重量級の体型をした男で、そう簡単に蹴り飛ばせるような重さではないはずだが、蹴りを放った人物は特に大変そうな表情もしておらず、大した労力は使っていないとでも言うように悠々と冒険者組合内を歩く。
「ここに捕まってるって話だったが……おい、そこの姉ちゃん。こないだおかしな娘を捕まえたろう? どこにいる?」
その灰色の髪を持った少女は何度も無いことのように、微笑みながら冒険者組合職員の女性にそう尋ねる。
気の毒なのは職員の女性だ。
彼女は戦える技術も何もない本当にただの事務員であり、数百キロの重さの重戦士を蹴り一撃で吹き飛ばせるような少女に逆らう術などあるはずがなかった。
もちろん、周りにはまだ冒険者が幾人もいる。
職員の女性を守るべく少女に飛びかかっていくのだが、片手間に叩き落され、また振り降ろされた剣は不可視の結界に弾かれ、また腐食するなど、打つ手がないのだ。
それらを全て目の前で見物する羽目になった職員の女性は、冒険者たちに完全に打つ手がなくなったことを理解すると、無言で地下牢の方角を指し示した。
「……おう、あっちだな。悪いな、姉ちゃん。助かったよ」
少女はそれだけ言って、悠然と地下牢に向かって歩いていく。
冒険者たちは職員の女性から少女が離れたのを見計らって破壊力のある魔術を放ったりもしてみたのだが、やはり通用しない。
それでも冒険者たちは、こつり、こつりと地下に続く階段を下りていく少女を追いかけようとしたのだが、階段に向かう直前で、がつん、と何かの抵抗を感じて立ち止まってしまった。
ぺたぺたと触れると、そこには見えない壁が存在していて、先には進めないようだった。
武器で叩いたり、魔術を放ったりしてみてもびくともしない結界である。
それから、冒険者たちはそれを破壊すべく努力したが、どうにもならず、その場で立ち往生することになった。
◆◇◆◇◆
――チューチュー。
と、ネズミが歩き回っている地下牢の中、鷹のような翼を持った少女がそのネズミと戯れて遊んでいる。
手に持った小石を投げ、
「ほらっ、ザザ、持ってきて!」
というと、ザザと名付けられたらしいそのネズミは律儀にそれを手に抱えて持ってきて、少女の前にころりと落とすのだ。
地下牢を歩き回るようなネズミにそれだけの芸を仕込んだ彼女には、もしかしたら動物使いとしての才能があるのかもしれなかった。
「なんだ、随分と楽しそうじゃねぇか、アエロ……」
そんな少女に、ふと声がかかる。
粗野な言葉遣いだが、こちらもまだ年端もいかないような少女のような声だった。
アエロが驚いて顔を上げると、そこには灰色の髪を持った少女が立っていた。
「あっ……あの……助けに来てくれたの?」
アエロは、その少女に見覚えがあるらしい。
尋ねた声に、少女は答える。
「そうだぜ。俺が真面目に作ったのは、お前と、グラスと、ゴライアスだけだからな。愛着があるんだ。そんな場所からさっさと出て、楽しいことをしよう」
「うんっ! でも私、今魔術が使えないから……これ、とって」
アエロはそう言って、自分の腕を示した。
手首に食い込むように巻きついた蛇のような意匠のそれは、装着者の魔力の放出を強制的に禁じ、魔術の使用が出来ないようにすると言う魔導具の一種であり、アエロはそれによって自由を奪われていた。
初めのうちはロープでもって物理的にも動けないようにしていたのだが、身体能力それ自体は石壁や鉄格子をそれ単体で敗れるほどはない、ということが分かり、このような拘束方法に落ち着いたのだ。
結果として、アエロは僅かな身体的自由を牢獄の中で得られたわけだが、だからと言って何が出来ると言う訳でもない。
せいぜいがネズミと遊ぶくらいで、あとは食事するくらいしか楽しみがなく、早く出たくてたまらなかった。
少女はアエロの差し出した腕を見て頷くと、早口で呪文を唱える。
すると、彼女に嵌められた腕輪の周りにふわりとした光が発生し、そしてぱきん、と音が鳴って腕輪が弾けた。
割れるように壊れたからか、破片が飛び散り、アエロの肌を傷つけ、血を流させたが、すぐに塞がって綺麗になる。
「あー、すっきりした! これで出れる!」
そう言いながら、アエロは鉄格子を曲げて外に出ようとした。
しかし、何かを思い出したように振り返り、
「あっ、そうだった。ザザ! ザザも行こう?」
とネズミの名前を呼んだ。
しかし、あれだけ芸を仕込んだにも関わらず、呼んでも来なかった。
不思議に思ってアエロが牢獄の中を見ると、その端っこの方で、一匹のネズミが腕輪の破片に胸を貫かれて苦しそうにしていた。
「あれ……ザザ! 大丈夫!? ザザ!」
心配そうに駆け寄ったアエロに、少女が、
「……おい、早くいかないと逃げられなくなるぞ。そろそろ結界が破られてもおかしくない頃だ」
しかしアエロはネズミに夢中で話を聞かない。
なので、少女は少女に言う。
「アエロ! 大丈夫だ! 言っただろう? 生き物は死んでも生まれ変わるんだ……だから、ここに置いていっても、またどこかで会える……」