第20話 旅立ち、寄り道
旅立ちは意外なほどにあっさりしていた。
冒険者になることが決まったあの日、騒ぎすぎたのかも知れない。
あの日、体中の元気という元気を使い果たしてしまったみんなは、一日、日をあけて二日酔いが抜けたはいいものの、ルルたちが村から去ってしまうことに強い寂しさを感じてくれたらしく、泣き出しそうな人たちも何人かいた。
けれど、それ以上に、ルルとイリスの噂はきっとすぐに聞こえてくるはずだからと言って、ことさらに惜しむような雰囲気は出さないでくれた。
思い起こせばラスティたちの時もそうだった記憶があるし、そのときは見送る側だったルルも同様にあっさりと別れたものだ。
別に、戦争に行くわけではない。
今日明日に死んでしまって、それが永遠の別れになる、ということは、絶対にあり得ないとまでは言えないにしても、それを心配しなければならないほどせっぱ詰まった状況ではないと言うことだろう。
冒険者稼業は一般的な職種に比べればそれなりに危険だが、それでもとりあえずは王都についたら手紙の一つや二つは両親に送ろうと思っているから、少なくともすぐに訃報が、なんていう事態にはならないことは分かっている。
パトリック、それにグランやユーミスに鍛えられていたことを村のみんなは知っているので、よけいにそういう心配もしないのだろう。
馬車の幌の中で、ぶらぶらと足を垂らしながら、遠ざかっていく村の景色を目に焼き付けて、忘れないようにしておく。
考えてみれば、旅立つ者、という側に立った経験は、魔王だったときを含めてほとんどないことに気づく。
魔王だったときはむしろ、前線に向かう兵達を激励し、見送ることの方が多く、自分が前線に立つことは滅多になかったものだから、見送られる経験、というのを積みようがなかったのだ。
二度目の生は、経験したことばかり、という事態になるかもしれないと思っていたが、旅に出る、ということ一つとっても新たな経験の始まりであった。
「幸先がいいな……」
ルルがそう呟くと、旅装姿のイリスが横で微笑み言った。
「おじさまは、あの頃はあまり旅に出る暇などございませんでしたものね……」
遙か遠くに望む山々に目をやりながら、イリスは思い出しているのだろう。
過去のこと、昔のこと。
ルルのかつての姿を。
「バッカスはよく旅していたのにな……なんで俺だけ城にいないとならないんだ」
「御大が自ら動くものではありませんもの……それに、おじさまは代わりがいないお方でしたから……絶対に失うわけには、いかなかったのですわ……」
かつて魔王は、強力だった。
しかし絶対はない。
そのことは、あの戦いで結局証明されてしまった。
自分が消えて、一体どれだけの者の心に暗黒を抱かせてしまっただろう。
そのことを考えると、胸が張り裂けそうな思いがする。
ルルの表情を見て、なにを考えているのか理解したのだろう。
イリスが、気遣うように言った。
「昔のことは、昔のことですわ。申し訳ありません……私が蒸し返してしまいました」
「いや、悪いな。気にしすぎだって言うのは分かってるんだが……どうしても」
「いいえ。そんなおじさまだからこそ、魔族はあなたさまについていったのですわ……でも、ここで暗いお話はやめましょうか。おじさま。これから先のことをお話しいたしましょう」
ふっと明るい声でイリスがそう言ったので、ルルも頭を切り替えることにした。
「先のことか。とりあえずは、王都だな。レナード王国王都デシエルト。いくつかの村を経由して……一週間くらいで着くらしいが」
「着いたら、冒険者でしょうか?」
冒険者ギルドに登録するのに必要なのは、年齢と銀貨一枚のみだ。
それ以外はなにも求められないのであるから、さっさと冒険者になってしまうのが一番効率的だろうとは思っている。
ただ、挨拶にいかなければならないというか、果たすべき約束がある。
そのことをルルは忘れていない。
「その予定だが……まずはグランとユーミスに会いに行った方がいいかもしれないな。あいつら、王都に氏族を作ってるから……ラスティたちもそこにいるわけだし」
イリスはラスティの名前が出て、顔をほころばせる。
「みなさん、お強くなられてるでしょうか? ミィとユーリはしっかり魔術を使いこなせているかしら……?」
そう言って、何かを思い出すような視線になるイリス。
ラスティはともかく、ミィとユーリはイリスの人族初めての友人であると同時に、手塩にかけて育てた愛弟子でもある。
その実力が会わないでいた数ヶ月間にどれくらい上昇したのか、気になって仕方がないのだろう。
思い返してみれば、イリスの少女二人に対する修行は厳しいにもほどがあった。
口調まで変わってしまっていて、一切の妥協を許さないその地獄のような訓練に、同じ場所でもっと緩くやっていたラスティとグランとルルは、気の毒そうな視線をやっていたのを覚えている。
よくよくイリスのしてくれた話をそのときになって思い出してみると、イリスはルルが死亡した後、軍で過酷な訓練をした後に、ゲリラ兵として教会勢力を潰して回っていたんだったな、と気づいた。
古代魔族の訓練は基本的にはそれほどスパルタという訳ではないが、一部常軌を逸した訓練狂いもいて、おそらくイリスはそういう者にしごかれたのではなかろうか。
イリスの少女二人に対する訓練には、ルルが覚えている懐かしき部下の面影があったから、その推測はおそらく正しいだろう。
小さな子供にすぎなかったイリスが、ほんの数年でそれなりに戦えるようになるためには、それしか手段がなかったのだということも分かる。
しかしだからといって、ミィ達にまでその思想でもって訓練を施すことはないだろうに……。
そう思ってイリスにあんまり厳しくするのもどうかな、と言う話を遠回しにしてみたのだが、返ってきた言葉は非常に意外なもので、
「あの二人ができる限り厳しくしてほしいと言ったので、そうしているだけ、ですの……」
本当なのか、と一瞬疑ったが、イリスが嘘をつく理由など存在しない。
そうである以上、あの少女二人がイリスにあの過酷な訓練を自ら望んだということになってしまうのだが、一体どうして。
なにがそれほどまでに過酷な訓練に駆り立てたのか不思議でたまらなかった。
そして、イリスにそれについて尋ねても、
「これは、いくらおじさまと言えどもお話出来かねますわ。乙女の秘密、というものです」
とはぐらかされてしまった。
おそらくはあの二人に口止めされているのだろう。
そうでなければ、自分に隠すはずがない……。
少しだけ恨めしいような気持ちでそこまで考えて、ルルははっとした。
なんだかこれでは親離れした娘を寂しく思う父親のようではないか、と。
そう思って、ルルは心の中で呟いた。
バッカス。お前の娘は立派に育っているみたいだよ……と。
そう言えば気になっていたのだが、あの男はルルが死んだ後どうしていたのだろうか。
イリスに聞いてもやはり分からない、と言っていたが、殺しても死なないような父でした、とはイリスの評価で、ルルも同じような気持ちを彼に持っていた。
十中八九、ルルが死んだ後も生きていただろう。
そして……どうしていたのだろうか。
確かめる方法はもう、ない。
しかしその最後が、どうか幸せなものであってくれればいい。
そう思った。
揺れる馬車はそうして街道を進んでいく。
いくつか小さな村を通り過ぎていった。
馬車を操る御者が振り向いて、
「次の街で今日は泊まるから、準備していなさい」
と言った。
見てみると、少し先に灰色の城壁が見えた。
ルルの今までの生活範囲にここまで大きな街はなかったので、圧巻である。
イリスはといえば、それほど驚いていないようで、
「大きな街ですわね……まぁ、魔都クラヌには及びませんが」
などと言っている。
クラヌはかつての魔族の街であり、その規模は確かに目の前の城塞都市らしきものとは比べものにならない。
イリスからしてみれば、クラヌの景色はそれほど記憶から遠いものではないのだろう。
ルルにはぼんやりとした様子しか思い出せないのは、一度死んだからか、それとも年を取っていたことによる忘却なのか。
悲しいので、前者によるものと思いたい。
そんなことを考えていると、馬車はとうとう、城塞都市の正門につく。
そこには数人の兵士が立っていて、都市に入る人々をチェックしているようだった。
ルルたちの乗っている馬車も例外ではなく、御者、荷物、それにルルたちの顔を観察され、素性を聞かれて、何かに記載された。
しかし、言ってしまえばそれだけで終わり、兵士は直後、
「ようこそ、城塞都市フィナルへ!」
と言って出迎えてくれた。
おきまりの文句らしく、御者は何の感慨も浮かんでいないような顔でそろそろと馬車を進めていくが、ルルは何となく楽しくなったので、そう言ってくれた兵士に微笑んだ。
すると、兵士はぐっと親指を立てたので、ルルも返す。
なんとなく通じ合った気がして、気分が良くなってくる。
イリスはといえば、そんなルルの様子を微笑ましい、とでも言いたげなにっこりとした笑みで見つめていた。
「楽しいか?」
そう聞くと、イリスは笑って答える。
「もちろんですわ!」
その笑顔はイリスにしては珍しく、いつもの控えめで儚げなそれではなく、満面の笑顔で、まるで辺りを照らす太陽のように輝いていたのだった。
◆◇◆◇◆
城塞都市に入って、すぐに馬車は宿に向かった。
馬車を止めておける場所も用意されていて、そのような用途で使うことをはじめから想定されているようである。
王都との間にある街だからだろう。
人通りも激しく、そのような交通事情に適応できるように道も広くとってあるようだった。
入った宿は、中々に清潔で行き届いていた。
流石に風呂まではないようだが、水浴びできる場所くらいはあるようだし、ベッドも白く、食事も美味しいらしい。
日が落ちてきてはいるが、夕食にはまだ早い、ということでそれまでの時間つぶしをしようと、ルルはイリスと街を散策してみることにした。
御者の男は、
「子供だけで行くと危ないよ」
と気を遣ってくれたが、
「一応、冒険者になるつもりだし、腕っ節は父に認められるくらいにはあるから、なんとかなるよ」
というと、思い出したかのような顔をして納得していた。
父の腕にはそれだけの信用があるらしく、そのことに少しうれしくなる。
それから、
「では、参りましょうか、おじさま?」
イリスがそう言ったので、頷いて街に向かって宿を出たのだった。