第201話 少女の疑問
「それで、何か分かったのか?」
冒険者組合建物内、大会議室の中で、オロトスが部下の職員に向かってそう尋ねた。
普段なら組合長の執務室で報告を聞くところなのだが、ここのところのフィナルの切迫した状況の中で、この大会議室がログスエラ山脈関連の事件の対策室になってしまっている今、こういった報告はここで聞くことにしている。
フィナルを代表する人々が普段の業務の合間に暇を見つけては新たな情報がもたらされていないか確認しに、また自らが新たに仕入れてきた情報をここに報告しに入れ替わり立ち代わりやってきていることもあり、情報の共有の為にもその方がいいだろうという判断だった。
オロトスが今尋ねたのは、ついこの間、冒険者を襲ってきたところを捕えた捕虜二人についての尋問の結果についてであった。
あれから、目を覚まさせて情報を引き出させているところで、オロトスの目の前にいる職員はまさにその担当だった。
手段は問わない、拷問をしたとしてもそれはこの事態の中においては許される、と言いつけてあり、それだけのことをやればある程度の情報は得られるのではないかと思っていたのだが、このオロトスの思惑はどうやら大きく外れたらしいと職員の話から分かった。
「こう申し上げるのは本当に心苦しいのですが、“何も分からないことが分かった”としか……。あの二人、ほとんど何も事情を理解していないようで……」
「なに……? 何も知らないと言うのか!?」
叫んだオロトスに、職員は首を振ってもう一度、同じ言葉を言う。
しかも、ある部分を強調して。
「知らないと言うのではありません。そもそも事情を“理解していない”、と申し上げているのです。特に少女の方は……大変な物知らずと申しますか……」
職員のその言葉に、オロトスは首を傾げる。
「理解してない? 襲い掛かってきたのだろう? 何も分からずに人に襲い掛かるなどあるのか?」
「いえ、その点については、『グラスにやれと言われたから』と二人そろって言っております。それは誰かと聞けば、友人であると言うのです。それが理由の全てのようで……」
動機としては理解できないわけではない。
友人に協力を求められたから、それにしたがって行動したと。
しかし、それなら少しくらい事情の説明を受けるものではないか。
そう尋ねると職員は、
「私も、少しくらいは何か目的など聞かなかったのかと尋ねたのですが……何も聞いていないようです」
「嘘を言っているのではないか?」
こういう時、捕まった捕虜と言うのは当然のことながら内情を知られないために嘘をつくものだ。
だからこそ、拷問を許したオロトスだったわけで、そう言った方法は試したのかと遠回しに聞いたのである。
職員は頷き、下を向いて何とも言えない声色で答えた。
「そうも考えて、色々な方法で聞いたのですが、ダメでした」
その言い方に、何か奇妙な感情が揺れているのを感じたオロトスは、さらに深く尋ねる。
「ダメだったとは?」
オロトスの質問に、顔を上げた職員は、理解できないものを見たような顔で言う。
「……その前に、オロトス様。あれは……人なのでしょうか? 私には、とてもそうは思えないのです。何をしようとも……まるで反応がなく……」
詳しく尋ねてみれば、痛覚を刺激したり、恐怖を煽ったりするなど、拷問としておよそ考えられることはやったらしいのだが、少女も巨人もまるで堪えていない様子だったと言う。
やせ我慢、というのも考えられないではないが、ある程度、そう言ったものに経験のある職員の目から見て、明らかにやせ我慢ではなかったらしい。
それどころか、そんなことをする職員たち、二人とも似たような不思議そうな目で見つめ、首を傾げていたと言うのだ。
痛くないのか、と聞けば、彼らは答えたと言う。
痛みは感じないようにすることが出来る、と。
このまま続ければ死ぬぞ、と言えば、巨人の方はそれならそれで仕方ない、となんでもないことのように言い、少女の方は、死ぬってなあに、と聞いたと言う。
ことここに至って、職員たちは気づいたらしい。
こいつらは、おかしいと。
およそ人のする反応をしていないぞ、と。
オロトスはそんな話を聞いて頭を抱えた。
「容姿からして普通ではなかったが……中身まで異質か? 痛覚を断てるというのは理解できたが、死への恐怖などもないというか、少女の方は死自体を知らないと言うのか……」
「おそらくは。あの二人から確実と思われる情報を引き出すのは無理ではないでしょうか。少なくとも痛みや死への恐怖で何かを話し出すような者たちではありません。ただ……嘘はついていなかったように感じます。グラス、という者から頼まれて冒険者たちに襲い掛かってきた、というのは事実だと私には思えました」
それは職員の個人的な勘に過ぎない。
少女と巨人が何も恐れない、と言うのであれば、そう言ったものを煽って話を聞こうとしても無駄だ。
残っている手段は正直にしゃべってもらうしかない訳だが、捕虜がそんなことをすることなど滅多にあり得ない。
ただ、職員が言うには正直に話しているらしいが……。
これは、自分の目と耳で確かめなければならない。
オロトスはそう思って職員にその旨を告げる。
職員は頷いて、
「承知しました。しかし、巨人の方は少々手間がかかりますので……まず少女の方がよろしいでしょう。地下牢に繋いでありますので、こちらへ」
そう言って職員は歩き出したのだった。
◆◇◆◇◆
少女は牢獄の中、立ってオロトスを見つめている。
その表情は、囚われの者が通常浮かべるような恐怖や懇願ではなく、場違いな明るいものである。
「……気分はどうだ」
オロトスはとりあえず、そう切り出してみる。
少女は答えた。
「悪くないけど、ここ、ジメジメしてる! 森の中より居心地悪いかなぁ……。でもご飯は美味しいよ!」
そんな風に。
まるきり元気そうで、なんだか毒気を抜かれてしまうような反応である。
しかし、オロトスには役目がある。
彼女からしっかりと情報を聞きだし、今後の計画を立てるために役立てると言う役目が。
だからオロトスは少女に言う。
「そうか……なら良かった。ところで、お前は既に何度も聞かれているだろうが、なぜ、森で冒険者たちを襲った?」
答えないかもしれない、と思ったがとっかかりにはいい質問だとオロトスは考えた。
少女は唇に手をやって、すぐに答えた。
「うーん。グラスがそうすると楽しいよって。みんな遊んでくれるよって言ったからだよ。みんな、遊んでくれたし、わたし、楽しかった。また遊んでね!」
その答えに、オロトスは隣にいる職員の顔を見る。
職員はオロトスの耳に顔を寄せて、
「……彼女はなぜか、冒険者たちが遊んでくれたと思ってる節がありまして……巨人の方の認識とは少し違っているのですが、しかし二人ともまるで悪いことをしたとは思っていない様子なのです」
「それは……」
言われて、改めて少女の顔を見る。
じっと見つめられて、少女は不思議そうに首を傾げた。
確かに、全く邪気とかそういったものを感じない表情がそこにはある。
そう、まるで……生まれたばかりの赤子のような表情だ。
しかしオロトスは首を振った。
そんなはずがないからだ。
少女は少なくとも十歳前後に見える。
それだけ生きれば、それに従うかどうかは別として、倫理観や規範意識と言うものがある程度芽生えるものだ。
本当に何も知らないと言うのは……ありえない。
そのはずだ。
そう思って。
しかし、そんなオロトスの確信は、少女と言葉を交わすごとに徐々に揺らいでいく。
「……そうやって嘘をついても無駄だぞ。話さなければお前の命は無いのだからな。いや、話したところで、助かるかどうかは分からん。ただ、楽に死ぬことは出来るかもしれないがな……」
出来る限り、にやりと粘ついた表情で、重苦しく決意に満ちた声色でそう語ったオロトス。
もちろん、語った内容に冗談は無く、必要とあらばそれくらいのことはするつもりで言ったのだ。
職員も似たようなことを少女に言っている。
これだけ何度も、しつこくこのような言葉を吹き込まれ、また自分の不自由な状況を鑑みて、自分の身の安全を確信できる者などいない。
そして、そんな中で一筋、希望の光が見つかれば、途端に色々なことを話しだすものだ。
それが、ほとんどの場合の成り行きであるはずだった。
しかし少女は、
「……命? 死ぬ? ってどういうこと? それは楽しいこと?」
などと聞いてくるのだ。
このあまりに素っ頓狂な答えに、オロトスは顔を歪める。
この少女は何を言っているのかと、そう思ったからだ。
隣の職員はと言えば、頭を押さえて首を振っている。
「私も似たようなことを彼女に言いましたが、同じ反応でした。実際、痛覚に訴えかけるような拷問もしたのですが……先ほども申し上げた通り、痛みを遮断できるらしく、意味はありませんでしたし……手の打ちようが」
オロトスは何とも言えずに、少女に話を続けた。
死が何か、命が何か分からないと言うのなら、どういうつもりで冒険者に攻撃を加えて来たのかと思ったからだ。
「……お前は、生き物に魔術を向けたらどうなると思っている?」
「当たると粉々になるよ? ばしゃーんって赤い水を流すんだよ」
「それこそが、死だ。もう二度と元には戻らない」
オロトスは、断罪するようにそう言った。
けれど少女は、
「そうなの? だったら大丈夫だよ。そうなったら、今度は別の生き物になれるんだよ! 楽しいよ! 私、知ってるもん!」
などと言う。
明らかに間違った考え方である。
ただ、それを本気で信じて言っていることがよく分かるだけに、笑う事が出来ない。
オロトスは続ける。
「……なぜ、そんなことが分かる。お前は、自分がそうやって粉々にした生き物が他の何かに変わるところを見たと言うのか?」
思想は、ある。
輪廻の考え方だ。
生き物は死して魂のみ昇り、そしてある程度の時間を経て、新たな命を授かり、蘇る。
宗教的な考え方であり、またおとぎ話にもよく出てくるような命に対する諦めを与えてくれる優しい思想である。
しかし、それが正しいと確かめることは誰にも出来ない。
少なくとも、歴史上、それが事実だと確かめた者を、オロトスは知らない。
当たり前の話だ。
人でも、動物でも、そしてたとえ魔物であっても、死んだら終わりだ。
それが、事実だ。
だから、生き物は自分の生をひたすらに全うしなければならないのだ。
そう思って生きてきた。
だから、少女の態度、物の知らなさは、オロトスの深いところを悪い意味で強く抉る。
少女は、オロトスの激情の宿ったような表情に首を傾げて、
「見たことないけど、知ってるよ? 生き物は、別の生き物になれるんだよ……」
と言うのだ。
オロトスは、
「そんな訳がなかろう!! 死ねば……死ねばそこで終わりなのだ! それをお前は……」
「オロトス様、そんなに激昂されては……落ち着いてください」
職員が怒りに震えるオロトスの背中を擦る。
震えるように息を吐いたオロトス。
その怒りはいつまでも鎮まらないように思えたが、しかしこんな少女のために労力を使うのは馬鹿らしい、と思ったのかもしれない。
表情を普段通りのものに戻し、吐き捨てるように言った。
「……私はお前を許すことは出来ん。少なくとも、その異様なものの考え方、命を軽んじる態度を改めない限りは……。散々脅した私が言うのもなんだが、これ以上ここにいることすら不快だ……すまないが、頼む……」
そう職員に言って、オロトスは階段を登って行く。
そんなオロトスに、少女は叫ぶように言った。
「ねぇ! 命ってなに! 私、まだ教えてもらってないよ!」
もしかしたら、この少女は意外と大真面目に話しているのかもしれない、とは、残された職員の感じたことである。
オロトスはその質問に対し、階段の上から、
「一度失えば、二度と返らないもの。世界で最も尊いもののことだ!」
と言い、地下に続く扉を思い切り閉めてしまった。
頑丈な鉄扉が閉まる甲高く巨大な音が地下牢に響く。
少女も職員もその音に耳を塞いだ。
それから、音が止んだのを確認して職員の青年がゆっくりと耳から手を離すと、ふと声が聞こえた。
「……一度失えば、二度と返らないもの。世界で最も尊いもの……」
それは、オロトスの声ではなく、少女の声だった。
なぜなのかは分からないが、復唱しているらしい。
教えてもらったから、覚えるために言っているのかもしれなかった。
そして、その表情には、気のせいか何か……不思議なものが宿っているような気がした。