第199話 観光案内
「それはまたどうして……」
ルルがニーナにそう尋ねると同時に、
「それについては私が代わってお答えしましょう」
と言う声がルルたちにかけられた。
振り返って見ると、そこにはバルバラとシュゾンが人の姿で立っている。
昨夜は目立たない地味な格好をしていた二人であるが、今日はバルバラは割と華やかな様子だ。
ひらひらとした素材がその青色の髪と相俟って映える。
シュゾンは街人たちの纏っているようなものを着ていて、夜闇に紛れるような服装ではないが、街中では目立たないものを選んでいるようであった。
「きゅっきゅー」
二人の姿を見つけたニーナは、シュゾンの方に向かって飛んでいき、その胸元にぽふりと収まる。
シュゾンも慣れた様子でニーナを抱き、その首やらお腹やらをこしょこしょしてあやしている。
ニーナもまんざらでもないようで、気持ちよさそうにシュゾンにくっついていた。
なるほど、付き合いが長いのだなとそれだけで分かる。
「それで、どうしてニーナは人の姿になれないんだ?」
ルルは改めてバルバラにそう尋ねた。
彼女は頷いて、
「昨夜の会議の席上でも言いましたが、人の姿をとれる魔物と言うのはログスエラ山脈でも力あるものだけです。これは人化の魔術がある程度以上の魔力と技術を要求するからです。したがって、現在のニーナでは、技術の部分はともかく、魔力量不足で使うことが出来ません」
つまり、もともとは使えたが、小竜姿が基本になってしまっているニーナでは使う事の出来ないものだということらしい。
しかし、山にいたときはしっかりと人の姿だったはずだ。
その点について尋ねてみれば、
「それは私が代わりにかけてあげただけの話です。元に戻るのには術式を乱すだけで済みますので、自分にかかった呪いの類ではない魔術であれば、魔力がそれほどなくとも簡単にできます」
自分で人にはなれないが、人から魔物には戻れる、ということのようだった。
「……なら、今でもバルバラがその“人化の魔術”をかけてやればニーナは人の姿になれるってことか?」
「そういうことですね」
「じゃあ、やってみてくれないか。うちの仲間達が見たいって言うんだ。まぁ、どっちかというと喋りたいということなんだろうが……」
とルルが言えば、バルバラはゾエとイリスに気づき、
「そのお二人ですか……。昨日の昼も会議においてもいらっしゃったので、とても気になっていたのです。改めて、お初にお目にかかります。古代竜バルバラ、と申します。よろしくお願いします」
街中でこんなに堂々と名乗っていいのか、という気がするが、先ほどからルルたちの周りには外側に会話の内容が伝わらないように薄い結界が張られていた。
ゾエがいつの間にか張ってくれていたらしく、気の利くことである。
バルバラの名乗りに、ゾエとイリスも答える。
「……私はゾエよ。よろしく」
「私はイリスです。よろしくお願いします」
そしてそれぞれと握手をするバルバラ。
それにしてもゾエはともかく、イリスの声には若干、警戒が混じっているような気がする。
バルバラは今まで出会ってきた者たちと違って、古代魔族と比べても力ある存在であるからかもしれない。
「気になっていたって、それはまたなんでだ?」
ルルが気になって尋ねると、バルバラは答えた。
「それは……ルルと似ているかでしょうか? 見た目はそうでもないですが……魔力が」
そう言った時のバルバラの瞳は食欲に支配されているようにルルには感じられた。
イリスとゾエは単純に見抜かれたことに少し驚いて目を見開いているが、まさか自分たちの魔力が食欲の対象として見られているとは思っていないようである。
注釈を入れようかとふと思ったルルであるが、どうせ後々分かることだ。
今言わなくてもいいか……。
と、昨日の反省など投げ捨てて考える。
「まぁ、似ているのはある意味当然なんだが、それはいい。そんなことよりも、ニーナの人の姿を見せてくれるのか?」
ルルが話を戻してそう尋ねると、バルバラは、
「本人がそうしたいと言うのであれば私としては構いませんよ……ニーナ、ニーナ」
そう言ってシュゾンに抱かれているニーナを呼ぶと、
「きゅ?」
と首を傾げてニーナがシュゾンの腕の中で鳴いた。
そこからこちらにやってくる気は余りないらしい。
今いる場所が居心地が良すぎるのか何なのか。
バルバラはため息をつきつつも、気にしないことにしたようである。
そのままの状態でニーナに尋ねた。
「こちらのお二人が貴方とおしゃべりがしたいそうですよ。人の姿になってあげてはどうですか?」
「きゅ!」
バルバラの言葉にニーナは頷いてぱたぱたと飛んでくる。
それからバルバラの前に静止して、目を瞑った。
それを見たバルバラはその場で魔術を発動させようとする。
「……おい、こんな場所で……」
とルルが止めようとしたところ、シュゾンもまた魔術を発動させようとしていて、それは周囲に対する認識を曖昧にするもののようだった。
ログスエラ山脈の魔物は随分と魔術に長けているようで、少し驚くが、止める必要がないのは楽でいいだろう。
ルルたちはバルバラの行動を黙って見守ることにした。
そうして、しばらくすると、ニーナの体が青い粒子状の光へと変わっていき、それは小竜の形状から別の形へと変化していく。
地面についた足から形成されていき、そして頭のてっぺんまでほんの数秒の事だった。
そうして、青い光がすっと散乱するように消えていくと、その場にいたのは七歳前後の容姿をした少女である。
青い髪に琥珀色の瞳が不思議な印象を抱かせるが、大まかに言ってかわいらしい雰囲気の少女だった。
「……へぇ」
ゾエが納得したように声を上げ、
「小さい子だったのですね……なんと言いましょうか、非常に納得です」
とイリスが思いのほか強く頷いている。
それから、目を開いたニーナが一言目に言ったのは、
「イリスママ~!」
であり、その場にいる全員が目を見開くことになった。
◆◇◆◇◆
ぎゅっと小さな子供がまさに母親に抱き着くがごとくの様子でイリスの袖を掴み抱きしめているニーナ。
その状態に一番困惑しているのは何を隠そうイリスであった。
「……イリス、“ママ”……?」
呆然自失としたその言葉にどんな感情が籠められているのかは窺い知れない。
ただ、ニーナが上目づかいでイリスに、
「……ダメ?」
と尋ねると、優しげに微笑んで、
「いいえ、そんなことはありませんよ……」
と言ってその青い髪を撫でてやったりしているので、全く嫌と言う訳ではないだろう。
そんな中、なぜかピンと来た様子のゾエが、何かを企んでいるかのような微笑みを浮かべてニーナに尋ねた。
「……イリスがママなら……ねぇ、ニーナちゃん」
「何なの?」
「パパは、誰かしら?」
勘が鋭いにも程があるだろう、と内心慌てるルルである。
しかし、表面上は何でもないような顔を取り繕いつつ、ニーナの言葉を待った。
そして、当然と言うべきか、ニーナは言う。
「パパは、ルルなの! ルルパパ!」
と言って、イリスからぱっと離れてルルに抱き着いた。
それから、ルルの手を引っ張っていって、片方の手はルルの手を握り、もう片方の手はイリスの手を握った。
その様子を見ながら、ゾエは吹き出しそうな様子で、
「……なるほどねぇ……そっか。パパとママね……ふふっ」
と言っている。
バルバラは怒るかもしれないと思ったが、意外にも普通の表情をしていて、
「なるほど……そのような関係なのですね」
と頷いている。
さらにその後ろではシュゾンが真面目そうな顔で控えているが、先ほどよりもどことなく柔らかい印象を与えるような表情に見えるのは気のせいではないだろう。
そんな中、イリスはどんな顔をしているのか、とルルが何でもないような顔をしてイリスの方を見てみれば、
「……ルル、パパ……イリス、ママ……ふふふふ」
とぶつぶつ言って頬をさすりながら、珍しく満面の笑みを浮かべていた。
いつもはどちらかと言えばクールというか、表情の変化まで静かでつつましい雰囲気をしているため、このようなイリスはとても珍しかった。
◆◇◆◇◆
「ちなみにだけど、私は?」
あれから、今日の目的であるバルバラたちのためのフィナル案内を始めることになったのだが、ゾエが人の姿のニーナに尋ねる。
ちなみに、ニーナは未だにルルとイリスと手を繋いでご機嫌の様子だ。
手を離す気はないらしい。
「何がなの?」
ニーナがゾエの質問の意味を訪ねると、ゾエは言った。
「ルルがパパで、イリスがママでしょ? バルバラさんはおねいちゃんで、シュゾンさんは……」
「シュゾンはシュゾンなの!」
「……うん。だったら、私はどんな呼び方になるのかなって」
ゾエの気になるところはそこらしい。
それにニーナは即答する。
「ゾエはおばあちゃんなの!」
その答えに、ゾエは驚愕の表情で、
「……おば、おばあちゃん……」
実際の年齢や経験はともかく、その容姿でそう言われると納得しかねるものがあるのだろう。
頭を押さえてふらふらとしたのを、バルバラが支えた。
「……うちの妹が失礼なことを言いまして、申し訳なく……」
「いえ、いいのよ……そう、いいの。確かに、ちょっとね、おばあちゃん染みたところがね、無いとは言えないから……うん」
と自分を慰めるようにかくかくと頷いている。
この二人、意外と相性は悪くないようで、先ほどから良く会話しているのだ。
どちらも長く生きている、ということでお互いの話に面白いところがあるらしい。
バルバラとゾエの生きてきた時代や地域が被っていないからだろう。
人の世界のことに非常に詳しいゾエに、大きな目で見たときの歴史に極めて詳しいバルバラ。
性格的にも合うようで、なぜなのかと聞けば、バルバラがかつての上司に雰囲気が似ているから、と答えた。
竜騎士隊を統括していた人物が誰だったのかを思い出すと、確かに言われてみると似ているような気がして、ゾエの答えに納得がいく。
ショックを受けているゾエから少し離れて、ルルはニーナに言う。
「……あんまりおばあちゃんとかは止めてやれよ。あれで意外と気にしてるみたいなんだぞ」
いつの間にか育てていた子供が自分よりも遥か年上の容姿を持つようになって、自分の立ち位置というものに何となく“年寄り”の要素を感じることを余儀なくされているらしいゾエは、たまにそう言った単語が出る度に微妙に気にしている様子であることをルルもイリスも知っていた。
だからこその注意だったわけだが、ニーナは首を傾げて、
「そうなの? 優しいおばあちゃんなの~」
と言って気にする様子はまるでない。
「これは言っても……ダメなのでは?」
イリスが呆れたようにそう呟くと、ルルも、
「みたいだな……」
と言ってがっくりとしたのだった。
◆◇◆◇◆
六人でフィナルの街をうろうろとする。
主に行く場所はニーナとバルバラのリクエストで食べ物屋関係が多い。
特に甘いものが売っている店には必ず止まる有様である。
そう言った店については、ゾエとイリスが詳しいが、自分たちが良く食べるということ以上に、ニーナによく買ってきてあげていたというところも大きいようだ。
大体の店についてはニーナの方が良く知っていて、この店のどのお菓子が美味しい、ということを姉に嬉々として教えてあげていた。
「このお店はかぼちゃのタルトがとってもおいしいの~。食べてみるの!」
店に併設されたカフェに腰かけ、メニューを見ながらニーナが言った。
「かぼちゃの……たると。それは一体どのようなお菓子なのでしょう……?」
意外なのは、バルバラが人の料理にあまり詳しくないことだろうか。
魔物だという事を考えればそれほどおかしくはないのだが、迫力美人のこの容姿で“タルト”だとか“パイ”などという単語をあまり言い慣れていない様子は何だか滑稽に見える。
大体、この年頃の女性にそう言う事を聞けば立て板に水といってもいいくらいの剣幕で語られることが、かつてルルが魔王だった時代よりの常なのだが……。
ある意味で、新鮮である。
ちなみに、バルバラにそう言ったお菓子の概要についてはニーナがたくさん説明してあげていた。
好きこそものの……とはよく言ったもので、その知識は恐ろしいほどに広かった。
一体いつの間に、どこでそれだけの知識を知ったのか、と聞きたくなるくらいに詳細に語るものだから、イリスとゾエも驚いていたくらいである。
「……ふわぁ……おいひい。おいひいでふぅ……」
バルバラには好き嫌いはないようで、食べるたびにそんな様子であった。
古代竜だからなのか、そのお腹には際限は無いようで、いくら食べても埋まらない。
ニーナとバルバラの二人で恐ろしい量のお菓子を消費していて、金額もとてもではないが一日で食べるお菓子代どころではなかったが、稼いでいるルルたちには問題なく出せる。
バルバラたちは魔物であるため、お金は持っていないようで、支払いはルルたちがということになったのだ。
とは言え、一応気は使っているようで、
「……人の世ではそのお金はとても大事なものだと聞いています。後で何か……特別な素材など渡しますので、それを今日の代金に充ててもらえれば……」
とバルバラが言ってきた。
ルルたちとすれば別にいいのだが、一応、何を渡す気なのか聞いてみると、
「私の鱗などどうですか? ついこの間、生え変わりまして、数枚古いのがあるのですよね……。竜の鱗はいい値段になる! とか言いながらかかってきた冒険者には何人か覚えがありますので、お金になると思ったのですが……」
などと言う。
いくらお菓子代にしては高くなった、とは言え、古代竜の鱗と交換できるほどの金額にはなっていない。
そのため、それについては一応固辞した。
ただ、これからバルバラたちが街に来ることもあるだろう。
そのときのために、ある程度のお金は持っておいた方がいいだろうということで、その鱗は冒険者組合にお金と替えてくれと言えばいいと言う話はしておいた。
人の社会に慣れていないということもあり、買いたたかれる可能性と言うのも考えなくは無かったが、相手が古代竜だと分かっていてそれが出来るほど度胸がある者が果たして存在するのかは疑問である。
特に、オロトスはそういうことはしそうになかったと感じていたため、もし言うのであればオロトスに、と話しておいた。
もしそれで金額に疑問があればルルたちに言えばいいと言う話もしたが、お金についてはバルバラたちは無頓着であろう。
相談されることはないだろうと思われる。
そんな風に雑談をしつつ、店を回る中、ルルは突然路地裏に引き込まれた。
そのとき、ニーナはイリスとシュゾンと手を繋いでいて、ルルは手ぶらだったのが悪かったのかもしれない。
一体誰が、と思って手を引っ張った人物を見てみると、
「……なんだ、バルバラか」
特に不審人物というわけではなかった。
しかし、その表情は極めて不審ではあった。
「……ルル。お腹が減りました」
そんなことを言いながらちょっとだけ涎が垂れている。
ある意味色っぽい表情であるが、これはただ腹が減っているだけだと知っているルルにはまったくそのような顔には見えない。
「あんだけ食べて何が腹が減っただ」
冗談交じりにそう言えば、
「あれはあくまで別腹ですから……私たちの主食は……ご存知でしょう」
そう言って壁際に追いやられる。
それから身動きできないように壁に手を突かれた。
どれだけ食欲魔人なんだか……。
そう思ってルルが諦めて魔力を出してやろうと手をバルバラの口元に持って行ったそのとき、
「……お義兄さま!」
路地の向こうにイリスが立っていた。