第197話 関わり
「それにしても……いくら古代竜とは言え、魔物が人の姿になれるとは……。そのようなことが出来ると、人には隠して来たという事だろうか?」
会議出席者の一人から、そんな質問が飛ぶ。
糾弾するような雰囲気ではなく、純粋に疑問に思っているようだった。
それだけ、たった今、目の前で起こった出来事に衝撃を受けているという事なのだろう。
そんな彼の質問に、バルバラは顎に手を当てて、
「私としましては隠してきた、と言うより見せる機会が無かった、というだけに過ぎません。街になど来る機会がありませんでしたから。山に人が訪ねてくることも、それほど多くはありませんでしたしね。それに、このようなことを可能にしているのは私やログスエラ山脈の魔物の中でも力あるものだけですので、魔物全てがこのようなことが出来る、と思われるのは困ります」
と、気になることを言った。
それを会議の出席者の大半は、よほど力が無ければ人になることは出来ない、という意味に解釈したが、ルルはそう理解することを少し疑問に思う。
ただ、この場でそれを追及しても仕方がないだろう。
今、必要なのは、フィナルと彼ら魔物との間で結ばれた盟約についての確認である。
あの場でこのような姿にならなかったのは、演出を考えたと言うのもあるが、魔物が人の姿に変化することが出来る、という事実が及ぼす影響も考えてのことだった。
見た目で人なのか魔物なのか判断できないのでは、市民も安心して生活が出来ない。
そんな事実をさらりと明かすわけにも行かない、ということである。
ただ、今のバルバラの答えで、ある程度の安心がフィナルを構成する重鎮たちに与えられたのも事実だった。
強力な魔物でなければ人にはなれない、というのであれば、強い魔力を持つ者について注意しておけばある程度は判別が可能なのだから。
今のバルバラにしても、魔術師としてある程度の研鑽を積んだ者が集中して観察してみれば、人の身には大きすぎる魔力を持っていることが分かるほどだ。
地獄犬のシュゾンにしても、やはり同様である。
ただ、そもそも古代竜がある日突然街に飛んできて暴虐の限りを尽くしたら手の施しようがないという事実はあるが、これについては今までも存在していたリスクだ。
対応できない天災についてどうこう言っても仕方がない。
その場合は、国が一丸となって対抗するくらいしかできないのだから。
そう言った諸々を考え、バルバラが人に変化できる、ということについては一応飲み込んだ出席者の面々である。
次に、本題に入るべく、この場において最上位の責任者である領主クロードがバルバラに尋ねた。
「……バルバラ殿。貴方にこの会議への出席を承諾して頂けたこと、感謝するが……」
そこまで言ったところでバルバラがふっと笑い、
「話しにくいのでしたら、普段のような言葉遣いでも結構ですよ。私は嘗められるのは好きではありませんが、言葉遣い程度で目くじらを立てたりはいたしませんので」
と見透かしたようなことを言う。
クロードの言葉遣いはそれほどにおかしかったわけでも板についていなかったということもなかったようにルルには感じられたが、バルバラからすれば無理している感じがありありと伝わって来たらしい。
クロードは眉を顰めて、厳粛そうにしていた態度を投げ捨てていつも通りの表情に戻って言った。
「おう、そうか。悪いな、姉ちゃん」
ほとんど豹変に近い柄の悪くなりように出席者たちはその姿、態度をいつも見ているとはいえ、流石に古代竜相手にそれはまずいのではないかと冷や汗を垂らしながらおろおろと慌てた。
しかし、意外にも、バルバラの方は宣言通り、気にした様子は無く、
「いいえ。お気になさらず」
そう言って微笑みかけた。
それから、クロードはさらに言う。
「じゃあその言葉に甘えるとするか……で、だ。あんたに聞きたいんだが、昼間に結んだ盟約、あれは真実だと思っていいんだな?」
「もちろん。私たちとしても、あの侵入者どもにはほとほと迷惑をしているのです。たとえ人と協力してでも追い出すことには大きな意味があります」
なぜこのようなことを改めてクロードが訪ねているのかと言えば、危険性などを考え、あの場に居合わせることの出来なかった重鎮たちにはっきりと古代竜との盟約が結ばれたのだと確認させるためだ。
そのためには、バルバラが古代竜であるとはっきりと認識させなければならず、それが一番難しいことだったのだが、シュゾンの変化により、それはもう乗り越えられた。
後は、ただ確認すればいいだけのことである。
実際、出席者たちはバルバラの言葉を聞き、驚きや納得の表情を浮かべ、古代竜と協力関係を得られたことに大きな喜びを感じていたようだった。
けれど、プラスの評価ばかりもしていられない。
出席者の一人が、尋ねた。
「しかし……本当にそれでいいのですか? 我々フィナルの者と、ログスエラ山脈の魔物とは長い間敵対関係にあった……いわば、敵国と言ってもいい相手。それなのに、バルバラ殿たちには、我々に対する恨みなどないのでしょうか? それに、です。今後、このような協力関係を築けば、今までログスエラ山脈で行ってきた魔物の討伐などが出来なくなるのではありませんか。そうなれば、フィナル冒険者組合としても打撃でしょうし、ひいてはフィナルの特産品の確保なども難しくなるのでは……」
つまりは、魔物と仲良くすると魔物を狩れなくなって色々問題が出てくるぞ、という訳である。
確かにそれはその通りで、主に冒険者に打撃を与えるだろう。
フィナルから出て行けばいい話だが、それをされるとフィナルとしては非常に困る。
その点についてどうするのか、とフィナル、それにバルバラたち双方に尋ねているわけである。
これについては確認しなければならない、とオロトスも感じていたところ、バルバラがあっけらかんと答える。
「恨みの有無についてですが、人であろうと魔物であろうと、弱ければ死ぬのが道理です。それに、貴方方が我々を狩るように、我々も貴方方を幾度となく殺してきました。それについてはもはやお互い様と言うしかありません。それと、ログスエラ山脈における我々の討伐等については、やめて頂けるとありがたいとは思いますが、実のところ続けて頂いたところでほとんど問題がないというのが真実です。もともと、ログスエラ山脈に踏み入れる冒険者の数はさほど多くはありませんし、その目的の大半は魔物と言うよりかは、ログスエラ山脈で産出する植物や鉱物などのようですから、むやみやたらに魔物に手を出すことの無かった今までのように行動されるのでしたら、我々は何も言わないでしょう。ただし、我々も反撃は致します。その場合に死人が出ても、それについて文句を申されないようお願いします」
それはある意味で達観した見方であった。
人も魔物も、全て一緒くたにして見ているのだろう。
全体として調和がとれているのならそれでいいということなのである。
一つの地域の主として、分け隔てない平等な見方だとも言えるが、懐が広すぎ、人には理解しかねる考え方だった。
ただ、そういう根源的なところは置いておき、理屈だけ考えれば分かりやすい話でもある。
関わり方は今までと同じでも構わない、今回、ログスエラ山脈に入り込んだ魔物の討伐に関してだけ、例外的に協力する、という意味だからだ。
それなら今まで通り、何も変わりなく、すんなりと暮らしていけるだろう。
しかし、である。
オロトスは思った。
こうやって一度、古代竜を人と同列に扱い、魔物も理性を持ち、理屈も通じ、対話も可能だと認識してしまえば、この問題が解決した後に、さぁ前と元通り争い合おう、というのはあまりにも不合理なことではないか、と。
出来ることなら、昔から同じ地域に息づいてきた隣人である。
向こうはどうか分からないが、フィナルの者は古代竜に対し、一種の畏敬のようなものまで抱いているところまであるのだ。
それなのに、一度同じ側として協力関係を結び、戦ったあとに、はいさようならと言うことは出来ない、とオロトスは感じだのだ。
だから、オロトスは言う。
「バルバラ殿のその申出はありがたいですが……それではあまりにも、悲しく思いますぞ。割り切った関係を保つと言うのもこれからのお互いの存続を考えれば悪くないかもしれないが、しかしこうやって話し合える知恵をお互いに持っているのだ。むしろ、この会議をきっかけに、我々は交流を持つべきではないでしょうか。そのために、お互いの領域に対して、今までより尊重し合う、ということが必要ならば、時間はかかるかもしれないが、考えてみるのも悪くは無いと……皆さまはどう思われますか?」
オロトスはそう言って会議の出席者たちを眺めた。
その提案は、非常に理想的ではあるのだが、現実的に考えると難しいものが多く、非常に高い壁があることも分かってしまう。
フィナルの街の動きを事細かに把握し、動かしてきた彼らたちだからこそ、分かってしまうことだった。
しかし、である。
彼らもまた、フィナルを愛し、フィナルと共に生きてきた者たちだ。
フィナルの近くに聳え立つログスエラ山脈の恵みに感謝し、その山頂にいると言われる古代竜に畏れと憧憬を抱きながら生きてきた。
そんな彼らにとって、オロトスの言葉は一つの希望でもあった。
だからこそ、その言葉に反対の声を上げる者はいなかった。
懸念や疑問、それに不安を述べる者は少なくなかったが、しかし可能であるならば、ログスエラ山脈の魔物との交流をしていくのも一つの選択肢として考えていきべきだと言う部分については否定しなかった。
それに驚いたのは、誰よりもバルバラだったようで、琥珀色の目を瞬かせながら、
「……人は、それで良いのですか? 自ら言うのもなんですが、我々魔物の素材と言うのは、人にとって代えの利かないものなのでは?」
それに答えたのは、出席者の一人である。
「確かにその通りですが、別にログスエラ山脈のみで手に入るというものでもありませんので、他の地域から運ぶことも出来ます。それに、先ほどバルバラ殿もおっしゃられたように、この街で最も重要な特産品はむしろログスエラ山脈の植物や鉱物の方でして、そちらがどうにかなるのであれば……魔物の素材については諦めてもやっていけるのではないかと。もちろん、それについてもバルバラ殿たちの許可が、あれば、という話になってきますが……」
確かに、ログスエラ山脈に入りこむ冒険者たちはそれほど多くなく、そのことからも、魔物の素材をどうしてもログスエラ山脈で得なければならないという事情は今でもないのだ。
足りない分は他の地域から輸入に頼って補っても何とかなるのかもしれない。
植物や鉱物については、今まで通り、ログスエラ山脈に入って採取すればいいだろう。
ただ、その際に魔物と事を構えないようにする、というだけだ。
「我々としては森や山の植物や鉱物については、森の環境を乱さない限りにおいて、自由に採取して頂いて構いませんが……」
バルバラがそう言ったので、発言した出席者も安心したようにほっと息を吐く。
「ただで好き勝手ログスエラ山脈に入り込み放題素材取り放題、という今までの行動も考えなければなりませんが……そう言ったところについては後で細かく詰めましょう。何かしら、対価などが必要であれば、言って頂ければ考えますので」
オロトスがそう言って話を進める。
そんな風にして徐々に、フィナルとログスエラ山脈の魔物とのこれからの展望が具体化していった。
それは今までの、静かにいがみ合っているような状態とは異なって、お互いに利が多いものであり、これが実現できるのであれば両者ともに満足できる内容である。
もちろん、そのためには色々な仕組みを考え、作り上げていく必要があり、平坦な道ではないが、しかしそう言ったことを得意とするものたちがこの場には集まっているのである。
「あとは、侵入者たちを追い出すだけですな」
そう言ったオロトスに、バルバラは頷き、会議は終わったのだった。
それから、会議出席者たちが来たときとは正反対の希望に満ちた足取りで部屋を出ていく中、バルバラは冒険者組合から今日の宿を紹介されているようだった。
シュゾンも既に人の姿に戻っており、静かにバルバラの後ろに佇んでいる。
そんな中、ルルたちはそそくさとその場をあとにしようとしたのだが、バルバラの横を通り過ぎようとしたとき、バルバラがルルに話しかけてきた。
「ルル! 明日、私は暇になりますので、街を案内していただけますか?」
と。
オロトスはバルバラのその言葉に驚いて、
「冒険者組合から人を出そうとしていたところでしたのに……しかし、お二人は知り合いなのでしたな。では、ルル。頼めるだろうか? これは冒険者組合からの依頼ということにしてもいいのだが……」
オロトスからそう言われては、未だに下っ端冒険者でしかないルルが首を横に振れるはずがない。
「……分かりました。明日ですね」
そう言ってルルが頷く。
後ろの、大体イリスがいる辺りから、妙な圧力を感じるような気がするが、それは気のせいだろうという事にすることにしたルル。
そのまま、余計なことは言わないうちにその場を急いで後にしたのだった。