第195話 奇妙な訪問者
静かな夜だった。
昼にあった出来事などまるで気のせいだったとでも言うように、いつものように静かで、穏やかな夜だった。
フィナル正門脇に作られている門番のための詰所。
そこには数人の騎士と兵士が、夜間の見張りのために詰めている。
とは言っても、夕方から日が落ちてしばらくの間ならともかく、こんな真夜中に街を訪ねる者などほとんどいない。
いたとしても、それは余程緊急の場合か、もしくは余程後ろ暗いところのある人間が来るような場合くらいである。
そのため、こんな静かな夜には、門番詰所にいる兵士たちの仕事は、燭台のもとで書類を片付けるか、ゆっくりと読み物をするかくらいなもの。
実際、その日、起きて門番をしている兵士たちは殆どが書類仕事と読書をしていた。
賭けカードなどをしている者もいるし、盤遊戯などをする者もいるが、少数である。
いつもと何も変わらない光景。
門番の仕事に最も大事なのは、忍耐と、こういった静かな時間を楽しめる余裕だろう、と考え、その場の責任者である小隊長は自らも書類仕事をしながら、ぼんやりとフィナルの外側に向かって設けられた石積みの隙間から、夜の闇を眺めていた。
この小隊長、以前、魔物警戒令が出たときに門の外に展開していた男で、普段の業務の中には、こうやって門番たちの統括をすることもあった。
そんな彼が、いつもと変わらないとぼんやりと時間が過ぎ、交代の時刻が来るのを待っていたそのとき。
正門脇に、正門が閉じられている時間に使うための通用口が設けられているのだが、その扉がこんこん、と叩かれた。
あまり慌てているような様子ではなく、むしろ慎み深さを感じさせるような、穏やかな叩き方である。
扉を開けず、まずは覗き戸から誰が扉を叩いたのかを確認する小隊長。
後ろに控える兵士たちにも目くばせし、何かあれば即座に対応できるようにと無言で合図する。
すると、
「……ほう、このような時刻に珍しいこともあるものだな?」
小隊長は扉を叩いた人物を見るや否や、そう呟いて驚きを示した。
覗き戸の向こう側に見えた者。
それはこのような時刻に街の外にいるべきではない、若い婦女子二人組だったからだ。
片方は非常に品のある容姿と物腰の女性で、穏やかな中に匂い立つような美貌が宿った不思議な女性であった。
髪の色は空のような蒼色、瞳は宝石の如く煌めく琥珀色であり、まさに絶世の美女、と言った雰囲気だ。
ただ、芯はその容姿ほど弱くは無いだろうことがその瞳に宿る知性から理解できる。
怯えた様子は無く、いかなることが起ころうとも自分の居場所を見失わない、小隊長には彼女がそんな女性であることが一瞬で察せられた。
しかも、しばらく観察していると、始めには気づかなかった、なんとも言えない凄みまで感じられてくる。
ただものではない。
そう思った。
そしてもう一人の方は、そんな彼女の身を守るためについている者だろうと思われた。
片目に何か鋭いもので刻まれたのであろう切り傷がある彼女は、長い漆黒の髪に赤い瞳を持っていた。
未だ健在の片目は油断なくありとあらゆるものを観察しているようであり、何かがあればいつでも腰に差した剣を引き抜けるように気を張っているのが、小隊長には分かった。
明らかに手練れの戦士であり、並大抵の修行ではああはならない。
護衛が彼女一人なのだとしても、これではその辺の盗賊などでは相手にならないだろう。
また、彼女のような者が護衛なのは、その容姿に理由があるのかもしれない、とも感じられた。
片目を失っているとはいえ、それを差し引いてもなお美しい容姿を彼女は持っていたからだ。
体つきもぱっと見は戦士のよう、というよりかは華奢で、むしろどこかの貴族の婦人が真似事をしているかのようにも感じられる。
ただ、そんな印象と言うのは当てにならないという事を、小隊長は今までの人生でしっかりと理解していた。
容姿と実力は比例する場合も少なくないが、ここに魔力という要素が加わってくると話は大きく変わってくる。
おそらく、彼女は身体強化魔術を高度に使うことの出来るタイプの、本物の実力者、というものなのだろうと思った。
そんな二人である。
こんな時間帯に街を訪ねるなど、酷く目立つうえに奇妙極まりなく、小隊長はどんな目的があるのかと訝る。
しかし対応しないわけにはいかない。
身分ある者であれば、下手に門前払いなどしようものなら後々問題になるからだ。
したがって、小隊長はまず扉越しに訪問の目的を尋ねることにした。
「……ようこそ、フィナルへ。しかしこのような人気のない時間帯に、一体どうされたのか?」
その言葉に、青い髪の女性の方がゆっくりと答える。
「……夜分遅く、失礼いたします。このような時間に訪ねることとなったのは、先方からのご指示によるもの。詳しいことは、こちらの書簡をご覧ください……」
そう言って、覗き窓の横に設けてある外部との書簡のやりとりをするための投書箱に、女性は手紙を投げ入れた。
どうなら何か事情があるらしい。
小隊長はまず、投書箱からその書簡を取り出し、確認しようとした。
投書箱を開き、書簡を手に取る。
それから、その封蝋を見たのだが、その瞬間、小隊長は固まった。
「……これは……」
そんな小隊長の様子に、後ろに控えていた兵士たちが首を傾げて訪ねる。
「……どうされたのですか、小隊長?」
その言葉に、小隊長は答える。
「……いや、少し驚いてな」
そう言った小隊長の手元を覗きこんだ兵士たち。
彼の持つ書簡の封蝋に押されている印章が目に入り、そして兵士たちも小隊長同様に驚いた。
「なるほど、これは……」
「うむ。これは、フロワサール家の紋章だ。どうやら彼女たちは正式な招待を受けているようだな」
そう言いながら、小隊長は封蝋を開き、中の手紙を読む。
そこに記載してあったのは、彼女達二人がフロワサール家の正式な客人であり、その身分を保証すること。
もし彼女たちが訪ねて来たなら、フロワサール家、それに冒険者組合に人を走らせること。
さらに、彼女達の身分については一切詮索無用である、ということだった。
それを読み、事態の大変さを理解した小隊長は慌てて兵士たちはフロワサール家、それに冒険者組合に向かわせ、さらにみずからは通用口に近づいた。
「いつまでも外に置いておくわけにはいかぬ……」
小隊長はそう言って、扉の外に話しかける。
「お待たせして申し訳なく存じます。外は冷えるでしょう。通用口を開きますので、少々お待ちを」
そう言って小隊長は自ら通用口のカギを開き、二人の女性を招いた。
静々と入ってくる、二人の女性。
それから、青い髪の女性が小隊長に尋ねる。
「……フィナルの中に入ってもよろしいでしょうか?」
しかし小隊長はそれに首を振った。
「いえ、それには少々お待ちを。今、使いの者を走らせておりますので……」
「そうですか。では、ここで少し休ませてもらっても?」
青い髪の女性の言葉に、小隊長は頷き、椅子を進めた。
もう一人、黒髪の女性にも勧めたのだが、彼女は寡黙に首を振って、立ったまま青髪の女性の後ろに控える。
主たる者をいついかなる時も守る覚悟だという事だろう。
騎士なのかどうかは分からないが、騎士として、模範になる態度であることは間違いなく、またその実力も、こうして実際に目の前に見れば小隊長には一層明らかだった。
強い。
そうとしか言えないような迫力があった。
一体何者なのか、小隊長としてはどうしても聞きたくなってくるが、しかしはっきりと領主様からそれは聞いてはならぬと言われてしまっている以上、尋ねるわけにはいかない。
したがって、無言でいるのも気まずく、当たり障りのない雑談をすることになったのだが、黒髪の女性はともかく、青髪の女性は貴人のようでいながら、意外にもかわいらしい女性であることが分かった。
小隊長は兵士一筋。
したがって若い女性との話題などほとんどなく、せいぜいが娘が仕入れてきたフィナルにおける菓子店やらレストランやらの情報くらいしかネタが無かった。
しかし、目の前の女性も、どんな理由かは分からないがある程度フィナルに滞在すると言うのなら、そう言ったことにも興味があるのではないか、と思い、ふと話し始めてみれば、冷静で穏やかそうなその表情が意外なほどにくるくると変わっていくのだ。
「……中央通りの方には“サピロス”という菓子店がありましてな。私もこの年です。甘いものを特に好んでいる訳ではないのですが、娘が食べたいとあまりにもしつこいものですから、仕方なく寄り、その店で最も人気があるというザクロのケーキを家族の人数分購入したのです。私もこの顔でなんですが、娘には嫌われたくは無いので……一緒になって食べたのですが、これが驚いたことに非常に美味でして。甘すぎず、それでいてほんのりと口に広がる丁度良い柔らかさと言いましょうか。まさに職人技と言うはああいうものを言うのですな。フィナルに入り、落ち着かれたらぜひ、行ってみるとよろしかろう」
そんな小隊長の言葉に、青髪の女性は、
「なるほど……そのようなお店が。これは要チェックですね。ニーナにも教えなくては。シュゾン! メモです! メモ!」
そんな風に言って、後ろに控える女性に指示する。
すると黒髪の女性はどこから取り出したのか、紙とペンを持ち、さらさらと書き始めるのだ。
「……つかぬ事をお伺いしますが、中央通りのどのあたりになりますでしょうか?」
初めて口を開いて出た言葉がそれである。
女性にしては低く、ハスキーな声だが、独特の魅力が感じられる。
そのよく鍛えられた戦士としての容姿によく似合う声であったが、尋ねてきたのは菓子店の正確な場所である。
小隊長はなんだかおかしくなったが、その行動自体を笑うわけにはいかない。
先ほどまでと変わらない微笑みで、快く菓子店の場所を教える。
「ありがとうございます。感謝いたします」
その言葉には確かに感謝の気持ちが籠っていて、特に喋るのが嫌い、という訳ではなさそうだが、もともとそれほど言葉よりも行動で示すタイプなのだろう、と小隊長は思った。
それから小隊長が食べ物屋の情報を口にするたび、似たようなやりとりが何度か繰り返されたが、そんな時間も終わる。
がちゃり、と詰所のフィナル側の扉が開き、二人の兵士が順番に戻ってきた。
それから、それぞれが、
「小隊長、フロワサール家の確認がとれました!」
「冒険者組合もです」
と報告してきた。
これで、彼女達の身分は保証されたことになる。
もはや、ここで引き留める理由は無く、小隊長は言った。
「……どうやら確認がとれたようです。これで、フィナルに入っていただくのに何の問題もありません。少し名残惜しいですが……改めて、ようこそ、フィナルへ。良い滞在になることを祈っております」
そう言って立ち上がり、フィナル内部に続く扉を開いて、その向こうを進めた。
女性二人も立ち上がり、それぞれが、
「既に楽しい滞在になりそうだと感じていますよ……。こんなことならもっと早く街に来るべきだったと思ったくらいです。様々な情報、ありがとうございました」
「……世間知らずのこの方の相手を色々として頂き、本当にありがとうございます。お聞きした情報は有効に活用させていただきますので……では」
そう言ってその場を去って行った。
小隊長としては二人の台詞に少し違和感を感じるところが無かったわけではない。
もっと早く街に来るべきだった、とか世間知らず、とか。
まるで街に来たことがないような言い方だし、黒髪の女性の言う世間知らず、とは貴族だから下々の者のことを知らないと言いたいわけではなく、単純にものを知らないと言いたげな雰囲気が感じれらた。
実際、青髪の女性は詰所の中であまり落ち着いておらず、そこらに置いてある、さして珍しくない様々な道具類について使い方などと聞いたりするなど、確かに少し物知らずではないか、というところがあった。
ただ、頭が悪い、というわけではなく、むしろ、歴史などについては非常に詳しく、小隊長が祖母の世代からしか聞いたことのないような小さな事件のことなどをとても詳しく話したりするなど、面白い女性であった。
もしかしたら、貴族、というよりかはどこかの国の学者とか、そう言った者なのかもしれない。
一つのことを突き詰めると、それ以外のことは殆ど知らない、ということはわりとよくあることである。
実際、小隊長にしても、兵士一筋でやってきているため、若い娘の流行もののことなどまるで知らないのだから。
それから、街に進んでいく二人の女性の後ろ姿が見えなくなったところで詰所の扉を閉め、改めて自らの業務に戻る小隊長と兵士たち。
今日は変わったことが一つ、あったわけだが、まだまだ夜は長い。
「……さて、気を引き締めて仕事するか」
兵士たちにそう言った小隊長。
兵士たちはそれに頷くも、実際は書類仕事や遊戯で時間つぶしをするだけなので、その台詞がちょっとした冗談なのだと理解し、笑い合ったのだった。