第194話 意思疎通
モイツ達にイリスが同意を得て、古代竜に振り返ろうとすると、モイツ達三人は怯えたように声を発した。
「おわ……!」
クロードが後ずさりながら言う。
「なんという……!!」
オロトスが目を見開いてそう叫んだ。
「……息が、止まりそうですね……」
モイツは一見冷静そうではあったが、服のポケットからハンカチを取り出して冷や汗を拭いている。
何が起こったのか、と思いイリスが改めて古代竜の方を振り返って見れば、確かにこれはと納得がいった。
遥か高いところに会ったはずのその頭部が、低く下げられて、まさに目の前にまで下りてきているのだ。
モイツ達三人はその瞬間を目撃した、というわけだろう。
ゾエだけはなんともなさそうな表情で見ているが、しかし怯えとは別の興奮がその瞳に宿っていることにイリスは気づく。
「竜騎士、と言うのは竜バカが多いとよく耳にしてましたが……そういうことでしょうか?」
とぼそりと呟いた。
かつての軍時代の記憶である。
とはいえ、今はそんな話はどうでもいい。
必要なのは、古代竜との対話だ。
その方法について、ゾエとイリスはモイツ達に色々説明していたが、とりあえずこの場においては、竜と意思疎通の出来る者がいるので、その者を通して会話する、という方法をとるということにしている。
誰がそんなことが出来るのか、と言えばゾエが一番適任そうだが、実際に竜と会話できるというほどではないらしい。
ある程度の意思疎通は出来るが、それは本当の意味での馬に乗馬をする者が、馬と会話する、と表現する程度のレベルだという事だ。
そうではなく、もっと深いレベルで、人とするような程度に会話できるということになってくると、そんな人物などいない。
しかし、この場においては――
「ルル! 姿が見えないからどこにいるのかと思ったけれど、そんなところにいたのね」
と、ゾエがその人物に話しかけた。
頭部を低く降ろした古代竜、そこにかつての魔王時代を髣髴とさせるような姿で立っていたその少年。
それこそが、"古代竜"と会話できるということになった、ルルである。
「あぁ! ちょっと降りるから、待っててくれ」
そう言って、すたり、と古代竜の頭から降りたルルは古代竜の頭部の横に立ち、軽く撫でた。
ごろごろと猫のような様子になる古代竜の姿に唖然としたのはその場の面々である。
古代竜が完全にてなづけられている!
と驚きしか感じないのだ。
しかし、ゾエにはルルの手から魔力がじんわりと染みだし、それが古代竜の口元に流れていっているのが見えたし、イリスはなんだかよく分からない不穏な感情が自分の胸に沸き起こっているのを感じてむしろ首を傾げていた。
良く見れば、ルルの頭の上にはうつ伏せの小竜がべったりと引っ付いていて、イリスはそれに見覚えを感じ、叫んだ。
「……リガドラちゃん!」
すると、リガドラはぴく、と反応してルルの頭部を離れ、ぱたぱたとイリスの元へと飛んできて、その胸にぽふりと飛び込んだ。
「きゅいっ! きゅい~! きゅきゅきゅ」
少しばかり涙ぐみながら、イリスの胸に顔を擦り付けているのは、勝手にパーティを離れたことに対する謝罪のつもりだろうか。
きゅっきゅきゅっきゅ鳴きながら、ぎゅっとイリスに引っ付くリガドラに、イリスは愛しさを感じた。
「……これが、母性と言うものでしょうか……」
呟いた独り言を聞き取った者は、誰もいない。
それからしばらくして、イリスはハッとした様子で古代竜を見た。
今、自分の胸元にいるのが、リガドラだと言うのなら、あれは一体……。
そんなところに注意がいったのだ。
それはゾエもまた同じようで、
「……向こうでルルが言ってたのは、巨人はログスエラ山脈の主に運ばせるから、説明しておいてくれ、ってことだったけど……リガドラちゃんが主だったわけじゃないって事かしら? 他にもいたのね、古代竜……」
その言葉は小さく、イリスにしか聞き取れないくらいの大きさだった。
ゾエとしても、イリスにしか伝えるつもりのなかった台詞なのだろう。
それにしても、ゾエの言っていることが正しいとすると、古代竜はもう一体、山にいたということになる。
なぜそれを説明してくれなかったのか、という気分に一瞬陥るが、ルルの事である。
後で言えばいいと思った、とか、うっかりしてた、とかそういうことなのだろう。
重要な場面で間違いを犯すことは殆どないルルであるが、こういうところでそういううっかりをすることは、枚挙に暇がない。
昔であれば側近や部下たちがフォローしていたところなのだが、現代においてはそれはゾエとイリスの役目なのだろうと改めて感じる。
それから、ルルは何やら古代竜に話しかけるようなそぶりをしていた。
自分が古代竜と会話できる、と周りの者に――特にその場に沢山いる騎士や冒険者たちに印象付けているのだろう。
このことがルルの名前と共に広がっていくと目立ちすぎなような気がしないでもないが、一応、この場にいる騎士や冒険者達には今日この場で起こることについては他言無用、ということになっている。
フィナルの街人たちは事前の街からのアナウンスによって今日は家に籠って外出を禁じられており、したがってここで起こったことがそこまで大々的に広がると言うことは無いだろう。
それに、もし禁を破って漏らす者がいたとして、一体どれほどの者が信じるのか疑問なことでもある。
そういう諸々を考えると、ルルの名声はまたしてもさほど上がらない、ということになるのかもしれなかった。
それから、ルルと古代竜との会話が一段落したのか、少しばかり遠くにいたゾエ、イリス、それにモイツ達にルルは手招きをし、古代竜の頭部のところに寄るように指示した。
ゾエとイリスはともかく、モイツ達ははじめ、及び腰だったが、ここまで来たらもうどれほど近づいても一緒と思ったのか、途中からは一種諦めの境地でずんずんと進み始めた。
そしてルルに色々と話しかける。
「……ルル、お前、ほんととんでもねぇよ……噛まないんだろうな? この古代竜は」
クロードが冷や汗を垂らしながら、精一杯の軽口を言って場を和ませようとする。
ルルは、クロードの言葉に「ぐるぐる……」と恐ろしげな唸り声を上げた古代竜に耳を寄せ、それから、
「気高き古代竜の一族である私が、そんな程度の低いことしませんって言ってるぞ」
どうやら、通訳してくれたらしい、と理解したクロードが、なけなしの勇気を振り絞って古代竜の瞳を見、それから納得したように頷いて、
「なるほど……本当に知恵のある魔物、なんだな……目を見れば分かるよ。モイツ殿、それにオロトス。安心しろよ。こいつは……話が通じるぜ」
その言葉に、当然だ、というような雰囲気の表情をして鼻息を吐く古代竜。
妙に人間的なその様子に、モイツとオロトスも肩の力が少し、抜けたようである。
モイツは言う。
「……言葉が通じるのなら、まだ平常心を保てますね。目の前のものが会話も何も出来ない暴力の化身だ、と言うのは恐ろしいものです。しかし話せるのなら……」
「そう、ですな。会話できるのなら、この得体の知れない緊張感も少しは薄れるというもの。それに、聞けばこの古代竜殿は我々と目的が同じと聞きましたが……」
オロトスは早速、と言った感じで本題に入って行く。
ゾエとイリスが彼らに伝えたのは、古代竜を頂点とするログスエラ山脈の魔物達が、外部から入ってきた魔物を排除したがっていて、その点で人と協力することも吝かではないと考えている、ということだった。
ルルがイリスたちにそう説明し、それをフィナルのものに伝えてくれと話したので、オロトスたち三人に伝えた訳だ。
オロトスの言葉に、古代竜は頷き、同意を示す。
それから、ルルに何かぎゃおぎゃおと言い、オロトスやモイツ、それにクロードと何か話す、というやり取りが続いた。
イリスがそれを眺めながら、ふと気づくと、先ほどまで感じていた重みがなくなっていることに気づく。
「……あら、リガドラちゃん?」
不思議に思ってきょろきょろと周りを見回すと、丸っこい飛行物体を少し遠くの方に見つけた。
見れば、騎士や冒険者たちのところを飛んでいるようだ。
小竜の容姿であるから、一切警戒されておらず、むしろなんだか騎士・冒険者たちは癒されたような顔をしている。
さらに、リガドラはその背負ったリュックから何かを取り出して配り歩いているようだった。
「……何を配布しているんでしょう……」
気になったイリスは、ゾエにその場を任せて近づいてみた。
すると、近づくイリスに気づいたリガドラが、イリスにも何か手渡してくる。
「きゅっ!」
両手で渡されたその物体は、何か透明な袋で包まれた実のようなものだった。
果物のように見える。
首を傾げていると、近くの騎士が話しかけてきた。
「それは、“水晶檸檬”と呼ばれる果物ですよ。ログスエラ山脈の山頂近くにしか生えない特別なもので……ごくまれに森にも生えているのですが、滅多に見られないから中々手に入るものではないのです。食べれば、たちどころに魔力が回復し、また様々な薬の材料にもなると言われます。何より、ひどく美味で……これは、古代竜の心遣いでしょうか? それに、あの小竜は古代竜の小間使いのような存在なのでしょうか……」
と独り言のような質問のような言い方である。
その答えを、イリスが持っているとはとくに考えず、感想をただ述べているのだろう。
それにしても、その植物の名前をイリスは聞いたことが無かったが、昔から生えていたものなのかもしれない。
ログスエラ山脈にしか生えないというのなら、知らなかったのは仕方がないだろう。
確かにそう説明されてその透き通った水晶のような実を観察してみると、濃密な魔力が感じられ、食べればかなり魔力の足しになるだろうことは理解できる。
このような植物は滅多になく、重宝されるが、それを惜しげも無く配る辺り、確かに古代竜の気遣いなのかもしれない。
配っている本竜(?)にしても、古代竜なのだし……。
と妙な納得をしたイリス。
水晶檸檬の入っている袋もついでに観察してみれば、透明なそれは魔力で構成された物質のようで、袋を開くと同時に空気に溶けて消えてしまった。
無駄に高度な技術である。
そんなものを配り歩いているリガドラが歓迎を受けるのは当然のことかもしれない。
愛らしさも含めて、どんどん人気になっていくのだ。
「これは……放っておいても、問題ないでしょうね」
実際、小さいとはいえ、古代竜なのだし、緊急脱出手段くらいは何かあの姿でもあるだろう。
そう思って、イリスは遠くから眺めつつも放っておくことにした。
そうしてしばらく経つと、古代竜とモイツたちとの会談は終わったようで、古代竜の巨大な前足の小指と、オロトスの手でもって握手がなされた。
それから、その場の騎士・冒険者たちに向かって、オロトスが大きな声で言う。
「我らフィナルと古代竜との盟約がここに結ばれた! ログスエラ山脈とフィナルの平穏のため、我らは協力関係を結んだのだ!」
それから細かい条項が読み上げられるのを古代竜も黙って聞いている。
そしてオロトスが最後まで言い切ると、古代竜は深く頷いてから、空に飛びあがった。
そのままログスエラ山脈の方へ悠然と羽ばたいていくその姿は神々しく、またそんな存在が力を貸してくれると言う事実は、その場にいた冒険者たちに頼もしさを感じさせた。
そうして、その場での出来事は終わった。
気絶した巨人だけがその場に残されたが、これについては街の中に運び込むわけにも行かず、冒険者と騎士たちでこの場で監視と尋問を行うことが決まっている。
時間が経ち、ほどけかけている魔術的縛鎖は強くかけ直された。
ちなみに、ルルとリガドラはその場に残った。
古代竜との盟約が成った、とは言っても、これから話す機会もあるはずで、そのためにはルルの存在が不可欠であるからだ。
オロトスは、今後の事を相談する、といって、ルル、それにゾエとイリスを冒険者組合まで一緒に向かおうと誘う。
もちろん、それにはモイツとクロードも一緒にである。
解散を告げられたその場の騎士・冒険者たちは、そんな彼らを見送り、それからしばらくの間、たった今、この場で起こった諸々の出来事について、見間違いでないのかを語り合ったのだった。