第192話 立場
開かれた穀物袋からごろりと出てきた、その物体。
それは明らかに人であり、まだ息があるのも間違いなかった。
すうすうと呼吸をして胸が上下しているのを確認することが出来る。
ぱっと見、年齢は十歳前後の少女であり、可愛らしいあどけない顔立ちをしている。
手足も細く、そこらにいそうな少女のようであるが、しかし決してそうは言うことの出来ない特徴がその少女には二つばかりあった。
「……翼、に……これは角ですか?」
モイツが怪訝そうな声でそう尋ね、巨体でもって近づく。
すると少女の小ささが際立ち、とてもではないが、この少女がベテランだけで構成されたログスエラ山脈調査隊の手練れの冒険者たちに大きな被害を負わせた者の一人とは思えない。
しかし、事実として、はっきりと被害者がこの少女こそがその何者かの正体であると言っており、少女は縄で手足を縛られて決して自ら逃げられないようにされている以上は、それだけの警戒に値する存在なのは間違いないのだろう。
ただ、危険人物である、というのはいいとしても、一体この少女がどんな種族の者なのかが分からない、ということが不安を煽る。
翼だけならいい。
体に比して大きめの、猛禽類のようなその翼は、確かに鷹系獣族によく見られるようなもので、だとすればこの少女もそうなのだろう、と言えるのだから。
しかしそれに加えて角がくっついて来るともはや推測が出来ない。
角の生えている種族、と言うのが存在しないわけではないが、少女の持つような禍々しい角と、鷹系獣族の持つような翼を同時に持った種族というのは少なくとも既知の種族の中にはいないのだ。
「俺達も驚いたがな。しかも、こんな形で恐ろしいほどの魔術の使い手だ。風の魔術を使っていたが……威力もさることながら、こいつ自身の速度も目で追いきれないほどだった」
「この少女に多数の冒険者がやられたということか……」
納得しかけたオロトスに、男は首を振る。
「いや、こいつの他に、あと二人、似たような奴がいた。蝙蝠みたいな翼をもった青年と……牛の角と馬鹿げた大きさの体を持った、一つ目の男だ」
「……蝙蝠か。そいつは蝙蝠系獣族ってことか?」
男の言葉にクロードが言った。
しかし男は首を傾げる。
「いや、それも分からない……翼の作り自体は確かにそうだったが、質感が……こう……」
「石っぽかったのよ」
うまい言葉が浮かばないらしい男にゾエが助け船を入れる。
男は頷いて、
「そうそう、そんな感じだったな」
ゾエの例えには他の冒険者たちも同意を示したので、これは正しい情報だろう、と確認が出来る。
それを聞いた三人の重鎮は悩んだ。
「石っぽかった……と言うのは、分かりませんな。蝙蝠系獣族の翼は確かに硬質な印象を与えますが、しかし石のように感じられると言うものでは……」
「そうだな……そういうものじゃねぇな。となると、そいつも別の種族だという事になるだろう」
オロトスの言葉に、クロードが頷いて答えた。
「しかしそうなると、最後の一人、巨大な一つ目の牛の角を持った男と合わせて、新たに三つの種族が確認されたという事になりますが、そのようなことがありうるものでしょうか」
モイツが唸りながら言う。
だが、事実は事実であり、しかもそのうちの一人、角と鷹の翼を持った少女は目の前にこうしてはっきりと存在しているのだ。
嘘だ、とか見間違いだ、というのは難しい話だった。
一人がそう言っているだけだというならともかく、この様子では今回派遣した冒険者達全員の共通認識がそうなのだろう。
さらに、そこにはゾエがいた。
五十年以上前のこととはいえ、ゾエの実績は上げればキリが無いほどだ。
報告の内容が誤っていたことはかつてない。
それに加えてこれ以上ない証拠があるのでは、そういうことなのだと納得するほかなかった。
それから、クロードがふっと思い出したように言う。
「それで、その二人はどうしたんだ? 殺したのか?」
だからここには少女しかいないのか、という意味での質問だった。
男は答える。
「いや、蝙蝠系獣族のような青年については逃がした。おそらくこいつが一番の手練れだっただろう、とはゾエの言葉だが、実際最もやられたのはこいつにだ。事実だろう」
「追いかけて捕まえようとは思ったんだけど……怪我人も多かったし、安全にフィナルに戻る方を優先したわ。あれ以上、被害が大きくなると帰還がままならなくなりそうだったし、死人も出そうだったから」
これは言い訳と言われればそれまでの言葉だったが、その場にいた三人の責任者たちは特に責めはしなかった。
そう言った極限の場面でどういう選択を取るべきかは難しいものがある。
情報源の確保と言う意味では追いかけて捕まえるべきだった、と言えるだろうが、調査隊を構成していた冒険者たちはだれもがベテランの冒険者であり、フィナルにとって重要な戦力でもある。
今後のことを考えれば、後者を優先すべき、というのも間違った判断とは言えない。
それに、オロトスは個人的なことを言うのなら、冒険者たちに帰ってきてもらえて心底良かったと考えていた。
彼らは、オロトスが昔から知っている者たちで、信頼すべき戦友たちでもあったからだ。
それを見捨てて青年を追いかける、という選択を取らないでくれてよかった、とオロトスは思った。
もちろん、今後、ゾエのとった選択が間違いだった、あの時青年を捕獲して情報を得ていれば、となる可能性も高いが、それでも責めるべきことではないだろう。
むしろ、これだけイレギュラーな事態に遭遇して、十分に妥当な判断をしてくれたことに感謝すべきである。
報告の内容から、ゾエ、それにイリスが今回の調査隊の中で大きな戦力となったことは間違いなく、その二人がその場で調査隊から離れた場合、どこかに青年たちの仲間がいた場合に襲撃を受け、全滅していた可能性すらもあるのだ。
だから、オロトスは言った。
「ゾエ……フィナル冒険者組合の長として、礼を言うぞ。良く、冒険者たちを優先してくれた……彼らは大事な財産なのだ……」
その言葉には深い感謝の念が籠っていて、ゾエはそれを受け入れて頷いた。
「人の命は大事よね。あの青年、何か知っていそうだったし、逃がしたのは惜しいけど……何とかなるから大丈夫よ」
それは事態の切迫している今、言うにはあまりにも楽観的で適当な台詞に感じられるものだったが、ゾエの目を見れば彼女は明らかに大真面目で言っているらしいことが分かる。
隣に座るイリスも、それに同意しているかのように余裕があり、他の冒険者たちの、緊張と焦燥に満ちた表情とは対照的だ。
この場において、彼女達だけは本当に今後何があろうともどうとでも出来る、と思っていることがそれで分かる。
その態度は、人族としては長く生きたオロトスには若者の無謀、過信のように見えたが、ふと自分より遥かに長く生きているモイツを見れば、むしろ頼もしいものを目にしているかのような希望的な輝きが瞳に宿っている。
モイツは、ゾエとイリスのそれを、無謀とは捉えなかったらしい。
それに、領主クロードは面白そうな顔で二人を見ているようだった。
なぜ、モイツとクロードはゾエとイリスをこのような顔で見るのかとオロトスは不思議に思ったが、しかし、それはいくら考えても分からない。
ただ、少し考えれば分かるが、ゾエは物事を無意味に楽観的にとらえるタイプではないことは、彼女のとった行動からもはっきりしている。
そんな彼女が、何とかなると言っているのだ。
それなりに切り札があって言っているのだと考えるべきかもしれないと思い、オロトスは彼女の言葉を脊髄反射的に否定することはせずに受け入れることにした。
「本当に……そうだいいのだがな。ところで、蝙蝠系獣族の青年は逃がした、ということだったが、もう一人、一つ目の大男の方は……?」
オロトスが男に尋ねた。
「あぁ。そいつについては俺達も悩んだ。正直、どうやっても運べない巨体でな。その場で殺すかどうか議論になったくらいだったが……」
この言葉に、クロードが首を傾げて尋ねる。
「おいおい、でかいでかいって、実際にはどれくらいの大きさだったんだ?」
そう言えばそれについて、まだ言っていなかったことを思い出した男は、頷いて言う。
「一般的な巨人族の二倍近い大きさだったぞ。まさに巨人、としか言いようがないほどの」
その言葉に三人の重鎮は再度驚き、
「それでは……連れてくるなど不可能ですね」
モイツがそう言った。
「となると、殺したのか?」
クロードがその後の処置を尋ねたので、男が言う。
「いや、とりあえず雁字搦めにして転がしてきたが……その後はなんていうかな。放置してきた」
「なっ……何をしとるんだ、お前は!」
オロトスの怒鳴り声が飛んだ。
当然だろう。
そんなものを放置してくるなど、馬鹿のすることに思えたからだ。
縛りを解いて逃げ、フィナルに復讐にやってきたら危険極まりない。
さっさと殺すのが一番であると考えたからだ。
しかし男は言う。
「いや……放置しておけば、数時間もすれば魔物に食われるぜ? だから、そう言う意味じゃ心配はない。どうやったって解けないようにしてきたつもりだしな。持って行った縄の類は全部使ったし、魔術師たちに結構魔力を使わせてしまったが」
通常の縄の強度では心配だったので、様々な魔術の重ね掛けによって強度などを強化したというわけだ。
あの場にいた冒険者たちは皆手練れであり、数もかなりいたので、一人にそうやって魔術をかければまずあれだけの巨体と怪力であっても抜けることは出来ないものを作り上げることが出来た。
それを聞いて、オロトスは一応安心したらしい。
ほっと息を吐き、しかし疑問に思ったことを尋ねてきた。
「ならば……まだいいが、しかしなぜそんな面倒なことをしたのだ? 殺せば魔力など使う必要は無かっただろうに」
それはその通りだ。
だから男は言う。
「運べないか一応議論したかったってのが第一だ。だからその議論の結論が出るまでのつもりだったんだが……」
そこで言葉を切って、男はゾエとイリスを見た。
ルルが申し出たことについて、ここが話し時だろうと言う男なりの合図だと理解して、ゾエが話し出す。
「私のパーティメンバーがその巨人の男をフィナルまで運べる、と主張したの。だから、任せてきたのよ」
端的な言葉だったが、それだけに言いたいことはすぐに理解できる。
オロトスは数多くの冒険者を見てきた経験から、色々な技術を持つ者がいるという事は知っているので、巨大なモノの運搬、と言う点について極端に秀でているものなのかもしれないと考えて頷いた。
「なるほど。そういうこともあるか。ただ、一応聞いておかなければならないのだが……どうやって運んでくるのだ? 空間収納などか?」
最も分かりやすい方法は、大規模な商会や軍などが持っていることの多い、巨大な空間収納の魔導機械を使う方法だ。
その性質上、個人が持っている、ということは考えにくいが、それでも遺跡などでたまたま手に入れたり、偶然どこかで手に入れる、ということはありえないとは言えない。
しかしゾエは首を振った。
「いいえ。空間収納じゃないわ」
「では、どうやって……?」
そう首を傾げるオロトスに、ゾエは周りの冒険者たちを見ながら言う。
「……この話は、組合長、モイツ様、領主様、の三人以外には極めて話しにくい事柄なの。出来れば……」
他の冒険者には退席してほしい、と言う前に、リーダー格の男が立ちあがって、
「お前ら、俺達は邪魔だそうだ。一旦出るぞ」
と気を遣って言ってくれた。
事前に話しておいたことから、察してくれたようである。
オロトスも彼らの退席を特に止めない。
立場上、過去にそういうことも少なからずあったのだろう。
冒険者たちがいなくなり、その場に気絶したまま転がされている少女を除けば、ゾエ、イリス、オロトス、モイツ、クロードの五人だけになり、クロードが伸びをして言った。
「ふぅ。肩ひじ張って疲れたな。ゾエ、イリス。二人とも。もう様付けは勘弁してくれ」
「あぁ、私もお願いします。ゾエ様にそのような呼ばれ方をすると……なんだかこそばゆくなりまして」
モイツもそう続けた。
そんな二人の様子に驚いたのはオロトスである。
首を傾げて、
「……個人的に親しい間柄、とはお聞きしておりましたが……そこまでとは流石に思いませんでしたな。一体どういう経緯があったのかお聞きしても……?」
と尋ねた。
それは単純な興味であったのだが、モイツとクロードの二人は揃って、
「一言では語れないな。いつか話すかもしれねぇ」
「まぁ、色々とございまして……あまり気にしないで頂けるとありがたいです」
と言って流されてしまった。
一瞬、さらに踏み込んで尋ねてみようか、という気も起きなかったわけではないのだが、そこまでするのはどう考えても失礼である。
それに、二人はオロトスよりあらゆる意味で自分より上位の存在なのだ。
そう言われてしまったらが従わざるを得ない。
仕方なく、話を本筋に戻して、ゾエに尋ねた。
「……それで、その巨人を運搬する方法とは?」
ゾエは何でもないことのように答えた。
「直接持ってくるって話よ」