第190話 方法
山をひたすらに駆け下りていくルル。
その速度は風のようであり、恐るべき勢いで景色が後方へと遠ざかっていく。
ただ、そんなルルの頭に乗っている者も、その両腕に抱えられている者も、速度、という意味ではこれ以上のものに慣れているに間違いのない存在二匹だった。
いくらルルとは言えども、速さについて、古代竜の飛行速度にただの二本足で挑んで勝てるはずもない。
そのため、二匹は楽しそうにきゃっきゃ言いながら通り過ぎる景色を楽しんでいるようだった。
「……楽でいいな、お前たちは……」
ぼやくようにそう言ったルルに、頭の上のニーナは上からルルの顔を覗きこみ、またルルの腕の中のバルバラは下から見上げるようにして、同時に、
「きゅ?」
と首を傾げた。
非常に可愛らしい仕草である。
こういう、抗いがたい動物としての可愛さが、人に小竜を飼育する情熱を宿らせているのだろうと思ってしまうくらいには。
しかし、二匹の本来の姿を知ってしまったルルとしては、特にバルバラについてはしっかりと大人の女性であると分かってしまったからか、自分で走ったらどうかという気分にならないでもない。
ただ、そういうことを実際に口に出すことはあまり賢い選択ではないと判断できる程度にはルルは空気が読めるタイプだったので、首を傾げる二匹にため息をつきつつも、
「……まぁいいか。落ちなきゃそれで……」
と言うだけで収める度量を見せる。
それからしばらくして、周りの景色は森へと変わっていく。
まばらだった木々が鬱蒼と生い茂る緑の集積へと変化していき、生木の匂いが辺りに立ち込めて、魔物の気配が濃くなってきた。
しかし、そうなっても魔物が実際にルルたちに近寄ってくることは無い。
これはおそらくは、この森の主と呼べる存在が二匹、ここにいるからだろう。
気配を探ってみれば、こちらに気づいている様子なのだが、一瞬ルルたちに注意を向けて、ふいと道を空けるように他の方向へと遠ざかっていくのが分かった。
森の主、というのは伊達ではないのだなという事がそれでよく分かる。
「こんな姿で……分かるものなんだな……」
ボール状の貧弱な生命体にしか見えない二匹であるが、分かるモノには分かるらしい。
ニーナはともかく、バルバラは魔力が凄いので理解できないではないが、ニーナについても分かっているのだろうか。
魔物を一匹とっつかまえて聞いてみたいところだが、あの強力な地獄犬・シュゾンがしっかりとニーナをこの姿でも認識していた以上、この森の魔物は分かっていると考えるべきなのだろう。
「このまま街まで行くが、いいんだな?」
走りながら、ルルは二匹に尋ねる。
一応、話はまとまったとはいえ、バルバラからすれば重大な決断であったはずだ。
至極簡単に、さらりとルルは提案したが、口調程軽く考えていた訳ではなく、断られる可能性が高いと思っていたことである。
それでいいのか、と最終確認をしてみたのだ。
すると、ルルの両腕に抱かれているバルバラは、
「……きゅ」
と決意したような表情で頷いた。
それは同意と見てよく、ルルもまた頷く。
「よし……じゃあ、このまま一気に……?」
街まで向かおうか、と言おうとしたところで、何かが物凄い勢いでこちらに近づいてきていることをルルの知覚が感知する。
「……空か?」
その向かってきている何かが空からのものであることを理解したルルは、足を止めてそちらを見上げた。
頭の上のニーナ、それに胸元のバルバラも同じようにぼけっと空を見つめた。
すると、ひゅん、とかなりの速度で何かが飛んできた。
しかし、それはルルたちに向かってきていた、というよりはあくまで通り道だったに過ぎないらしい。
森の中にいたルルたちには気づかなかったのか、それとも気にも留めなかったのか、通り過ぎてどこかに向かって飛んで行ってしまった。
それを見たルルが呟く。
「……翼の生えた人、か。鳥系獣族か……?」
言いながら、いや、違うだろう、とルルは思っていた。
何らかの鳥系獣族にしては翼が妙に硬質な感じがしたのである。
その印象は二匹の古代竜も同じようで、首を傾げていた。
「知り合いじゃないな?」
森を飛び回っているのだ。
彼女たちの知人の可能性もあったが、二匹は首を振って、
「きゅきゅ」
「きゅ!」
と否定の意を示す。
ただ、少なくとも人の姿をしていたから、過去ルルが見たことが無い種族だったと言う可能性もあり、それだけでは何とも言えない。
もちろん、あの妙に巨大な魔物達の一味であるという可能性もあるが、判断材料が足りないだろう。
「いきなり襲い掛かるわけにもいかないしな……今は放っておくか」
それだけ言って、ルルは踵を返した。
ニーナとバルバラも特に異論はないようで、再度、ルルの荷物に成り下がった。
それからしばらくの間、走っていると、ふと覚えのある気配と数多くの人の気配が入り混じっているのを感じたので、ルルはそちらに向かう事にした。
二匹にも尋ねたが、別に嫌という事もなさそうだ。
古代竜の姿ならともかく、小竜を警戒する者などいないだろうし、その意味でも問題は無いだろうと思ってのことだった。
◆◇◆◇◆
「お義兄さま!」
顔を出したルルにいの一番に気がついたイリスがそう言ってルルたちを出迎えた。
あまり驚かせるのもよろしくないだろうと気配は消し気味で近づいたのだが、イリスの感知能力の前にはそれほど意味は無かったようだ。
しかし、それなりに近くに来るまで気づかなかったことを考えれば全くの無意味だったと言うこともないだろう。
「イリス。それにゾエに……他の人達は冒険者か?」
ルルがそう尋ねると、ゾエが答えた。
「ええ、そうよ。さっきちょっとひと悶着あってね……」
そう言ってゾエが先ほどあった出来事を説明する。
するとルルは頭をぺしりと叩いて、
「しまった……さっきの奴は撃ち落としておくべきだったか」
と悔しそうに叫んだ。
その言葉にイリスが首を傾げて尋ねる。
「何かあったのですか?」
「あぁ、さっきまさにお前たちが言う、青年が飛び去って行くところに遭遇したんだよ。現代には変わった種族がいるもんだと思ったが……」
「変わった種族、ね。確かにその可能性はあるわね。昔はいなかった新たな種族が生まれているのかもしれないし……」
ゾエがルルにそう言った。
「何千年も経ってるんだ。そういうこともあるか」
「そういうことね。五十年前はそんな話聞かなかったけど……まぁ、どこかに隠れているのかもしれないし、そこは何とも言えないわ。本人たちに聞いてみるのが一番でしょうね」
そう言ってゾエは眠っている少女と巨人の男を見た。
「……こっちはまぁ、街まで連れて行けるだろうが、あれはどうする気だ?」
ルルはそう尋ねる。
それこそが、ここでゾエを始めとする冒険者たちが全員で悩んでいたことであって、今のところどんな案も出ていないことだった。
だからゾエは素直に説明する。
「どうしようもないわ。運ぶ方法がないし……放置するしか」
「だよなぁ……情報源としてはもったいない気はするが……」
「何か別の方法があればいいのですが、そう言う訳にも……」
ルルの言葉にイリスがそう言った。
その台詞には、自分が運ぶことは出来るが、それは選択肢から除外した、という意味も言外に含んでいることをルルは理解する。
身体強化を使えばルルにも出来ない話ではないが、そこまでやってしまうと流石に奇異の目で見られるだろう、というところがあった。
強大な魔術については尊敬と崇拝が与えられるが、単純な馬鹿力に対する恐怖と言うのは意外と大きいものがある。
実際、動力源は同じところに――魔力にあるので何も変わらないのだが、魔術の方がまだ色々と言い訳が立つので恐れを招かない傾向にある。
精霊を呼ぶ魔術などは強力なものだが、基本的には本人の魔力と言うより、精霊自身の魔力が巨大であるために強力なのだ、と言えるように。
ただ、身体強化は本人が素でもっている魔力自体で扱うのが基本だ。
個人で出来ることがそのままはっきりと目に見える形で提示されることになる。
だから、それでもってこの巨人を運ぶのはやめておいた方が良い、ということになるだろう。
ただ、勿体ないのも事実である。
どうにか、他に方法は無いか、と思ったところでルルはふと思いつく。
そして、こそこそと胸元の小竜の耳に口を寄せて相談し始めた。
それを見ていたイリスとゾエ。
首を傾げて二人は話し合う。
「……さっきから思っていましたけど、リガドラちゃん、増えました?」
「そうね、言われてみると……分裂とか出来るの? あの子」
「分裂……一体、どういう生態なのでしょう……全く理解できないのは、闘技場での体の脱ぎ捨てからですが……これ以上わけの分からない生態を見せられると頭を抱えたくなる気がします」
「……ま、あとでルルが説明してくれるでしょう。それまで待ってましょうか」
そう言ってゾエが話を終えると同時に、ルルたちも話を終えたようだ。
ルルはそれからゾエとイリスに言った。
「話はまとまった。あの巨人は俺たちに任せてくれ。ゾエ達は先に街に帰ってくれて構わない」
唐突過ぎるその台詞に、ゾエとイリスは首を傾げる。
「任せてくれって……まさか、殺すの?」
使えないなら排除、というのも一つの選択である。
しかしルルは首を振った。
「いやいや、そうじゃない。街まで俺たちが運ぶって話だ」
それが出来るなら願っても無いことだが、普通の方法では無理だという事になったはずだ。
もちろん、ルルが本気になればどうとでもなるが、引きずっていくとか、そう言った方法は無しと言うことになったはずだ。
それに、運んだ方法など、一応フィナルの重鎮たちに説明して納得してもらえるものである必要もあるだろう。
なんだか分からないけど運んできました、では怪しすぎる。
だからこそ、イリスが尋ねた。
「……一体、どうやって、ですか? そんな方法などない、と申し上げたいのではなく、純粋に疑問なのですが……」
するとルルはイリスの耳に口を寄せて言う。
ふっと吐息がかかってイリスは少し顔を赤くするが、ルルはそれに気づかない様子で話し始めた。
ゾエはそんな二人の様子を見て、お腹いっぱいという顔をしている。
それから、イリスはルルの言葉に何度か頷いて、全てを聞き終ると、
「なるほど、それなら……一石二鳥、と言えますわ」
「だろう? ただそのためにはイリスとゾエには先にフィナルに戻っておいてもらった方がいいだろうな」
二人の分かったような様子に気になったゾエが尋ねる。
「なになに、どういうこと?」
するとイリスがゾエの耳に口を寄せて、先ほどルルがイリスにしたのと同じ説明をした。
それを聞いたゾエも頷き、それからルルを見て言った。
「……一歩間違えれば大変なことになりそうだけど……いいの? 本当にそれで」
呆れたような表情だが、少し面白そうな顔をしているのはゾエがそういうことが嫌いではないからだろう。
ルルも似たような顔をしており、イリスも静かな様子だが内に秘めている気持ちは似たようなもののようだった。
ルルは、
「それくらいやった方が分かりやすくていいだろうさ……じゃあ、他の者たちにも説明して、とりあえずフィナルに向かってくれるか? 俺たちが行く時期は、これで連絡をしてくれ」
そう言って腕輪を弾いた。
それはイリスとゾエの身に着けているイヤリングと繋がっている連絡用魔法具だ。
森からフィナルくらいまでの距離ならなんとか通じる程度のものである。
二人は頷いて、冒険者たちに事情を説明し始めた。
巨人は放っておいて戻る、と言うゾエに、冒険者たちをまとめるリーダー格の男は首を傾げて、
「だが……そうすると貴重な情報源も失うし、起き上がって復讐してくる可能性があるぞ」
と懸念を示した。
それに対し、ゾエは、
「あの巨人はあの方が運んでくれるそうよ」
そう言って顎をしゃくる。
そこにいるのはルルであり、男から見ればただの少年に見えただろう。
実際、そうとしか見えない容姿なのだから男の印象に間違いはない。
男は胡散臭そうに首を傾げて、
「……無理だろ?」
「無理、ではないわ。私はその方法も聞いているし、納得がいったから」
「なに? それは一体どんな方法だ……」
男としてはそれを聞かないわけにはいかないからこその言葉だった。
けれどゾエは首を振って言う。
「ここで説明は出来ないわ」
「……何故だ?」
その男の声色は余程の理由がなければそんなことは認めない、と言っているかのようだった。
男にも責任がある。
それは当然の話で、理解できることだ。
だから、ゾエは言える限りのことは言うことにする。
「これが領主様とモイツ様に直接伝えるべき事柄だから、よ」
その言葉は男にとっては予想外だったらしく、少し目を見開いてから言った。
「……それは……どういう事情か聞きたいところだが……」
鋭くゾエの瞳を見つめる男。
けれどゾエはそんな男の目を真っ直ぐ見つめて、
「説明できないわ」
貝のように固く口を結んでそこには触れないと宣言するゾエに、男はため息を吐く。
これは、絶対に何も言わない奴の顔だと理解したのだろう。
それに、そもそも巨人の男は連れて行くことはどうやっても出来ないと言う結論に達したのだ。
殺害してしまうという意見もあって、実際連れていけないならそうすべきでもある。
ただ、今、巨人の男はしっかりと拘束されているし、誰に任せてもただ命を絶つくらいなら簡単に出来るだろう。
放っておいてもその辺の魔物の食われることだろうし、それでも別に構わないと言えば構わないのだ。
万に一つの可能性としてフィナルまで連れていける方法があるなら試すのがいいし、その方法には特級であるゾエが太鼓判を押していると言う事情もある。
そういう様々なことを考えれば、ここは納得しておいても構わないだろう、と男は考え、頷いた。
「分かった。だが、もし何かこのことについて問題が起こったら、そのときは俺が責任を取ることになる。そのときはゾエ、あんたも責任を取るんだ。いいな?」
「それは勿論よ。あなただけに何かを押し付けるつもりはないわ」
そう言いきったゾエに、男は納得したらしい。
最後に男は、
「……ついでに今度一杯付き合ってくれ」
と言って自分の冒険者のところに戻っていった。
それを聞いていたイリスがふとゾエに言った。
「……今のはナンパでは?」
「……かしら?」
珍しく目を見開いて驚いているゾエ。
意外とまんざらでもなさそうな表情をしているあたり、気を悪くしてはいないようだった。