第189話 どうやって
「……それで、いつ行くのですか?」
ルルの突拍子も無い提案に色々反応するのも疲れたらしい。
諦めたようにそう呟いたバルバラに、ルルは少し考えてから言う。
「出来るだけ早い方がいいだろうからな。今すぐ行った方がいいんじゃないか?」
「そんなことをして私、いきなり捕まったりしないでしょうか? はっきり言っておきますが、私、これでも魔物なのですよ? 身分証など持ってないですよ?」
初めて役所に行く見習いのような台詞を言うバルバラ。
ルルは彼女のそんな様子を見て、
「身分証なんて良く知ってたな。魔物なのに……」
とどうでもいいところに反応する。
「人がたまに落としていくものですから……って、そんなことはどうでもよいのです。それより、どうなのですか、私の話については」
バルバラはそう言って話の筋を引き戻した。
「どうって言われてもなぁ……。緊急事態ってことで無理矢理押し通れば……」
と強硬手段を口にするルル。
それに対し、
「……私も人のことなど気にする質ではありませんが、人には人の掟ってものがあるのではありませんか? それを破るのは、少なくとも対話しようとするなら良くないと思うのですけど……」
と、ルルより余程常識的なことを述べるバルバラ。
「なんだ。話なんかできるわけないとか言いつつ、意外と乗り気だな」
ルルはふっと笑ってそんなことを言う。
バルバラとしては乗り気、と言うよりもどんな相手にも最低限の礼儀というものがあるだろうという一般的な常識を述べたつもりだったのだが、ルルはそんな細かいことを気にするタイプではないようである。
これ以上、何を言っても、緊急事態と言う理由で無理に通るのかもしれない、と思い諦め気味の表情になってきたバルバラだったが、ここで意外なところから助け舟が入る。
「おねいちゃん、おねいちゃん。こうなればいいの」
とニーナが言って、その直後、ぽん、と煙が立ち、ニーナを包むと、数瞬の後、そこには小竜の状態になったニーナがいた。
その姿はまさにリガドラであり、本当に同一人物(?)だったのだなと改めてルルは確認する。
「きゅい! きゅいきゅい!」
どうやら、その姿では言葉は操れないらしく、聞きなれた鳴き声である。
それを見たバルバラは首を傾げて、ルルに尋ねた。
「……この姿になると、どうなると言うのですか?」
不思議そうなその様子に、バルバラは小竜というものが人の街でどのように扱われているのか、よく知らないらしいということに気づいた。
そのため、説明する。
「小竜は人にとっては欠かせない相棒として人気だからな。街や村に入り込んでも特に警戒されないんだよ」
「相棒……つまり、愛玩動物ということですか?」
少し不快そうにそう尋ねるバルバラ。
そう言えるのも事実なので、バルバラの気持ちは理解できるが、人が小竜を不当に侮蔑的に扱っていると言うわけではないので、一応の擁護というか、扱いについて続けた。
「愛玩動物と言うと人聞きが悪いが……どちらかと言えば家族として扱っている者が多いと聞くぞ。むしろ、小竜の方が一家の主よりもずっと大切に扱われたりしている場合も少なくないと聞く。自分は小竜の下僕だ、とまで言い切る者もいるみたいだしな」
実際、その可愛がり方は祖父・祖母の孫に対するそれとよく似ている。
ひたすらに可愛がり、食べたいものをあげ、絶対に傷つけたりはせずに、大切に扱う訳だ。
勿論、中には酷い扱いをする者もいるようだが、それはあくまで例外である。
基本的には、小竜は人にとって欠かすことの出来ない相棒なのは、間違いない。
誰もが飼っている、というわけではないが、飼っている者にとっては確実にそうだ。
そんな説明をバルバラにすると、安心したように微笑んだ。
「……そんな風に扱われているとは存じませんでした。思えば、人の街や村などほとんど参りませんでしたし、そのような無防備な格好で行くことなど、絶対にありえませんでしたから……」
ニーナを見ながらそういうバルバラ。
「この格好は無防備なのか?」
ずんぐりむっくりとした体型でぱたぱたしているニーナを示して、ルルはそう尋ねる。
バルバラは頷いて答える。
「ええ。なんと申しましょうか……人で言えば、裸のようなものです。その状態で人の街に行くことは、裸で魔物が多くいる森に突き進むことに似ています……」
「それは……激しく無理だな」
ルルは顔をしかめて言った。
実際に、ルルが裸で森に行ったとして魔物にやられることはないだろうが、普通の人が同じことを行えば一瞬で魔物の餌食だろう。
そうでなくとも虫やら尖った枝やらで傷つきやすい森である。
裸など、絶対に遠慮したいのが普通だ。
「じゃあ、やっぱりやめておくか? 少し時間をかけて、俺が一人で街に戻って、色々フィナルの有力者に説明してから、街と森の中間地点に話し合いの場を設ける、という方法もあるぞ」
色々、突拍子も無い提案をしておきながら、一応常識的な案も持っていたらしいルルがそう言った。
確かに、本来敵対する勢力同士の話し合いとしては、そういうやり方が最もお互いに譲歩しやすいだろう。
けれど、事態は切迫しているのだ。
人にしろ、バルバラたちにしろ、妙な勢力に攻撃を加えられ続けていて、このまま放っておくと危険であり、出来ることなら早急に対処しなければいけないという意味で同じだ。
それなのに、わざわざ時間をかける方法をとることは考えるべきではない、とバルバラは思った。
それに、バルバラは古代竜なのだ。
いざとなれば、人など一瞬で蹴散らすことも出来る。
そのことを考えれば、ルルが言う方法に乗ることはあまりリスクも高くない。
そこまで考えて、バルバラは頷く。
「……分かりました。貴方の提案に乗りましょう。しかし、“皮”は出来れば持っていきたいのですが……」
“皮”と言うのは、ニーナが闘技場で脱ぎ捨てた巨大な肉体の事である。
ニーナとバルバラは同じ種族なのであるから、バルバラもまた、あれを纏っている、というのは分かるのだが、そもそもあれは持ち歩き出来るものなのか。
そう思って、ルルは尋ねる。
「持っていくって……引きずっていくのか?」
「いえ……基本的にあれは魔力の塊ですので、体内に収納が可能です……が、古代竜としての魔力ですから、本体に収納すると問題が……」
「……?」
何が言いたいのかよく分からずに、ルルが首を傾げていると、ニーナがバルバラに言った。
「きゅ、きゅきゅ! きゅ~!」
何を言ったのかよく分からないが、その言葉にバルバラは頷いて言う。
「やってみれば分かると? なるほど、それもそうかもしれませんね……では……」
と言って、直後、ニーナのときと同じように、ぽん、と音が鳴り、煙がバルバラの周囲を包んだ。
そしてしばらくの後、煙が晴れると、そこにはニーナとよく似た姿の、しかしどことなく気品を感じる小竜がぱたぱたしていた。
気品がある、とは言っても体形はずんぐりむっくりとしており、全体的に気が抜ける感じの様子なのは同じなのだが、なんとなく、賢そうな感じなのである。
「きゅっ。きゅきゅ!」
ニーナとよく似た、しかしそれよりも若干高く、女性らしさがあるような声で鳴くその小竜。
とは言え、それだけなら特に問題は無い。
しかし、ルルはその姿になったバルバラを見て、なるほど、と何を言いたかったのか理解できた。
ニーナと比べて、あまりにも魔力量が多すぎるのだ。
ニーナの魔力量は、それほどでもない。
少し、多いかな、という程度で、それほど不自然な感じはしないのだが、バルバラのそれは明らかに威圧感を感じるほど魔力が大きいことが一目でわかる。
これで小竜だと言い張っても怪しまれるのは間違いないだろう。
「うーん……隠せないのか? どうにか」
ルルがそう言ったので、バルバラは一生懸命魔力を体の奥深くに押し込んでいく。
だんだんと分かりにくく、魔力の気配と威圧感が遠ざかっていき、これならなんとかなるのではないか……と言う程度に落ち着いてから一分も経たないうちに、
「きゅきゅ~」
と止めていた息を吐いて地面にぺたりと尻餅をついてしまった。
先ほどまで隠されていた魔力は駄々漏れになり、再度、妙な迫力と威圧感が感じられる小竜という奇妙な存在がそこに現れてしまった。
「長時間は無理なのな……分かった。だが、一分弱抑えておけるなら、その間にぱぱっと門を通り抜けてしまえばどうにかなるだろう」
とルルは事もなげに言い、さらに、
「じゃ、さっさと行くか」
とニーナとバルバラの二匹を小脇に抱えてそのまま山を下りようとし始める。
ルルとしては今までニーナをそのように扱っていたので無意識にやってしまった行動だが、バルバラは驚いたらしい。
きゅぽん、とルルの右脇から抜け出し、抗議するように、
「きゅ! きゅきゅ!」
と、ぷんぷんとした表情で何事か言い始める。
しかし、残念なことにルルには竜の鳴き声を理解する能力は無いのだ。
首を傾げ、左脇に抱えられながら機嫌よさそうにしているニーナに、
「……あれ、なんて言ってるんだ?」
と尋ねると、
「きゅきゅ~」
とこちらも鳴き声で応答するものだから、ルルは困ってしまった。
それから、ルルは、
「……どっちでもいいから、人の姿になってくれ。俺は竜の言葉とか話せないんだぞ」
と懇願するように言うと、バルバラの方が、煙と共に先ほどと同じように青い髪と琥珀色の瞳を持つ女性の姿に変身する。
それから、
「女性を突然小脇に抱えるとはどういうことです!」
と顔を赤くして言ってきたので、ルルはそこで自分のしたことの客観的な意味を理解し、謝ることにした。
「……あぁー……悪いな。気づかなかった。今までニーナは普通にこうやって運んでることも多かったからな」
それは果たして謝っているのか、と言う感じの台詞だったが、バルバラはそれで一応の気は晴れたらしい。
さらに、
「全く……仕方ありませんね。しかしです。女性を運ぶときはもっと丁寧に!」
とよく分からない要求をしてきた。
その言葉にルルが首を傾げると、バルバラは自分の発言内容について詳しい説明を加えてくる。
「人には女性を運ぶときの正式な作法があると言うではありませんか……私はそれを望みます」
「……そんなものあったか?」
ルルがぼそりとニーナに尋ねると、
「きゅきゅ。きゅ!」
と鳴きながら、ルルの左脇から抜け出したニーナが、ぱたぱたと飛んでルルの両手を掴み、少しずつ上の方に挙げて、胸元辺りに止める。
そして掌を上に向けさせると、そこに、
「きゅ~!」
と言いながら背中から飛び込んだ。
ルルは慌てて腕に力を入れて、ニーナの体重を支える。
とは言っても、非常に軽いのであまり力を籠める必要は無かったのだが。
そして、それを見たバルバラが、
「そう、それです!」
と言ってびしりと指差した。
「……これ? あぁ……なるほど」
改めて指摘されてルルもおぼろげながら理解する。
これはあれだ。
俗にいう、
『お姫様抱っこ』
という奴だと。
正式な作法なのかどうかはわからないが、女性を運ぶ、と言うことを考えたときに、最も良くある形なのは間違いがないだろう。
なぜバルバラがそんなことを知っているのか、という疑問は感じないでもないが、彼女は長き時を生きる古代竜である。
その知識は膨大なものになるだろう。
これくらい知っていても、特におかしなことはない。
そう考えたルルが、バルバラに言う。
「……バルバラはこうやって運ばれたいのか?」
するとバルバラはぶんぶんと頷いた。
けれど、とルルは続けた。
「二人いるんだ。どっちか片方しか出来ないぞ」
それは当たり前の話で、両手を使う訳だから、もう片方には肩なり頭なりに乗ってもらう必要がある。
それを聞いたバルバラははっとして、若干悲しげな顔をし、それから、
「……私は姉です。ニーナに譲ります……」
と暗い声で言ったのだが、そのニーナは、
「きゅきゅっ」
と鳴いてパタパタと飛び、ルルの頭の上に陣取って、
「きゅ!」
とバルバラに鳴いた。
それが一体どんなことを言っているのかはよく分からなかったが、バルバラの表情がぱっと明るくなり、
「いいのですか!?」
と言い始めたので大体推測できる。
それから、バルバラは再度、ぽん、と小竜の姿になり、手を構えるルルの腕の中に背中から飛び込んだ。
それを見たルルは、
「……その姿でいいのか……?」
と何となく納得できないような声色でぼそりと呟いたのだが、バルバラ本人は楽しそうにルルにお姫様抱っこをされて機嫌よさそうにきゃっきゃと頭の上のニーナと話している。
そんな姉妹の姿を見て、まぁいいか、と疑問を胸にしまったルルは、
「じゃあ、落ち着いたところで、行くぞ」
と言った。
二匹の竜は、
「きゅ!」
「きゅ~!」
と鳴き声を上げたので、同意したのだと理解し、ルルはそれから走り出したのだった。