第188話 困りもの
そうして開いた手のひらから、正面に浮かんで場違いな狂ったような明るい笑みを浮かべている少女に向かって、イリスは少女が向けてきたのと同じくらいの大きさの風刃を放った。
同じ威力の同じ性質の魔術を反対方向から衝突させればどうなるかは、分かりやすく簡単な話だ。
――ぶぉん。
と、自然には起きることのな鋭く空気を切り裂く音が二つ聞こえたかと思うと、ふわりとした妙に柔らかい風を残して風の刃は両方とも消滅した。
「……え、どうして消えちゃったの!?」
イリスの前にいる少女は困惑を浮かべてそんなことを言う。
どうやら、イリスのやったことがよく分からなかったらしい。
これだけの魔術を操るのである。
何が起こったのか分からないはずがないのだが……。
少女のその反応と魔術の威力にちぐはぐなものを感じたイリスであった。
しかし、そんなことは後で考えればいいことである。
今この場ですべきことは、この正体不明の襲撃者たる少女の無力化であった。
出来ることなら詳しい事情が聞きたいからだ。
「分かる必要はないのですよ……そのまま眠りなさい!」
そう叫んでイリスは少女の背後まで飛び上がり、そのまま飛行魔術を発動させて距離を詰める。
背中に生えている翼によって空中に浮かんでいる状態の自分の背後に唐突に人族の少女が現れるなど、想像もしていなかったのだろう。
ふっと感じた気配に少女は首を傾げて、
「えっ、えっ……」
と大きく目を見開くも、その時には既に首筋に手刀が迫っており、少女は何も出来ずにその意識を刈り取られた。
意識を失った影響だろう。
翼の羽ばたきは停止し、目を閉じたまま落下していく少女。
イリスはそんな彼女よりも先に地上に到着し、地面に激突する前にふわりとその身体を掴んだのだった。
「ふぅ……」
そんな風にため息をついたイリスは、少女の背中から生えている翼を見る。
「どう見ても鳥の翼ですが……獣族だと言うなら納得できるのに、このような角があるようではそうとは言えません……」
翼に触れ、その感触が作り物ではなくしっかりと少女の背中から生えていることを確認したうえで、角にも触れた。
真っ白なすべすべとした触れ心地のそれは、骨の延長のように感じられる。
そして、やはりその根元を確認すれば少女の肌を突き破って生えていることは明らかで、人工的に取り付けたもの、ということも無さそうだ。
じっと手を添えてみれば、どくりどくりと血が通って脈動していることも分かる。
こういう種族なのだ、と理解するほか無さそうだった。
「……とりあえず、しっかりと拘束しておきましょう。何者なのかは、後で尋ねればよいことです……」
そう言って、ロープを取り出し、魔力を通して強度を上げたうえ、縛り上げて外れないように魔術をかける。
先ほどのような力があったとしても、これで逃げることは難しいだろう。
絶対に不可能だとまでは言えないが、イリスが見張っている限りは、という条件を付ければ不可能に等しい。
「あとは、他の二体ですが……」
そう言ってイリスが見上げたところでは、ゾエが牛系獣族のような特徴を持つ一つ目の巨人の中年男と戦っていた。
◇◆◇◆◇
流石に大きいだけあると言うべきか。
恐るべき剛力でもって周囲に被害を出し続けるその一つ目の巨人の中年男。
短角と尻尾も無意味なものではなく、しっかりと武器になってしまっている。
頭突きをすれば太く逞しい木々を貫き、尻尾で叩けば巨大な鉄鞭を振り回したかのような破壊力である。
それだけではなく、彼にはしっかりと拳や足があり、それらを使ってゾエを正確に狙って攻撃を加えてきている。
「オラオラ! 逃げてばっかじゃジリ貧だぜ!」
巨体に見合った耳に響く怒声でそんなことを叫ぶものだから、ゾエはつい耳を塞ぎたくなる。
しかし、槍を持っている以上、そんなことをするわけにもいかない。
必然、文句を返すくらいしかできないわけで、
「うっさいわよ! 聞こえてるからもっと静かにしゃべりなさい!」
などと場違いな台詞を言った。
周りにはゾエの他に、比較的動きが鈍く攻撃を当てやすいと踏んでその一つ目の巨人に近づこうとしている冒険者たちも何人かいて、ゾエは彼らが致命傷を受けないで済むように援護しつつ戦っていたため、あまり目立っていなかったのだが、その台詞に巨人の男はゾエに興味を引かれたらしい。
「なんだぁ!? 小さい姉ちゃん。俺に説教をするなんて度胸があるなぁ!?」
そんなことを先ほどと変わらない音量で言い、ゾエを見つめてくる。
ゾエはその声の大きさに再度苛立ち、我慢が出来なくなって地面を強く蹴った。
「……おっ!?」
そんなゾエの姿を一瞬、目で捉えきれなくなったらしい巨人の男。
一つしかない目を大きく見開いて、きょろきょろとゾエを探すが、その時にはすでにゾエは男の頭部辺りまで飛び上がって、槍を振りかぶっていた。
「……だから、言ってるでしょう……うるさい、ってね!!」
巨人の男の声に負けないくらいの大声でそう言って槍を振り降ろしたゾエ。
刃の部分ではなく、柄の部分で頭部を叩いたのは、男の気絶を狙ったためだろう。
まさに竜と蟻のようなサイズの差がある相手と戦って、わざわざ気絶を狙う者などそうはいない。
しかしゾエにはそれが可能であると思った。
確かにその男の身体能力、特に腕力は脅威と言うほかないが、全体的に技量が疎かであり、ただもって生まれた能力のみを頼って戦っているように感じられたからだ。
つまり、身体強化の効果的な運用が身についていないのである。
いかに素の能力に恵まれていても、それが出来ないのであれば、限界がある。
だから、ゾエにとってこの男はわざわざ致命傷を狙わずとも倒しきれる相手に過ぎなかった。
実際、振りかぶられた槍が男の頭部に命中すると、男は、
「……がっ!?」
と、うめき声を上げてそのままふっと体の力が抜けて倒れ込んでいく。
周りの木々と比肩するくらいの大きさである。
ただ倒れるだけでもその破壊力は発揮され、みしみしといくつかの樹木をなぎ倒して、土ぼこりを上げて倒れた。
男を狙ってその周りでちょろちょろと戦っていた冒険者たちは驚いて逃げる。
運が良かったのか誰一人として男の下敷きになった者はおらず、傷も大したものも負わずに済んだようだった。
他の冒険者たちを襲っていた魔物も十体ほどいるのだが、徐々に数を減らされているようで、さらに巨人の男が倒れると同時に数体が逃げて散っていく。
「……さて、後は……」
ほんの数体の魔物と、それにもう一人、と考えてゾエは石の翼を持っていた青年の姿を探す。
魔物については冒険者たちに任せてもいいだろう。
自分は最も危険そうな相手からだと考えてのことだった。
ただ、男と戦いつつも、その位置は何となく気にしていたのでどちらにいるのかは分かっていたのだが、その距離はいつの間にか遠ざかっていた。
さらに、
「……魔術を放ってきましたね」
ロープでがんじがらめにされて丸められている少女の首根っこを引きずりながら横についたイリスがそう言って、ゾエと同じ方向を見つめた。
「数が多いわ。結界張りましょうか」
「あぁ、でしたら私がやります」
とイリスが行って、即座に冒険者達全てを覆う大きな結界が張られる。
冒険者たちはそれをきょろきょろと見つめているが、誰がどうやって何のために張ったのかは分かっていないらしい。
しかし、その理由は即座に知れた。
――ガガガガガ!
といくつもの衝突音と振動が結界の内側にまで伝わってきたのを確認したからだ。
それは、あの石の翼をもつ青年の放った魔術である。
少女の使った魔術に近い風の刃であったが、それよりも巨大で数も多く、練度が違った。
とは言え、イリスの結界は全てを防ぎ切ったのだが……。
「逃げたわね」
「やはりですか……」
ゾエが額に手をかざしながらぼそりと呟いたその言葉に、イリスはため息をついて頷く。
あの魔術は特にイリスたちをどうこうしようと思って放たれたものではなかったのだろう。
その証拠に威力はそれほどでもなかったが、随分と広範囲に放たれていて、対処が少し面倒なように放たれていた。
もちろん、少し面倒、で済ませられるのはイリスの力があってのことで、一般的な中級から上級冒険者にはこの場にいる全ての冒険者を青年の攻撃から守るような結界を張ることが出来ないことを考えれば、あの青年はあわよくばそれなりに被害が出ることを望んでいたのだろう。
そして、その間に自分は逃げる、とこういう計画だったのだろう。
「追いかける?」
ゾエが尋ねたので、イリスは少し考えて周りを見る。
それから残念そうに首を振った。
「やめておいた方がいいでしょうね。けが人の問題は解決していません。それに幸い、こちらには二人、捕虜を捉えることが出来ましたし、わざわざ追いかけてこれ以上の危険を冒す必要もないでしょう」
もっとはっきり言うのなら、今ここにいる冒険者を放っておいて他の何かに襲われて全滅されると寝覚めが悪いからやめよう、なのだが周りにその冒険者たちがいる以上、自分たちがいなければ貴方たちは全滅するかもしれないので私たちは行けませんとは言いにくい。
通常の魔物なら、ここにいる冒険者たちも十分に対応できることは間違いないのだが、先ほどの正体不明の人々のような勢力が来た場合には、全滅か、それに近い被害が出そうだという事はさきほどの戦いぶりから分かる。
少々、頼りないが、しかしそれほどに先ほどの青年たちは強力な存在だったと言える。
あのような存在が三人だけではなく、もっと沢山いるとするなら脅威である。
出来ることなら早く街に戻り、クロードやモイツに伝えて対応を考えてもらうべきだった。
それからしばらくして、残っていた魔物を全て掃討したらしく、リーダー格の男が近寄ってきて話しかけてくる。
「おぉ、あんたら……大丈夫だったのか?」
他の冒険者たちの指揮を執りつつ戦っていた彼であるが、その目の端でおかしな人々と戦っている二人の姿は見えたらしい。
それに、あの三人の実力も何となく理解できていたようで、はらはらしていたと彼は述べた。
「いや、負けるとは思ってなかったんだが、勝てるとも思えなくてな……こいつらは、何なんだ」
と、イリスの足元でロープに丸められている少女を見ながら男は言った。
「さぁ……分からないわね。ただ、間違いなく敵だけど」
ゾエがそう言うと、男は、
「こんな奴らがいたとはだれも想像もしてなかったぜ……領主様もモイツ様も頭抱えるだろうな……」
と言った。
さらに、
「ただ、問題は、だ」
巨人の男の方を向き、男は続ける。
「あれをどうやって街まで運ぶか、だ」
◆◇◆◇◆
言われてみると、それは大問題である。
少女の方は通常の人族サイズなので普通に背負っていけば何の問題も無いのだが、巨人の男はどうやっても背負うこと等出来るはずもない。
荷車があるなら何とかなるかもしれないが、ここは森の中であるからあれほどの大きさのものを積める荷車を運び込めるわけもないし、殺したら無意味なのであるから分解して運ぶと言う訳にもいかない。
「……本気出して引きずっていきましょうか」
イリスがぼそっと小さな声で言うが、ゾエが首を振った。
「……そこまで力があるのね。流石、バッカス様の娘は格が違うわ。私には出来ないもの。でも、やめた方がいいわ。そこまでやったら流石に奇異の目で見られるわよ。生活しにくくなるのは嫌でしょう」
ひそひそとした会話は、周りに聞こえないように音量を下げている。
「しかし、放置しておくのは……」
「貴重な情報源だものね。ここで野垂れ死んだり魔物の餌になるのは別に勝手にすればって感じなんだけど、せっかく色々聞けそうな相手なのに……っていうのはあるわ。でも、こっちの女の子がいるしね。諦めてもいいんじゃないの?」
ゾエがそう言ってイリスを見たので、イリスは少女の方を見て答えた。
「私としては、この少女の証言能力に疑問を感じます。こう言っては少し失礼かもしれませんが……この少女、あまり物事を考えているようには感じられなかったので」
イリスの答えに、ゾエは納得して頷いた。
「……それは困ったわね。でも……こっちの男もあんまり頭良さそうじゃなかったわよ。そういう意味ならあの逃げた男の子の方がよっぽど役に立ちそうだったけど、逃げちゃったしねぇ……」
二人はそこでお互いに顔を見合わせて、ため息を吐いた。