第187話 不思議な人々
ゾエ達四人が辿り着いたその場所には、酷く凄惨な光景が広がっていた。
命を失った者は見る限りいないようだが、それに近いような致命傷を負っている者が大半である。
大体十人ほどの冒険者たちが、四肢を欠損したり、抉れたような深い傷を負い、うめき声を上げているのだ。
「……ひどい……」
サラがそのほっそりとした指を持つ手で自らの口を押さえながらそう呟く。
そんな彼女の前にはブラスコが油断なく大剣を構えて庇うように立っている。
ゾエとイリスは自然体で、無造作にしているが、それはいつでも動き出せるようにとの警戒の証であり、決して無防備の証明と言う訳ではなかった。
「何があったのかしら? 今は何もいないようだけど……」
ゾエがそう呟きながら倒れて苦しそうにうめいている一人の冒険者の男に近づき顔を寄せる。
苦しそうに息をしているが、かろうじて意識はあるようで、それはむしろ気絶するよりも辛い状態であろう。
こういう場合にはいっそ命を絶ってやる、というのも一つの選択だが、ゾエはそんなことをするつもりはない。
死んでいない以上、なんとかしようがあると認識しているからだ。
冒険者として今後どうなるかはともかくとして、日常生活を送るのに問題は無い程度にまでなら回復はさせられる。
魔族としての魔術でもって欠損した四肢を再生することも可能だが、そこまですると高位の治癒術師たちの仕事を奪ったと言われる可能性もあるので、とりあえずイリスと顔を見合わせて、生命維持に必要なだけ回復させておくことにした。
それから、なんとか話せるようになったらしいその冒険者――中年の男に話しかける。
「何があったの?」
あまりにも簡潔に過ぎるその質問であったが、男も冒険者である。
何が聞きたいのかは即座に理解したようで、こちらもまた簡潔に答えた。
「……敵だ……たぶん、魔物じゃなかった……人、だった……ただ、魔物も連れていた……ごふっ……ぐ……」
血を吐きながら、それだけ言ってその男は意識を失う。
言葉数は少ないながらも大体のことは理解できる内容だったと言えるだろう。
ゾエは三人に振り返って言う。
「敵は人らしいわよ。困ったわね」
全然困っているような雰囲気ではないのにそんなことを言うゾエに、むしろブラスコとサラが困った顔をした。
イリスはため息を吐いているが、それはゾエの感想や態度についてではなく、人、特に人族というものの悪辣さと言うのを良く知っているために、今回のようなことを人が行っても何ら不思議はないと考え、そしてそうであるならば全くもってふざけた話だと思っているからであった。
けれど、そんなイリスでも、流石に人族の仕業だと考えるのは難しいのではないかという結論に至るべき情報が先ほどの男の話からあったと理解していた。
「魔物を連れていた、というお話が気になりますね。人族というのは中級以上の冒険者を十名近く簡単に屠れるような魔物を使役できるものなのですか?」
イリスはブラスコとサラにそう尋ねる。
その言葉にブラスコは少し考えてから答えた。
「できなくはないよ。でも……なんで同じ人族が僕らを襲うんだ? こんな森の中でそんなことをする理由なんて……」
そんなブラスコに、サラが眉を顰めて言う。
「別に不思議じゃないわ。もし今回のこの山の異変の原因がその人の仕業なら、冒険者を襲う理由も意味もしっかりあるじゃない」
確かにそれはその通りで、ゾエとイリスはその可能性を念頭に置きながら話していた。
しかしブラスコはそんなことなど考えもしなかったようで、目を見開いて言う。
「何を言うんだ!? それこそ、なんでこの山に異変なんて起こそうとするんだよ……」
それはまるで自分の言葉を否定してほしいとでも言っているような言い方だったが、サラは冷静だった。
「ログスエラ山脈に問題が起きれば、レナード王国はその対応に追われることになるわ。多少の魔物の活性化程度ならともかく、森の魔物全体がフィナルに向かい、さらにそれを越えていくようなことがあれば、それこそ大問題でしょう。だから……他の国にとっては都合がいいんじゃないかしら。たとえば、レナードを侵略すべく虎視眈々と狙っているような国々にとっては」
このサラの意見はゾエとイリスにとっては極めて真っ当でありそうなことのように聞こえた。
人族のやりそうなことだ、と心底思ったためだ。
実際、過去において魔王であるルルがいなくなったあの世界では、人族の国家同士ではそのような騙し合いが日夜行われていたのだから。
現在においても、人族の実質と言うのは何一つ変化がないと言うただそれだけの話である。
「そうだとすれば、この国は何者かに狙われている、ということになるわね。まぁ、ただ滅ぼしたいのか侵略したいのかそれだけじゃよく分からないけど、少なくとも迷惑なことをしてくれようとしているらしいということは分かるわ」
ゾエがそう言うと、イリスも頷いて、
「その通りです。ただ、だからと言って私たちのすべきことに大きな変化はないでしょうけど……後から来た魔物――おそらくはその何者かが指揮していた魔物たちを討伐することに変わりはありません。ですが……」
途中で言葉を止めて、倒れている冒険者たちを見た。
「この様子では調査・討伐が継続できるかどうか……」
その言葉に、四人とも難しい顔になる。
四人はまるで無傷であるため何の問題も無いのだが、十人前後の冒険者たちに被害が出ていて、しかもそのほとんどが重傷なのだ。
これは大体、今回の調査・討伐隊の人員のうち二割弱の被害であり、そのことを考えるとこのまま継続、というのも難しいということにならないか。
少しの間、散らばって倒れている冒険者たちをとりあえず一所に集めて周囲を警戒していると、徐々に冒険者たちが集まり出した。
倒れる前に援護を求めていた声を聞きつけ、やってきたのだろう。
少しばかり時間がかかったのは、遠い位置にいたか、自分たちも魔物と戦っていたかのどちらかだったのかもしれない。
それから、この集団の中でリーダー格として位置づけられている上級上位冒険者の男がやってきて、何があったのか尋ねてきた。
「……こいつは……おい」
倒れている冒険者たちの傷を見て、眉を顰めてゾエに説明するように求める男。
ゾエは掻い摘んで事情を説明し、また先ほど意識を失った男が説明した内容を述べた。
推測については特に話さないでおく。
余計なことかもしれないし、立場が違えば見るものも異なって、他の結論に至るかもしれないと考えたからだ。
しかし、男は特にその点について語ることはなく、これから先の討伐隊の行動について語り始める。
「話は分かった。こいつらについては見殺しにするわけにもいかねぇ……どいつもこいつも自力じゃ帰還すら危ういだろうし、背負う奴と守る奴を考えれば全員で戻るしかねぇだろう……あんたも、それでいいか?」
早い判断だが、良く考えたからと言っていいアイデアが出そうな状況でもない。
一応、成果と呼べるような情報も得たことだし、実際に遭遇した者の命を守って戻り、それを正確に伝えてもらう方がいいという部分もあるだろう。
男はゾエにそれでいいか、というような顔をして首を傾げた。
それは、ゾエが特級上位冒険者だと理解しているからこその確認である。
ゾエと言う特級上位冒険者がいながら、男が上級でしかないのにこの集団のリーダーを務めているのは、フィナル在地の冒険者であるから、ということと、はっきりとした実績を積んできたからという堅実なところが評価されたからであった。
反対に言えば、ゾエはこの辺りについて詳しくなく、またその実績についても甚だ怪しいところがあり、フィナル冒険者組合としてはリーダーに、とは押しにくかったということだろう。
他の冒険者たちも、特級上位とは言え、見たことも聞いたことも無い女をリーダーに掲げてついてきたかどうかは疑問であるとゾエは思っているので、特に不満は無い。
しかし、このリーダーの男はゾエのことを一定以上に認めていて、だからこそ、一応とは言え確認を入れているのだ。
それは、この男がゾエがイヴァンと戦っている姿を見ていたためだ。
男自身がゾエに直接語ったことである。
そこで見た技量、そしてその強さに憧れと尊敬を覚えたらしい。
だから、男はゾエを立てているのだ。
しかし、ゾエとしては、そんな確認などいらないのだ。
「私に聞かなくても、貴方がリーダーよ。私は従うわ」
と端的に述べると、男は頷いて、
「そうか……ワリィな」
と言ってその場に集まった冒険者たちにこれからの予定を告げた。
街に戻ることになった、と告げられた冒険者たちの中には不満げな顔をしている者もいたが、それは傷ついて倒れている冒険者たちの様子を見るまでのことだ。
恐ろしい重傷を負った彼らを見て、その判断に異議を唱えられる者はいなかった。
この調査・討伐隊の多くはフィナル在地の冒険者で構成されているという部分も作用しただろう。
ずっと共にフィナルで戦ってきた同僚が生死の境をさまよっていると言うのに、放置して行くと言うのは出来なかったらしい。
「……いっそ私たちだけで調査した方が早そうですが」
イリスがぼそりと呟くが、
「それもそうかもしれないけど……色々ややこしいところがありそうだしね。そういうところは私たちでは対応できないわ。クロードやモイツに任せたいところよ」
とゾエが言う。
そうして、そのままフィナルに帰還すべく、冒険者たちが踵を返した瞬間、轟音と共に巨大な風の刃が周囲の木々を思い切りなぎ倒した。
「なんだ!? 何が起こった!?」
「敵か!?」
冒険者たちは言いながら武器を構えていたが、そのころには既にゾエとイリスはその攻撃の主を目に捉えていた。
「……確かに、人、のようですね」
イリスが言うと、ゾエも頷く。
「おかしな羽が生えてるのを除けばね……獣族でああいう奴っていたっけ?」
ゾエの目が捉えたその存在は、明らかに人の形をしていて、執事服のようなものを身に纏っている青年風の姿だが、その背中からは蝙蝠のような翼が覗いている。
しかも、その翼の質感は有機物と言うよりは無機物、もっと言えば石や岩のように見える。
「石系獣族……なんている訳ありませんね。しかし、そうだとするならあれは一体……」
のんきに会話していた二人であるが、改めて周りを見てみればかなりの恐慌に陥っているようだった。
流石にそれなりにベテランの冒険者たちであるからしっかりと構えているし、周囲を警戒しているのだが、その蝙蝠翼の青年の速度は速く、反応できていない。
さらに、よく見てみれば……、
「一人、ではないですわ。あちらにも一人……あぁ、向こうにも一人います……」
「どいつもこいつも奇妙な見た目をしてるわね……」
答えたゾエの言う通り、他の一人は十歳前後の少女の姿をしていて、背中に翼が生えていて、それだけを見るなら、鷹系獣族のように見えるのだが、困ったことにその頭部には禍々しい角が一対生えているし、もう一人の中年男性は一つ目の巨人族にしか見えない巨体であるにも関わらず、なぜか牛系獣族のような尻尾と短角を持っているのだ。
「ゾエさん、イリスさん! 何が起こってるんだ!?」
ブラスコがそう叫ぶが、説明している暇もなさそうだ。
ゾエはとりあえずブラスコがすべきことだけを叫ぶ。
「敵よ! あんたはサラを守ってなさい! ……イリス!」
それからイリスと顔を見合わせて、それぞれ別々の魔物のところまで別れた。
イリスは離れる前に、ついでにと傷ついて倒れている冒険者たちに結界をかけておく。
それからイリスが向かったのは、三人の奇妙な者たちの一人、鷹系獣族のような容姿の少女のところだった。
髪の毛を二つに結んで、縦横無尽に飛び回るその少女。
手から小さな風の刃を放ちながら移動し続けるその様は凶悪である。
「……止まるのです!」
イリスがそう叫ぶと、少女は笑いながら返答してきた。
「そう言われて止まる奴なんていないよーだ!!」
そして、イリスに向かって両手を向け、冒険者たちに放っていたものよりも遥かに巨大な、それこそ竜巻と見紛うばかりの風刃を形成し放ってきた。
「……聞き分けの悪い子ですね。それならこちらにも考えがあります」
そう言って、イリスは手を掲げて、竜巻に相対した。