第186話 奇妙な提案
「貴方が先ほど言っていた、この山の異変。街に下る魔物達が増えた原因。それに関係する話です」
そう言って、バルバラは話し始める。
「……実のところ、しばらく前から、このログスエラ山脈に入り込む、どこか他の地域の魔物が目立つようになったのです。街に下りる魔物が多くなったのは、この他の地域の魔物と思われるものたちが森から追われて街に下ったり、もともと森や山に住んでいた魔物が、彼らから元の住処を追われたことで街に下らざるを得なくなったりしたためです。今では非常に大きな問題で、私も頭を悩ませているところなのですが、しかし、他の地域から来た魔物達、それははじめ、気にもならないほどの少数だったようです。そして、彼らはシュゾンの話によればニーナがいなくなってから目立ち始めた、ということでした。ですから、彼らはこの山に古代竜がいなくなったのを知って、縄張りを伸ばそうとどこかからやってきた魔物達だと思っていたのですが……」
「違ったのか?」
「ええ。とは言っても、そうであることに未だに確信は持てませんが……基本的には私の勘です。通常、その辺の魔物なら、この山に住む、シュゾンを始めとする魔物達を見ればすぐに散るものです。シュゾンは、本来ならログスエラ山脈を一匹で治められるほど、強力な魔物です。通常の魔物が、しかも他の地域から斥候がてらにやってくるような魔物などまるで相手にならない。そんな存在なのです。シュゾン以外にもそう言った魔物は何体かいて……ですから、私はこの山に他の地域の魔物が入り込んだと聞いても、さして心配していませんでした。けれど、今回この山に入り込んだ魔物達はいくらシュゾン達に屠られようとも決してあきらめることなく向かってくるというではありませんか……」
強力な魔物、と言うのは、あの地獄犬、シュゾンもそうだったが、シュゾンが連れていた他の魔物達もそうなのだろう。
あれらはどれも一地域の主だと言われても不思議ではない威圧感と賢さを感じさせる魔物達だったのだから。
しかし、そんな魔物達相手に恐れない、というのは単純に非常に勇敢な魔物であるというだけではないだろうか。
もしくは、他の地域から追い出されるなどして、ここに居つかなければどうしようもなく、後がないと必死だったために、シュゾン達が相手であろうともそう簡単にあきらめるわけにはいかなかったとか、そういうこともあり得ないではない。
ルルがバルバラにそう尋ねると、彼女は首を振った。
「私もそれは考えましたが……そうであるとしてもやはり、様子が少し、おかしかったのです。これは私の数百年の経験からの感覚なのですが、通常、他者の縄張りを奪おうとする魔物と言うのには一種の風格が感じられるものですし、後がないと必死ならやはりそれに応じた焦燥と言うものがあるものです。私は今まで、幾度となくそのような魔物達を目にし、また戦ってきました。けれど、今回山に来ている魔物達にはそう言ったものが感じられなかった。むしろ、そのような、自らのために戦っている、という矜持や意識が感じられず、むしろ誰かに命じられて無理矢理戦わされているような……そんな雰囲気だったのです」
その言葉にルルは少し考えてから言う。
「それは……強力な魔物のボスとかに命令されてるとか、そういうことじゃないのか?」
すぐに考え着く帰結である。
強いボスがいて、手下は仕方なく戦う。
自分の為ではないが、引くことは出来ない以上、必死に戦うことになるだろう。
しかしバルバラは首を振った。
「いいえ。それはない、と思います。実のところ、魔物の世界と言うのは意外と単純なものなのです。魔物の群れを率いる――そう言った魔物がいるのなら、直接出てきて、同じく群れの頭であるシュゾンなりニーナなりに戦いを挑みます。その結果によって、地域の主を決めるものです。しかし……今回に限っては、そう言ったことは無かったのです。ですから、どうやら、その命令の主は自らの存在を出来るだけ隠そうとしている……そんな風に私には感じられました」
それが事実だとすれば、非常に厭らしい相手であると言わざるを得ないだろう。
手下に戦わせて、自分は安全なところで高みの見物というわけだからだ。
どこかの誰かに非常に似ているやり方のような気もするが、関係者なのだろうか、と、ふと思う。
これだけでそうだとは言い切れないが、仮にそうだとすれば、ニーナがこの山から闘技場に飛ばされたことと合わせて考えれば色々と繋がることがあるだろう。
そのことについて尋ねようと思ったが、バルバラはその命令の主とやらの存在を漠然と感じているだけで正体を知っている訳ではない。
今聞いても分からないだろうとルルは考え、他のことについて尋ねることにした。
「まぁ、その正体を隠そうとしている奴については置いておこうか。それで、バルバラたちは――今、何をしてるんだ? フィナルの街で、この山周辺の魔物の動向を調べた限り、二つの魔物の群れ……多分だが、バルバラたちと、それにその他の地域から来た奴らが争っているらしいという事は分かってるんだが」
ルルの言葉にバルバラは頷き、言う。
「おっしゃる通り、我々、山の魔物と、侵入者たちとは現在交戦中です。ちなみに、今のところ戦況は一進一退、と言ったところですね。山の魔物には非常に強力な者も数体おりますが、その他はそれほどではないので、侵入者たちには苦戦しているところなのです。どうも侵入者たちはどれも巨大でかなり強力なようでして。本当なら私が直接出ていって焼き払ってやりたいところですが、そんなことをしては山も森も消えてなくなってしまいますからそう言う訳にもいきません。それに、侵入者たちは神出鬼没で、散発的に様々なところを襲撃してくるものですから……対応に苦慮しているのです」
"皮"を失ってしまって現在さほどの力を持たないニーナはともかく、バルバラは十分に戦える力があるはずだ。
古代竜としてその力を振るえば、ルルたちが出会った石像魔たちのような魔物など簡単に滅ぼすことが出来るだろう。
ただ、彼女はこの山の主代行であり、森も山も出来るだけ現状のまま残しておきたいと言う事情がある。
それを考えると、おいそれとその力を振るって全て灰燼に、というわけにもいかないということだ。
一つ一つ潰していくにも数が多く範囲も広いので苦慮している、と。
体の周りを小さな虫が大量に這いまわっているような状況とでも言えばいいのか。
一つ一つ潰して行きたくても掴みにくくてキリがない、というわけである。
ルルはそのことを理解し、一つ提案してみることにした。
「話は分かった。ところで、これは俺からの提案なんだが……」
「はい、なんでしょう?」
「バルバラたちが侵入者だと認識している魔物たちを、俺達、冒険者と協力して駆除する、というのはどうかな?」
それを聞いて、バルバラは首を傾げた。
◆◇◆◇◆
バルバラが首を傾げたのには色々な理由があるだろう。
その中でも、最も大きな問題を、彼女は口にした。
「……それが出来るならありがたいことですが、そもそも魔物と対話しようなどと言う人が存在しますか?」
それは当然の話である。
魔物は会話など出来る存在ではない。
そういう認識が基本であり、事実、人と魔物と言うのは対立している状態が通常だからだ。
冒険者組合だって、魔物を狩ることをその職務の大半としており、友好を、などと言ってもこれは難しいだろう。
しかし、利害が一致する限りにおいて、一時的な協力をするくらいのことは不可能ではないのではないだろうか。
人同士であっても、そのようなことは少なからずあるだろう。
犬猿の仲にある者同士でも、同じ敵を持つ場合や、同じ目的を抱いている場合などには、協力することも吝かでない、と判断することは多々あるのだ。
魔物と人との間に、そのようなことがあって悪いとは言えないだろう。
そう、バルバラに話すと、彼女は頭を抱えてルルに言う。
「……そんな発想をする者など聞いたことがありませんが……」
「そんなにおかしいか? 別に仲良くしろと言ってるわけじゃないぞ。お互いに利用しあえと言ってるだけだ」
しかも、騙し合え、と言っている訳でもないのだ。
一つの目的を達成したその後の事はまた自由にすればいい。
それまでの、限定的な協力関係を築くのはどうか、と言っているだけだ。
「ですから! それは人同士がすることで、魔物と人との間ですることでは……」
言い募るバルバラに、ルルはざっくりと反論する。
「誰が決めたんだ、そんなこと」
事もなげにそう言いきったルルに、バルバラは絶句し、それからゆるゆると首を振って、ルルの膝の上にいる自らの妹に呻くように呟いた。
「ニーナ……この方は、いつもこうなのですか?」
その言葉に、ニーナは首を傾げて言う。
「こうって?」
そんなニーナの態度に血が上ったのか、バルバラは手を大きく振りながら、
「常識外れの、突拍子も無いことを、いつも言っているのか、と聞いているのです!」
と大きな声で叫ぶ。
それで、ニーナは質問の意味が理解できたようで、少し考えてから呟いた。
「うーん……ルルパパは、いつも、分け隔て無いの。人も、魔物も、ルルパパは区別しないで見てるの。常識外れってわけじゃなくて、多分だけど、決めつけてないんだと思うの。魔物だからこう、とか人だからこう、とか。それって良くないことなの?」
純粋な瞳でそう聞かれたバルバラは、またもや絶句する。
それからバルバラは口をぱくぱくして、絞り出すように呟き始めた。
「……良くないことでは、ないかもしれませんが……しかし、先ほども言いましたが、そもそも魔物と人が対話する方法など、ありません」
と、それこそが自分の主張の最大の頼りどころだとでも言うように話すバルバラ。
しかしルルは言う。
「それは俺が仲介するから心配しないでくれ」
あまりにもあっさりとした言葉だった。
これにはもはやバルバラも驚く気力を無くしたようで、何とも言えない表情で言う。
「……どうやってですか……」
無理に決まってる、という風な言い方だった。
けれどルルは言うのだ。
「ちょうど、冒険者組合の重鎮とフィナルの責任者と知り合いなんだ。彼らに話せばどうにかなるんじゃないかと思うぞ。何せ、その二人も結構な変わり者だったしな」
「魔物と対話しようとするくらいに、ですか?」
それは精一杯の皮肉だったのかもしれない。
けれど、ルルは笑顔で言った。
「そう、その通りだ」
「……」
もはや、バルバラには反論の言葉すらないらしい。
諦めたようにがっくりと肩を落とし、それから言った。
「……分かりました。では、今回の魔物について、山と森から排除することにつき、一時的に魔物と人が協力することにしましょう。出来ることなら。その人と連絡をつけるのは貴方にお願いしてもいいのですか……ルル?」
その言い方には出来るものならやってみろ、という感情が籠められているように思えた。
実際出来るのか、と聞かれれば出来るかどうかは分からないということになるだろう。
しかし、出来ないかもしれないからやらない、というのは馬鹿のすることだ。
フィナルにおいて問題になっている魔物の活性化、その根本的な原因が他の地域から来た魔物達にあることははっきりした。
それを排除すれば、フィナルにも、そしてログスエラ山脈の魔物達にとっても良い結果がもたらされる。
両者にとって、他の地域の魔物の排除は共通の目的になりうるのだから、その点について協力しない手は無いだろう。
ただそう思っただけの事である。
だからルルは答えた。
「あぁ、もちろんだ。何せ、俺が提案したことだからな……あぁ、それと」
そしてついでに付け加える。
「そのときには、バルバラ。君にもフィナルの街に来てほしい。その姿で」
これは他の話よりも予想外だったようで、彼女は目を丸くして言った。
「……行ってどうするというのです? 古代竜が街に行けば無用な警戒を生むでしょうし、またこの姿で行っても人は私が古代竜だとは信じないのではないですか?」
もっともな意見である。
しかし、仮に信じなかったとしてもやりようはあるだろう。
非常に直接的で、分かりやすいやりようが。
「そのときはその場で古代竜になればいいじゃないか」
「なっ……! そんなことをしたら人に無用な恐怖や警戒を与えることになります! それに、私も人の街のど真ん中で的になりたくはありません!」
確かにそれは理解できる。
だから、ルルは大きく頷いて言った。
「じゃあ、そうなったら俺が守ってやる。なに、大丈夫だ。人の街はそんなに怖いところじゃないぞ?」
それはまるで小さな子供に言い聞かせるような雰囲気で、バルバラは何と言っていいか分からずに頭を押さえたり表情を変えたりと忙しい。
そんな姉を見て、ニーナは呟いた。
「おねいちゃん……慣れるの。こんなの、いつものことなの……」
それは、姉よりも少しばかりルルと付き合いの長い先達者からの、ちょっとした助言だった。