第181話 逃走劇
「皆、よく来てくれた!」
そう言って冒険者組合に響きわたる声を上げたのは、品と威厳とを併せ持つ、五十前後の一人の中年男だった。
「……あれは誰でしょう」
イリスが首を傾げ、
「さぁ……」
とゾエも微妙な返事をしたところで、近くにいた小太りの重戦士風の男が言った。
「……あれは、フィナル冒険者組合の組合長、オロトス=メスマだよ。結構気さくなおっさんで、人気があるんだ」
体型の割に柔らかな声で、よく見れば顔立ちも優しげであり、荒くれものの冒険者、というよりその辺の性格の良さそうな青年、という感じがする男だった。
「へぇ。はじめて知ったわ」
「私もです」
ゾエとイリスが二人そろって言うと、青年は少し考えて、
「もしかして街の外の人かい?」
と聞いてくる。
二人がそれに頷くと、妙に感心したような顔で、
「それなのに今回の依頼を受けるんだ……ありがたい。街の者として、お礼を言うよ」
と言ってきた。
聞けば、今回の依頼は主にフィナルを拠点する冒険者を中心に声をかけられており、それは依頼の内容が今、非常に危険な状態にあるログスエラ山脈周辺に行くことだからだと言う。
普段のログスエラ山脈ならともかく、今の状態ではイレギュラーなことも数多く起こるだろうと考えられ、リスクが高すぎることから、フィナルに特に思い入れが無い者については選考から除外されたらしい。
もちろん、それでもフィナルの外の冒険者も混じってはいるが、それは余程の実力者か、縁もゆかりも無い街のための戦いに参加してもいいと言ってくれるだろうという人物だけであるという。
この説明を、青年は朝、冒険者組合職員から聞いたらしい。
ゾエとイリスには無かった説明だが、まぁ、特に必要ないという判断なのだろう。
事実、二人にとってはあってもなくても構わない話である。
つまり、そういう理由で来ている、ということは街の者としては非常にありがたいからと感謝の言葉を述べているらしいが、好きで参加しているのだ。
礼もまた、必要は無かった。
だからゾエが言う。
「私もこの子――イリスも冒険者だからね。もうかる仕事があるなら何でもやるわよ」
少し冗談めかしたその台詞に、青年は笑って、
「あはは。確かにそうだね。今回の依頼は緊急のものだし、依頼主はフィナル領主であるフロワサール家とフィナル冒険者組合だ。参加者の人数は多いとは言え、報酬は期待できるね……ただ、それに見合わない危険がある可能性も高いんだ。だから、あえてそのリスクを背負ってまで参加してくれることが嬉しいんだよ」
と言った。
余程街が大事らしく、その気持ちは、かつて自分たちの属する国を守るために戦ったゾエとイリスにはよく理解できる。
「そこまで言われると悪い気はしないわね。お互い頑張りましょう」
「あぁ。助け合おう」
青年はそう言ったが、ゾエとイリスに助けが必要かどうかは極めて疑問だ。
ただ、善意で言ってくれているのは分かるし、ならば、彼が危なくなったら助けようか、ぐらいは思ったのだった。
◆◇◆◇◆
組合長の話は今回の討伐隊、調査隊の目的の説明と、なぜそれを組むことになったか、その理由の説明だった。
その点について、ゾエもイリスもしっかりと知っているため、聞き流しに近い状態で聞いていたが、他の冒険者たちは色々と考え込んでいる様子だった。
やはり、普段と比べるとかなりの異常事態なのだろう。
全てが説明された後、冒険者たちはお互いに情報を交換したりするなどして、今後のことを相談し合った。
その中には班分け、のようなものもあった。
結構な人数である。
ぞろぞろと森に入って行くのもいいだろうが、あまりにもバラバラだと一貫した行動がとりにくい、という事情もあって、数人ごとで最小の構成単位を作っておくのが楽だと言うという事になった。
もともと、冒険者であるから、大人数で行動するよりは、そうやってある程度分けておいた方が動きやすいというのもある。
だからと言って、ばらばらにログスエラ山脈に突入していくわけではなく、ただ、一応の班分け、というだけだ。
何があっても、決まったものとははぐれない、という一応の規則を定めておくための。
その方がいざと言う時の生存率もあがるだろう。
「――あら、さっきの」
ゾエとイリスは、二人でも構わなかったのだが、最低四人組になれという指示が出たので誰か一緒に組んでくれる人を探していたら、一人の青年が二人のところにやってきた。
隣には琥珀色の魔石が先端についた杖を持つ魔術師風の少女がいる。
「うん。さっきはどうも。ところで……お二人とも、もう班は決まったかな? もし決まってないなら、僕らと組まないかと思ったのだけど……」
青年はそんなことを言ってきた。
少女の方も、
「私たち、どうも避けられちゃって。こんな二人組だけど、弱くはないのよ? ただ見た目が見た目だから……」
と、釣り目がちな目を少し垂らして、どんよりとした様子で言った。
どういう意味か、と考えて二人を眺めてみれば、言いたいことは何となく理解できた。
重戦士風の青年の方は、体形的に小太りで、壁役としては優秀そうには見えるが、敏捷さと言う面で不安を感じるような見た目だ。
そして少女の方は痩せぎす、とまでは言わないまでも、年端もいかない、経験も足りない駆け出しの魔術師、という雰囲気がする。
身に着けているものも勘案すると、どこかの金持ちのお嬢様が道楽で冒険者をやっているように見えなくもない。
そんな二人とパーティを組もう、と思う冒険者少ないと言うことだろう。
しかし、イリスとゾエにとっては、誰と組もうと問題がない。
何かあれば、二人がカバーすればいいと事もなげに言えるくらいの自信があるのだから。
だから、二人は視線を交わらせ、一瞬で相談を終えると、イリスは二人に言った。
「私たちもまだパーティを組んでおりませんわ。お二人が構わないのでしたら、私たちと組んでいただけませんか?」
その言葉に、二人の表情はぱぁっと明るくなり、
「もちろんだよ! よろしく!」
と青年の方が明るい笑顔で、
「ありがとう……助かったわ」
と少し素っ気ない、照れたような顔で少女が言い、二人そろって手を差し出してきたのだった。
◆◇◆◇◆
夜中にフィナルを出たルルは、リガドラを発見すべく森を彷徨っていた。
元が古代竜とは言え、今ではあの貧弱さである。
それほど遠くには行けないだろうと踏んでいたのだが、空を飛べると言うアドバンテージは大きかったようだ。
かなり離れてしまったらしく、そう簡単には見つけられないようだった。
それに、問題はリガドラについてだけではない。
山のふもとの森を歩いていると、魔物達が襲ってくるのだが、これを倒していいのかどうか考えものなのだ。
リガドラの仲間だった魔物であれば、その命を奪うのは出来る限り避けたいし、またその敵対する魔物であれば、ルルが倒すことによってリガドラの後の立場に影響してしまうのではないかと言うところもあった。
だから襲かかってくる魔物はどんなものであろうとその対処は一つしかない。
「ぐるがぁぁぁぁ!!」
今しもルルの命を奪うべく襲い掛かってきた黒犬をちらりと見て剣を抜き、その刃でなく平で額を叩いて気絶させた。
当たり所に寄っては死んでしまうような強烈な一撃であるが、その辺りの手加減はお手のもので、死にはしないが当分起き上がれないところを狙って叩いている。
どんな魔物を相手にしてもこれが出来る、というわけではないが、比較的魔物としては小型の黒犬のようなものであるならば、百発百中で可能である。
昨日見た、地獄犬のような一味違うような魔物が相手であれば分からないが
「……これで何匹目だ? 全く、昨日より酷いな……」
ルルがそう一人ごちる。
昨日森を歩いた時も確かに多くの魔物に出くわしたのは間違いないが、今日ほどではなかった。
それに何といえばいのか、出会う魔物全てが妙に殺気立っており、出会い頭に本気で襲い掛かってくる。
魔物、と言うのは普段はそれなりに賢く、冷静で、相手を驚かせようとそう言った先方に出てくることはあるが、今日のはそう言ったものではなく、単純に自分の知らない者に出会ったらそれは敵だと見做しているかのようだ。
「ま、だからと言ってやることが変わるわけじゃないがな……」
そう言いながら歩いていると、さらにまた魔物が襲い掛かってくる。
今度は一体だけではなく、四体ほどが別方向から大きな口を開いてルルに向かってきている。
しかし、それぞれの魔物がジャンプして宙に浮かび上がったかと思うと、キン、と言う音がして、次の瞬間、滞空していた場所から垂直に叩き落された。
それぞれの魔物の額には揃いのこぶが腫れ上がって浮かんでおり、ルルがやったことは明白だ。
ただ、その剣を抜いた動作はとてもではないが視認することが出来るようなものではなく、ルルの技量の恐るべきことが分かるのみである。
「さっさとリガドラを見つけて話を聞かないと……む、これは……」
そんなことを言いながら、木の脇に生えている植物を見て、ルルは顎を擦る。
それから少し観察すると、
「星屑草じゃないか。これはいい……」
そう言って根元からそれを抜き取ると、腰に下げた袋に収納する。
リガドラ探しを頑張るべきなのは分かっているが、そうすんなり見つかりそうもないことが分かっている今、ルルは素材採集も適度に行っていた。
もちろん、リガドラを心配していないわけではなく、ただ、、あれで腐っても古代竜なのだ。
過度に心配するのも何か違う気がした。
それに、リガドラもリガドラで、まさかノープランで山に入ったわけではないだろう。
何かしら勝算があってきたはずだ。
そう信じられるくらいには、リガドラは馬鹿ではないと分かっている。
ただ、それでも、最後の一歩の押しが足りない、とかもう少しのところで、とかそういうことがありうるだろうから、そこに力を貸せたらと思ってこうやって探しに来ているのだ。
リガドラがこのまま、ログスエラ山脈に戻り、主としてとどまると言うのならそれでいい。
けれど、ルルたちがいなくても、立派にやっていけるということをしっかり見て、確認してからでなければ置いてはいけない。
そう思う程度には、いつのまにかルルたちはリガドラのことを大事に思っていた。
◆◇◆◇◆
森の中を疾走する沢山の魔物達がいた。
その組み合わせは、石像魔、独眼牛、女頭鳥であり、その身の丈は巨体である。
これをフィナルの者たちが見れば一体これほどの巨大な魔物などどこからやってきたのかと目を見開くところだ。
そんな彼等であるが、実のところ、ひたすらに何かを追いかけているところだった。
彼らの追いかけているもの、その視線の先を見つめてみれば、ぱたぱたと飛んでいる小さな影が見える。
ずんぐりむっくりとし体型に、その身体を支えきれるとは思えない小さな翼、大きな目に、丸っこい手足。
「きゅい……きゅい……!」
慌てて逃げまどうその影は、明らかにリガドラであったが、意外にもその速度は速く、まだまだ魔物達に追いつかれる様子は無かった。
体力もまだあるようで、それほど苦しそうではないが、しかしあれほど多くの魔物に追いかけられていたら振り切るのは難しいだろう。
しかしリガドラは決して諦めようとはしなかった。
まるでどこかに向かって希望を繋いでいるような、そんな雰囲気で飛んでいるリガドラ。
けれど、その速度も徐々に落ちていき、そして森の開けたところに追い詰められる。
一本の大木が聳え立つその場所は広く、追いかけてきた魔物達も広がって詰め込めるくらいの空間はある。
実際、魔物達はそのようにして、一本の木を背にするリガドラを囲んだ。
「きゅ……」
絶体絶命、どう見てもそうとした表現できないようなその光景。
それを魔物達もわかってか、じり、じりと距離を縮めてくる。
そして、リガドラと魔物達との距離がちょうど、あと少しで、というときになって、魔物たちはその速度を上げて襲い掛かってきた。
爪や牙がギラリと輝きを纏ってリガドラに向かってくる。
「きゅきゅ……」
諦めたような鳴き声をリガドラは上げた。