第176話 心情
「――よろしかったのですか?」
冒険者組合の受付でイヴァンが手続きをしているのを待っている間、モイツはゾエにそう尋ねた。
その言葉がどういう意味かは明らかで、イヴァンがゾエに決闘を挑んだことに対し、同意したことについて尋ねているのだろう。
ゾエは、イヴァンの申し出を受けいれて、現在、イヴァンが決闘の為の場所取りをしているのである。
道端で決闘するわけにもいかず、どこで行えば、とルルたち一同は思っていたのだが、これについては流石に冒険者組合職員と言うべきだろうか。
イヴァンが、フィナル冒険者組合はフィナルに闘技場を一つ所有しているはずだから、それを一日、もしくは数時間借りればいい、とすぐに提案したのだ。
イヴァンは今、その手続きを行っている、というわけである。
ルルたち、それにモイツは特にすることもなかったので、冒険者組合の端の方で手続きが終わるのを待っているところだ。
冒険者組合の職員、それに冒険者たちがたまにモイツを見て驚いたりおどおどしている様子が見られる。
きっと彼が何者か知っている者たちなのだろう。
つまりそれくらい、モイツには権力があるということだ。
しかし、そんなモイツに対し、ゾエは特に気負いもなく答えた。
「全然構わないわよ。ああいう……なんていうのかしら。若いの?は嫌いじゃないし……」
「しかし、そうは申されましても、非常に理不尽な言いがかりだったのでは? わざわざお受けにならなくとも、私の方で処分をしても良かったのですが……」
モイツが申し訳なさそうにそう言った。
しかしゾエはモイツに意味ありげに笑いかけ、
「まぁ……私としてはね。尊敬している人を馬鹿にされるのが物凄く腹が立つって言うのはよく分かるのよ。だから、あのイヴァン? っていう子の気持ちはよく分かるし……」
そう言ってゾエはルルの方を見た。
さらにゾエは続ける。
「それにね、モイツ。貴方、人の事言えるの?」
と尋ねた。
モイツはその質問に、うっ、と息が止まったかのような、妙な表情をし、さらに目が随分と泳ぎ始める。
冷や汗が地味に垂れ始めて、少しばかり、挙動不審になる。
しかしそれでも持っている威厳は少しも変わらないが、何か慌てているらしい、ということはよく分かった。
モイツはそして、首を振り、ゾエに答えた。
「……そうなのですよね。正直なところ――私は彼を批判できません。私にも、若いときはありました」
「そうよね、そうよね。思い出すわぁ。出会ったばかりのころの貴方なんか……」
「す、少しお待ちを! あの時のことはどうか忘れて頂きたい! 私もあの頃は……とても、若かったのです! 今振り返って見れば、愚か、としか言いようがない行動でしたが……」
そんな二人の様子に気になったルルは、尋ねる。
「昔、何かあったのか?」
その質問に答えたのは、ゾエである。
「ええ、あったのよ。それがね、聞いてよ。この子ってば……」
「お願いします! 後生です! 後生ですから!」
モイツが穏やかに、けれど強く懇願しているが、ゾエは全く口を止めない。
なんというか、強い。
ルルはゾエに対してそんな印象を抱く。
それから、ゾエは言った。
「あのイヴァンって子と同じように、私に喧嘩を売ってきたのよ。あれは……なんでだったかしら?」
そこまで言われると、モイツとしてももう観念したらしい。
ぽつぽつと、がっくりとした様子でゾエが思い出せないことを話しだす。
「イヴァンと同じですよ……。当時、私が冒険者組合長を務めていたカコットの街に、当時の大組合長が訪問された際に、ゾエ様が――こう申し上げるのをお許しください、非常に失礼な口を大組合長にお利きになったので……」
「そうだったそうだった。あのときのモイツは可愛かったわよ? 顔真っ赤にして、『お前、ふざけるな!』ときたものね。ただ、あのときは決闘なんかにはならなかったわね。イゼクターがあなたをその場でぶん殴ってそれで手打ちにしたから」
イゼクターというのは当時の大組合長らしい。
過去の恥を晒されたモイツはその巨体を限界まで小さくし、縮こまってしまい、消え入りそうな声で、
「本当にお恥ずかしいことです……。鯨系海人族は三十歳程度でようやく人族で言う十歳程度の精神年齢に辿り着く、と言われております。言い訳にもなりませんが……当時、私はそんなものでした……若気の至り、と言うにはあまりにも失礼なことをした自覚があります。そういったことについても謝りたくて、そして当時、そういった様々な御無礼についてお許し頂けたことに関してもお礼を申し上げたくてお探ししたということもありました」
「本当に小さかったものね、あのときの貴方。けれどイゼクターは言ってたわよ。貴方には期待してるって。いつかきっと大組合長にもなれる器だって。私には正直、そこまでとは思えなかったけど――ケンカ売られたからね。今のこの姿を見れば、あのときのイゼクターの目は正しかったってことね」
ゾエからすれば、その台詞は大したものではなかったのだろう。
ただの想い出をふっと語っただけのことだった。
けれどモイツにとっては、意外な話だったらしい。
彼はその目を見開いて、
「イゼクター様が……そんなことを。驚きました。なにせ、当時、私は怒られてばかりでしたからね。やれ、お前は冷静さに欠けるだの、もっと大局的な視点を持てだの……忌憚のないところを申し上げれば、あのとき私は彼の事をこう思っておりましたね。くそじじい、と」
「でも、嫌いじゃなかったでしょう?」
「ええ。もちろん」
「だから、イヴァンについても、貴方は出来れば許したいと思っている?」
「……その通りです。ゾエ様に、お許しいただけるのでしたら」
「私はいいわよ。ま、少しくらいは叱るべきだとは思うけどね。流石にいつもあんな風に喧嘩売ってたら問題じゃない」
「それは勿論の事です。しかし、私も不思議なのです。あんなことは今まで一度も無かったのですが……」
モイツは深く頷きつつ、首を傾げた。
しかし考えても理由は分からないようだった。
それから、ゾエはふと、思い出したように尋ねた。
「……そう言えば、イゼクター……彼は、人族だったわね。今はやっぱり……」
「ええ。お亡くなりになりました。しかし、多くの冒険者たちに盛大に送られて逝かれましたので……きっと、幸せだったと」
分かってはいたことだろうが、ゾエはそれを聞いて目を伏せる。
小さく頷いて、
「……そう。今度、お墓の場所、教えてね」
そう言って寂しげに微笑んだのだった。
◆◇◆◇◆
闘技場の中、まばらではあったが観客達がある程度いた。
そのほとんどは、イヴァンがゾエに決闘を申し出たときにあのカフェで食事やら酒盛りやらをしていた者たちである。
ログスエラ山脈が荒れているので、フィナルの冒険者達も暇なのだろう。
特に今日は、魔物警戒令もあったことだ。
今から山の方へ仕事に出るのも危険であるため、街で無為に過ごしていたところに、丁度いい時間つぶしが現れた、という訳だ。
さらにゾエもイヴァンも、特に非公開で戦おうと思っていた訳ではないようで、観戦を申し出る者にはこの場所と時間を伝えたため、こうなった、というわけだ。
向かい合って立っている二人は、中々に様になっている。
ゾエは槍を構えて真っ直ぐにイヴァンを見つめているし、イヴァンはイヴァンで双剣を構えてゾエを睨んでいる。
「……あのイヴァン、という方はお強いのですか?」
イリスが観客席に座るモイツにそう尋ねた。
すると、彼は少し考えてから答える。
「弱くは無いと思います。私もそうですが、基本的に冒険者組合の職員と言うものは元々冒険者だった者が大半ですから。イヴァンもまた、かつては冒険者をしておりました」
「なるほど……ちなみにクラスは?」
「上級下位にはなっていたと思います。とは言っても、十年ほど昔のことで、今どれほどの腕かは分かりかねます。ただ、修練は怠ってはいないようで……腕は落ちてはいないと」
確かに、モイツの言う通り、イヴァンにはかなりの力が感じられた。
上級下位程度なのか、それ以上なのかは実際に戦って見てもらわなければ正確に判断するのは難しいところだが、流石に喧嘩を売るだけあると言えるだろう。
「でも、相手が相手だからな。ゾエと戦うのは……少し厳しいんじゃないか」
ルルが独り言のようにそう言うと、モイツが言う。
「私もそう考えますが……それでもイヴァンは自ら挑んだのです。見届けてやりたいと思います。それと……今さらですが、ルル殿。私は貴方のお名前は聞かせていただいたのですが、ゾエ様とどういった関係なのかはまだ聞いておりませんでしたね。もし、差し支えなければ教えて頂くことは可能でしょうか? イリス殿も……。もちろん、闘技大会でお二人が優勝、準優勝された、という事実については存じておりますが……」
言われてみて、そう言えば名前を簡単に名乗ったくらいで、それ以外の細かいところは言っていなかったことを思い出す。
闘技大会についても説明していないが、名前を聞いてすぐに闘技大会の出場者の名前と一致することに辿り着いたのだろう。
先に言われてしまった。
しかし、それ以外に細かい説明をしようにも、どうしても二人の素性について説明する必要が出てくる。
我々は古代魔族だ、などと言って、果たして信じるものだろうか。
そう思って悩んでいると、モイツはそれで何となく察したようである。
「……ふむ。何やら難しい事情をお持ちの様子。でしたら、特に詳しくは尋ねません。もし、お話頂けるタイミングがありましたら、そのときに、ということで……」
と言った。
ありがたいやら申し訳ないやら、微妙な気分になるが、とりあえず、かいつまんでの説明だけはしておこうと、ルルは言った。
「……何と言いますか、昔からの知り合いです」
これだけでもかなり問題のある答えで、普通なら理解できないような話であったはずだが、モイツはルルの言葉の意味するところを正確に読み取ったらしく、
「……ほほう。昔からの……。それはまた、面白い事情を抱えていらっしゃるようですね。いずれ、詳しいお話を聞きたくなりました」
と微笑みながら言われてしまった。
それでいてまるで動じる様子がないモイツは、やはり器が大きい人物である、と言えるだろう。
もういっそのこと、全部言ってしまうのもありかもしれない、とふと思ったが、
「あ、二人が出てきましたわ!」
とイリスが闘技場のステージを見てそう叫んだので、ルルとモイツは曖昧に目くばせをしあって笑い合ってから、決闘にとりあえず集中することにしたのだった。
◆◇◆◇◆
特に闘技大会という訳でもない。
決闘、とは言っても、結局はただの私闘に過ぎない。
審判がいるわけでもなく、何か演出があるわけでもない。
そんな訳で、ゾエとイヴァンはそっけなく、同じ入口から出てきた。
「……なんで決闘なんて言い出したの?」
ゾエが、ステージに向かう道すがら、イヴァンに尋ねる。
あれだけ激昂していたのだ。
答えすら帰ってこないのではないか、と思っての質問だったが、意外にもイヴァンは返答した。
「……私には、分からないからです」
「何が?」
「貴方が、モイツ様の、昔のお知り合いだ、というお話が」
「どうして?」
「あの方は――モイツ様は、もう七十をいくつも超えておられます。そんな彼が私と同じくらいの時に貴方と知り合った、というのです。それなのに……これほどお若い、というのが……」
苦々しいような、苦悩の混じったような顔で、イヴァンは言った。
「納得できない?」
「忌憚のないところを申し上げれば、そうです」
頷いたイヴァンはきっぱりとしていて、精神的に不安定な男、という感じではなかった。
不思議に思ってゾエはさらに尋ねる。
「……貴方、私に怒っていたのではないの?」
その質問に、イヴァンは微妙な笑みを浮かべながら、
「ええ。怒ってはいますが……これが理不尽な感情だという事は分かっています。それを抑えることも、出来ましたが……先ほども申しあげたように、私は貴方が分からないのです」
言葉の意味が良く理解できず、ゾエは首を傾げる。
イヴァンは続けた。
遠くを見るような目だった。
そこには、怒りよりも、凪いだ心の色が感じられるように思った。
「私は……愚かです。もともとは一介の冒険者に過ぎず、こうやって事務方に引き立てられ、出世してもいますが……結局、その根っこのところは、腕っぷしだけで世の中を渡ろうとした馬鹿に過ぎません。人の本質も見抜く目を持たず……正直、今の立場は分不相応だと思っています。けれど、私にも一つ、自信と言うか、確実に信じられるものがあり……剣を合わせた相手の気持ちは、しっかりと理解できるのです。昔からそうでした。冒険者だった時からずっと。ですから……私は貴女に納得するために、戦いたいと思った……馬鹿だと思われますか?」
限りなく迂遠な方法である。
そんなことをするよりも、もっと単純な方法があっただろうにとゾエは思わずにはいられなかった。
だから、率直に述べる。
「それなら正直にそう言えばよかったでしょうに。わざわざ喧嘩なんか売らずに」
しかし、イヴァンは意外な台詞を口にした。
「不思議なことに、私は初めて貴女を目にした時から、なぜか好感を持ってしまいました。しかし、その理由が分かりません。私はそれを、知りたい。そして、そのためには、戦わなければならない……そう思いました。それに、戦うためには、それは問題のある感情だとも考えました。だから私は、本気で剣を合わせるために、貴女に怒り、また貴方に目の敵にされようと思ったのです」
愛の告白……という訳ではないだろう。
単純に、人として、好感を持った、という話だ。
「そんな話を本人にしていいの?」
そんなゾエの質問に、イヴァンは苦笑するように首を振った。
「貴方はまるで私の理不尽な八つ当たりを意に介されていないようなので……。むしろ、おっしゃる通り正直に言った方がよいかと思いました」
イヴァンの反応に、ゾエはため息を吐いて、呆れたように言った。
しかし、そこには暗い感情は一切込められていない。
明るい、晴れやかな声である。
わだかまりがなくなったからだろう。
あまり気にしていなかったとはいえ、他人から憎まれるのは嫌なものだ。
そんなことはなかった、と知れた今、ゾエからは一切の暗い感情は無くなった。
「まぁ……馬鹿っちゃ馬鹿ね。けれどいいわ。真面目に戦えばいいのね?」
「ええ。そうしていただけると」
「モイツにはちゃんと謝りなさいよ?」
その言葉に、イヴァンは深く頷く。
「もちろんのことです。それで降格されても構わないと思っております」
しかし、モイツはそこまでするつもりはないことを、ゾエは知っている。
ゾエが言うべきことではないのかもしれないが、一応、その旨を口にした。
「……たぶん、大丈夫よ。じゃあ、構えなさい」
「はい」
頷いたイヴァンは、腰に下がった二本の剣を抜き、構えた。
隙のない構えである。
確かに、それは本人の言う通り、腕っぷしだけで世の中を渡っていけるだろう、中々のものであった。