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第175話 気づき

 突然、馬車から降りてきたその巨体に、ルルたちは首を傾げた。

 あれは鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスのはずだが、少なくとも現代にそう言った知り合いはいないはずだからだ。

 しかし、ルルとイリスはともかく、ゾエについては分からない。

 かの種族は長命であり、たとえ五十年の月日を経ていたとしても、生きている可能性のあるものだ。

 ゾエと知り合いである可能性はないではなかった。


 そして、実際にその鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスはゾエに話しかけた。

 その台詞はすこぶる面白いもので、よりにもよって、


「……突然こんな質問をして申し訳なく存じますが……もしや、貴方のお祖母さまは、ゾエどの、とおっしゃられるのはでございませんか?」


 だったのだから凄い。

 こんな話しかけ方をされて、笑顔になるような女性、というものをルルはついぞ見たことがなかったが、ゾエはその稀少な一人であるらしく、その鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスの言葉を聞き、意味が脳に浸透すると同時に笑い出したのだった。


「お祖母さま? お祖母さまですって? あー、おっかしい! 誰だか分からないけれど、おじさん、面白いことを言うのね!」


 からからとした、それこそ若い女性が立てるような明るい笑い声がその場に響く。

 気の毒なのはゾエの目の前の鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスの男性だった。

 その身に纏っているものや雰囲気などからして、それなりに身分や権力のありそうな人のようだが、こんな往来の中で若い女性に笑われているのである。

 普通なら怒り出してもおかしくはないところだ。


 しかし、その男性は特にそう言った様子もなく、むしろなぜ笑われたのかの方が気になる様子で、困惑しながらもゾエに首を傾げて尋ねた。


「な、なぜ笑われるのですか? 私はそれほどまでに面白いことを申し上げましたでしょうか……?」


 その巨体に似合わぬ腰の低い態度であり、それを見たゾエも自分の仕草が失礼に当たるものであったことに気づいたようだ。

 笑いを収めて頭を下げて言う。


「ごめんなさい……。そんなにおかしなことはおっしゃってないわ。気持ちも――分からないでもないしね。けれど、おじさんは、一体そのゾエ、という人にどんな用事があるの?」


 あえて名乗らずに他人事として聞いたのは、面倒事を避けようとする意図だろう。

 五十年前とは言え、ゾエは冒険者としてそれなりに活動していたのである。

 色々なことがあっただろうし、その中で恨みを買っていてもおかしくない。

 さすがに五十年も経って恨みを晴らそうとする者がいるとは俄かには考え難いが、しかし恨みというものは時には数十年どころではなく、世代を超え、数百年と尾を引くこともなくはないということを考えれば、ゾエの慎重さも理解できないことではない。


 海人族アクアリスの男性は、ゾエの言葉に深く頷き、考える。

 その様子はどんな風に答えたものか迷っているようであった。

 けれど心を決めたらしく、歯切れの悪い様子で言葉を口にする。


「用事と申しますか……私は遥か昔、ゾエ、とおっしゃる女性冒険者にとてもお世話になったものですから、一言、お礼を申し上げたくて……。とは言え、私がその方に親切を受けたのも数十年前のこと。普通なら忘れていることですし、今の今まで探そうとはしなかったのかと言われても仕方のないこと。このような話、さぞ嘘くさいとお思いでしょうが、真実、本当のことなのです。実は、このフィナルの街にその方がいらっしゃると伝手を通じて連絡がございまして……貴女様はそのお方に非常に似ていらっしゃる。いえ、それどころか、うり二つの容姿をされておられて……。馬車の幌の隙間から、そんな貴女が見えた故、こうして声をかけさせていただいたのです」


 話の内容から、彼はゾエに恨みがあるというわけではないらしいことが分かる。

 もしかしたら嘘をついているのかもしれないが、その様子からは嘘をついているようには見えない。

 これで演技だ、というのなら相当な役者であり、騙されてもそれはそれで仕方ないだろうと言う気がする。

 ゾエも同じことを思ったのか、頷いて、


「へぇ……世話に。世話にねぇ……」


 と顎に指を置き、考えながらその鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスの男性の顔や体、表情などをしげしげと見つめる。

 彼の言葉が事実であるのなら、ゾエは彼に見覚えがあるはずである。

 だから、記憶と照合しているところなのだろう。


 しかし、いくら記憶を掘り返しても彼の顔は出てこないらしい。

 首を振ってゾエは彼に言った。


「……駄目ね。ぜんぜん見覚えがないわ。おかしいわね、嘘を言っているようには見えないし……こんなに大きな人、一度会ったら忘れないわよ?」


 確かに、一度見たら忘れられない人物である。

 鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスは誰もが巨体なのだが、目の前に立っている彼はその中でも群を抜いて大きいだろう。

 白く美しいその体色は、確かかの種族では相当な誉れであるとも聞く。

 しかしそれでもゾエは見覚えがないというのだ。

 やはり、彼は嘘を言っているのか、という結論にたどり着きかけたそのとき、当の本人が慌てた様子で口を開いた。


「い、いえ! その、ゾエ様にお会いしたのは、私が幼少のみぎり――これほど体も大きくなく、貧弱だったころにございます。この見た目に、見覚えがあるわけがございません!」


 彼はそう答えたが、なぜ自分がそんな台詞を言ったのか、言いながらも理解していない様子だった。

 とにかく、否定されては敵わない、その一心で言っているように感じられる。

 ゾエは彼の台詞に、再度考え出すが、


「……あぁ、そう言われてみると――前に、海豚系デルピヌス海人族アクアリスの青年に出会った記憶はあるけれど……名前は、ええと……」


 顎をさすりさすり思い出していくゾエ。

 彼女は眠っていた筈なのだから彼女の主観的にはそれほど昔のことではないはずなのだが、長期睡眠は記憶も遠ざからせる副作用があるのかもしれない。

 それから、鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスの彼はそんなゾエの様子を固唾を呑むように見守った。

 そして、ぽん、と手を叩いたゾエが、


「確か……そうよ、そうそう。モイツ=ディビク、って言う子だったわ。なんだか可愛い感じの子で――当時、既に組合長ギルドマスターだったわね。私もだいぶお世話になった思い出もあるわ……懐かしいわね……って、え?」


 首をかくり、と傾げてゾエは目の前の巨大な海人族アクアリスを見つめた。

 なぜか、彼の巨体の割には小さな瞳からは、ぽつりぽつりと涙が出始めている。

 彼もここに来て悟ったようである。

 ゾエが、その孫、などではなく、本人であるという事を。


「そう……そうでございます。ゾエ様……私が、そのモイツ=ディビクです……」


「ふわぁ……随分と大きくなったわねぇ。昔はこーんなに、小さかったのに」


 ゾエは目を見開いて、こんなに、の部分で人差し指と親指を縮めながら言った。

 モイツはそんなゾエの仕草を泣き笑いの様子で見つめて、


「流石にもう少し、大きかったですよ……」


 と言って微笑んだのだった。


 ◆◇◆◇◆


「へぇ……鯨系レヴィタヤン海人族アクアリス海豚デルピヌス海人族アクアリスって同じものなのね」


 とゾエが目を見開きつつ言った。

 ルルたちと、それに先ほど出会った海人族アクアリスモイツ、それに彼のお供のイヴァン=フォイルナーという役人風の男は今、フィナルの中にあるカフェの中で一つのテーブルを囲んで会話していた。

 ほとんどの店が閉まっている今日にあって、珍しく開いているその店はどちらかと言えば酒場に近い場所で、多くの冒険者たちが酒や料理に舌鼓を打っている。


「ええ、あまり他種族の方はご存じないようですが、基本的には同じです。大きさで分けているのですな。ただ、その中でも私のように容姿やサイズが大きく変わる者もおりますが、小さなままでいる者もおりますので、区別が他種族の方には難しくもあります。総人口としては、鯨系レヴィタヤン海人族アクアリスの方が少ないですね」


 モイツがゾエに種族の事情を説明した。

 ゾエが彼について見覚えがなかったのは、モイツの現在の容姿が、彼女の記憶の中のモイツとは明らかに種族が異なっていたからで、なぜそんなことが起こったのか、ということを説明していたのだ。


 ルルとイリスは、海人族アクアリスのそう言った性質について、古代から変わらないものだったから知っていたが、ゾエは意外にも知らなかったらしい。

 まぁ、海人族アクアリス獣族アニマゼアスの細かい事情と言うのはそれを覚える必要がなければ大体の者が気にしないものだ。

 かなり細かい区別が内部にはあるのだが、細かすぎて他種族には常識としては浸透しない。

 せいぜいが大まかな区別が出来るくらいだ。


「勉強になったわ。けれど……私にお礼がしたいって、またどうして? 確かに貴方から色々依頼は受けてたけど、それは逆に言えば私も貴方にお世話になっていたってことなんだから、いまさらお礼なんて……」


「いえ、御謙遜を。当時、貴女が受けられた数々の依頼は、数か月、数年と片付いていない塩漬け依頼がほとんどでした。それを優先的に片付けてもらって、当時、冒険者組合長ギルドマスターであった私がどれだけ助かったか……。実のところ、私は今、それなりに出世させていただきまして、それもこれもゾエ様のお陰であると今でも考えていたのです。けれど、当時、突然ゾエ様は姿を消してしまわれて……いくら探しても見つからず、お礼を言うことすら出来ずにいたのが心残りでした。こうして、またお顔を拝見することができ、本当に良かったと、長生きはするものだなと噛みしめているところです……」


「いちいち大げさすぎる気がするけど……まぁいいわ。お礼は受け取っておきましょう。ここの払いは持ってくれるってことでいい?」


 さりげなく奢れと主張したゾエであったが、モイツは勿論と頷いた。

 ルルとイリスはどうしたものか、と顔を見合わせていたが、モイツは、


「お二人もぜひ、なんでも注文してください。本当ならこのくらいでは返しきれない恩がゾエ様にはあるのです。依頼の件だけではないので……」


 と言ってくれたので、遠慮なくご相伴に預かることにしたのだった。


 しかし、そんな流れが気に入らない者がこの場にいたらしい。

 ゾエが色々遠慮なく頼みだしたあたりで、その人物の堪忍袋の緒が切れる。


「あ、これもいい?」


「ええ、どうぞ、どうぞ……」


 そんなやり取りをしているゾエとモイツに向かって、大声で言った。


「……ずっと、我慢していましたが、もうダメです! そこの……ゾエ殿! 一介の冒険者風情が、この方にそんな態度をとって許されるとお思いか!?」


 額に青筋を浮かべてそう叫んだのは、モイツのお供のイヴァンであった。

 よっぽどいらいらしていたらしく、その言葉には心からの怒りの感情が籠められていて、ルルたちのみならず、他のテーブルにいた者たちを含め、店中の注目が集まる。

 しかし、イヴァンは口を閉じずに続ける。


「この方は……このレナード王国の冒険者組合を束ねておられる四方組合長クヴァル・マスターのおひとりなのだぞ!? それを……」


 しかしゾエはどこ吹く風。

 モイツに顔を近づけて尋ねた。


「……本当に出世したのね。次は大組合長グランドマスター?」


「いや、いや……流石にそこまでは」


 和気藹々とした二人であったが、イヴァンはその様子にも腹が立ったらしい。


「何をおっしゃるのです! モイツ様! 次期大組合長グランドマスターはモイツ様を置いて他におられません! そのことは大組合長グランドマスターウロス様も認めておられるではありませんか!」


 激昂しながらそう言うイヴァンに、モイツはまぁまぁと手を振りながら言う。


「それは酒の席の冗談のようなものですよ。イヴァン。それにウロス殿は御年90を超えておられる人族ヒューマンでいらっしゃいますが、しかし未だに矍鑠としておられる。おそらく私より長生きするだろうとは、それこそご本人も認めておられることですよ」


 流石にそれこそ冗談なのだろう。

 モイツの口調も軽く、その場を和ませようと言ったに違いないことは明らかだった。


 けれどイヴァンの熱は冷めやらない。


「モイツ様……私は、私は悔しいのです。こんな小娘に、モイツ様が侮られるなど……」


「小娘……」


 イヴァンの言葉に、なぜか嬉しそうなゾエである。

 ひそひそと聞いてみると、


「いや、なんだか、若い子扱いってあまりされないから……」


 と見当違いなことを言った。


 そんな話をしている最中、モイツとイヴァンのやりとりがどうまとまったのかは分からない。

 けれど、イヴァンは突然ゾエに向き直って、叫んだ。


「決闘です!!」

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