第171話 不思議なこと
フィナルから少し離れ、目の前に森の広がっている辺りまでやってきたルルとイリス。
その目的は、今感じている気配の正体を明らかにするために他ならない。
もちろん、それが魔物であるという事ははっきりしているし、大体の大きさや強さも分かってはいるのだが、どうにも状況が掴めない。
なぜか、片方の魔物の群れが、もう片方の魔物の群れを追いかけている、ということくらいしか。
「……あまりややこしいことになってなければいいな」
ぽつりとつぶやくルルに、イリスは、
「現実と願望は一緒にしてはいけませんわ、お義兄さま。どう考えても、ややこしいことになっているに決まっています」
と断言する。
ルルはその言葉にため息をつきながら、
「そうだよな……」
と言ってがっくりと肩を落とした。
それからしばらく待っていると目的の集団が目の前に現れる。
まず初めに登場したのは、先ほど見たのと構成の似ている魔物の群れだった。
総勢十体ほどであり、石像魔、独眼牛、女頭鳥の組み合わせだ、
この最初の群れは、ルルたちを見るや否や、即座に攻撃を加えてきたので、とりあえず結界を張って下がり、距離をとることにする。
フィナルの方へこれないように長い結界も同時に張った。
ちょうど壁を作るような形だ。
魔物達はそんなルルたちの結界を見るや否や破壊しようと全員で突進やら体当たりやらを加えてきたが、まるでびくともしない様子に次第に恐慌に陥ったように慌てだした。
「……? 様子がおかしいな」
「ええ……何かに怯えているようですね。後ろから追いかけている魔物たちに、でしょうか?」
そんな会話をしていると、とうとう、その魔物達も森から顔を出した。
第二弾、というべきか。
彼らの構成は初めて見るもので、ルルたちが森に入った時には見かけなかったものだった。
大きさもそれほどではない。
始めに現れた石像魔たちは皆、五メートル近いが、後発で現れた魔物達はせいぜいが二メートル前後の大きさであった。
口から青い炎を吐いている地獄犬や、鷹の翼と獅子の下半身を持つ獅子鷹、それにソランジュのいた村の森で見た、懐かしい梟熊などだ。
ただ、大きさはそれほどではなくとも、その身に宿した魔力はかなり大きい。
始めに森から出てきた石像魔たちも決して弱くは無い、むしろ強力な力を持っている魔物達だったのだが、その背後からやってきた地獄犬たちはそれよりもずっと上の力を持っていることが分かる。
魔物としての格は一般的に見れば両者に隔たりは無いのだが、どうやら地獄犬たちは、その種の中でも強力な個体たちであるようであった。
結界の壁に突進し続けていた石像魔たちは、後ろから地獄犬たちが来たことに気づいたようで、振り返って後ずさる。
対して地獄犬たちは石像魔たちを決して逃がすまいと狩猟者の眼差しで彼らを見つめてじりじりと距離を詰めているのだ。
「……なんだ、一体どういう関係なんだ?」
ルルがそんな魔物たちの様子を見て呟き、イリスも首を傾げて、
「全く分かりません……敵対している、ようだというのは何となく理解できますが……」
そうだ。
彼らはお互いに敵対している。
どんな理由かは分からないが、それは間違いない。
そして、そんな相手同士がこの距離で顔を合わせればどうなるのかは、人でも魔物でも火を見るより明らかなことだろう。
じゃり、と地獄犬が地を踏みしめたのを合図に、一体の石像魔が地獄犬たちに向かって突っ込んでいく。
独眼牛も、女頭鳥もだ。
その様子はまさに決死の覚悟を決めたかのように激しく、死を恐れない恐るべき突撃のように感じられた。
突進をしているのは皆、五メートルを超す巨体を持つ魔物達である。
衝突すればひとたまりもないのは間違いなく、それは地獄犬たちも分かっていたようだ。
地獄犬、それに獅子鷹、梟熊は石像魔たちの突撃を素早く回避する。
その速度は一般的な地獄犬たちの速度を大幅に凌駕しており、やはりあの地獄犬たちは、特別に強力な個体たちなのだと理解できた。
石像魔たちは地獄犬たちに突進を回避されても一切その足を止める気配を見せなかった。
それはおそらく、逃走を続けるためだだろうと思われた。
フィナルに続く街道はルルたちが結界でもって封じた格好だが、その反対側に伸びる街道には特に結界は張っていない。
結界の破壊が不可能であると分かった今、石像魔たちも一計を案じたのであろう。
向こう側に走れば、逃げられる可能性はまだある、と。
しかし、地獄犬たちの方が石像魔たちよりも一枚も二枚も上手だった。
石像魔たちがそんな風にして逃走することを予想していたらしい彼らは、突撃を避けた直後、身を翻して横合いから石像魔たちに攻撃を加えたのである。
空を飛ぶ石像魔、それに女頭鳥には、獅子鷹と地獄犬が対応した。
追いかけてくる相手には一切触れずに逃走へと力を注ぐ石像魔に獅子鷹が追いすがり、そして頭部に強烈な一撃を加えて粉々に破壊する。
また、素早い動きでもって獅子鷹の追撃を避け続けた女頭鳥だったが、その様子を見た地獄犬が獅子鷹の背中に乗り、青い炎を吐いて狙い撃ち、また数体の獅子鷹の背中を素早く飛び移りながら逃げまどう女頭鳥の姿を確実にとらえて翼にダメージを加えていく。
最終的に、空を飛ぶにはあまりにも不格好なものへと変わった翼をばさばさとさせながら墜落していった女頭鳥たちは、地面に落ちた直後、それを素早く確認した梟熊たちに踏みつぶされて絶命していった。
最後に残ったのは独眼牛たちであったが、梟熊は逃げる彼らの横合いから突進し、その全てをひっくり返すと、その鋭い爪でもって確実に命を絶っていった。
その攻撃に抵抗できたものは一匹もおらず、結果としてその場に残ったのは、後から来た魔物達だけになってしまった。
「なんとまぁ……俺達の仕事を奪ってくれたな」
ルルは魔物対魔物の戦いをぼんやりと見つめ、決着したころにそう呟いた。
「特に報酬の約束をしていたわけでもありませんし……よろしいのでは? 問題は、この後どうするか、ですが……」
イリスがそう言って結界の向こう側を見れば、臨戦態勢の十匹の魔物たちがこちらを睨むように見つめている。
「……なんだか強そうだし、やめておきたいんだがな」
ルルはそう言うが、その手は既に腰の剣に伸びていた。
イリスも同様で、いつでも短剣を抜けるように構えている。
ただ、いつでも戦えるのはルルたちだけではなく、向こう側も同じのようだった。
向けてくる殺気は、先ほどの石像魔たちとは比べ物にならないくらい強く、研ぎ澄まされている。
来るなら来るがいい、と心を決めて、すわ結界を解こうとしたその時、
「きゅい……きゅいーー!!」
と、ずっと無言で地獄犬たちの戦いを見つめていたリガドラが大きな声で鳴いた。
どうしたのか、とルルとイリスがリガドラを見るが、リガドラの目は地獄犬たちに真っ直ぐ向いている。
そして、驚いたことに、リガドラを見つめているのはルルたちだけではなかった。
地獄犬たちもリガドラを見つめていたのだ。
しかも、少し考えてから、はっとしたような表情になると、殺気が徐々に消えていき、そして魔物達の一匹――最も威厳がありそうな地獄犬が踵を返すと、他の魔物達も全てがそれに従うように森へと帰っていく。
どうやら、戦うつもりはないらしい。
ほっとしたルルとイリスだが、リガドラは、
「きゅいーッ! きゅいーッ!」
と、去っていく魔物達に向けて鳴いている。
その声は、なぜか切なく、人の言葉に直すなら――どうか止まって。
そんな風に言っているように聞こえた。
しかし地獄犬たち魔物の群れは、振り返りもせずに森の奥へと消えていく。
そして最後の一匹の後ろ姿が見えなくなったとき、リガドラはぽふりと地面に降りて、すんすんと泣いていたのだった。
◆◇◆◇◆
「……一応、終わりました」
フィナル北門の外に陣を張っていた兵士たちの元に戻ったルルは、彼らと顔を合わせて開口一番、そう言った。
兵士たちは、そう言われてやっと肩の荷が下りたようにふっと体の力を抜き、倒れ込む。
どうやら余程気を張っていたようだが……。
そんなことを考えていると、小隊長がルルに言った。
「情けないところをお見せして申し訳なく存じます。いや、ルル殿とイリス殿が魔物の群れを一瞬のうちに倒したところは見えたのですが、その後、どこかに行かれてしまわれましたからな……何か異変が起こったのかと気が気ではなく、兵士たちも何か異常事態が襲ってきても大丈夫なようにと気を張っていたのです」
「なるほど……それは申し訳ないことをしました。実のところ、あの魔物の群れの背後から、もう一隊、群れがやってきていまして……」
ルルは先ほどの事情を掻い摘んで小隊長に説明する。
話を聞いた小隊長は難しそうな顔になり、
「……ふむ。群れ同士が敵対していた、と?」
「少なくとも私たちが見た限りでは。一体どんな事情からなのかは分かりかねますが……フィナル周辺の魔物にはよくあることなのでしょうか?」
「特にフィナルに特有の現象が何かあるわけではありませんが……魔物同士の縄張り争い、というのはあり得る話ですな。どこかから追われてきた魔物の集団の縄張りと、元からそこにいた魔物の縄張りが交差することによってそういうことが起こる、ということは聞いたことがあります。珍しい話ですから、それほどあるわけではないでしょうが……」
「それなら説明はつきそうですね……」
ルルは小隊長の説明に頷きながらも、何か、引っかかるものを感じていた。
縄張り争い。
それをしていたから、石像魔たちと地獄犬たちが争っていた。
それぞれの体のサイズや構成する魔物の種類が違ったのは、片方がもともと別の地域に住んでいた魔物だったから。
なるほど、何もおかしな所は無い。
合理的な結論である。
けれど、本当にそうなのだろうか、と心の中で疑問を感じるのだ。
さきほどのリガドラの反応もよく分からない。
言葉を話せないと言うのがこれほど問題だとは思ってもみなかった。
リガドラが喋れさえすれば事情を聞けるのだが。
ふとそう思ってリガドラを見つめるも、なんとなく落ち込んでいて雰囲気が沈んでいるように見える。
「きゅ……」
とぼとぼとした様子で滞空しながらため息らしきものをついているその様子は、まるきり落ち込んだ人間そのままである。
ただ、なぜ、なのか。
それが聞きたい。
しかし聞いたところで……。
難しい問題である。
「まぁ、お話は分かりました。我々はこれからルル殿のお話を国軍に持ち帰ります故、ルル殿、それにイリス殿はそのお話を冒険者組合に伝えて頂けると助かります。それと、後に領主様から詳しい話をするように求められる場合がございますので、その場合は協力していただけるとありがたいのですが……」
はっきりと領主から命令が出たら従え、とは言わないのは、ルルたちが特級に準じる実力を持っている、と知っているからだ。
特級はその実力から、国からもかなり重い扱いをされることが多く、場合によっては貴族でも無理矢理命令を聞かせることが難しい存在だからだ。
しつこく命令し、それを拒否され、甚大な被害を及ぼされては国も貴族も堪ったものではなく、それが分かってる為の扱いだ。
だからこそ、協力を、という弱い言い方なのであるが、ルルもイリスも特に拒否する理由は無い。
素直に頷いて言った。
「ええ。今回の問題はかなり根が深そうな気がなんとなくしているのです。領主様がその解決の為にご尽力していただけるのでしたら、そのための協力などお安いご用です」
そんな風に。