第169話 報告と鐘
「皆さんは……」
冒険者組合受付に近づくと、職員に不思議そうな顔で出迎えられた。
何せ、昨日の今日である。
そういう顔になるのは理解できた。
依頼の内容もある程度、期間をとっての調査依頼であり、さらにその対象はログスエラ山脈なのだ。
一日二日でどうなるというものでもないということは職員はよく知っているのだろう。
実際、依頼が終わったから来たという訳でもない。
ルルは受付の女性職員に言った。
「ログスエラ山脈麓の森に行ってきたんだが……」
「ええ、昨日、出発されましたよね。依頼完了……という訳ではなさそうですが、何かあったのですか?」
聞かれて、ルルは山でのことを説明する。
いつもなら出ない強力な魔物、それにどことなく不穏な山の気配などについて。
すると職員の女性は深刻そうな顔で頷きながら、言った。
「なるほど、お話は理解できました。そういうことであれば、山に派遣していた冒険者たちが帰ってこないのも分かります。しかし未だそう言った魔物はフィナルまでは来ていないところを考えると……危険なのはこれから、ということになりそうですね。今日まででもフィナルまで来る魔物の数は増えていたと言うのに、さらに強力な魔物がそこに加わってくるとなると……」
「だからフィナルの守りはしっかり固めてほしい、と思って報告に来たんだ。これからもこまめに報告に帰ってくると思う。依頼が達成されたかどうかについてはその全ての内容で判断してほしい」
「依頼の内容はあくまでログスエラ山脈の異変の調査、ですから……今回の報告で達成を認められると思いますが……」
「だとしても、まだ期間はあるだろう? 他に依頼があるわけでもないからな。出来る限りのことは調べておきたいと考えている」
普通なら、これで十分だと言われたら調査もやめるのだろうが、今回はそうしてしまってはフィナルがどうなるか分からないと言う部分がある。
さらに、レナード王国それ自体にも深刻な危機が発生する可能性もあり、それを見過ごす気はルルにはないのだ。
出来る限りのことはしたい、と思うのは至極当然の話だった。
職員の女性は、
「そう言って頂けるとありがたいのですが……特に報酬が増えるわけでありませんよ? 強いて言うなら、ルル様、イリス様、ゾエ様の仕事に対する信頼が増す、というくらいですが……」
そもそも報酬目当てに冒険者を始めたわけではない。
生活できるだけの金額が手に入ればそれでいいのだ。
そして、それが実現されることは分かっている以上、何の問題も無い。
三人は頷いて、依頼の続行することに同意したのだった。
◆◇◆◇◆
「……今の奴らは?」
冒険者組合を出て行ったルルたちとすれ違いで冒険者組合に入ってきた若い男が、受付に話しかけた。
粗野な雰囲気を持つ、二十代前半に見えるその男。
短髪の髪は逆立っていて、口元には皮肉下な笑みが浮かんでいるが、どことなく品があり、不思議な魅力を放っていた。
受付の女性はその男の顔を知っていたようで、決して営業スマイルではない笑みを向けて言う。
「最近フィナルにいらっしゃった冒険者の方ですよ。三人とも腕利きで、今日もログスエラ山脈の森まで行って無傷で帰ってこられたくらいです」
受付の女性のその説明に、男は驚いて目を見開く。
「何ぃ!? あんなガキどもが……人は見かけによらねぇな……」
「あの三人も貴方様にそう言われたくはないと言うと思いますが……」
何とも微妙な表情でそう言う受付の女性。
男は頭を掻きながら、
「ま……確かにな。それで、森の様子はどうだったって?」
と話を変える。
受付の女性はあまりにも軽く、何の気なしに聞かれたのでつい答えそうになるが、すんでのところで職業意識を思い出し、首を振った。
「報告の内容につきましては、部外秘ですよ。それに……ここで聞かずとも、すぐに貴方様のところまで挙げられるではありませんか」
「だからこそ、ここで聞いてもいいだろう? 別に非合法ってわけでも、俺に聞く権利がない訳でもないんだからな。少し段階を端折ってくれってだけだ。この街、フィナルを取り仕切ってるのは誰だ?」
「フロワサール家、ですね。なんでお兄様はあんなに立派な方なのに、弟君の方はこんな性格に育ってしまわれたのか不思議です……」
世を儚むような表情をしながら、女性はそう呟いた。
本来であれば不敬にもほどがある仕草だが、男がこういうやり取りを好み、また腹を立てることはないということを知っているからこその行動だった。
実際、男は笑いながら、
「兄貴は兄貴、俺は俺さ。俺に言わせれば、兄貴の方こそ家を捨てて冒険者になっちまうんだから、不思議でしょうがねぇぜ。貴族の総領は楽でいいぞ? その妻になれば贅沢三昧だしな……」
そう言ってずい、と受付の女性に顔を近づける。
しかし女性はふいと目を逸らし、
「誰にでもそういうことをおっしゃっていることは存じておりますよ。全く……」
と首を振った。
けれど男は途端、真剣な表情で囁く。
「真面目に言ってるのはお前だけだぜ? マリア。ま、考えておいてくれよ……」
そう言いながら、その場を去って行った。
男の後ろ姿を見ながら、フィナル冒険者組合職員、マリア=フラティには僅かに頬を赤くする。
いくら冗談だと分かっていても、ああいう引き際の良さ、タイミング、それに囁き方をされて何も思わないでいられるほど不感症ではない。
貴族であり、たかが冒険者組合の一職員の女に本気になるような立場の男ではないことは知っているが、それでも胸が多少ときめいたのは責められることではないだろう。
「あれで今までの慣例を崩してフィナルの統治権を陛下から直々に賜ったと言うのだから、それこそ人は見かけに寄らないわね……」
マリアは、たった今去った、フロワサール家現当主クロード=フロワサールについてそう評しながら、自分の業務に戻ったのだった。
◆◇◆◇◆
「フィナルは国王の直轄地なのか」
冒険者組合を出た後、ルルたちは街を歩いていた。
このまますぐにログスエラ山脈周辺まで戻ってもいいのだが、せっかく戻ってきたのだ。
少し街を歩き、午後になったら戻ろうかと言う話になったからだ。
その中で、ゾエがフィナルについて雑談をしてくれた。
五十年前の情報と、ソランジュから聞いた現在の情報を織り交ぜた話を。
それによると、城塞都市フィナル、と言うのは元々はログスエラ山脈から王国を守護するために築かれた都市であり、当初から国王直轄地とされていたという。
しかし、古代竜が山脈に住みついたことにより、守護の必要がなくなり、その上、交易都市として発展し始めたことにより、巨額の租税が期待される都市となり、中央から代官として派遣した役人はその懐を満たすため横領に手を汚すようになった。
本来であれば、そう言った役人の首を挿げ替えれば解決する問題のはずなのだが、組織的にやっていたのか、いくら役人を変えようとも状況は変わらず、またため込んだ金銭でもって侮れぬ発言力まで持ち始めていたため、これを危険視した国王が、ちょうどそのころ、新興貴族として一家を建てようとしていた四つの家に、フィナルを合同で治めさせることにしたのだと言う。
当然、役人からの強い反発があったが、その新興貴族たちは、当時、戦乱の時代にあって多くの功を立て、またその一家には有能なものが多く集っていたため、そういった役人たちの反抗を一つ一つ潰していった。
結果として、フィナルは完全にその四家の統治のもとに置かれ、それから数百年、ずっとその四つの家によって治められてきたのだと言う。
ただ、今では少し事情が異なるらしい。
「当時の四家はフィナルを中心に円を分割したような形で領地を賜っているんだけど、フィナルの街だけは合同統治をしてきたのよね。ただ、五年ほど前から、フィナルの統治は一つの家が独占するようになったの」
「それはなぜです?」
イリスが尋ねた。
「他の家の力が弱くなった、というのもあるのだけど、その独占している家の当主が結構なやり手らしくてね。フィナルを富ませる様々な改革を行ったの。その結果、フィナルの統治はそれまでの慣例を崩してその一家に全権が委任されることになったのだけど、当然そんなことになれば、他の三家から文句が出るわ。けれど、そうはならなかった。その一家の当主は、他の三つの家を説得してしまったの。その方法は明らかではないのだけど……とにかく、どこからも文句がつかなかったことは間違いないわ。だから、今このフィナルは、その一家――フロワサール家が治めているということになるわね」
「へぇ……ま、悪い貴族じゃなさそうだな」
ルルはフィナルの様子を眺めながらそう呟いた。
以前来たときも思ったことだが、この街は活気にあふれている。
すぐそこに魔物の巣窟があり、今も危険にさらされているというのにこれだけ市民に活気があるのは、治めている領主なりなんなりが良いからだ。
「たぶんね。会ったことがあるわけじゃないからなんとも言いようがないけど……」
ゾエがそう言ったそのとき、辺りに突然、鐘の音が響いた。
――カーン、カーン!
という大きな音である。
それがどういう意味なのかはルルたちには分からなかったが、フィナルの市民にとっては自明の事だったようだ。
そこらの道端で露店を開いていたものはすぐに敷物の上に出してあった商品をしまい込み始め、そのままどこかに走り去っていく。
また、街の通りをゆったりと歩いていた者も急いでかけてどこかに向かっているようだった。
そこここの家の扉に飛び込んでいく人々は、扉を閉め、鍵をかけて出てこない。
「なんだ? 何が……」
ルルが首を傾げていると、通りを急いで走っていた一人の老女が転ぶところを目撃したので、そちらにかけよる。
「大丈夫か?」
すると老女は、
「あぁ、すまないねぇ……いやいや、こんなこと言っている場合じゃないよ! あんたたち、私のことはいいから早くどこかの建物に籠るんだ!」
そんなことを言う。
事態が理解できていないルルたちとしては首を傾げるしかなく、そんなルルたちの様子をみた老女は説明を始めた。
「魔物が来るんだよ……これはその警報音だ。物見台から門番の兵士が鳴らしてるのさ! これが鳴ったら、すぐに頑丈な建物の中に逃げ込む決まりだ。あんたたち、フィナルのもんじゃないんだろう? こんなところで死んじゃいかん! さぁ、早く逃げるんだ!」
枯れた体型から出るとは思えないほど切羽詰まった大きな声で、ルルたちは驚く。
ただ、ルルたちは逃げる必要などまるでないのだ。
老女を見捨てるつもりもない。
それに、魔物が来たと言うなら、それに対応すべきなのは兵士や騎士を除けば、ルルたちのような冒険者であろう。
「俺達は冒険者だ。自分の身はしっかり守れる。婆さんは送ってやるから、安心してくれ……冒険者組合建物でもいいか?」
ルルがこの辺で頑丈そうな建物と言ったらそれくらいしか思い浮かばずに尋ねると、老女は頷いて言った。
「あんたたち、冒険者だったのか……あぁ、それで大丈夫だ。すまないね……」
早く逃げろと言いつつ、不安だったのだろう。
老女はルルの言葉に安心したように頷き、お礼を言った。
ルルは老女に言う。
「困ったときは助け合いだろう。それと、どっちから魔物が来てるかは分かるか?」
「あぁ、鐘は北門の方から聞こえたから……そこだろう。物見台は東西南北の門、全部にあるからね」
鐘が鳴った方角から来るという訳だ。
分かりやすいシステムである。
人々が逃げる方向がほとんど南の方だったのは、それが分かっていたからだろう。
それからルルは少し考えて言った。
「よし……じゃあ、ゾエ。この婆さんを冒険者組合まで頼めるか?」
「分かったわ。二人は北門に行くのね?」
ゾエの言葉に頷き、それから横を飛んでいる物体を見る。
「あぁ。リガドラは……」
「きゅい!」
どうする、と聞こうとしたところでなぜか頷かれた。
イリスがそれを見て呆れたような顔で言う。
「行く気満々のようですわ……戦えますの?」
「元の体ならともかく今の体じゃあな……まぁ、いいか。じゃあ、行くぞ」
いざとなればルルかイリスが守ればそれでいいのだ。
今は早く現場に辿り着く方が大事だろう。
門番の兵士たちがいればおそらくは大丈夫だろうが、もしもの時がある。
「はい」
ルルの言葉にうなずいたイリスを確認し、そのまま二人と一匹はフィナル北門の方へ走り出した。
「気を付けてね!」
ゾエの言葉が後ろから聞こえたので、二人は振り返らずに手を振って道を急ぐ。