第168話 これからの方針
――パチパチと薪が燃えていた。
赤くゆらゆらと揺れるその炎は温かく、冷たい夜気が生木の薫りと共に吹いてくる中で、落ち着きと暖をもたらしてくれる。
ログスエラ山脈の麓に森に入って、しばらく探索し続け、日が落ちた。
あれから何度か魔物と戦ったのだが、やはりどの魔物も一般的なそれよりも一回り大きく、強力であった。
なるほど、確かにあのような魔物が大挙してフィナルに押し寄せたら危険であろう。
ほんの数体であっても、中級程度の冒険者なら手こずる。
それくらいの強さのものが大半を占めていたからだ。
探索している最中、それほど強くなさそうな、いっそ矮小と言ってもいい、小さな魔物達とも行き会ったのだが、遠くにルルたちを見つけるとすぐに逃げて行ってしまうことが多く、この森の状況を掴むことは未だに出来ていない。
ただ、確かに何かこの森はおかしい、と言う点についてはこの場にいる三人と一匹は一致していた。
リガドラがそう思っているかどうかは謎だが、ぷっくりとした顔で精一杯難しそうな顔をしているので、多分間違った推測ではないだろう。
「麓の森でこんな有様なんだ。山に登ったらもっとひどいかもしれないな」
ルルがそう呟く。
答えたのはゾエだ。
「魔物が増えるのか、それともそれ以外に何かがあるのか……それは分からないけれど、あまり良くないことは間違いないでしょうね。リガドラちゃんのフィールドなんだし、もっと楽に行けるかと思ったのだけど……思った以上に手こずるかもしれないわ」
ルルとゾエの言葉に、イリスが少し考えてから言う。
「このままだと期限を超過してしまう可能性もありますわね……しかし、中途半端に調査した結果、あとで被害が発生しても問題ですわ。こうなると……一度、フィナルに戻りませんか?」
突然の提案に、ルルとゾエは首を傾げる。
基本的に、数日は森と山で過ごし、まとめて調査して戻る、という方向で考えていたのだ。
だから、一度戻る、と言うのは予定にはなかった話である。
ルルとゾエの視線を受け止め、イリスは続けた。
「依頼はログスエラ山脈の調査――厳密に言えば、ログスエラ山脈周辺の調査、ですから、一応、依頼としては今日分かったことを伝えれば不達成にはなりません。まとめて調査していると期限を超過する可能性が高いと推測される今、数日かけて調査した内容をまとめて報告、と言う形で活動するより、こまめに報告に戻った方が良いのではないかと思ったのですが……」
イリスの言いたいことは、ルルにもゾエにも理解できた。
もともと、どの程度まで調査してくる、とかそう言った点についてはルルたち任せにされている依頼である。
イリスの言うようなやり方で進めた方がいいかもしれない。
予定では、リガドラが戻るか、戻らないにしても魔物をある程度間引けばどうにかなる、くらいのつもりだったのだが、森の様子を見る限り、ことはそう簡単にいきそうがないと明らかになった今、イリスの提案は合理的なものに思える。
「そうだな……そうするか。今日のところは――こんな時間だ。野宿になるが……」
暗闇に沈んだ空に瞬く輝きを見ながら、ルルがそう言う。
イリスは頷いた。
「ええ。今から戻っても構わないのですが、肝心のフィナルの門はおそらく閉じられているでしょうし、門番の方々を無理に叩き起こすのも申し訳なく思いますので……」
ゾエが手を動かしながら、続ける。
その手には短刀が握られていて、森で狩った魔物の部位を適切な大きさに切り取っている。
「ま、それがいいわね……ところで、二人とも焼き加減はどうする?」
串に肉を通しながらぞんなことを聞いた。
夕飯である。
料理係は誰でもよかったのだが、ルルは昔からイリスにその辺は頼りきりだったため、必然的に出来るのはイリスとゾエだけだということになる。
そして相談の結果、今日の係はゾエ、ということになった。
二人でやっても良かったらしいのだが、ゾエは流石にこの世界で十年色々な地域を回っただけあって、様々な地域の料理を知っているらしい。
香草の類にも詳しく、少し森をうろついたら、どこにあったのかと尋ねたくなるくらいに様々な種類の香草やら香辛料やらを採取してきた。
それに加えて、古代においてもゾエは結婚が可能な年齢だったため、花嫁修業がてら古代魔族の料理についても相当に深く学んだらしく、イリスよりも詳しかった。
イリスは子供だったし、どちらかと言えばそのころは戦いに時間を費やしていたため、そのような暇は無かったらしい。
やっても魔王軍仕込みのものが多く、家庭料理の類は怪しいという事だった。
そのため、ゾエにそう言ったものを教えてもらいたいとも言っていた。
今日は味見がてら、というかその腕を披露してもらう事になったわけだ。
もちろん、野宿である。
材料も調理器具もほとんどないため、豪快なアウトドア料理になってしまう訳だが、それでもゾエはてきぱきと料理しているのだ。
一応、鍋と呼べるものも火にかけられている。
イリスが王都の露店で手に入れたらしい、水晶の魔導機械――“万能水晶”の形状を鍋の形にしたものだ。
いつの間にこんなものを手に入れたのかと驚いたが、その経緯を聞き、なるほど、そう言う風に現代に魔導機械が出回っていることもあるのだなと納得した。
魔導機械にも色々あり、必ずしも戦いのためのものだけではなく、むしろ生活用品の方が数多く存在していたものだ。
そう言ったものがこの世界に何食わぬ顔をしてガラクタとして出回っているのはむしろ考えられることだ。
そう言ったものは、残念ながら耐久性もそれほどではなく、したがって数千年の月日を隔てて実際に出会える可能性は少ないだろうが、それでもこうやってイリスが手に入れられているのである。
探せば見つかるかもしれない、と思うのは何も無謀な話ではなかった。
今度、露店など見かけたらよく見てみようと思ったのは当然の話である。
そうして、しばらく待っていると、ゾエが言った。
「そろそろいいんじゃないかしら……」
水晶で出来た鍋の、これまた水晶の蓋を取り外すと、ふわりとした湯気と共に、食欲を刺激する匂いが辺りに広がった。
嗅覚の鋭い魔物ならこれだけで寄って来そうな気がしてならないが、香草の類の力だろうか。
周囲に魔物の気配はなかった。
人にはいい匂いでも、魔物には嫌な匂いなのかもしれない。
ただ、リガドラは特にいやそうではなく、しっぽを振って鍋を見つめている。
リガドラにとっては、その鍋はごちそうらしい。
火の周りに刺さっている魔物の肉の串刺しも楽しみにしているようで、涎が垂れているのはご愛嬌だろうか。
「私特製の水炊き……ってほどでもないけど、あんまり他じゃ、食べられないと思うわ。現代ではあんまり使わない食材が入っているし、色々な地域で得たアイデアが詰まってるからね」
実際、その匂いはルルとイリスにとっては非常に懐かしいものだった。
昔は、よく食べていた。
現代でもイリスが再現しようと努力していたが、どうにも今一違う、というところまで行って諦めてしまっていたものだ。
しかしその理由が分かった。
材料が違っていたわけだ。
イリスは、どこか先入観を持っていたと言うか、なぜか現代で流通しているもので作ろうとしていたのだ。
材料を一つ一つ説明されて、やっとそれが分かった。
いくつかは現代においては毒であるとされているものもあるが、適切な処理をすれば食べれるということである。
人族には毒で魔族には問題ない、と言う可能性も考え、尋ねてみたが、その点についてはゾエが既に確認しているので大丈夫だという。
どうやって確認したのか尋ねたいところだが、動物に食べさせるなどしたのだろう。
まさかソランジュを毒見に使ったりはしていないだろう。
「女二人で暮らしていると、たまに不埒者がやってきたりしたからね。家に招いて、美味しい水炊きをごちそうしたりしたわよ。お腹下して逃げ帰ったりした人も少なくなかったけどね」
そう微笑んで、ゾエはウインクしてルルとイリスを見た。
ソランジュと暮らしていた時期のことを言っているのだろう。
確かに、ぱっと見にゾエは強そうには見えない華奢な女性だし、ソランジュも今でこそ恐ろしげな迫力を持つ老婆だが、五十年前となると扱いやすい少女に見えたはずだ。
そんな者が森の奥に二人暮らし、となれば不届き者がいくらやってきてもおかしくない。
毒見に使うのは感心はしないが――自業自得と言ってしまえばそれで終わりだろう。
「私も死ぬようなものは出さなかったしね。せいぜい、少しお腹壊したり、めまいがするくらいのものだったわよ。死んだ人は一人もいないわ」
それくらいの慈悲は、流石のゾエにもあったらしい。
そこまで聞いて、ルルとイリスは安心して鍋に手を付けたのだった。
味は非常に美味しく、目頭が熱くなるような味であった。
大げさな二人の反応にゾエは慌てていたが、気持ちは分かるのだろう。
「これからはいつでも作ってあげるし……イリスちゃんにも教えるから。美味しいと言われるのは嬉しいものだけど、そこまで感動されると困惑してしまうわね……」
と何とも言えない顔で言っていた。
◆◇◆◇◆
次の朝、ルルたちはフィナルの街に戻ることにした。
まだ山には登っていないため、報告内容としては不十分なものになってしまうが、今後のことの相談もしたいところだったので、そこは諦めるしかないだろう。
夜の間は三人で交代で番をしたが、三人とも寝ようと思えば眠れるが、そもそも大した睡眠時間を必要としない体を持っている。
それに加えて軍で、一週間眠らずに活動したこともザラだったくらいだ。
ルルは魔王としての書類仕事ではあるが、ゾエとイリスはその状態で人族と戦い続けていたくらいなので、たった一日くらいは余裕である。
したがって、何の危険もなく一夜を過ごすことが出来た。
朝の早い時間にフィナルに戻ってきた三人にフィナルの門番は不思議そうな顔をしていた。
一般的に、日を跨ぐような依頼を受けた冒険者と言うのは昼ごろまで戻ってこないことが多く、またそうでない冒険者が何らかの事情で朝まで帰ってこれずに、やっと帰ってこれた、という場合は大体が疲労困憊の状態にあるものだからだ。
しかしルルたちは三人とも元気であって、こんな時間に戻ってくる冒険者としては珍しいらしい。
ただ、一応、フィナルを守る兵士にも伝えておいた方がいいだろうと世間話がてら森の様子を伝えると、驚かれた。
「五メートルを超える石像魔に独眼牛? 本当か? それは……」
ルルたちはあれがログスエラ山脈周辺で出てくる魔物のレベルだと思っていたので、その反応に首を傾げた。
すると、兵士は説明してくれる。
「いや、山の方はともかく、麓の森でそこまでの大物は中々見ないな。もちろん、最近は森に入ることも出来てないから分からないが……少なくとも以前はそうじゃなかった。その話が本当なら――相当危険だぞ」
と。
それから、
「そういう魔物に出会ったのは、一度だけか? それとも何度も……?」
と尋ねてくるので、ルルは言った。
「何度も、だな。特別に強力な魔物だったという印象は感じなかった。むしろ、あの森にはあれくらいの強力な魔物が出てくるのがいつものことなのだと思ったんだが……その顔じゃ、そうじゃないんだろうな……」
応対に当たっていた兵士の顔は非常に深刻そうで、ルルたちの話を背後の方で聞いていた他の兵士たちも似たような顔をしていた。
ルルは続ける。
「細かい報告はこれから冒険者組合の方にしてくるから、国を通じてフィナルの国軍にも伝えられるだろう。……ただ、そう言う訳だから、十分に注意してくれ」
そう伝える。
ログスエラ山脈由来の魔物がフィナルに来たとき、矢面に立つのは、この門番として詰めている兵士たちなのだ。
だからこそ、彼らに伝える必要は特になかったのだが、伝えたのである。
彼らはルルに頷き、それから相談を始めた。
おそらく、門番に当たる兵士を増やすつもりなのだろう。
今の状態でも十分に多いのだが、ルルの見たような魔物が相手だとすると少ないかもしれないと考えての事だ。
ルルたちはそれを確認し、それからフィナルの中に入って行く。
向かう場所は、当然、冒険者組合である。
まずは見て来たものについて報告をし、それから再度、山に入って行くつもりであることを説明するためであることは言うまでもないことだった。