第165話 ゾエのランク
「見えてきましたわ!」
イリスが幌から顔を出しながら、そう叫んだのは馬車が走り出して二日目の朝だった。
双頭竜にもっと急がせれば一日でついただろうが、特に急ぐ旅でもない。
二週間以内に仕事を終わらせて戻ればいいわけで、まだ一週間は余裕がある。
戻るのに三日かかると仮定しても、四日間は調査期間があるわけで、それはルルたちにとっては余裕のある日程に他ならなかった。
他の冒険者であれば、魔物に遭遇することや、体力・魔力の配分の問題もあり、調査だけに一週間は欲しいところだろうが、ルルたちはどちらにも有り余る余裕があり、街にいちいち戻る必要もなく、睡眠時間すらかなり短く済むからである。
「フィナルか……前に王都に向かう途中に通って以来だな」
ルルがイリスの言葉にそう答えた。
「私は五十年ぶりよ……外壁の感じは変わってないわね。中は……どうかしら?」
ゾエがそう継ぐ。
もともと、フィナルの外壁は街を覆うように作られてるが、それはログスエラ山脈の魔物達の襲撃から街を、ひいては国を守るための防壁であり、その歴史はレナード王国の建国の時期からほどなくしてから始まる。
相当に古く、五十年程度では済まない。
もちろん、何百年と言う歴史の中で、街の拡大と連動して幾度となく修復や増改築がなされてきたのだが、全体から受ける印象は五十年程度では変わらないものらしい。
フィナルの正門に近づくと、以前と同じように兵士が数人立っていて、次々と訪れる人々をチェックしているのが見えた。
長い列が出来ているので、ルルたちもその後ろの馬車を付ける。
徒歩と馬車とでは列がしっかり分けられているようで、どちらかと言えば馬車の列の方が進みが早いのは、商人など、迅速な受付が必要な性質の者が多いからかもしれない。
馬車の列を捌いている兵士たちは人数も多く、てきぱきと働いているのが見えるが、徒歩の列の方を捌いている兵士たちには不慣れな様子の者が多く、またトラブルも頻発している様が目に入った。
「俺達も止められたりしないか?」
馬車を牽いている双頭竜が列に並んでいる人々から相当に注目を集めていることを認識しつつ、ルルがそうイリスとゾエに尋ねる。
イリスは、
「以前は一般的な馬車で通りましたから、何の問題もありませんでしたけれど……今回はどうでしょうね?」
と首を傾げる。
ゾエは、
「……そう言えば、私の身分証って使えるのかしら? 一応……五十年前のものをいくつか持ってきたのだけど……」
そう言って、懐から数枚のカードを出してルルたちに見せてきた。
色々な種類の証と思しきカードを見せてもらうが、ルルたちにはよく分からない者が多い。
市民証と冒険者証だけは分かるが、他のものは全て初めて目にするものだ。
ちなみに、市民証は国から支給される証書で、納税するときに必要になるものだが、冒険者証を持つ者には必要がないとされる。
ゾエは、冒険者じゃなかった時期に使っていたか、冒険者であることを村で隠したかったのどちらかの理由でもっていたのだろうと思われた。
「こっちは使えるんじゃないか? 色は違うが……俺達のものと概要はかわっていないぞ」
そう言って、ルルはゾエの白金色の冒険者証を指さした。
ルルたちの冒険者証は初級――つまりは、赤銅色のものだが、ゾエのものは明らかにそれよりも上のものだろう。
上級から、金、銀、銅、の色分けをされている冒険者証。
金の上は、白金であり、それはつまり、
「――ゾエ、お前、特級だったのか?」
ルルがそう尋ねると、ゾエは少し引きつった顔をしている。
カードを持ってきたはいいが、細かいところはあまり確認してこなかったらしい。
その色の冒険者証の意味を、彼女も知らなかかったわけではないようだ。
「なった覚えはないんだけど……押し付けられたのよね。私としては、どんな依頼でも制限なく受けられるようになるし、特定の場合を除いて義務もほとんどなくなるから、って言うからもらったのだけど。でも……さすがに今は使えないわよね。五十年、何もしなかったんだから、登録から何から全て取り消されていても不思議じゃないわ」
そう言って冒険者証を手に取り、しみじみと眺める。
ルルはさらに聞く。
「ちなみにだが、特級下位か? それとも上位?」
「えーと……ここには、特級上位、と書いてあるわね。へぇ……そうなんだ。全く。随分、評価されたものね……」
と、どうでも良さそうに頷く。
今の今までそのランクだったといいうことを本当に知らなかったらしい。
子育てに心血を注いでいたからか、五十年前登録したにも関わらず、ギルドランクにはあまり関心が無かったようだ。
ただ、だからと言って、そのランクの意味を知らないわけでもないらしい。
ため息を吐いて、確認するように呟いた。
「まさか私がこんなものになっているとは思ってもいなかったけど、特級上位と言えば、一応、冒険者組合の枠組みの中では最高位よね……これを今の冒険者組合に出したら騙りとか言われそうで怖いわ」
「確かに……その危険はありそうですわね」
イリスが頷いて言う。
「だが、身分証はそれくらいしかないんだろう? 他の奴もあるだろうが、全部結局五十年以上前のものしかないんだから……何を出したって同じじゃないか?」
「そう言われると身も蓋もないような気がするんだけど……ま、ダメと言われたらそのとき考えればいいかしら? 一応、偽造が難しいらしいのは今も変わってないわね?」
「あぁ、変わっていないぞ」
「昔からそうなのですね」
確認するようにゾエが言ったので、ルルとイリスはそう言って頷いた。
以前、冒険者組合の職員であるアリンに渡された羊皮紙に書かれていた記憶がある。
古族の技術により制作されたものであるから、おいそれと複製することは出来ないのだ、とか。
絶対障壁の件があるので、本当に誰にも複製できない、とは今のルルたちには思えないが、それでも現代において複製が相当難しい品であることは間違いない。
そうであるということは、信用性が高いと言うことであり、たとえ五十年前のものでも問題なく使える可能性が高かった。
兵士が特級であることをわざわざ騒ぎ立てるとも考えにくい。
フィナルの領主に連絡が行く、くらいのことはあるかもしれないが、ことさらに言い触らされる可能性は考えなくてもいいだろう。
「じゃ、とりあえず試してみることにするわ……なんかあったら、フォローしてね」
ゾエはそう言って片目を瞑る。
ひと悶着あったら、ものがものだけにフォローどころではないような気がするが、ゾエにはかなりの余裕があった。
やはり、五十年前とは言え、現代で生きてきた経験が、この程度の危険など大したものではない、と感じさせているのかもしれない。
経験だけで言うのなら、ルルとイリスも多くの修羅場を通ってきたと言えるが、戦時中のそれとは性質の違う緊張を強いられるこういう場に二人は慣れておらず、それでも余裕を失わないゾエにどことなく、頼りになると感じたのだった。
◆◇◆◇◆
蓋を開けてみれば正門でのチェックは簡単に通った。
「お名前と御身分、それとそれを証明する書類は何かお持ちですか?」
そう聞かれて、ルルとイリスは即座に冒険者証を出し、それで終わった。
そしてゾエも、
「これでいいかしら?」
と堂々と白金色の冒険者証を出す。
兵士はそれを見て、
「……? っ!?」
と、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、しかし、受け取った後、他の並んでいる者に見えないように素早く必要事項を確認すると、即座に返却して、
「……確かに。問題ありません。ようこそ、フィナルへ!」
と言って終わった。
五十年前のものだったのだが、現在でもしっかり有効らしい。
冒険者組合に持って行って魔法具に通したときまで有効かどうかは分からないが、とにかく街に入るときは十分に機能するようだった。
双頭竜、という大物が"馬"として馬車を牽いていることについても、ゾエの冒険者証を見た後は何の違和感も無いようで、その前まで向けられていた、あからさまに怪しいものを見るようなじろじろとした視線は霧散してしまったくらいだ。
ただし、最後に兵士が、
「領主様の方からご連絡される場合がございますので、一応、宿などお決まりになりましたら、フィナル兵士詰所にお知らせください」
と付け加えられた。
ただ、それも絶対、という感じではなく、よければ、という好意に頼った内容だったので問題ないだろう。
特級冒険者の権威、というものを改めて知ったような気分だった。
ルルたちも、ゾエを含めて特級、特に特級上位冒険者と言うのは片手で足りる数しか知らない。
何万人と冒険者がいる中、数がそれだけ少ないのにはやはり、理由があるのだと納得せざるを得ない。
「意外と役に立ったわね……くれた子に感謝したいところだわ」
ゾエが冒険者証をひらひらとさせながらそう言うので、ルルは、
「誰にもらったんだ?」
と尋ねる。
特級の冒険者証だ。
そう簡単に渡すことの出来る者ではないだろう、と思っての事だった。
「当時、南の方の街で冒険者組合長をしてた子にもらったのよ。何かの依頼を受けたときに、随分感謝されて……結構難しいと言うか、誰も引き受けずに長い間放置されていた依頼だったから、私が受けたのだけど、それを片付けたことで目をかけられてね。その後、いくつか似たような依頼をこなしたら、くれたの。ただ、流石に目立ちすぎたかなって言うのと、十分にお金が貯まったって言うのもあって、これをもらったはいいけど、実際に使ったことが無かったのよね。で、もらったっきり、小屋のどこかに放り投げてて。ちなみに、もらうまでは、中級上位くらいのランクだったはずだから……まさかそんなに一気にランク上げてくれてたとは思わなかったわ。有難迷惑と言うか……」
しかし、そうは言ってもその冒険者証の信頼性は恐ろしく高い。
王都でのグランやユーミス、ウヴェズドやシュイたちの信頼のされ方を見れば分かることだ。
問題は、ゾエの顔を特級冒険者であると認識しているものなどこの時代に一人もいないということだが、ルルたちにとってそれはむしろプラスに働くだろう。
ことさらに顔を売りたいわけではないし、身分自体は冒険者証があればそれで信用してもらえることが分かっている。
実力についても、特級冒険者と張り合えるくらいのものがあることは、少なくともルルとイリスについてははっきりしているし、ゾエの実力は見たことがまだないが、少なくともかつて魔王軍で竜騎士だったのだから、弱いという事はありえない。
だから、ルルはゾエに言う。
「ま、あんまり見せびらかしてると面倒が寄って来そうだが、そうしない限りは役に立つものだろう。宿に馬車を置いたら、早速、フィナルの冒険者組合に確認に行ってみないか? 使えないと言われたら、それはそれでいいしな」
そう言って、ルルはリガドラに馬車を進めさせた。
宿は、正門の兵士にお勧めのものを聞いており、大きな馬車や、竜の世話などが可能なそれなりのところを紹介してもらった。
値段は張りそうだが、ルルたちには闘技大会で稼いだ賞金がある。
冒険者組合でラスティたちやガヤたちとこなした依頼の報酬もあることにはあるが、足りないとは言わないまでも、長く泊まることは出来ないような額だ。
さっさとランクを上げて、宿代くらいは稼げるようになるべきなのだが、だからと言ってあまり極端に目立つ行動もしたくはない。
闘技大会はお祭りだから参加したようなものであって、仕事場である冒険者組合で目立とうとは思っていないのだ。
堅実にこつこつと、をモットーにやっていこうと思っているくらいである。
それを聞いたゾエが、呆れたように、
「……分不相応な目標って、そういうことを言うのよ……」
と言ったのは言うまでも無いことだった。
◆◇◆◇◆
「白金証! へぇ、お姉さん、そんなにお若いのに特級なんですねぇ。でもあんまり聞いたことのないお名前……もしかして、遠出ですか?」
冒険者組合でゾエが冒険者証を出してみれば、職員の男性にそう言われた。
男性からしてみればただの世間話なのだろうが、お若いですね、と言われた手前、五十年前に登録したので、とも言いにくい。
適当に流して、冒険者証が使えるかどうかを尋ねることにした。