第163話 親子
そのままソランジュとリーヴは屋敷に戻り、詳しいことをその帰路で伝えて、リーヴは自分の早とちりとそれに基づく行動について赤面し、屋敷に戻った後、ソランジュがもういいよ、と辟易するくらいに謝ってくれた。
ソランジュとしては、リーヴの行動は確かにかなり問題があったとは思ったが、しかしその理由が実の父の命に係わる問題だったのだから、早とちりだったとは言え、その気持ちは理解できる。
そう何度もあることではないし、今後はしっかりと状況を確認してから動くようにと叱るようなことを言って終わりにした。
これは、戦いにおいても同じで、状況をしっかりと確認できないようでは危険だ、という師匠っぽい話もしたが、まぁ、半分は話を終わらせるついでのようなものだった。
それから数日後、ガスパールが帰宅したので、ソランジュはリーヴと共に彼を出迎えた。
約束の期日は過ぎていたが、家令が、
「どうか、お館様がお帰りになるまではいて頂けますよう……」
と深く頭を下げて言うものだから、それほど忙しくは無かったソランジュは頷いて承諾した。
帰って来たガスパールは帰宅が遅れたことをソランジュに詫びたが、別に彼の責任で遅れた訳ではない。
ちょうど数日休暇を貰えたようなものだと笑い、それで謝罪は不要と言う事にした。
それから、ガスパールの帰宅が遅れた結果、リーヴがどういう反応をしたのかについての報告に移った。
その場にはリーヴもいて、語られるにつれどんどん赤面していったのだが、その場を去るような様子は無かった。
話は応接間で行ったのだが、リーヴがそこにいることを強制しているわけでもない。
聞きがたいなら去っても構わなかったのだが、リーヴはそこを去らなかった。
そして、ソランジュが最後まで語り終えると、ガスパールは感慨深い様子で頷いて。
「精霊の星、と言う存在については初めて耳にしましたが、まさか我が子がそのようなものだとは。しかし確かに言われてみると、水場では妙にリーヴは調子が良かったりしたような記憶がありますな……」
そう言った。
それもこれも精霊の力がある程度働いていたのだろう。
精霊の力は、低級のそれでも身体能力や魔力に補正をかける加護となる。
その存在を意識できるほどの加護は、よほど強大な精霊でないとかけられないが、調子がよくなる、とか、その程度のものは低級の精霊でもかけられるというわけだ。
ガスパールは続ける。
「それにしても、リーヴ。お前がそんなに私のことを心配してくれるなど、考えてもみなかったぞ。いや、心配をかけて悪かった……」
実の息子に頭を下げたガスパール。
それを見て、リーヴは目を見開き、それから慌てたように言う。
「いえ、い、良いのです、父上! そんな、頭など下げられるようなことでは……俺は、ただ父上にもしものことがあったらと、必死で……」
慌てすぎているのか、それとももはや、確執染みたことは気にしないことにしたのか。
正直に自分の思いを語るリーヴ。
その口調も、最初の頃の不貞腐れたものではなく、丁寧な言葉遣いだ。
もともと、彼は父親にこのように話しかけていたのだろう。
それに対してガスパールは、
「私は……以前、お前が夢を語った時に、否定してしまったからな。以来、ずっと嫌われてるものだと思っていたが……そうではなかったのだな?」
「父上……もちろんです。それは、ただ私が子供だっただけで……父上は何一つ、間違ったことはおっしゃっておられません……」
俯いて、申し訳なさそうにリーヴはそう言った。
「ならば、良かった……リーヴ。私はな。正直、お前が冒険者になりたい、と言った時、色々と言ったが……本心では嬉しく思っていたのだ」
「え?」
突然の言葉に、リーヴは困惑したような表情でぱっと父親を見た。
ガスパールは続ける。
「お前も知っておるだろう。私はかつて、冒険者として世界を渡り歩いていた時期がある。私の父――お前から見れば祖父に、頼み込んでな。いずれ爵位は継ぐから、数年は見分を広めさせてくれと。約束の月日は十年だったが、その前に父は亡くなり……私は貴族として、立つこととなった。冒険者に未練があったのは間違いなかったが……私は父のことも好きだったからな。父の残したものを、次代に残したいとも思ったのだ。だから、冒険者をやめ……そして今はこうして男爵をやっている。そんな私からすればな、お前の気持ちは痛いほど分かるのだ。冒険者になりたい、広い世界を見てみたい、強くなりたい……だからな、リーヴ。お前は、冒険者になっても構わないぞ」
最後に加えられた一言に、リーヴは驚いたらしい。
「な、何をおっしゃいます! 父上。俺は……長男です。爵位を継ぐ責任があると、いつもおっしゃっておられたではありませんか……」
その声に力が宿っていないのは、夢を捨てきれないからだろう。
しかも、冒険者になっていいと直接言われたのだ。
うんと言えば、それで道は開けてしまう。
しかしそのかわりに、父の跡は誰が継ぐのかと言う問題も出てきてしまう。
冒険者と貴族の二足の草鞋を履く、というのもありえないことではないが、しかし、フロワサール家の領地は広大であり、両立はそこらの貴族とは違って不可能に近いということも、長年父の働きぶりを見てきたリーヴには分かっていた。
しかしガスパールは
「なに、気にするな……確かに誰かに後は継いでもらわなければなるまいが……私とイザベル――お前の母との仲睦まじさは知っているだろう? 子供などすぐに出来るぞ」
そう言って笑う。
壮絶なのろけ話以外の何物でもなく、ソランジュは微妙な顔をしたが、リーヴにしてみれば突然目の前に垂らされた救いの糸のようなものだっただろう。
少し考えてから、確認するようにリーヴは呟く。
「本当に、よろしいのですか……? 俺が冒険者になっても……?」
「構わん、と言っている。別に追い出そうという訳ではないからな? この家を出ても、好きな時に戻ってくると言い。歓迎するぞ……とは言っても、まだ数年、時間はあるだろうが……それまでに準備を整えておけばいい。ソランジュ殿と知己も得たことだ。依頼、ということで、冒険者に必要な技能について、魔術以外にもたまに教わるとよいだろう。ソランジュ殿、勝手に決めてしまったが、どうだろうか。受けて頂けないだろうか?」
「私としては全く構いませんが……リーヴはそれでいいのかい?」
そう彼に顔を向けて聞くと、リーヴは頷いた。
それを見てガスパールは、
「よし、決まったな。では、我が息子の門出を祝って今日の晩餐は盛大なものにするとしよう」
そう言って、家令に色々と言づける。
家令は急いで館の台所に走ったようで、フロワサール家の料理頭はこれからかなり苦労して晩餐を作ることになるだろう。
ソランジュは自分もいていいものか、それともここから去るべきか迷ったが、ガスパールが散々悩んだ挙句、帰ろうとするソランジュを慌てて止めたため、いてもいいらしい。
ソランジュはガスパールにお礼を言って、ご相伴に預かることになった。
その後、リーヴは数年経ち、実際に冒険者になった。
結局貴族としての地位は捨て、家を出たため、名前を変えることになったが、貴族としての名字を捨て、新たに自ら名乗っただけなので、あまり名前は変わらなかった。
◆◇◆◇◆
話を全て聞いたゾエは、頷いて微笑んだ。
「ソランジュは……私の知らない長い年月を生きてきたのね。私よりもずっと立派になって……」
「母さまは今でも私にとって偉大な方ですが、私も私なりに頑張って生きてきた、ということですよ」
とソランジュも笑う。
それからゾエは尋ねた。
気になったところがあったらしい。
「そう言えば、その、リーヴ、くん? は今はどうしているの?」
「彼は今も冒険者をやっておりますよ。名前も変わりましたが、まぁ、苗字を変えたくらいですから、知っている者は知っているでしょうね。彼の元の身分も」
「へぇ……しかし精霊の星かぁ。珍しいわね。水の精霊の星だから、水星ね」
とゾエは言った。
ソランジュは頷いて、
「ええ。彼にもその名前を伝えたら、大層気に入りまして。家を離れるとき、それを新た名前とし、今までの名を苗字とすると言い出しました。ですから、今は……その名を名乗っておりますな」
「ってことは、シュイ・リーヴ?」
「いいえ、リーヴはあだ名です。彼の本名は、レリーヴ=フロワサールですから……シュイ・レリーヴ、ということになりますな。今や彼は特級冒険者。私など足元にも寄れぬ、実力者ですよ」
「そうなのね……」
頷きながら、ふと、ゾエは思いついたかのようにソランジュに尋ねる。
「そう言えば、ソランジュ。貴女は上級冒険者だったって言うけど……それ、本当? 貴女の力は、衰えたと言うけれど今でも……」
その質問にソランジュは何を言いたいのかを理解し、茶目っ気溢れる笑顔で答えた。
「本当ですよ。冒険者、というのは依頼をこなさなければランクは上がりません。特級にまでなれば様々な催しものに呼ばれたり、面倒なことも多いのですよ。ま……ですから、そういうことですな」
と。
ゾエはその答えに呆れたような顔をしたが、ことを自分に置き換えてみれば、おそらくはソランジュと同じことをしただろうと思ったのだろう。
納得したように頷いた。
それから、ソランジュは話を戻して言う。
「そんな私の弟子、リーヴとその父との確執はつまるところ、意地の張り合いのようなものでした。思っていることがあるのに、うまく伝えられない。遠慮しあって、言えない。そういうことですな。母さま……私は今でも、貴女の娘のつもりです。ただ、かつてと違うのは……貴女がいなくなったとしても、永遠に会えなくなるわけでも、生活が立ち行かなくなるわけでもない、という事を知っていることです。母さま……貴女は、あの二人についていきたいのでしょう?」
そんな風に。
ゾエは、大体話の進みからしてそう言われるのを予想していたようだ。
特に驚かずに、ふっと笑い、
「……そうね。けれど、それと同じように、貴女ともいたいのよ。どちらも、嘘じゃない……」
「そう言って頂けるのは嬉しいですが……これは婆の戯言と思って頂いても良いのですが、ルルとイリス……あの二人は、おそらく今後、様々な困難に直面しますぞ」
「……貴女、ソランジュ。占いまでするの?」
茶化すようにゾエは言うが、ソランジュは真面目な表情だ。
「そんな大層なものではありませんがな。様々な者をこの年まで見てきました。彼らには、災難の相が見えます。別に占いなどしておらずとも、この年まで生きれば、そういうものは分かるものです。それに……こう言っては失礼かもしれませんが、あの二人には多少、常識に精通している者が必要なのではありませんか?」
「常識」
ソランジュの言葉に、ゾエはつい吹き出してしまう。
確かに、あの二人は現代にあって、未だにどこか常識外れと言うか、昔の雰囲気が抜けきっていない。
それに加えて、おそらくかなりの田舎にしばらくいたのだろう。
おのぼりさんのような雰囲気すら感じられるのだ。
ソランジュの言葉は、そう言う意味で、的を射ている。
「確かに……それは、そうね……ふふ。けれど、私もあんまり変わらないような気がするんだけど」
ゾエとて、現代で生きたのは十年ほどでしかないのだ。
しかも、数十年前の常識しかもたない。
しかしそれでも、ルルたち二人よりはよほど社会に精通しているだろうと、自分でも確信できるあたり、あの二人の浮世離れ具合が分かる。
「母さまのおっしゃりたいことも分かりますが……母さまも分かっておられるでしょう。私は、もう一人でも大丈夫です。たまに、お暇なときに尋ねてきてくだされば、それだけで十分です。しかし、あの二人には手助けがいります。ですから……」
「……ソランジュ。全く、私はいい娘を持ったものね……。それに、どっちがあの方に忠義を誓っているかこれでは分からないわ。その意味でも、私は貴女に感謝したい……ソランジュ、こっちへ来て」
そう言って、ゾエは立ち上がり、手を開いた。
ソランジュはゾエが何をしようとしているのか分かって、少し気恥ずかしさを覚える。
しかし、もう年も年だ。
詰まらない意地を張るような、意味のないプライドは持っていない。
ソランジュはゾエの方へと行き、そしてゾエはそんなソランジュを強く抱きしめて、言った。
「……ソランジュ。ありがとう。私……あの方のところに、行くわ」
「そう、ですか……寂しくなりますが、あの二人と、母さまのお話がここまで届くのを楽しみにしておりますよ」
「目立とう、なんて思ってもいなくても、あの二人なら、きっとすぐに聞こえてくるでしょうね……」
微妙な表情で頷いたゾエ。
そしてソランジュはそれから、茶化すように、
「しかし、こうやって抱きあっていると、なんだか嫁に行く娘を惜しむ祖母のような気持ちになってきますな」
と言った。
確かに客観的にはそんな風に見える。
鏡に映る、若い娘と、小さなお婆さんの抱擁は、そのようにしか思えない。
しかし、現実には、これは親子の別れの抱擁だった。
「ソランジュ、元気で」
「お母さまも……」
そう言って再度、力を腕に入れた二人。
その瞳には、輝く水滴が幾筋も流れていた。