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第162話 才能の欠片

 すぐに追いつくと思っていたのに、実際にリーヴに追いつくには結構な時間がかかった。

 それというのもリーヴが乗って行った旅兎ヴィアジャル・コエッリオの足の速さが尋常ではなかったからだ。

 後で聞けばコンテストに入賞するほどの"馬"であり、その足は地竜エダフォス・サヴラの血統の良いものに匹敵するのだという。

 通りで追いつけないわけだと納得したが、この時のソランジュは当然の如く焦った。


「なんで追いつけないんだい! 兎の癖に!」


 実際のところ、兎系の"馬"は"馬"の中でも足の速さで言うなら上から数えた方が早いもので、この罵倒が客観的に見て間違っていることはこの時点のソランジュも認識していたのだが、ふわふわの毛並みと可愛らしい長耳を遠目に見ていると、その容姿と似合わない速度にイライラとして来てついそんな風に思ってしまう。


 距離は遠ざかってはいない。

 それどころか、見える程度の距離にいる。

 けれどもそれが縮まりもしないのだ。

 このままでは崖の崩落地点まで追いつけないかもしれない。

 そうなってしまえば、非常に危険だ。


 辺りは晴れていたが、今日の朝まで降っていた大雨の影響で地面はぬかるんでいる。

 土や山肌には当然、その雨が染み込んでおり、どこであっても崩落の危険が普段より遥かに高い。

 今はまだ、平地を走っているが、すぐに山道になる。


 そんなことを考えているうちに、山が見えてきた。

 あの山はそれほど高さもなく、比較的なだらかなものだが、それでも大雨の直後となると危険だ。

 そしてまさにあの山でがけ崩れが起こったと言う話なのだから、余計に。


 ソランジュはダメもとで叫んでみる。


「あんた! リーヴ! 止まるんだ!!」


 しかし、やはり、と言うべきか。

 聞こえていないのか、何の返事も帰ってこない。

 父が心配なのだろう

 はっきり言って、その心配は全てを聞いたソランジュからしてみれば見当はずれにもほどがあるのだが、リーヴからすれば一刻も争う事態なのだ。


 これは追いつくしかないと、ソランジュは地竜エダフォス・サヴラに急がせる。

 あまり無理をさせると潰れかねないが、今は一刻を争う。

 幸い、地竜エダフォス・サヴラは聞き分けが良く、また賢い個体のようだった。

 もうほとんど限界に近いだろうに、その力を振り絞ってさらに速度を上げてくれた。


「……悪いね。あとで何かいいものでも食べさせてやろう!」


 徐々に縮まっていく距離にその地竜エダフォス・サヴラの献身を感じ取ったソランジュは、そう言って走る地竜エダフォス・サヴラの背中を撫でた。


 ◆◇◆◇◆


 しかし、それでも追い付くには相当の時間がかかった。

 山道に入り、道が入り組み始めて直線に強い地竜エダフォス・サヴラと山道を得意とする旅兎ヴィアジャル・コエッリオの足に違いが出てしまった。

 ただ、それでも距離は徐々に縮まっていった。

 それはソランジュが乗っていた地竜エダフォス・サヴラの努力のお陰である。


 追いついたその場所は、崖が崩れた場所。

 崖下に淀んだ水が大量に流れているところだった。


「リーヴ! なぜこんなことを!」


 ソランジュが地竜エダフォス・サヴラを降りてそう話しかけるが、リーヴは崖の崩れた場所に近づいて、


「父上! 父上!!」


 と叫んでいる。

 ここが崩れた、という話を館で聞いたからだろう。

 そして実際に崩れている。

 この下に父親がいると、そう思ったのだと思われた。

 しかしそれは間違いだ。

 叫び続けるリーヴの肩を引っ掴み、ソランジュは自分の方を向かせると叫んだ。


「リーヴ!!」


 しかし、リーヴはそんなソランジュを振り切って、崖の岩に取りついてやはり叫ぶのだ。


「父上! いま、いまお助けします!!」


 そしてあろうことか、魔術を放とうとし始めた。

 魔力の集約はかなり大きなものだ。

 実際に、ガスパールが下にいたら死ぬだろう、と思ってしまうようなほどの規模。

 魔術を使うのに重要なものの一つに冷静な判断力、というものがあるが、今のリーヴからそれが失われているのは明らかだった。

 ソランジュはそれを見て仕方がないと覚悟を決め、再度リーヴの肩を引っ掴み、そして思い切りその頬を張った。


 ぱちん、と大きな音が山の中に響き、そして呆然とした顔のリーヴがソランジュの顔を見つめた。


「……ソランジュ……」


 まるでその表情はソランジュの存在に今気づいた、とでも言いたげだ。

 いや、実際に今気づいたのだろう。

 父親がいるかもしれない崩れた崖、それ以外に彼の意識はどこにも割かれていなかったのだ。

 けれど、今はソランジュを見つめられる程度には我に帰ったらしい。

 これ幸いとソランジュは安心し、一言一言、ゆっくりと区切ってリーヴに言った。


「リーヴ……焦りすぎだ。あんたの父親は、その下にはいない」


「……えっ?」


「途中までしか聞かないで出ていくからそんなことになるんだ。いいかい。あんたの父親は、今、無事であの崖の向こうから続く道の先にある村の村長の館でのんびりしているよ。そういう連絡が、館に入ったんだ。それをあんたは……」


 そこまで聞いて、リーヴにも事態がやっと理解できたらしい。

 あからさまにほっとした表情で、


「……そうか……そうだったのか……」


 とへなへなと腰砕けになった。

 どうやら理解できたらしい。

 ソランジュもそこで安心する。

 そして続けた。


「分かったかい? ま、それはいいさ。後でいくらでも話せるからね。とりあえずあんたの父親は無事、それが分かったら……魔術を解くんだ。その魔術を放ったらこの辺は崩落するからね。危険だ」


 未だリーヴの魔術は解かれていない。

 強い感情に流されるまま、構成した魔力は徐々にはちきれんばかりに巨大化してきている。

 これをまず、鎮めなければ落ち着いて話も出来ないと言うのが正直なところだ。

 ただ、ある程度リーヴに落ち着いてもらわなければ、この魔術の解除も出来なかったから、核心を語った。

 これからはまず、リーヴに魔術を解除してもらわなければならない。

 しかし――


「あ……そ、ソランジュ」


 慌てたような表情でリーヴがソランジュを見つめたとき、ソランジュは非常にまずい事態に陥っているらしいことがすぐに理解できた。

 リーヴは言う。


「魔術が……解除できない! 魔力が制御しきれない!」


 そんな風に。

 他人の魔術に介入するのは、基本的に出来ることではない。

 安定的に制御されている魔術なら、本人の許可があればできなくはないのだが、リーヴのそれは今、完全な暴走状態にある。

 構成がばらばらと崩れていくそれに介入するのは、次々とほつれていく糸を一本一本繋ぎ直していく作業に等しい。

 そんなことは、いくらソランジュでも無理だ。

 出来る者など……いや、母さまなら、出来たかもしれないが、今、彼女はここにいないのだ。

 自分がどうにかしなければならないとソランジュは覚悟を決めた。


「落ち着くんだ! 息を深く吸いな! せめて、魔術の射出方向くらいはどうにかしな! ……私に向けるんだよ!」


「……なにを言ってるんだ! ソランジュ、あんたに向けたら……」


 彼の言いたいことは理解できた。

 彼の魔術は、威力だけなら今やソランジュに匹敵しかねないところにまで来ている。

 魔力の暴走、とはつまりそういうことだからだ。

 本人の魔力を本人の意思に寄らずに極限まで引出し、そして放出する。

 そういうものだ。


 だから、そんなものの直撃を受ければ、ソランジュとてただでは済まない。

 そう言いたいのだろう。

 しかし――


「安心しな。これでも私は上級冒険者だ。ひよっこのガキの魔術なんざ、この身一つで止めて見せるさ!」


 切った啖呵に、リーヴは何とも言えないような表情をする。

 しかし、それ以外の方法も何も思いつかないのだろう。

 リーヴは頷いて、


「……死なないでくれ。あんたは……俺の師匠なんだ」


 と泣き笑いのような顔で言った。


「あんたの魔術ごときで死ぬような私じゃないさ。しかし、師匠か。初めて言ったね……意外と良い響きだ」


「……ソランジュ」


 言いながら、リーヴは魔術をいじっている。

 切羽詰まった状況の中、彼に出来ることをしていると評価できるだろう。

 ソランジュはそれから、地竜エダフォス・サヴラ旅兎ヴィアジャル・コエッリオに軽く魔術を放ち、その場から逃がすと、自分の正面に結界を張り始めた。

 ちょうどリーヴを囲むような形であり、僅かに斜めに張ったのは空に衝撃を逃がすためだ。

 どんな魔術が来るかは理解している。

 リーヴは始めた覚えただけあって、火の魔術を最も好んでいた。

 反射的に使うのは、いつも必ずそれだった。

 さきほどの冷静でない頭で選択できる魔術は、それだけだったはずだ。


 だから、実際にリーヴの正面からそれが放たれた時、ソランジュはやはり、と思った。


「……火球ファイア・ボール!? ……だが、威力は浄化の炎プリフィティカーオ・フラムマ並みだね! こんちくしょう!」


 言いながらも、ソランジュの前に築かれた結界は、それを受けても削られるだけで崩れない。

 後は、ソランジュとリーヴの魔力量勝負になる。


 そして、そのときは訪れた。


 ソランジュの結界がぱきん、と崩れる直前に、リーヴの魔術は勢いを失っていったのだ。

 それを確認し、ソランジュは言う。


「よしっ! これで……!」


 しかし、運の悪い時と言うのはとことんまで悪いものだ。

 リーヴは魔術が消滅する直前に、おそらくは魔力切れによる魔力性幻覚マジック・ハルシネーションを見たのだろう。

 魔術を向ける方向が大きくずれて、それはそのまま崖の方へと飛んで行ったのだ。


「リーヴ! 何してる!?」


 言われて、はっとしたように魔術を制御し直そうとしたリーヴだったが、遅かった。

 リーヴの魔術は崖に命中し、そしてそのまま崖を大きく崩す。

 そしてその崩落はリーヴの足元までひび割れを招き、そしてリーヴのいた場所までも大きく崩れたのだ。

 ソランジュはそれを見た瞬間、急いで走り、リーヴの手を掴もうとするも、


「……くっ!」


 あと数センチ、と言うところで届かなかった。

 リーヴは崖の下の川へと落ちていく。

 ぼちゃり、という音がした。


 川は大雨で増水しており、おそらくリーヴは助からないだろう。

 飛び込むなんてもっての他であり、誰であってもやろうとは思わない。

 しかし、ソランジュはまるで迷わずに、リーヴが水面に落ちると同時に、いや、その前にすでに崖を踏み切っていた。

 何も考えていなかった。

 とりあえず掴みさえすれば、どうにかなる。

 そう思って止まなかった。


 しかし、増水した川の水は泥で酷く濁って見えない。

 たまに浮き上がってくるリーヴの姿が見えるくらいで、そこに近づくのは中々出来なかった。


 このまま……このまま、助けられずに終わるのか?


 そう思ったそのとき、驚くべきことが起こった。


 水面にふわりとした水色の光が立ち込め、そしてそれが浮き沈みを繰り返すリーヴの周りに集まり出したのだ。

 

 それから、リーヴは沈まなくなり、はっきりと場所が確認できたソランジュは急いで泳いでそこまでの距離を縮める。


「……掴んだ!」


 リーヴの服を引っ掴んだソランジュ。

 それから改めてリーヴを見てみれば、その口には泡のようなものが張り付いていて、どうやらリーヴの呼吸を助けているようだった。


「こいつは……いや、後だ! まずは上がらないと……」


 それから、川の端の方へと泳いでいき、崖を掴む。

 かなり高い位置にまで昇らなければならないが、ソランジュは腕のいい魔術師である。

 問題は無い。

 崖に土魔術による足場を作り、確実に上に登って行ったのだった。


 ◆◇◆◇◆


 そして、崖の上まで昇り切ると、リーヴを寝かせてその呼吸を確かめる。

 口元についた泡はまだ剥がれていないが、胸が上下しているのは明らかで、脈もしっかりとあった。

 顔色も悪くなく、ただ気絶しているだけのようで、安心して、ほっと溜息が出た。

 肩から力が抜けていく。


「……しかし、さっきの光といい、この口の泡と言い、何なんだい……」


 緊張が失せると気になってくるものだ。

 誰かが答えてくれることを期待したわけではない独り言だが意外にもそれに答えをくれる者が現れる。


「それは――私たちがかけたの――」


 突然かけられた不思議な響きの声に驚き、振り返ると、そこには体が薄く透けた様子の女性が立っていた。

 明らかに、人間ではない。

 耳が魚のひれのようになっているし、手には水かきのようなものが見える。

 足は無く、まるきり下半身は魚だ。


「……あんたは?」


 驚いて尋ねると、その女性は答えた。


「私は水精霊の一柱、ウンディーネよ――そこの川に住んでいるもの」


 精霊の存在は知っている。

 彼女がそうであることも、見れば分かった。

 だからソランジュが尋ねたかったのはそこではない。

 問題はなぜ、彼女がリーヴを助けたのか、である。 

 精霊は契約していない者にはそれほど優しくないはずなのである。

 だから、ソランジュはもう一度、はっきりと尋ねた。


「それは知っているよ……そうじゃなくて、なぜ、この子を助けた? あんたたちはそういうことを善意でやるような奴らじゃないはずだ」


 すると、彼女は微笑んで言った。


「――なぜ? 分からないわ。何となく、助けたいと思ったから――ねぇ、みんなもそうよね?」


 皆って誰だ、と思っていると、いつの間にかそこには十人――人なのか匹なのかは分からないが――ほどの水の精霊たちがいた。

 必ずしもウンディーネだけではない。

 様々な水の精霊たちが、リーヴをちらちら見ながら浮かんでいる。

 これほど多くの精霊が一所に集まっているのを見たのは、ソランジュをしてもほとんどない経験で、しかもたった一人の人族ヒューマンを見つめているのは初めてと言ってもよく、驚いた。


「何となく、と来たか……それは……」


 ソランジュは呟く。

 聞いたことがあったからだ。

 精霊から無条件に愛される者が、この世にはいると言う。

 かなり珍しいその者は、魔術において、その属性につき、絶大な力を持つのだと。

 そういうものを、精霊の星スピリトゥヌ・シン、と呼ぶのだと、母さまが言っていた。

 ソランジュはそれを初めて見たことになる。

 まさか、リーヴがそんなものだとは思ってもみなかったが……。

 だいたい、ここに水の精霊が集まっているという事は、リーヴは水の精霊に愛されている精霊の星スピリトゥヌ・シンだということになる。

 なのに、彼が得意なのは火の魔術なのだ。

 その点について聞いてみれば、


「今はまだ――制御できていないから――私たちが抑えているの――彼はいずれ使えるようになる――」


 と説明してくれた。

 つまり、ソランジュが驚嘆した火の魔術の才能ですら、リーヴの才能の中ではそれほど高くないものだった、というわけだ。

 そして、そんな風にソランジュが驚き続けていると、


「……う、うん……」


 とリーヴの声が聞こえた。

 どうやらそろそろ目覚めるらしい。

 それを理解した水の精霊たちは、


「じゃあ――私たちは去るから――その子をよろしくね――」


 そう言って去って行った。

 それから、起き上がったリーヴはなぜ自分が助かったのか不思議そうに掌を見つめたり、顔をつねったりしていたので、ソランジュはため息を吐いて、


「……戻ったら何があったのか教えてやるよ」


 そう言って、帰路に就くことにしたのだった。

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