第160話 フロワサール男爵の館
ソランジュが中に入って出迎えたのは、男爵家の当主らしきでっぷりとした男と、その息子らしき神経質そうな少年だった。
絵に描いたような貴族だな、とその二人を見て瞬間的に思ったソランジュだったが、その印象は次の瞬間、いい意味で裏切られる。
でっぷりとした男はソランジュを見ると、
「おぉ、おぉ! 冒険者組合から来てくれたベテラン冒険者とはまさか貴女か!? てっきり男性かと予想していたのだが、見目麗しい女性だとは、思いもよらなかった!」
腹の底から響き渡るようなその声は、その大きな体を正しく反映しているようである。
深みのあるバス。
信頼を呼び起こすようなその声の響きを、ソランジュはどういう人間が身に着けることが出来るか知っていた。
おそらく、この男は幾度となく戦場に出て、一軍を率いたことがあるのだろう。
ソランジュは、男に答える。
「見目麗しいなど……私はもはや四十をいくつも超えました。そのようにおっしゃって頂けるような美貌など持ち合わせがありませぬゆえ……」
基本的に傍若無人を地で行くような生き方をしてきたソランジュではあったが、流石に貴族相手にまでそれを実行するほど頭が悪い訳でもない。
それなりに形をつけて喋ることくらいの事は、朝飯前だ。
作法も年の功と言うべきか、失礼にならない程度には身に着けている。
そんなソランジュを見て、当主の男は感心したらしく、
「冒険者とはもっと……粗野なものだったはずだが……これは驚いた。やはり冒険者でも女性だと細やかな気遣いを身に着けておられるのだな」
と、冒険者と言う人種についてある程度知っているような口を利く。
何かかかわりでもあるのか、と尋ねようかと思ったが、今は世間話よりも依頼のことだろうと思い、それはやめた。
「いえ、そのようなことは。ところでまだ名乗っておりませんでした。私は冒険者組合から今回のご依頼を受けて参りました、ソランジュでございます」
「こちらもまだだったな。私はフロワサール男爵家当主、ガスパール=フロワサールだ。そしてここにいるのが今回、ソランジュ殿に鍛えて頂きたい我が息子の……」
そう言ってガスパールが指し示した先にいた眼鏡の少年が前に出て、
「……リーヴ」
と一言言った。
徹底的に愛想を感じないが、まぁ、貴族の子どもと言うのはこういうものだろうとソランジュは諦める。
「リーヴ様。よろしくお願いします」
「……あぁ」
しかしそんなリーヴの反応にガスパールは、
「これ、リーヴ。もう少し愛想よくだな……」
と叱責したのだが、当のリーヴは、
「俺は冒険者を呼んでくれなんて頼んでない!」
と言ってその場を去って、どこかに行ってしまった。
なんとも言えずにソランジュが佇んでいると、申し訳なさそうな顔をしたガスパールが、
「いや……息子が失礼なことを。申し訳ない」
と言い始めたので、ソランジュは首を振る。
貴族は好きではないが、人の良し悪しくらい少し話せば分かる。
ガスパールは悪い人間ではなく、我儘な息子に手を焼いている父親にしか見えず、そしてそう言った子供の振る舞いは必ずしも親の責任とは言えない。
子供を育てるのは難しく、しっかりと愛情を注いで育てたと思っても時に予想もしていなかった行動をするときがある。
それを、ソランジュは分かっていたので、ガスパールに謝罪を受けるようなことではないと思ったのだ。
「いえ……おいくつかは存じ上げませんが、リーヴ様くらいの年齢ですと、色々と難しい時期でございますから……。ガスパール様が謝られるようなことではないと」
「そう言って頂けると気が楽になりますな。しかし……この様子ですと、ソランジュ殿に今回の依頼をお頼みするのは少々申し訳ない気分になってまいりました。依頼につきましては達成扱いにしても構いませんので、お嫌でしたら断られても構いませぬぞ?」
ガスパールは自分の息子の様子を見て、ソランジュにそんな譲歩をした。
今のリーヴの様子では確かにあまり相性は良くないような思えてくるが、しかしソランジュはあまり問題を感じなかった。
今のやりとりで、いくつか分かったこともあり、その辺りから攻めてみれば何とかなるのではないか、という気がしたからだ。
だからソランジュは言う。
「一度受けた依頼は何があろうと達成するのが私の冒険者としてのプライドでございます。出来ましたら、私に任せて頂けませんでしょうか?」
「ふむ……しかし、あのような息子相手に教師など、ご不快ではございませんかな?」
「貴族のご子息にこのようなことを申し上げるのは不敬かもしれませんが……あの年頃の子どもと言うのは大体がああいったものです。あの程度のことを不快に感じていては、接することすら出来ませんよ」
そう言って笑いかけた。
するとガスパールはふっと笑い、
「なるほど、貴女はいい教師になりそうだ。では、お願いできますかな? もし何かありましたら、我が家の家令に言って頂ければ。どうしても手に負えない、という場合でも依頼料はお支払いする……」
そう言って、ガスパールは一人の老年の執事を示した。
彼が家令だという事だろう。
ソランジュは頷き、
「承知いたしました。今日からしばらくの間、御厄介になります」
そう言って頭を下げたのだった。
今回の依頼は住み込みを求められているからこその台詞であった。
最後に、ガスパールは付け加えた。
「あぁ、それと息子にはもっと砕けた口調で接して頂いて構いませんぞ。師が敬語を使うのでは、恰好がつかないような気がしますのでな」
ソランジュとしては、別にどちらでもよかったのだが、敬語など使わない方が楽なのは間違いない。
その言葉は、ありがたく頂いておくことにした。
◆◇◆◇◆
ソランジュに求められていたのは、魔術師としてリーヴにその技術を教え込むことだった。
勿論、その奥の手やら秘奥やらまで教えろ、という訳ではなく、魔術師として独り立ち出来る程度の基本を身に付けさせろ、ということである。
魔術師には普通、秘密が多い。
強力な魔術師になればなるほど、その技術は秘匿されるものだからだ。
そう言った技術を教え込む相手は、愛弟子や実の子どもに限られ、それ以外には基礎しか教えないという者も少なくない。
しかしソランジュは、別段そう言ったことにこだわりは無かった。
ことさら若いものを捕まえて私の技術を継いでくれ、などと言って教えるという事は無いが、求められ、相応の対価を貰えれば自分の技術は教えた。
もちろん、才能がなければいくら丁寧に教え込もうとも身に付けられない者は身に付けられないので、ソランジュの全てを受け止めるような存在には未だ出会ったことがなかった。
けれど、意外なことに、目の前にいる少年は、そのソランジュの全てを受け止められる才能を示した。
リーヴは昨日、ソランジュを見て逃げ去った。
だから決してソランジュを師として仰ぐつもりもないという気持ちだったのかと感じたので、まずはそこからどうにかしなければならないと思っていたのだが、リーヴは意外にも、言われた通りの時間に屋敷の庭にやってきて、ソランジュに頭を下げた。
「昨日は悪かった。あんたは全然悪くないのに、酷い態度を取った……」
と、殊勝に言うものだから、この少年は本来はこのような性格で、昨日の事は何か理由があってのことなのだろう、と確信する。
そしてその理由についても何となく、理解していた。
彼は、父親に当たるように振る舞っていたのだ。
明らかに、そこに何かがあるのだろう。
しかし、その日は特にそこに踏み込むことなく、依頼通り、魔術を教えることにした。
始めに、まずリーヴが何を出来るのかを把握するため、使える魔術やそれに付随する技術を披露して見ろと言ってみたのだが、彼は一つのことしか出来なかった。
それは、火の玉と呼ばれる極めて簡単な魔術だった。
それこそ、魔術を学んだ者ならだれでも使いこなすことの出来る、基本中の基本。
これが使えたからと言って、どうということもない。
そういう魔術だ。
けれど、ソランジュは少年のその魔術を見て、驚嘆した。
魔術にとって重要なのは、構成力であるとよく言われる。
魔力をいかに流し、魔術を組み上げるか。
それに尽きると。
構成が巧みであればあるほど、魔力消費量は減少していき、また威力も増大していくと言われる。
ただ、一般的な魔術師の構成力でそれほどの差が出ることは無い。
せいぜい、平均30センチ程度の大きさの火の玉の魔術であれば、構成の上手いと言われるものが発動させれば、32、3センチ程度になり、魔力消費量が5%ほど減少する程度のものだ。
けれど、ソランジュの目の前に立つその少年が作り上げた火の玉はまず大きさが違っていた。
ぱっと見で、1メートルは超えているだろう。2メートル近いかもしれない。
しかも、魔力消費量は通常の火の玉を使う魔術師のそれよりも、半分程度だ。
これは才能がある、どころではない。
天才に近い。
「あんた……誰にそれを教わったんだい?」
ソランジュがそう聞いたのも当然のことだろう。
魔術は理論が大きな部分を占める。
どれだけ深く理解し、どれだけ多くを識ったか。
それによって、魔術師はより大きな魔術を扱えるようになっていくものだ。
しかし少年は言うのだ。
「……? 誰にも。これは、父さんが使っていたのを見て覚えたんだ。だから、これしか使えない」
ソランジュはその答えに驚いた。
誰にも教わらずに、これだけのものを作る。
その少年の才能に。
そして思った。
「……全く。育て甲斐のありそうなガキだね」
つい、にやりと素に近い顔で笑ってしまったソランジュに、リーヴは少し怯える。
ただ、別に悪意からではないという事は分かったらしく、ソランジュに聞いてきた。
「なぁ」
「なんだい?」
「俺のこれって……凄いのか?」
その質問で、彼が自分が何をやっているか理解していないことが分かる。
それを説明すべきかどうか、ソランジュは迷った。
正直に教えて、いきなり天狗になられても困るからだ。
ソランジュも同じことは出来るので、その場合でも対処は可能なのだが、しかし出来ることなら素直に学んでほしいものである。
だから、ソランジュはリーヴに言った。
「それなりに才能がある、ってところだね。まぁ、私に比べたらまだまださ」
そう言って、リーヴよりも大きな火球を作って見せて笑いかけた。
するとリーヴは目を輝かせて、
「やっぱり本物の冒険者ってやつは違うな! すごい……!」
と言ったので、うまくごまかせたかとソランジュは安心する。
しかし、リーヴはそれからすぐに、落ち込んだような顔色になると、ぽつりと言った。
「……俺も、冒険者になりたかったな……」
そんな風に。
冒険者など、なろうと思えば簡単になれる。
そこで業績を残すことが出来るかどうかはわからないが、なるのは年さえ規定に達していれば簡単なのだから。
そう思ってソランジュは言う。
「なりたいならなればいいじゃないか。数年もすれば、問題ないだろう?」
と。
貴族でも二足のわらじを履いて冒険者をやるような変り者もいなくはない。
そういう者になればいいんじゃないか、と思っての言葉だった。
しかし、リーヴは首を振る。
「……ダメだ。父さんが、認めてくれないから……」
そう言って。
なるほど、昨日、父親に対して怒りをぶつけていた理由はそれか?
と、ソランジュはピンとくる。
まぁ、良くある話だろう。
貴族は長男が後を継ぐものだ。
その長男が、冒険者になりたいと言っても簡単に認めるわけにはいかないとうのは当然の話だ。
リーヴも父親に言ったのだろう。
冒険者になりたいと。
しかし、否定されるか何かしたわけだ。
けれど、ソランジュに言わせれば、それで諦めるようならそれまでである。
冒険者と言うのは、結局のところ山師であり、それを目指すのはある意味で馬鹿のすることだ。
そんなものにしたいと思う親など、そうそういないのが普通だ。
ましてやその親が貴族ならばなおのこと。
「ま、それなら諦めるんだね」
酷く冷たい言い方になってしまったが、他に言いようがない。
リーヴはソランジュの台詞にがっかりとしたように顔を伏せて、頷いた。
その後、ソランジュはリーヴに魔術の基礎を教え込み始めた。
意外にも、リーヴは落ち込んだ割に訓練には手を抜かず、一生懸命頑張っていた。
ソランジュはそれを見ながら、考える。
「父親か……」
父親のいない自分にとって、それがどういう存在なのかは分からないが、義理の母はいる。
親に夢を頭ごなしに否定されるのは辛いだろう。
しかし、ガスパールはそういうタイプには見えない。
何か、意図があったのかもしれない、と少し思った。