第155話 望まぬ威光
「……健康な体って素敵ね。この感じ、久しぶり」
自分の体を確かめながら、ゾエはそう言って微笑んだ。
魔力絶縁病は、症状として、体が怠くなる、というのが主で、徐々に動かなくなっていき、放置しておけば最終的に死に至る、というものだ。
ゾエはソランジュのためにかなりの時間、発症しても放置していたからこそ倒れることになったのだろう。
そこまで衰弱すると、体を動かすのには相当な体力と意思の力が必要だったはずで、よくここまで来れたな、というのと、先ほどまでよく元気そうにしていられたなと思って感心する。
実際にはただのやせ我慢だったのだろう。
そんな状態であっても、いきなり見覚えのない人物たちが目の前にいたら、弱みを見せるわけにはいかないと虚勢をはるものだろう。
ゾエは軍属であったのだし、余計にそうだったはずだ。
しかし今はもはやそういう心配はない。
イリスは彼女の同族であり、ソランジュは彼女の義理の娘だ。
――俺だけ仲間外れのような。
一瞬ルルはそう考えるも、かつてはゾエの上司だったのだ。
ゾエの主観からはともかく、客観的には彼女に危害を加える心配など無い。
しかし、ゾエは、なぜか古代魔族と、そして自らの娘と一緒にいる一人の人族の少年が気になったようだ。
元気になった体の感覚を確かめるように肩を回したり背伸びをしたりしながら、尋ねた。
「そう言えば、さっきから気になっていたのだけど、そこの少年はどちら様? 私がソランジュに起こしてもらったみたいに、イリスちゃんが起こしてもらった人?」
イリスが特に古代魔族である、という点について隠さずに話していることから推測したのだろう。
その推測は、正しかった。
けれど、現実にはイリスが自らの正体を全く隠さないでいるのは、ルルがイリスを起こしたから、というわけではない。
ルルにはそもそも隠す必要が全くないと言うだけの話である。
イリスはそこでルルの正体をゾエに言っていなかったことを思い出し、微妙な表情を浮かべてルルを見た。
言いにくい、ということだろう。
しかしルルとしても、俺様は魔王陛下である、と名乗り上げるのもなんというか微妙すぎて困った。
ただ、言わないと言う選択肢はない。
今後、色々なことを話したいし、その際にその点について隠しておくと非常に面倒臭いからだ。
仕方なくルルが少しのかっこ悪さを我慢して名乗り上げようとしたところ、イリスがそれに先んじて口を開いた。
「いえ……ええと、確かにこちらの方は私を起こしてくれた方なのですが……」
「へぇ、そうなんだ。古代魔族の遺跡を開けられる人族なんて珍しいのよ? 凄いわね、あなた」
と頭を撫でられ、あからさまに子ども扱いである。
実際、見かけ上、ゾエは人族で言うなら二十代前半くらいの容姿であり、ルルは14歳なのだからそれで間違っていないのだが、イリスが少し顔を引き攣らせて、それから決意を固めたかのような表情になり、言った。
「ゾエさん。あの……非常に申しあげにくいのですが、そちらの方は……」
「……? ええ」
イリスの真面目な表情にゾエは首を傾げるが、しっかりと耳を傾ける。
その間もなぜか、ルルの頭を撫でる手は止めなかった。
ゾエは大人の色香を漂わせており、良い匂いがするのでルルとしては不快ではないのだが、少しだけイリスが不機嫌そうな雰囲気を発し始めている。
そして、イリスは言った。
「そちらの方は、魔王陛下です。第百代目魔王、ルルスリア=ノルド陛下でいらっしゃいます」
言い切った、と少し満足げな表情になったイリスと対照的に、ゾエは少しぼやっとした雰囲気になり、
「へぇ、そうなんだ……魔王陛下なのね。なるほど……? 魔王、陛下……魔王陛下!? え!?」
その単語が浸透していくと徐々に顔色が変わっていき、それから撫でていた手をひっこめ、まじまじとルルの顔を見るゾエ。
そしてほっとしたように首を振り、言った。
「イリスちゃん、またまたぁ。私を担ごうたってそうはいかないわよ~? この少年は、人族じゃない。魔力だって……そんなに多くないわよ? そっか、今のはあれね、古代魔族ジョーク?」
そんなジョークの存在などルルもイリスも初めて聞いたが、よくよくゾエの表情を見てみると冷や汗が垂れているのが見えた。
かなり錯乱しているらしい。
けれど、今その冷や汗は徐々に引きはじめている。
ルルの顔と魔力を見て、明らかに人族である、と確認できたからのようだった。
しかし、苛めるようで申し訳ない気分になってくるが、真実は真実として伝えなければならない。
魔力については、昔は威圧のために垂れ流しにしていることが多かった。
あの頃のルルを、遠目で見たことがあっただろうゾエにとって、魔力を隠匿しているルルを魔王だと見抜くのは不可能なのだろう。
だから、ルルはまずゾエに言った。
「あー……ゾエ。信じられないのは分かるが、俺は……かつて魔王だった。今は人族の下級貴族の息子、ルル=カディスノーラだけどな」
けれど、ゾエはそれでも信じない。
顔の前で手を振って、
「……またまたぁ……君、ルルって言うのね……。ルルくんも、イリスちゃんにジョークを教えてもらったの?」
などと言っている。
これはもはや仕方がないなとルルはイリスと目を合わせて、それから体の奥深くに隠している魔力を放出することにした。
昔ほどに大量に出すことは出来ないが、魔力の質、波長はゾエも覚えているだろう。
そう思っての事だった。
体の奥から魔力をどんどん組み上げていき、体表のありとあらゆるところから魔力を漏らしていく。
ゾエは始め、何をするのだろうと不思議そうな顔でルルを見ていたが、徐々に放出されていく魔力が増えていくにつれ、顔が引きつっていく。
リガドラだけは嬉しそうに飛び回り、吹き出した魔力をもぐもぐと吸い込んで食べていたが、それでも全く消費し切れないほど大量の魔力である。
そして、ついにその場に浮遊する魔力が、一般的な魔族のそれを超え、さらにかつての側近の持っていただろう魔力量を超えた辺りで、ゾエは理解できたらしい。
カタカタと震えながら、地面に額を擦り付けて大きな声で言った。
「も……申し訳なく……存じます、ま……ま、魔王陛下……まさか……この時代に貴方様がいらっしゃるなどと予想することは私などにはとても出来ず……か、数々のご無礼を働きまして何と申し上げたら良いのか……」
人はここまで平身低頭出来るのかと思ってしまうくらいに、頭が低い。
このまま三回回ってワンと言えと言えば本当にしてしまいそうなくらいに。
全くそんなことをさせるつもりもないし、そもそも今さらかつてのように支配しようとは思わない。
あの頃は、人族相手に戦うためにはそのための旗印となる人物がどうしても必要だったからこそ、魔王と言う立場に特に不服なくついていたが、今はそんな必要など無いのだ。
だから、ルルは震えながら土下座し続けるゾエの前にしゃがみ込み、言った。
「……顔を上げてくれ。別に何もしやしない。そもそも……そんなに平身低頭しなくていいんだ。もう、魔族は――俺の知る限り、ここにいる三人しかいないんだからな」
しかし、そう言われてもゾエは頭を上げようとはしない。
ルルは困ってしまって、イリスに尋ねた。
「イリス……昔の俺はそんなに怖かったのか?」
その言葉に、イリスは少し考えて、
「恐怖と言うよりかは、畏怖の対象でいらっしゃいましたわ。特に下級兵士の間では陛下のためにならば死んでもいいという者が大半を占めていたくらいで。神にも等しいとはまさに陛下のために存在していた言葉であったと」
別に部下や兵士たちに大して傍若無人に振る舞ったことも、何かを頭ごなしに命令したこともほとんどなかったルルとしては、ゾエがここまで怯えるほど恐れられているとは予想外だったのだが、しっかりと理由はあったようである。
イリスは続ける。
「ほとんど前線へは参られなかった陛下ですが、一度お出になれば一瞬で人族の軍勢を滅ぼしてしまえるほどのお力を持っておられましたから。同じことが出来るのは側近の皆さまたちや、それに準ずる方々のみでしたし……それに陛下は彼等よりもさらに強力な力を持っていることが、お側にいるだけで理解できました。ですから……怯えるのは、無理からぬことと。いえ、嫌われていたわけではありませんよ? むしろ、尊崇の対象であった、というだけで」
実は自分は嫌われていたのではないか、と考え始めたところでイリスからフォローが入った。
なので良かった、と安心したルルは、未だに地面に頭を擦り付けているゾエに言う。
「ゾエ……顔を上げてくれ」
しかしそれでも上げない
ルルは仕方ないかと命令することにした。
「ゾエ。顔を上げろ。これは命令だ」
「は……」
短く頷いて、ゾエは顔を上げた。
その目にはほとんど狂信に近い従属の情が見て取れた。
それを見て、ルルはイリスの言っていることが理解できた。
確かにこういう目はかつて、兵士たちに幾度となく見せられたが、戦時中のことである。
異常な精神状態がルルという上司に対する信頼に転化されたがゆえのものだと思っていた。
しかし、その理解は少し違っていたらしい。
単純に、ルルを畏怖していた。
それだけだったらしい。
顔を上げたゾエに、ルルはゆっくりと説明する。
「ゾエ……俺は確かに昔は魔王だった。だが、今はもうただの人族なんだ。今、命令してしまったが……今後、お前に何かをしろと言う気も何もない。だから、俺には普通に接してくれ。それこそ、さっきのイリスに対してみたいにな」
しかし、ゾエは言われた内容に困惑するような表情を浮かべ、
「いえ、しかし、それは……今も昔も、私は陛下のためにこの命を擲つ覚悟でございます。敵に突っ込めと言われてばそう致しますし、死ねと言われれば死にます」
恐ろしいほどに盲信されている。
昔は皆、自分に対してこうだったのかと改めて認識し、驚く。
イリスが比較的早く慣れたから、やはり立場の問題で従っていたのだと思っていたのだが、全くそんなことはなかったようだ。
今は魔王でないと言っても、特に丁寧に話さなくていいと言っても、ダメらしい。
ソランジュはそんなゾエとルルを見て、驚きに目を丸くしていて、
「……こんな母さまは初めて見たよ……」
と呟いている。
さらりと言ったルルが魔王である、という点についても驚いているようだが、説明を求めているような場合ではないらしい、と理解しているようで特に口を挟まないで見ている。
ルルはそんなソランジュをちらりと見てから、ゾエに言う。
「……ソランジュは、ゾエが育てたんだろう?」
突然変わった話に、ゾエは、
「は……」
と頷いた。
ルルは続ける。
「俺とソランジュは、対等の口を利いているんだ。それなのに、その親であるゾエが俺にそんなに恭しく話しかけているのはおかしいだろう?」
そう言った。
しかしゾエは、それをどう捉えたのか、
「娘の教育が行き届きませず……申し訳なく存じます。しかし娘は人族。陛下の偉大さ、恐ろしさを理解出来ぬのも仕方のないことでございます。どうか、寛大なお心でご宥恕して頂けますよう……」
と謝り始めた。
もはやここまで来ると遜るとかそういうレベルではない。
完全な服従である。
ただ、それでもソランジュのことについては守ろうとしている辺り、その辺から攻めていけば、もう少しルルに対する態度も普通なものになるのではないか、という気がした。
しかし一朝一夕でどうにかなりそうもない。
仕方なくルルは言う。
「ソランジュのことはいい。むしろ、俺は普通の口を利いて貰った方がありがたいからな……だから、仕方ない。舌の根も乾かぬうちに、と言われてしまうかもしれないが……ゾエに命令する。俺に対してはさきほどのイリスに対するような態度で振るまえ。いいか、これは命令だからな? 絶対に敬語は使うな」
「し、しかしそれではあまりにも不敬!」
「俺がいいと言ってるんだ。それとも何か? お前はさっき俺に死ねと言われれば死ぬと言ったのに、それくらいの命令も聞けないと言うのか?」
権力を笠に着ているようで好ましくない物言いだが、ゾエにはもはやこれしか効果がないだろうと思ってのことだった。
現実には、笠に着るべき権力も遥か歴史の波間に消えてしまっているのだが、ゾエにとっては未だに健在らしい。
実際、効果はてきめんだった。
「は……そうおっしゃるのでしたら、従わせていただきます。……ルル、ちゃん? これで……いい、かしら……?」
非常にぎこちなかったが、まぁ、及第点だろう。
しかし、ちゃん付けはいただけない。
「……せめて、君付けに出来ないか?」
そう言った時、ゾエはやっと、少し口を緩ませて、微笑んだのだった。




