第153話 語るべき想い出
歩き続けて辿り着いた場所は、ある意味で納得であり、またある意味では予想外の場所であった。
それは、あのアウルベア親子の住処とする、洞窟であったからだ。
「……なぜここに」
ルルがソランジュに尋ねると、彼女は少し考えてから、魔女然とした微笑みを浮かべて言う。
「それは、行けばわかるさ……さて、それよりも、今度はどうするか、だ」
そう言って顎を擦り、茂みの中から洞窟を見つめる。
当然と言うべきか、あれから数時間が経過しているため、アウルベア親子が戻ってきてごろごろしている。
何か獲物をとって来たらしく、食事中の様子だが、あれを追い払わないとどうしようもない。
例によって倒すのは簡単だが、それは好ましくなく、それをする気はないのは変わっていない。
ソランジュはルルを見つめて言う。
「また、頼めるかい?」
やっぱりそうなるか、と思いつつ、特に断る理由は無い。
以前のソランジュ自身の用事ならともかく、今度はルルたちに関わることについての用事なのだから。
ただ、気になったのはソランジュがなぜ自らそれを行わないのか、である。
別に聞くのが憚られるような事情も見当たらないため、ルルは素直に尋ねることにした。
「構わないが……ソランジュ、あんたは結構な腕の魔術師だろう? 追い払うくらいのことは自分でできそうなのに、なぜ俺に頼む?」
その質問に、ソランジュは事もなげに答えた。
「魔力を出来るだけ使いたくないからさ」
「魔力を……?」
その気持ちは魔術師としては理解できる。
出来るだけ、魔力を温存してこそ魔術師はその生存率が上がるのだから。
ただ、魔力消費をルルに受け持たせて自分は節約する、という態度はいいものとは言えない。
たしかにルルは一般的な魔術師に比べればほとんど無限に等しい魔力を持っていると言えるが、それでも、そういう態度は褒められたものではないだろう。
自然、ルルもイリスも視線は少し鋭く、責めるようなものになったが、ソランジュはその視線の意味を理解したうえで首を振った。
「いや、私だけ生き残ろうとか、そういう意図で言っているのではないよ。ただ、これから行く場所にはどうしても私の魔力が必要で、しかもある程度以上残っていないとどうしようもないだけさ。帰り道に魔物が出たらそのときは私が露払いでもなんでもしてやるからさ、ここは頼むよ」
そんな風に。
この言葉に嘘がないことは、その言い方で二人にも理解できた。
仮に嘘であったとしても問題は全くないのだが、信頼できる人間かどうか、というのは判別しておきたい事柄である。
ソランジュはおそらく善人である、という印象に変化がないことが確認でき、二人は頷く。
それから、ソランジュの求め通り、ルルがアウルベアを追い払いに向かおうとした。
――ところが。
「きゅいー!」
三人と同様、茂みに隠れてアウルベアを伺っていたリガドラが、そう鳴いてルルよりも先に飛び出していったのだ。
本来、リガドラは古代竜であるところ、本来の体であればその戦闘力に心配はない。
ただ、今のリガドラの状態ではアウルベアに勝利できるかどうか疑問である。
なにせ、今のリガドラは、通常の小竜に毛が生えたような魔力しか持たないのだから。
飛んでいくリガドラ。
幸い、と言うべきか、体形的に当然、と言うべきか酷く鈍い飛行速度なので簡単にしっぽを掴めた。
それから引き戻そうとするが、目に涙を浮かべながら、
「きゅいー、きゅいー!」
と飛んでいこうと翼をぱたぱたさせる。
そんなに死にたいのか?
と思わないでもなかったが、ふとアウルベアの方を見ると、こちらに気づいて見つめていて、しかもその雰囲気には敵意が感じられなかったのでルルは少し驚く。
アウルベアたちの視線はルルにも気づいているようだったが、しかし基本的にはリガドラに向いているのが分かった。
それを確認したルルは、リガドラを見て、
「……知り合いか?」
と尋ねると、
「きゅい。きゅい」
と首を縦にかくかくさせて答えた。
人の世界ならぬ魔物の世界もまた狭いと言うべきか、顔見知り――らしい、ということがリガドラのその反応でわかった。
アウルベアたちも良く見れば、意外なところで意外な人に会った、みたいな表情を浮かべている――ような、気がしないでもない。
ルルは仕方なく、ため息を吐いて、
「……わかった。行ってこい」
そう言ってしっぽを離した。
直後、
「きゅい~」
ぱたぱたぱた、と翼の音と鳴き声を置き去りにしてアウルベアの方へと飛んで行ったリガドラ。
それを確認して、ソランジュとイリスを振り返るルル。
「……あの小竜は何なんだい?」
ソランジュにそう尋ねられたが、ルルはイリスと顔を見合わせてから、あきらめたように首を振ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……無警戒か」
「の、ようですわね……」
「こんなこと、はじめてだよ……」
ルル、イリス、ソランジュは、それぞれそんな風に呟きながら、ごろごろと転がったり獲物を食べたりして忙しそうなアウルベア親子の横を通り過ぎていく。
完全に無警戒であり、ルルたちに襲い掛かるそぶりも気にするそぶりも一切見られない。
ただ、リガドラが、
「きゅいっ」
と鳴くと、
「ぐぉ……」
と返事をするように唸ったぐらいである。
彼らの間で、何らかの交渉ないし説得が行われ、成立したらしい。
知り合いだから通行の許可を得たのだろう。
そしてルルたちのことは気にするな、とそういうことなのだと思われた。
持つべきはコネである。
それが、魔物に対してのものであっても。
「これからは追い払ったりしないでも通れるって事かね?」
ソランジュが歩きながらそう尋ねた。
ルルに対してではなく、リガドラに対してである。
彼女も、何となくであるがリガドラが人語を解している、ということが分かって来たらしい。
ソランジュの質問にリガドラは胸を張って頷いた。
「……楽でいいね。我が家にもこういう愛玩動物がいれば便利でいいんだけどねぇ……」
果たして古代竜をそうほいほい愛玩動物として確保できるかどうかは疑問だが、このリガドラの気安さを見ていると無理ではない気もしてくる。
ルルたちはそんな風に雑談をしながら、洞窟の中をしばらく歩き続けた。
洞窟の内部は曲がりくねって、また分岐もいくつかあり分かりにくく、まるで迷路だったが、ソランジュにとってはそうではないらしい。
躊躇することなく進んでいき、分岐を選んで先導した。
そうしてやっとたどり着いた場所。
そこは、
「……行き止まりではありませんか?」
イリスが壁を見つめてそう言った。
確かに彼女の言う通り、そこには何もない。
洞窟のどこを見ても広がっている土壁が同じくそこにあるだけで、これ以上進みようがない。
しかし、ソランジュは微笑んで言う。
「いいや。ここは、行き止まりじゃないよ……ちょっとあんたたち、下がってな」
そう言ってソランジュはルルたちに壁から遠ざかるように指示した。
ルルもイリスもその言葉に従い、少しばかりソランジュから距離をとる。
すると、ソランジュは土壁に近づいて、その一部分に触れる。
それから、ゆっくりと魔力を解放していき、その手をついた部分に流し込んだのだ。
「……なるほど、この為に魔力を温存してたわけか」
ルルはそう呟く。
見て分かった。
ここがなんなのか。
それはイリスにとっても同じことで、二人は同じ表情でソランジュと、彼女が手をついた土壁を見つめている。
ソランジュの放出した魔力が、土壁の一部分に吸い込まれていく。
そこはぼんやりと青く輝いており、ただの土壁に見せかけて、何らかの装置があることは明らかだった。
そして、しばらく時間が経過すると、土壁はごごご、と音を立てて横にずれていく。
ソランジュも魔力の放出をやめた。
見れば、彼女の魔力は大体三分の一位は失われていて、なるほど、確かに道中、無駄遣いするとこの装置を動かすことも出来なかっただろうと分かる。
もともと、人族には開けられないようにするために様々な方法でもってこういう施設を過去、築いてきたのをルルもイリスも思い出す。
ただ、稀にいるのだ。
ソランジュのように、魔力の波長が合ってしまい、扉を開いてしまうことが出来る者が。
「……お義兄さま。ご記憶には……?」
イリスがそう尋ねる。
何の話をしているのかは、明らかだった。
しかしルルは首を振る。
「ここもやっぱり、後に作られたものだろう……俺の記憶にはない」
そう答えて。
ソランジュは驚くルルとイリスに振り返り、開いた扉の向こうを示して言った。
「さぁ、入るよ……ここがなんなのかは……説明が必要かね?」
なんとも、答えにくい言葉だった。
◆◇◆◇◆
「……森の奥で暮らしていた昔の私はね……雨風を避けようと、色々なところを歩いたんだ。そんな中、見つけたのが、この洞窟だった……」
それは、ソランジュの小屋での話の続きだった。
現代においてまず見ることない、特殊な金属で形作られた通路を歩きながら、彼女は続ける。
「最初は洞窟の入り口あたり――アウルベアがいた辺りをねぐらにしていたんだけど……ある日、好奇心が生まれてね。どれくらい深い洞窟なのか、調べてやろうと思ったんだ。それが、運が良かったのか悪かったのか……さっきの壁の前に辿り着いたんだよ」
そこまでは完全な偶然だったのだろう。
おそらく、何千年もの間、放置されていた施設である
あの土壁の前まで辿り着いた者が何人かいてもおかしくない。
問題は、どうしてあの扉を開けることが出来たのか、そしてあそこに開閉装置があることが分かったか、だ。
「あのときのことは……何と言っていいのかわからないね。私はあそこが行き止まりだと思って、しばらく休憩していたんだ。結構歩いたろう? 当時、私は魔術なんて使えなかったから……体力の限界でね。しばらく休んでから戻ろうと壁に寄りかかっていたんだ。けれど……もうそろそろ戻ろうか、そう思ったとき、背中にあったはずの壁が、ふい、と抜けたんだ。横に大きく動いてね……」
ソランジュの言葉にイリスが尋ねる。
「……扉をお開けになった、ということでしょうか? ご自分で」
しかしソランジュはその言葉に首を振った。
三人と一匹の足はどんどんと施設の奥の方へと進んでいく。
ルルとイリスにとっては馴染のある光景。
ソランジュにとっては……どうなのだろう。
リガドラはいつも通り機嫌がよさそうに鳴いていてよく分からないが、動じてはいない。
さすがは古代竜と言うべきか。
ソランジュは続ける。
「今まで寄りかかっていたものだからね。体重を預けていた壁が突然なくなった私は、そのまま後ろに倒れ込んださ。びっくりしたんだが……そんな驚きは後になって思えば大したことではなかったよ。倒れた私は、何が起こったのかと、倒れたまま、後ろの方に視線を動かしてみたんだ。そしたら、誰かの影がふっとさしてね。見上げてみれば、そこには何者かが立っていた。誰だ、と思う反面、体勢が体勢だったからね。瞬間的に反応できなくて、馬鹿みたいに私は呆けていた……そうしたら、声がかかった」
「声ですか……それは、どんな?」
イリスが尋ねる。
ソランジュは答えた。
「……『ここは、どこ。あなたは、だれ』ってね。私は笑ってしまったよ。だって、言うに事欠いて、その台詞だよ。分かりやすすぎて、どんな反応をしていいものか分からなかったんだ……ただ、その一言で分かったことは、その人には私をどうこうしようとする気持ちが少しも無いって事だった。明らかに自分の居場所を見失っている……そんな声だったからね。不安そうで……助けてあげたくなったくらいさ。だから私は起き上がって、その人と少し話をしてみようと思ったんだ……まぁ、森の洞窟で一人暮らしている私に何が出来るのかと言う気もしたけどね」
ソランジュは通路を進んでいく。
ルルたちは彼女に着いていく。
こつり、こつりと高い音が鳴り響く。
通路の途中にはいくつか部屋があり、入ってみたい衝動も感じたが、今はソランジュについていくべきだろう。
彼女には明らかに目的があった。
ただ、この施設を見せたい、それだけのために連れていた訳ではないことが、何となくわかった。
そうして、三人と一匹はとうとう辿り着く。
大きな半球状の部屋に。
そこは、ルルにもイリスにも心当たりがありすぎるくらいに見覚えのある部屋で、視線は無意識のその中心部に向けられたのは言うまでも無いことだった。
「……その人こそが、私の母さ。そして母は言ったんだ……『私はこの奥で眠っていたらしい。一体今がいつで、ここがどこなのかを教えてほしい。人間』ってね」
それが何者なのか。
ルルとイリスにはあまりにも自明だった。
そして、部屋の中心部に存在するその設備がなんなのかも。
透明なカプセル状のその物体。
それは明らかにイリスの眠っていた――
「……誰か、いるのか」
ルルは喉から絞り出すように、そう言ったのだった。