第152話 何を、どれだけ
ルルの質問に、ソランジュは一瞬、はっとして我に帰ったように驚愕の表情を収めた。
それから改めてイリスの顔を見て、
「……いや、いや……すまないね。知り合いにあまりにも似ていたものだから……良く見ると、別人だ。しかしその髪の色は……」
とぶつぶつと言い始める。
その言葉の意味するところを、ルルとイリスが分からないわけがなく、何と言って良いものか考える。
おそらくだが、ソランジュが先ほど呼んだ"お母さま"という人物、彼女が知り合いだと訂正したその人は、古代魔族、もしくはその関係者なのだと思われた。
髪の色について言及しているのが、その証拠と言える。
現代において、ルルもイリスも、銀色の髪をした者はまだ、クレールしか見たことが無い。
もしかしたら、世界のどこかには銀の髪を持つ、古代魔族と無関係な者もいるのかもわからないが、その可能性を考えてソランジュに何も聞かないと言う選択を取るのは間違っているだろう。
だから、ルルは尋ねた。
「イリスの髪の色に何かあるのか?」
まずは当たり障りのない話からである。
いきなり核心を突くのも悪くはないが、老人を驚かせすぎるのも良くないだろう。
ソランジュは徐々に落ち着いてきたらしく、だんだんと表情と態度に戻ってきている。
「あぁ……さっきも言ったが、知り合いがね。その娘――イリスと言うのかい?――と同じ色の髪をしていたんだよ。輝かんばかりの銀色の髪。私は、あの人以外にこんな髪をしている人を見たことがなかったから……驚いてしまってね。悪いね、娘っこ」
ソランジュは申し訳なさそうにそう言った。
いきなり誰かと勘違いしたことに対する謝罪であった。
ただ、そんなことはイリスもルルもどうでもよかった。
ソランジュの知り合い、それがどういう存在なのか、どうしても尋ねたかった。
だからどんどんと突っ込んで聞いて行く。
ソランジュの口調からして、おそらくはそれほど頻繁に会える人物ではないか、もしくはもう死んでいる可能性も感じないではなく、普通ならあまり深くは尋ねるべきではないと言うことは理解していた。
けれど、それでも黙っている訳にはいかない。
それくらいに、二人にとって重要なことであるのは間違いなかった。
イリスは言う。
「いえ……全く構わないことですわ。それよりも……先ほど、ソランジュさんは私のことを"お母さま"とお呼びになられましたが……」
「あぁ、そうだよ。知人とは言ったがね。私の母さ。と言っても、血は全く繋がっていないんだけどね。この髪の色を見れば分かるだろう?」
そう言って引っ張った彼女の髪は、黒い。
その年にしてよくそれほどの色つやを保っていられるな、と感心するくらいに。
つまり、彼女自身は、どう見ても古代魔族でない。
「しかし……ふむ。そうだね……」
ソランジュはふと、そう言った。
何かを考えているようだったが、ルルにもイリスにもそれがなんなのかは分からない。
どうしたのかと思い、ルルが尋ねる。
「なんだ? 何かあるのか?」
「いや……あんたたちは、知っているかい? 遥か昔に存在した種族、古代魔族が、銀色の髪を持っていたと言う説を……」
その言葉はあまりにも唐突過ぎて、ルルもイリスも一瞬、表情を引き攣らせる。
ソランジュは何も意図してなかったのかもしれない。
しかし、二人のした反応は、ソランジュにとって何を意味するか明らかなようだった。
それから、彼女は少し表情を明るくして、
「ほうほう……なるほどね。これは……あんたたち、今日の夜、時間はあるかい?」
そう尋ねてきた。
何かを、ルルたちに話すつもりであるらしい、ということが分かる。
そして、わざわざ時間を変えようと言うのは、今ここに、ユルクとステファニ―がいるからだろう。
彼らは先ほどから不安そうにソランジュを見つめていた。
今のソランジュの様子は、彼らをしてかなり珍しい顔をしているらしい。
ただ、ルルたちと何か大事な話をしている、ということは分かるようで、口を挟まずに聞いていたのだ。
ソランジュは、彼ら二人を安心させるように頭を撫でている。
その表情は、すっかり元通りになっていて、イリスを見たときの驚愕の色は無い。
ただ、何かをたくらむような、老獪な老婆の底の見えない表情がそこにはあった。
それは、ルルとイリスが最も苦手とするタイプの人物だった。
しかし、彼女の話はどうしても聞きたい。
誰も差し挟まずに話が出来ると言うなら、これは乗らざるを得ない。
本来なら今日中に村を出発して、城塞都市フィナル、それにログスエラ山脈を目指す予定だったが、これは諦めるほかなさそうだ。
ルルとイリスは目線を合わせてそのことにお互い同意し、それからルルが代表して言った。
「あぁ。時間はある。今日は村で一泊して行くことにする」
その言葉に、ソランジュは嬉しそうな顔をして、
「おぉ、そうかいそうかい。それは良かった……じゃあ、今日の夜、私の家に来てくれないかい? 何、夜の森は危険だが……あんたたちなら問題ないだろう?」
その言葉に深い意味は無かったかもしれない。
ただ単純に、魔術師として、二人に十分な実力があると判断しただけだったかもしれない。
しかし、こと今に至って、彼女の言葉には何か深い意味があるような気がしてならなかった。
ただの考え過ぎ、気のせいかもしれないが。
二人はソランジュの言葉に頷き、それからその場での立ち話は終えて、戻ることにした。
一度、ソランジュの家まで行き、そこからは来た道を戻る、というルートである。
子供二人を送る役目は当然ルルとイリスが務めることになった。
普段、ソランジュがユルク達に稽古をつけるときは、行きも帰りも彼女がついていくらしいが、今日はルルたちがいるから大丈夫だろうと、そう言って。
村へ戻る道すがら、楽しそうにしているユルクとステファニ―を見つめながら、ルルはイリスに言う。
「あの婆さん……何者だと思う?」
イリスはその質問に顎に指を当てて少し考え、
「……分かりませんわ。情報が少なすぎて。ですが、私の、つまりは我々特有の髪と同じ色を持つ人物を知っている、というのは間違いなさそうです」
「そうだな……それは、その通りだ。そして、問題は……」
ルルが切った言葉を、イリスは継いでいう。
「ええ。何を、どこまで知っているか、ですわね……」
そんな風に。
◆◇◆◇◆
暗闇の中、森を歩いていくと魔物や動物の吠える声がありとあらゆる方向から聞こえてくる。
ルルとイリスに対する野生の視線も数多く感じるが、しかし襲ってくるものはいない。
むき出しの野生の中で、弱肉強食の中で生きてきた彼らには分かるのかもしれない。
今、二人が際立って緊張し、いつもなら抑えている魔力が噴き出していることが。
それに、二人の横には昼間にはいなかった一匹の小竜がくっついて飛んでいる。
「きゅいきゅい~」
もしかしたら、歌うように鳴いているその声にも、魔物を寄せ付けない効果があるのかもしれなかった。
ソランジュの小屋に辿り着くと、家の前に小さな魔術灯が灯されていて、暖かく二人を迎える。
こういうところにソランジュの人柄が見えるようで、それを見た二人は少し自分たちは緊張しすぎているのかもしれないと思い、深呼吸して心を弛緩させた。
「……叩くぞ」
ルルがそう言うとイリスが頷いたので、ルルは心を決めてソランジュの小屋の扉を叩く。
――こんこん。
と、柔らかな木を叩くとき特有の音が鳴り響き、しばらくしてソランジュが家開きのドアを開いて二人を迎えてくれた。
その表情は、笑顔だ。
「おぉ、よく来たね。草の伸びきった道を往復するのは大変だったろう……ん? それは……小竜かい? まぁいい……さぁ、入りな」
その言葉も優しく、敵意も害意も感じない
ここに来て、二人は自分たちの緊張が徒労だったことを理解し、ふっと肩の力が抜けた。
ソランジュに、ルルたちをどうこうするつもりはあらゆる意味でないらしいと分かったからだ。
二人はソランジュに頭を下げ、それからリガドラと連れ立って、中に入っていったのだった。
同じテーブルについた三人。
リガドラは地面に置かれた皿の上の餌を夢中になってばくばく食べている。
そして、
――ことり。
と二人の目の前に置かれたカップの中には、ふわりと湯気を立てる透き通った緑色の液体が入っていた。
香りは爽やかな、鼻に抜けるような清涼感を感じるもので、口をつけると舌をひんやりとさせる、気分をすっきりとさせる味がした。
そして、少し懐かしいような――そんな気もした。
「私特製のハーブティーだ。あんまり村人以外には出さないんだが、今日は特別だよ」
そう言ってソランジュは微笑む。
小屋の前には確かに小さな菜園があり、そこにはハーブもいくつか栽培されているのが見えた。
それを彼女自身が調合して作ったのだとするなら、かなりの腕前である。
王都の店で出してもおかしくない、そんなレベルだ。
だから、彼女の次に放った言葉は予想外だった。
「――お母さまに教えてもらったんだ。これは、私たちが良く飲んでいたものよ、ってね」
その“私たち”が何を指すのか、分からない二人ではない。
この単語を面と向かって出すのは、グランとユーミス以外では初めてだったが、しかし自分でも驚くほどに、すっと出てきた。
「――古代魔族か」
その答えに、ソランジュは笑みを深くして頷いた。
それから、誰も何も言わずに、無言の時間がしばらく続いたが、それに耐えられなくなった、というわけではなく、自然とできた間に入り込むように、ソランジュが言った。
「私はね……昔、孤児だった……。数十年前の話になるが、この辺りの地域で、貴族同士の小さな小競り合いがあってね。そのときに、私の両親も、親族もみんな亡くなってしまったんだ」
「それは……」
大変だったな、と言うべきな気もしたが、ソランジュはもう割り切っているようで、あえて今さらそんなことを言うのは陳腐にも過ぎる気がした。
幾度となく言われてきたことだろうと、その表情を見て分かったからだ
だから、先を続けずに、ルルは口ごもる。
イリスも何も言わずに、ソランジュの話を聞いた。
「村の者たちは、みんな私はずっとこの村で生きてきたと思っているよ……それは、私が自分の事を話さなかったから、それに村人たちの親や祖父たちが、それを子供に伝えなかったからさ。ありがたい配慮だね」
いつの時代も、よそ者に対する反応と言うのはあるもので、特に孤児に対する風当たりというのは弱くない。
普段は普通に接していても、ふとしたところで顔を出す。
あの人は、所詮はよそものだから、と。
そういう差別を村の者たちは嫌ったという事だろう。
立派なことだと二人は思う。
「それは何より、私が村にとって貢献できる人材だったからだが……その技術の全てを、私はお母さまから学んだんだ……。かつて、私は親族全てを失った時、この村の辺りに流れてきた。誰も頼れる気がしなかったからね。近くに村があるのは分かってたけど、あえて森の奥で暮らしてたんだよ……そしてね、ある日、気づいたんだ」
「……何に、ですか?」
イリスが促すようにそう尋ねた。
ソランジュは、ふっと笑い、
「それはね……ここで話すのは何だ。少し行きたいところがある。ついてきてくれないかね?」
そう言って立ち上がった。
ルルたちに否やは無く、彼女の後をついて歩くことにする。
リガドラもソランジュが用意してくれた餌を食べ終わったらしく、置いてかれまいと急いで飛んでルルの頭に乗っかった。
「きゅいきゅい~!」
そして森の中を歩く間中、ずっと楽しそうに鳴いていた。
ソランジュはそんなリガドラを見て、
「またにぎやかな小竜だねぇ。しかし、小竜が鳴き声を上げていたら普通、魔物が寄ってくるはずなんだが……一切来ないね。不思議だ」
と首を傾げていた。
リガドラが本当にただの小竜に過ぎないのだったらそうなってもおかしくない。
小竜は弱い魔物だ。
餌にするのにこれほど都合のよい生き物はいない。
けれど、実際、リガドラは古代竜なのである。
そんなものを食べてやろうなどと言う勇気を持った魔物など、そうそういるはずもない。
だから、それが分かっているルルとイリスにとって、魔物が寄ってこないのは不思議でもなんでもない。
ただ、一応の説得力を持たせるため、適当なことを言っておくことにした。
「リガドラ――こいつはさっきまで、俺達の馬車を牽いている双頭竜とじゃれてたからな。その匂いでもついてるんじゃないか?」
と。
その台詞にソランジュは納得したようで、
「なるほどね。双頭竜か……そんなものを“馬”にしてるなんて変わってるが……まぁ、不思議じゃないのかもね。あんたたちみたいなのなら」
と、また心臓に悪い言い回しで言ってくれたのだった。