第151話 納得
洞窟に辿り着いたのだが、そこには誰もいなかった。
ソランジュは未だ中で何かをしているらしく、戻ってきた気配がない。
イリスたちにはこのまま戻ってもらっても良かったのだが、みんなで戻った方がいいだろうと思い、別れないことにした。
「――へぇ、二人はソランジュに教わったのか」
ソランジュが洞窟の奥から戻ってくるのをただ待つのも面白くないし、ルルとイリスはユルクとステファニ―の話を聞くことにした。
年少組の二人も、ルルたちの話を聞きたがっていたのであるし、闘技大会のことはイリスも話していなかったようなので、話題は尽きなかった。
その中で、ユルクとステファニ―、それにもう一人の少年ティメオの師匠の話になり、それはソランジュであると聞いてルルはなるほどと思った。
普通、こう言った村で冒険者を目指そう、という者は引退した冒険者や騎士、それに狩人などに武術や魔術の基礎を学ぶのだが、この村にはソランジュという腕のいい魔術師がいる。
彼女に学ぶのが冒険者になるためには最も良い選択であるのは明らかだ。
しかも、聞くところによるとソランジュは剣術についても心得があるらしく、少年二人は剣術を、ステファニーは魔術を主体に教えてもらっているのだと言う。
少年たちの腕がどの程度のものなのか気になったルルは、イリスに尋ねる。
「この二人はどうなんだ? 強いのか?」
イリスは少し考えてから答えた。
「ステファニーさんとは戦っておりませんので何とも申し上げられませんが、ユルクは悪くない腕でしたわ。このまま努力し続ければ、の話ですが、14になるまでには初級冒険者になるのに問題のない腕になるものと」
この言葉に驚いたのはユルクであり、目を見開いて、
「ほ、本当か!?」
と尋ねる。
イリスは頷いて、
「ええ。もちろん、嘘は申し上げませんわ。私に負けたことを気にされていたようですが……何と申しましょうか。これはうぬぼれに聞こえてしまうかもしれませんが、私の対戦相手が一端の初級冒険者であっても、ユルクと同じ結果になると思いますので。ですから、気に病む必要は、ありませんわ」
遠慮がちにそう答えた。
しかしユルクは何とも言えない表情である。
褒められたのは分かっているようだが、いかんせんイリスが戦っているところを彼は自分との模擬戦でしか見ておらず、しかもその実力はユルクに合わせてかなり手加減されたものでしかなかったからだろう。
本当に自分はいつか冒険者としてやっていける実力があるのだろうかと未だに不安そうな表情である。
これは口で言っても頭に浸透しないのだろうと思ったルル。
どうしたものかと考えていたところ、イリスの腰に似合わない木刀が短剣と一緒に下げられているのが目に入った。
見ればユルクの腰にも同じものが下げられており、おそらくは二人が模擬戦をしたときに使ったものだと思われた。
これは使えそうだ、と思ったルル。
イリスに言う。
「イリス。ただ待っているのもなんだ。未来の後輩に、お手本でも見せてやらないか?」
そう言った理由は単純で、イリスのそこそこの本気を見せてやり、彼女に手も足も出ずに負けたとしても全く気に病むようなことではないということをユルクに教えてやるためだ。
ついでにそれなりに強い者の立ち回り、というのを見せて、いつかのために役立ててもらえれば、というのもあった。
イリスもユルクの気落ちしている様子を見て、なんとか元気づけてやりたいと思っていたのだろう。
即座に頷いて、木刀を抜いた。
「――そうですわね。そうしましょうか。ユルク、木刀をお義兄さまに貸してもらえますか?」
「え? あ、うん……」
言われてユルクは腰に下げた木刀を抜いて、ルルに渡した。
ルルはそれを受けており、何度か振り回して感覚を確かめると、
「……よし、イリス。いいぞ」
そう言って構え、イリスが来るのを待った。
「ユルク、ステファニー、少し下がって見ていて下さいね。危ないかもしれませんので」
その言葉に二人がルルとイリスから少し距離をとった直後、イリスは地面を蹴って駆けだしたのだった。
◆◇◆◇◆
はじめ、二人の手合せは大したことが無かった。
ユルクにも、そしてステファニーにも十分、剣の軌道が見えるものであったのだ。
実際に、その速度の剣を年少組二人が受けることが出来るか、またあれと同じレベルで戦えるのか、と言われるとまだまだ無理であると言うほかないレベルの、十分に実践的な剣であったのは間違いないが、しかしこれで闘技大会優勝、準優勝者であると言われても拍子抜けとしか言いようがない。
そんなものだった。
しかし、そんな感覚は大間違いであったことを、ユルクとステファニ―は次の瞬間、知る。
「――見ましたか、二人とも。今のが一般的な初級冒険者の実力です。ステファニーさんはわかりませんが、ユルクはあと数年もあればこのレベルに到達できるでしょう。そして、次が中級冒険者……」
イリスがそう言った瞬間、スイッチが入れられたかのようにルルとイリスの立ち回りが変化する。
速度も、そして力も段違いに上昇し、もやもやとしてはっきりとは感じられなかったが、明らかに強い魔力が使われていることが感じられた。
イリスの強い踏込みは地面を抉り、振り降ろされた剣はルルに向かって恐ろしい速度で襲い掛かる。
あれは、どうあっても避けられない。
年少組二人はそう思って顔を両手で覆いかけるも、かぁん、と木と木がぶつかった時になる高く大きな音が響き、イリスの剣が弾かれたので目を見開いた。
ルルは全く恐れずにその軌道を見つめて、正確に防御をしたのだ。
しかもそれだけではなく、即座に体勢を変えてイリスに向かって剣を突きだしたのだ。
イリスの喉に向かって真っすぐに最短距離を走る剣に、年少組二人はまたしても目を瞑りかける。
けれど、二人には予感があった。
きっとこれすらも――
そう思った瞬間、いつの間にか引き戻されていたイリスの剣の柄が、ルルの鋭い突きを受けて弾き飛ばしたのだ。
やっぱり、と二人は思った。
これは本当に本気で戦っているわけではないのだと。
年少組二人に、ただ見せるために戦っている――つまりは演武なのだと、そこで理解した。
ソランジュに型も一通り学んでいる二人である。
演武と言うものをやったことはあるし、決まった動きを出来るだけ早く正確に行う、というものだということも分かっている。
ルルとイリスが今やっているのはきっとそれなのだろう。
しかし、それにしたって二人の動きは余りにも速すぎた。
しかも一撃一撃に必殺の威力が籠められており、当たったらただではすまないだろうということが一目で分かる。
さらにイリスは、これが中級冒険者のレベルだと言う意味合いの言葉をさきほど言っていた。
冒険者、というのが通常の人とは異なる強力な戦士であることは知っていたが、実際に目にしてみるととてつもないことがよく分かった。
ソランジュも同じことが出来るのかもしれないが、ユルク達の自信を失わせないためか、しっかりと基本が身に着いてから、と考えてかここまでの武は見せてもらっていなかったため、感動も一入である。
そして、イリスはもう一言、言う。
「――中級レベルはこの辺でいいでしょうか。次は上級になりますわ……お義兄さま!」
「あぁ……」
ルルがそう返事をすると同時に、ユルクとステファニ―を球状に包み込む結界が形成される。
二人にはそれが結界であることは分かっても、ルルとイリスのどちらが張ったものなのかは分からなかった。
ただ、恐ろしいほどに高度な技術に基づくものであることはなんとなくわかった。
結界というものは、基本的に前方に平面の形で張るものであり、曲面の形に形成するのは技術的に難しいとソランジュに聞いたことがあったからだ。
ただ、一流はそれを可能にするとも。
それから、イリスは言う。
「これが、上級の戦いですわ」
その瞬間、二人の剣戟は激しさを更に増し、その上、その合間合間に魔術が飛び交い始めた。
木刀は片手で振り、空いた方の手を使った魔術を放ち、防御しているのだ。
威力はやはり高く、当たれば重傷は免れない、そう感じさせるような強力な魔術である。
呪文は唱えているが、武器を振りながら、また縦横無尽に走り回りながら一切とちらずに唱え切るその集中力に二人は感嘆する。
「ユルク……信じられないよ」
ステファニーが口を開けたままそう言った。
ユルクも同じような表情をして頷く。
「……あぁ。凄すぎる……」
光り輝く魔術のぶつかり合いに、鋭い斬撃や突きの応酬、また体術も使われており、考えられるありとあらゆる方法でもって二人の戦いは形成されているのだ。
そうして、二人の戦いは徐々に終盤に向かっていく。
だんだんとイリスが押されていき、距離を詰められていっているのが、年少組二人にも何となくわかった。
そして、最後の瞬間、ルルの手から放たれた魔術はイリスの眼前で閃光を発し、一瞬イリスの視界を奪う。
「しまっ……」
イリスがそう言ったそのときには、イリスの首筋に木刀が添えられていた。
「俺の勝ち、だな」
ルルがそう言って笑ったと同時に、ユルクとステファニ―は二人に拍手を贈ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……あれは、演武じゃなかった?」
ユルクが、戦いを終えた二人から聞いた言葉にそう呟いて唖然とした表情を見せた。
ルルもイリスも、ただ相手の出方を見ながら手を考えていただけで、特に事前に決めた手順をなぞっていた訳ではなく、本来の意味での演武ではなかったことを説明しただけだが、ユルクにもステファニーにもそれは驚きの事実だったらしい。
「ぶっつけ本番で、あんなに突いたり切ったりしてこわくなかったの?」
ステファニーがそう尋ねたので、ルルは答える。
「あれくらいなら避けられるし、相手――イリスもそうだと初めから分かっているからな。本当に本気で戦うならともかく、あの程度だったら問題ないさ」
「そうですわね」
イリスもその言葉にうなずく。
その発言の意味するところは、つまり二人にはまだ上があるということであり、先ほどの戦いはその実力の一端でしかないと言うことに他ならない。
この二人は一体どれほど強いのか、と思う反面、ユルクはイリスに負けたことは全く恥ずかしいことではなかったのだとやっと心から理解し、安心を覚えたのだった。
それからしばらくの間、また雑談をしたのだが、洞窟の奥から人が歩いてくる音が聞こえたので中断する。
誰が来たのかは明らかで、それはユルクとステファニ―にもわかったようである。
その人物の顔が分かったと同時に、二人は彼女のもとに駆けていく。
「ソランジュのババア!」
「ソランジュおばあちゃん!」
ユルクの方は随分と荒い呼び方だが、村の男たちはそういう呼び方をしていたから、男の方はこれで固定なのかもしれない。
ステファニーの方の呼び方は、主に女性が使っているのだろう。
呼び方はどうであれ、二人の声には親愛の情が感じられ、それはソランジュも分かるようだ。
魔女染みたその顔をその印象とは正反対の明るい笑みに変えて、走ってきた二人を抱きしめて言う。
「おやおや、あんたたち、久しぶりだねぇ……しかしなんでまたこんなところに……?」
不思議そうにするソランジュ。
それも当然で、彼女にここまでの事情など分かるはずもない。
説明すべくルルとイリスはソランジュのところに近づいていく。
そして、ソランジュがルルを見て、
「あんた、理由が分かるかい?」
と言うので頷いた。
それから、ソランジュはルルの隣に誰かいるのに気付いたようで、ふっと視線をずらし、まじまじとイリスの顔を見つめた。
はじめ、ソランジュの表情は人を食ったような、彼女特有の魔女然とした表情だったのだが、不思議なことに、イリスの顔をしっかりと認識してから、その表情は一変する。
目を見開き、明らかに驚きを感じているような顔で、彼女は喉から絞り出すような声で、一言言ったのだ。
「……な、まさか……お母さま……!?」
その言葉に、一番驚いたのは言うまでも無く、イリス本人であった。
見つめるルルに向かって首を振り、
「いいえ! 違いますわ! まだ、私、子供など!」
必死過ぎて逆に怪しい……などと、意地悪なことを言うつもりはない。
そもそも、ソランジュの年齢を考えれば、イリスの子どもであるはずがないのだから、疑う以前の問題である。
しかし、ソランジュがただイリスなりルルなりをからかうためにこんなことを言っているとは思えない。
基本的に、ソランジュは善良な者に見えるからだ。
それはその行動からも、物腰からも理解できることだ。
だから、ルルは直接尋ねることにする。
「ソランジュ、それは一体どういう意味だ?」
と。