第149話 フクロウと熊
「何か御用があるとのことですが……何でしょう?」
ルルが首を傾げてそう言うと、ソランジュはうるさそうに顔の前で大きく手を振って、
「もっと適当な口の聞き方でいいよ。あんまり丁寧すぎる口調は苦手なんだ」
そう言ってにやりと笑った。
別に無理している訳ではないが、それほど板についていないのがソランジュからは丸わかりのようである。
ルルは肩を竦めて、いつも通りの口調で話すことにした。
「そうか。分かったよ……全く。なんだか食えない婆さんだな……」
少し皮肉っぽい口調になったのは、何もかも見抜いているかのような独特の気配に少しばかり怯んだからだ。
しかしソランジュはそんなルルの態度すらをも分かっているとでも言うように特に非難することもなく、話を続ける。
「よく言われるよ。まぁ、事実だからいいんだけどね。ところで、あんたを止めたのは他でもない。あんた、魔術師だろう? 村人の頼みなんて聞いてくれる親切な魔術師なんて滅多に来ないからさ。ちょっと手伝ってほしいことがあってね」
「手伝い? 別に構わないが……」
一応、時間の問題もあるが、一日二日滞在が伸びてもそのときは双頭竜に飛ばしてもらえばそれでいいだけの話だ。
周囲に被害が及ばないよう、ルルとイリスが辺りに気を配って魔術を使用し続けなければならないかもしれないが、少し疲れるくらいで、大きな問題があるわけではない。
ルルが答えると、ソランジュは満面の笑みを浮かべ、
「よし、そうと決まれば早速行こうじゃないか」
と立ち上がって扉に向かったのだった。
◆◇◆◇◆
茂みの向こうに開けたところがある。
広めの洞窟があって、その口をぽっかりと開いているのだが、問題はそこではない。
「……こんなところで隠れて覗いてどうするんだ?」
ルルが茂みの中、隣にいる老婆ソランジュにそう尋ねると、彼女は言った。
「どうするも何も、あいつらを追い払うんだよ……おっと、殺しちゃダメだからね。あくまでも、少しの間、追い払うだけだ。分かったね?」
そう言って洞窟の中を指さした。
洞窟をよく見てみれば、そこには四体の魔物がいて、辺りを警戒したり、じゃれついたりしながらごろごろしている。
魔物とは言え、可愛らしいと言えば可愛らしいのだが、サイズが少しばかり可愛くない。
梟の頭と熊の肉体を持つその魔物――アウルベアは、おおよそ4メートル近い巨体を持っているからだ。
とは言え、四体のうち三体は50センチほどしかなく、どう見ても幼体である。
魔物の親子など中々見ることはなく、新鮮な光景だが、人の目線から見るなら駆除しやすいときに駆除しておくべき、となるからだろう。
見つかったら即座に処分されるのが普通、というわけである。
しかしソランジュにそのつもりはないらしい。
アウルベアは魔物の中でもそれなりに強い種であり、中級上位冒険者が数人いなければ相手に出来ないような存在である。
それはアウルベアが比較的知性の高い魔物であることに起因する。
他の魔物のように行き当たりばったりではなく、よく考えて戦うので、人からすれば厄介なことこの上ない。
そんな魔物をソランジュはどうする気なのか、と言うと、今彼らが巣にしているらしい洞窟からしばらくの間、遠ざけろと言うのだ。
「なんでそんな面倒臭いことを……さっさと倒してしまえばいいんじゃないか?」
ルルがそう言うと、ソランジュは首を振った。
「まぁ、あんたたち冒険者の価値観からするとそうなるのはよく分かるけどね。私はそうするつもりはないのさ。あのアウルベアの親子は最近、北の方から流れてきたんだけど……割と穏やかな気性をしていてね。森の魔物を適度に狩ってくれるから生きててくれた方が都合がいいのさ。この辺りには近づかないようにさっき、マルコたちにも伝えておいたし……あえて倒す必要はないんだ」
北の方から流れてきた、というのはやはり古代竜関係のことが理由だろう。
今ここにリガドラがいれば質問したい気分だが、あの竜は今、双頭竜と一緒にじゃれついて厩舎にいる。
竜同士、仲がいいのか、たまたま馬が合ったのか……。
まぁ、それはいい。
ともかく、ソランジュはあのアウルベアを倒したくはないらしい。
理由も納得できる。
魔物には魔物の生態系があり、それを一つ崩すと問題が起きることはログスエラ山脈の一件で明らかである。
今、アウルベアがいることで上手くいっていると言うのなら、それを崩したくないと考えるのはむしろここに根を張って生きている者としては当然の話になるだろう。
「まぁ、話は分かった。しかし、なぜわざわざ追い払わなければならないんだ? 放っておけばいいだろう……」
「言っただろう、ルル。少しの間、遠ざけておいてくれ、と。私はあの洞窟の奥にちょっと用があるんだよ。マルコに説明しなかった、ここ数週間家にいなかった理由もそれでね……」
どうやらあの奥になにかあるらしく、ソランジュはそれが目的でアウルベアを追い払えと言っているらしかった。
何があるのかは分からないが、一応、食事を食べさせてもらった恩がある。
あれは非常に美味しかったし、これくらいなら手伝ってもいいか、という気になったルルは頷いて言った。
「分かったよ。少しの間、追い払えばいいんだ?」
「あぁ、頼むよ。傷つけない、殺さない、だからね?」
「それも、分かった。じゃあ行ってくるよ……」
そう言って、ルルは洞窟に近づいていったのだった。
◆◇◆◇◆
――さて、どうしようか。
洞窟に気配を絶ちながら近づきつつ、ルルはどうやってアウルベアたちを追い払うかを考えた。
殺さない、はともかく、傷つけない、となるととれる手段は大幅に減ってしまう。
そもそもそういう絡め手じみたものは昔からルルの得意とすることではない。
いっそ洞窟ごと灰燼に帰する方が得意なのだが、そんなことするわけにはいかないのは当たり前だ。
そうして、洞窟のほど近くの隠れるのにちょうど良さそうな岩の陰で、アウルベア親子をしばらく観察してみた。
一体の親と思しき巨大なアウルベアが、三体の小さなアウルベアを横になって見張っている。
そんな様子だった。
親のアウルベアはあまり体を動かさないが、子供のアウルベアは親と比べてかなり活発で、お互いにじゃれあって遊んでいる。
こぶし大の石をころころ転がして追いかけたり、お互いの背中に登りあったり、その様子は人の子どもと変わらず、愛らしく思えた。
「どんな生き物でも子供ってのは可愛いもんだな……」
と、ルルは一人ごちながら、ふと、そんなアウルベアたちを観察した結果、思いついた。
「これなら……いけるかな?」
ぶつぶつと言いながら、ルルはその手元に小さな魔力弾を浮かべて、アウルベアの方へと飛ばした。
そして、子供のアウルベアの前で、ふよふよと浮かべ、注目が集まったところで虫のように四方八方に乱舞させる。
親のアウルベアはやはり賢いのか、それを見て強い警戒の色を浮かべていたが、一匹の子どものアウルベアがそれに触れたときに、特に怪我も負わず、ぽよん、と風船のように弾き飛ばされたことで危険なものではないと判断したらしい。
またごろりと横になって子供たちを眺める体勢に戻った。
ルルはその魔力弾を殺傷性のないようにコーティングしており、今の状態はさながら弾力性のあるボールのようなものにしている。
だからこそ、アウルベアが触れても特に問題が無かったのだ。
そして、魔力弾は徐々に洞窟の外側の方へと導かれていき、子供のアウルベアは三匹そろってそれを追いかける様に洞窟から出てきはじめる。
親のアウルベアは外に子供が出て行こうとするたび、その首根っこをはむりと咥えて洞窟の中に戻すが、三匹となると中々手が回らないらしく、少しずつ外の方へと進んでいく。
それから、ルルはタイミングを計って、魔力弾の速度を上げて、遠くへと素早く飛ばした。
その瞬間、子供のアウルベアは突かれたように猛然と走ってその魔力弾を追いかけていく。
三匹揃って走って行ったので、親のアウルベアもそれに続いた。
洞窟から四匹のアウルベアは姿を消し、ルルは目的を達成する。
後ろを振り返るとすでにそこにはソランジュが来ており、
「やるじゃないか」
とルルを褒めた。
それから洞窟の中に向かって歩き始めたので、ルルもその後に着いていこうとしたのだが、ソランジュは、
「いつアウルベアが戻ってくるか分からないから、見張っててくれないかい?」
と言った。
洞窟の奥に何があるのか、気にならないでもなかったが、ソランジュからすればそこまでが"手伝い"のつもりだったのだろう。
アウルベアを散らすだけなら一人でも出来ることだ。
二人必要なのは、見張りと中に入る者とが必要だからだったというわけだ。
それを理解してしまったルルとしては、中に連れてけとは言いにくい。
そもそも中に用があるのはルルでなくソランジュなのだから、仕方ないだろう。
「……分かった。出来るだけ早く戻ってきてくれよ? さすがに何週間もここで立ち続けるのは勘弁だぞ」
それは、今日まで数週間ここにいたらしいソランジュに対するちょっとした冗談だったが、ソランジュは笑って、
「今回は大丈夫さ。私が戻るまではアウルベアを近づけないように頼んだよ」
そう言って洞窟の奥へと姿を消したのだった。
洞窟の奥は暗闇に満ちていて、ソランジュはすぐにそこに呑みこまれてしまい、中に何があるのか分からない。
目を凝らしてみてもよく見えないので、ルルは諦めてソランジュを待つことにした。
「……暇だな」
闘技大会からこっち、ずっと忙しくしていたので、ぼんやりとする時間は余りとれなかった。
改めてあまり長く、手持無沙汰な時間を与えらえると何をしていいものか分からなくなる。
空を見上げれば青く、鳥が数羽横切っていく。
「今頃、イリスは何をしてるんだろうな……」
出てくる前の様子だと、あの少年たちに冒険者稼業について教えているか、宿の主人からシチューの作り方を教わっているかしているはずだ。
戦乱の時代には考えられない平和な自分たちの生活にふっとルルは微笑み、ぼんやりと見張りをすることにしたのだった。
◆◇◆◇◆
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!!」
宿でシチューの作り方を学んでいたイリスのもとに、二つに結んだ髪を振り乱して慌てた様子のステファニーが駆け込んできたのは、彼女たちと別れてしばらく経ってのことだった。
「どうしたのですか? ユルクは見つかりましたの?」
イリスとの模擬戦に敗北し、どこかへと走り去ったユルク。
ステファニーは彼をもう一人の少年ティメオと共に追いかけて行ったはずである。
それなのにここにいるということは、見つかったと考えるのが普通だが、ステファニーの様子を見る限り、そう言った喜ばしい報告ではなさそうだと感じる。
ステファニーは言う。
「違うの……ティメオと一緒に探してみたんだけど……ティメオ、途中でユルクを見失っちゃって。それで、ユルク、村のどこにもいなくて」
「どこかに隠れているとか、そういうことではないのですか?」
普通、こういった村の子どもと言うのは村の中から出ない。
近くに森があっても、そこが魔物の巣窟であることを親や他の村人たちによく教えられて恐れているからだ。
しかし、ユルクは違うらしい。
ステファニーは言う。
「ユルク、かくれんぼは下手だから……村にいるなら、私もティメオも簡単に見つけられるの。でも、いない……だから、たぶん村の外に行ったんだと思う」
「それは……大人には言ったのですか?」
「うん。それで、やっぱり村の外に行ったんだろうって。何人かの大人の男の人が武器をもって森に行ったんだけど……」
「そうなのですか……だったら……」
それを聞いて、イリスは少し安心する。
村の男が出て行ったのなら、おそらくはすぐに見つかるだろう、と思ったからだ。
子供の足だし、森の中を良く知っているだろう村の者なら、簡単に追いつけるのではないか、と思ったからだ。
けれどステファニーは、
「ううん。見つからないかもしれない……」
と不安そうに言った。
なぜなのか、と思ってイリスが尋ねると、ステファニーは答えた。
「橋が出来たんだって。だから、ユルク、たぶんおばあちゃんのところに行っちゃったかもしれないから……橋の向こうは危ないの」