第148話 森の魔女
橋作りはかなり順調に進んだ。
と言っても作ろうとしている橋自体がそれほど巨大なものではなく、数メートルの距離の崖を繋ぐと言う小規模なものだったからだ。
森の奥に進んでいくと、眼下に沢の流れているそれなりの深さの谷があって、今回渡すべく橋はそこに作るという事だった。
崖の向こう側を見てみれば、確かに人によって踏みしめられたと思しき道があり、頻繁に利用されていたのだという事が分かる。
ただ、橋が落ちてしばらく経っているからか、草が茂ってきていて、手入れがされていない。
村との行き来はかなり遠回りをしない限り、ここを通るしか方法は無かったと言うのであり、また橋が落ちてから向こう側に住んでいるお婆さんが村を訪ねてきたことはないらしく、果たして今も生きているのかどうかとルルは不安になった。
山奥に一人ぼっちで高齢の女性が生き残ることが出来るのだろうか、とそう思ったからだ。
しかし、そんなルルの質問に村の男たちは笑って答えた。
「あの婆さんなら確実に生きてると思うぜ。あれは死んでも死なないババアだ」
「おう、その通りよ。小さな頃、よく山菜の採り方なんかも教えてくれたしなぁ。森があれば誰もいなくても生きていけるって言ってたぜ」
「俺は鳥や兎の捌き方を教えてもらった記憶があるぜ……いやぁ、あんときは婆さん、魔女にしか見えなかったなぁ……」
全員そろってしみじみとそんなことを言っている。
魔女とは、魔法使いの女、という意味合いではなく、得体の知れない特殊な力を使う迷信の存在のことを指す。
昔はそんな言葉は無かったが、現代においてはよく昔話や絵本などで出てくる単語だ。
つまり、彼らの話をまとめるとよほどの化け物婆さんが棲んでいるということになってくるが、しかし言葉ほど彼らはそのお婆さんを恐れている訳ではないようだ。
むしろ、かなりの愛情を感じる。
だからこそ、かなりの苦労をしてまで橋を早急にかけ直そうとしているのだろう。
「生きているのならいいのですが……森に慣れている人だったのですね」
村を離れて森に一人住んでいるような人である。
ある意味当たり前の感想だったのだが、全員がそれに頷いているのが印象的だ。
尊敬と畏れと親愛を感じさせる彼らのその反応に、ルルはその問題のお婆さんに会ってみたくなる。
だからルルは言った。
「では、早く橋をかけてしまいましょうか……私は浮遊魔術が使えますので、向こう側に簡単に渡ることが出来ます。お役に立てますか?」
本来の計画では一行のうちの何人かが遠回りして向こう側に向かう予定だったという事をここに来る途中で聞いていたからこその提案だ。
浮遊魔術は簡単ではないが、現代において使える魔術師も普通にいる。
一般的にも知られているものなので、村人たちは喜びの表情を浮かべたが、それほどの驚きは無かった。
「あんた、その若さで一端の魔術師なんだなぁ。助かったぜ」
せいぜいが、そんなものである。
実際にルルが使おうとしているのは浮遊魔術ではなく、飛行魔術なのだが、違いなど村人には分からないだろう。
向こう側に張るべきロープや素材を持っていき、また村人も何人か運んでから、作業は始まったのだった。
◆◇◆◇◆
「恐ろしいほどはかどったな……」
「あぁ、全然疲れないし、力もいつもの倍は出たぞ……」
完成した真新しい橋を目の前に、村の男たちは驚いたように見つめていた。
実際、橋は信じられないほどのスピードで完成まで漕ぎ着け、それはいつもこういった大工仕事をしている村の男たちをして驚かせるほどの速度であった。
比較的朝の早い時間から始めたとはいえ、未だ昼にもなっていない。
これは驚異的と言うほかなく、原因が見当たらない男たちは自分の手や体を見ながら不思議がっていた。
真実はルルが仕事をしている全員に対して身体強化をかけ続けたためであるが、別に言う必要はないだろう。
明日からも同じくらいのことが出来ると勘違いされると問題だが、男たちの会話を聞いているかぎり、今日の作業はほとんど奇跡に近いもので、もう一度同じことが出来ると思わない方がいいだろう、という方向でまとまっていたのでそういう心配はせずともいいだろう。
「じゃあ、戻りますか?」
ルルがそう尋ねるが、村長がその言葉に首を振る。
「いや、橋が完成したことをソランジュに伝えねばならんのでなぁ。皆は帰っても構わんが……どうする?」
ソランジュ、というのは件の老婆の名前らしく、振り返った村長は彼女のもとを訪ねるという事だ。
ルルも彼女には会ってみたかったので、村長に着いていくことにしたが、ここまで来た村の男たちも誰一人として戻らないあたり、ソランジュは好かれているらしい。
ルルを含めて十人ほどの男達で、老婆の家を訪ねるのはかなり驚かせるのではないかと思ったが、村の男たちは口々に、
「あの婆が驚くわきゃない」
「誰かソランジュ婆さんが驚いてるところ見たことあるか?」
「ねぇよ。そんなことが起こったらそれこそ空から槍が降ってくるんじゃねぇか?」
などと言って気にも留めない。
聞けば聞くほど、ソランジュがどういう人物か想像できなくなっていくが、会うのが楽しみにもなってきた。
あまり整備されていない道を歩きながら、ルルは歩きやすいように魔術で適当に雑草の類や伸びた蔓などを取り除いて男達と進んでいった。
◆◇◆◇◆
「……あんたら、また大勢で来たねぇ。全く……何しに来たんだい?」
小さな小屋の前で腕を組んで待っていたその人は、開口一番そう言って眉を顰めた。
とんがり帽子に暗い色のローブを纏ったその恰好は確かに魔女染みた雰囲気を帯びている。
しかし、こうやって目の前にすれば分かるが、どうやら彼女は優れた魔術師のようだった。
薬師としての仕事はその魔法技術によってなされているのだろう。
こんな森の奥でくすぶっているような力量にも思えないが、そこは個人的な事情だ。
突っ込んで聞くのも失礼だろうと口を噤んだ。
村長はソランジュのそんな言葉に笑い、
「全く変わらないな、ソランジュ……まぁ、数週間で人が変わるわけもないかの」
ソランジュは村長の言葉にふんと鼻を鳴らし、
「当たり前さね。何十年とこの性格で生きてきたんだ。いまさらころころ変わったりするものかい」
「違いない」
くつくつと含み笑いを浮かべる村長を見て、ソランジュは表情を変えて言う。
「――で、あんたらが来れたってことは、橋をかけてくれたのかい?」
憎まれ口をたたきつつも、彼女は状況をしっかりと理解していたらしい。
村長は頷いて、
「あぁ。あんたには必要ないのは分かってるんだがな。村人たちが寂しがる……わしもだ」
ルルはそれを聞いて確かにそれもそうか、と思った。
ソランジュは魔術師であろうことは間違いなく、あの程度の崖ならいくらでも渡りようがあるだろう。
浮遊魔術も使えるだろうし、もし使えずとも土の魔術や植物の魔術などを使って即席の橋でも作ればいい。
強度や耐用期間などが一応問題になるが、彼女一人が渡るだけなら魔力があるときに作ればいいだけの話なので問題ないだろう。
しかし、そうすると村人たちが自由に彼女のもとを訪ねる、というのは難しくなるし、それは困るという事らしい。
やはり、ソランジュは好かれているようだった。
「別におべっかなんて要らないよ……ったく。ま、お礼は言っておくさ。ついでにあんたら、もうそろそろ昼だ。腹が減っただろう? なんか食っていくかい?」
仏頂面だったその顔に、にやりとした微笑みを浮かべてソランジュがそう言った時、その場にいた村の男たちは喜びの声を上げて、口々にお礼を言った。
「まじかよ! それが目当てで村長についてきたんだ!」
「婆さんの料理はうまいからなぁ……ありがてぇ」
「材料足りないのあったらいってくれよ! 探してくるから!」
そんな風に。
それはまるで久々に会った母親に対するような態度であり、ルルもここに来てソランジュが村人にとってどういう存在なのかがよく理解できた。
「好かれてるんだな……」
ぼそり、とルルがそんなことを言うと、ソランジュはふとルルを見て、
「おや……? 見ない子だね。どこかから引っ越してきたのかい?」
とルルと村長に向かって尋ねた。
村長は、
「いや、彼は冒険者だよ。街道を進む途中、一晩の宿にうちの村を選んで滞在しているんだ。もしよければ、と言うことで今日の橋の工事の手伝いを頼んでみたんだが、快く受け入れてくれてな。彼にもあんたの食事を味わわせてやってくれないか?」
「ほう……それは申し訳ないことをしたねぇ。こんな年寄のための橋作りなんかさせて悪かったよ。あんたがよければだけど、食べていくかい?」
ソランジュはそう言ってルルに笑いかけた。
それは非常に温かい微笑みで、きっといい人なのだろうと確信が出来た。
だからこそこれほどまでに好かれているのだろうとも。
しかしそれだけに、どうしてこんなところで村人たちから離れて暮らしているのか、不思議だった。
村で暮らして何の問題もないような気がするのだが……。
とは言え、それを尋ねるのも不躾かもしれない。
彼女には彼女の、村には村の事情があるだろうと湧き上がってきた疑問を飲み込み、ソランジュに笑いかけて言った。
「ぜひ、ご相伴に預からせてください」
ルルの言葉に、ソランジュはこっくりと頷いたのだった。
◆◇◆◇◆
全員がソランジュの小さな家に入ると言うのはどう考えても無理だ、とソランジュが言ったため、食事は外に布を敷いて行われることになった。
材料がなさそうな気がしたが、ソランジュの家の食料庫はまるで魔法の部屋で、全員分を十分に賄えるだけの材料が次々と出てきて驚かされた。
十人の食事である。
材料を切るだけでも重労働になるのではないか、と思って手伝いを申し出てみたが、
「あんたたちは客だ。客は黙って座ってるもんさ。――何、問題は無い。あんたは分かってるだろうけど、私は魔術師だからね。多少の身体強化くらい出来るのさ」
ソランジュはそう言って呪文を唱えて魔術を発動させた。
非常にこなれた魔術の構成をしていて、この年でも間違いなく魔術師として十分な活躍が出来そうな腕を持っているようだった。
それを料理のために使うのはどうなのだろうか、と思ったが、ルルも橋作りの為に身体強化を活用しているのだ。
戦いに使うよりはよっぽど平和的で、むしろこういう使い方が主になるのがいいのかもしれないと思った。
そうして、しばらくして出てきた食事はソランジュ一人で作ったとはとても思えない豪華なもので、
「さぁ、食べな。あんたたち!」
とソランジュが言った瞬間に物凄い勢いで減り始めた。
争うような勢いで村の男たちが手を出しているからで、ルルは呆気にとられて見つめていたが、
「……早く食べないとなくなるよ?」
とソランジュに言われて慌てて自分の分を確保すべく手を伸ばした。
料理のうちわけは、若鶏のハチミツロースト、山菜とベーコンのキッシュに、臓物の煮込みスープ、それから取れたての野菜のサラダなど、どれをとっても絶品であった。
「手伝った甲斐がある……」
あまりにも美味しかったので、ルルはふとそんな声が漏れる。
それをソランジュは聞いていたようで、
「そうかい? そんなに喜んでもらえたならありがたいね」
と嬉しそうに微笑んだ。
それから、ソランジュは村長と雑談を始め、
「村の奴らは元気かい?」
「あぁ……みんな元気だよ。幸い、特に病気にかかった者もおらんかったしな……」
「そうか。安心したよ……」
そう言ったソランジュの表情はつっかえ棒が取れたような雰囲気で、本当に村人たちを心配していたことが分かる。
それから、村長は言う。
「そういうお前こそどうなんだ? しばらく連絡が取れなかったから心配していたんだぞ……?」
「あぁ、すまなかったね。色々問題があって、忙しかったんだよ。私もさっき、ここに帰って来たばかりだったからね……」
「さっき? それは……」
「ま、聞かないでおくれ。これは説明が難しいんだ。もう問題ないことだしね。明日、みんなに会いに村に行くからさ……」
別に行きたくなくて村に行っていなかった、というわけではないようだが、ソランジュはその理由を言わなかった。
それから食事が終わって、みんなが村へ戻ることになった。
村長がソランジュに言う。
「では、また来る……あぁ、明日、来てくれるのだったな。皆に伝えておくから、必ず来るんだぞ」
そう言って手を振った。
それに続いていく村人たち。
そしてルルもそうしようとしたところ、
「あぁ、あんた、ルルって言ったね。あんただけ、ちょっと待ってくれないか。用事があるんだ。マルコ! ちょっとこいつ借りるよ!」
大きなしゃがれ声で少し離れた位置にいる村長にそう叫ぶと、村長は振り返って了解の意を示した。
ルルとしては別に少しくらいはかまわない。
頷いて、ソランジュが手招きする小屋に入っていったのだった。