第15話 父の帰宅
父が帰ってきたのはそれから二週間ほど経った後のことだった。
日も高く上った昼頃に、隣町からやってきた馬車に乗って帰ってきた父は、剣も鎧も身につけておらず、そこらの村人町人と変わらない軽装で、ぱっと見には腕の立つ剣士にはとてもではないが見えない。
穏やかで物静かな雰囲気、荷物の中にいくつもある分厚い書籍、それに今まで読書をしていたのだろう、文字を読むときにいつもかけている視力矯正用の魔法具をかけていて、騎士と言うよりは学者だと言われた方が納得のいく容姿をしている。
村の入り口につけた馬車から何冊かの書籍と、大きめの鞄を持って降りてきた父は、迎えに来たルルを見つけるとゆっくりと手を振ったのだった。
◆◇◆◇◆
「やぁ……久しぶりだね、ルル。元気だったかい?」
見た目を裏切らない柔らかで優しげなその口調は、以前と変わらない様子で、ルルは数年も会っていないというわけでもないのに、懐かしい思いがした。
「あぁ、元気だったよ……久しぶり。今回はこっちに長くいられるの?」
父の、パトリックの仕事は王都、王宮でのものであるから、そうそう休暇は得られない。だからこその質問だった。
本当なら家族揃って王都に住んだ方がいいのかもしれないが、母はこの村を気に入っているし、父も王都に母やルルを連れて行きたがらない。
母は昔は王都に住んでいたらしいのだが、父と結婚することになり村に来て、それからはずっとここにいるようだ。
二人とも中央、というものが好きではないのか、それとも他に何か理由があるのかは語ろうとしないので分からないが、そのような事情があるからこそ、ルルは大きな街へは行けなかったのである。
「そうだね、今回も……それほど長くはいられなさそうだ。すぐに帰るってほど短くもないけどね。だから、ルルとラスティに稽古をつける時間くらいはあるよ」
パトリックはそう言って笑った
いつも、パトリックが帰ってくると、ルルとラスティは稽古をつけてもらっている。
この村において、多少でも剣術の心得がある者は少なくないが、人に正確に教えられるレベルで剣術を修めている者はパトリックしかいない。
そのため、こうやって村に帰ってきたときは、村の子供が彼に教えて貰うことも少なくない。
村にいる間、パトリックは完全な休暇であって、他に何の仕事もないため、暇をしている。
とはいえ、騎士としてはその腕を衰えさせる訳にはいかないらしく、剣術の修行は一日たりとも休まずに続けるので、それを見ていた子供が彼に教えを請いはじめたのがその始まりらしい。
パトリックに教えられて、そのまま村を出て、冒険者になった者も何人かいて、ラスティはそれに続けとがんばっているわけである。
「今回はラスティが燃えてると思うよ。たぶん、必死でがんばるだろうから……あんまり無理しないように言っておいてくれ」
「ん? あの子に何かあったのかい?」
「それは後で話すよ……他にもいろいろ話さなきゃならないことがあるから」
「そうか……そういえば、メディアは?」
「今、家でイリスと一緒に昼食を作ってるよ。馬車がいつ来るか分からなかったから、さっきまでここにいたんだけどな」
そう言うと、パトリックはふむ、と言って頷いた。
「イリスか。手紙で聞いたけど、うちの養子にするって? 細かいことは書いてなかったけど、いったいまたなんでそんなことに……」
母が送った手紙だろう。
村でのことや、家族の近況などを書いて定期的に送っているものだ。
王都まで届くのに最短でも一週間はかかる代物だが、今回は割と早めに届いたようだ。
ただそれだけに細かい事情については書いている暇もなかったようである。
「本人は小間使いでいいって言うんだけど……母さんがね」
ルルの口調に思ったことがあるのか、パトリックもあきれたような顔になる。
ただし、反対というわけではなさそうで、ルルに質問した。
「メディアもまた無茶言うね……まぁ、いいんだけど。ルルもそれでいいのかい?」
突然知らない者が家族になって混乱しないか、ということを遠回しに聞いているのだろう。
パトリックからしてみれば、俺は小さな子供だ。
当然の気遣いだった。
けれど、それは全くの的外れである。
イリスは昔から家族のようにつきあってきた娘であり、ルル自身にしても、知らない人間とだろうと平気で生活できるくらいには図太い性格を前世で築き上げている。
だから、全く問題のない話だった。
「俺としてはぜんぜん構わないよ。イリスは礼儀正しいし、いい子だし……」
パトリックはそんなルルの言い方に、単純な賛意以外のものを感じたようで、顎をさすり、眼鏡を光らせて言った。
「ほほう……彼女かい?」
その言葉には多少のからかいの色が混じっていた。
親子のスキンシップという奴である。
しかし、ルルはそういうものに惑わされる年齢はとうの昔に過ぎてしまっていて、だからあきれたような口調になってしまったのも仕方のないことだろう。
「これから妹だか姉だかになる相手に彼女も何もないじゃないか……」
それだけでなく、正直に言えば友人の大切な娘である。
彼女にするには心理的なハードルが高すぎるだろう。
けれどパトリックは明確な論拠でもって反論をした。
「王国法では血がつながっていない兄弟姉妹との婚姻は禁じられていないよ。その場合は、別の家の養子にやってから、というのが形式だけど」
それは事実である。
家にあった、王国法典にもしっかりと記載されていた。
けれど、問題はそこにはない。
だからルルは言った。
「法律の問題じゃなくて……」
そうして結局一切、恋愛の色のようなものを出さなかったルルに、パトリックもやっと理解したのか、
「ふむ……その様子では、可能性は低そうだね? まるで本当の妹のように感じているようだ……」
などと妙に鋭いことを言って話を切り上げたのだった。
それからルルはパトリックから本何冊かを受け取り、カディスノーラの屋敷の方へと歩き出す。
パトリックもその後に続き、しばらくして屋敷にたどり着いたのだった。
◆◇◆◇◆
屋敷にたどり着くと、母とイリス、それに使用人がパトリックを出迎える。
パトリックは一人一人に挨拶をして、抱擁した。
それは使用人についてもそうだ。
下級貴族だからか、それともパトリックだからかは他の貴族にあまり会ったことのないルルには分からないが、パトリックはかなり分け隔てない性格をしていて、村人に対しても使用人に対しても気さくに振る舞う。
名前だって、別に呼び捨てでも構わない、とすら言ってしまうほどの。
一歩間違えれば貴族としてのあり方を問われかねないその性格だが、村人たちも気を使って、人前、というか他の村の者や旅人がいるときはしっかりと様付けで呼んでいるので、そういう心配は少ない。
子供たちに関してはそういう気遣いが不十分な部分もあるが、そもそもこの村には大した人間は来ないため、今のところ問題が起こるようなこともないのであった。
それからパトリックは荷物類を整理して部屋におき、持ってきた本のうち何冊かをルルに与えた。
いつもパトリックはこうやって王都から帰ってくるとお土産にと本を書ってきてくれるのだ。
高価だろうに、どうしてそんなに持ってこれるのかと聞けば、蔵書に事欠かない友人もいるし、よく本を購入するので割安で手にはいるからだと答えていたのを覚えている。
その関係か、少し版が古かったり、ページの落丁があったりするものも少なくはなかったが、それでも十分な情報が得られるのでルルとしては問題なかった。
母とイリスが作った昼食をみんなで囲みながら雑談をする。
パトリックは話題豊富で、王都のことについても話してくれるが、その内容はルルくらいの年齢の者にも分かるようにとかみ砕いてくれたものであり、あまりつっこんだ話も年齢を考えると今まで普通の子どもとしてやってきた以上、しにくいところがあるので、ルルは情報不足を感じていた。
それを補うために、グランたちとの交流を持っておきたかったわけだが、その思いつきはやはり成功だっただろう、と久しぶりに父と会話して思った。
父の話してくれる内容は面白くはあったが、やはり冒険者とは視点がかなり違うようで、王都の雰囲気は伝わってくるのだが、他国との関係がどうか、とかそう言った話はあまりしてくれないのだ。
たまにしてくれても、伝聞だったり、大まかな話であることが多く、自分で見たというよりは人に聞いたり、本で仕入れた知識であることが多いのだろう。
事細かな話をしてくれないのは、ルルが見た目七歳である以上、仕方のないことかも知れないが、やはりいつ聞いても少し残念ではあった。
冒険者と異なり、そうそう、国境を越えていくことがないというのもあるだろうし、王国に忠誠を誓う騎士である以上、機密に触れるわけにはいかない、という配慮もあって、うかつに話せないということもあるのだろう。
総じて父は、冒険者の気軽でアバウトな部分とは正反対な気質を持っている人だと言えた。
食事をしている中で、そんなパトリックが、メディアから改めてイリスを養女にする話を聞き、彼は二つ返事で頷いた。
イリスと会話をして、彼女の気質というものを見極めて問題ないと判断したのだろう。
書類関係については王都に戻ったときに書いて提出しておこうとのことだった。
村に冒険者が来たときのことも話にのぼった。
その中で、ルルが遺跡に行ってしまったこともメディアからパトリックにばらされてしまったわけだが、それほど怒られることもなく、無理はしないように、と言われただけに終わる。
そして、話はもっとも重要なものに映る。
ルルは静かに切り出した。
「それで……父さん。相談があるんだ」
改まったその態度に、パトリックも思うところがあったらしく、朗らかだった笑顔をまじめな表情に変えてルルを見つめた。
「なにかな?」
「俺、十四になったら冒険者になりたいと思ってるんだ……だから、許してくれないかな」
何も取り繕うことなく、まっすぐと言ったルルを見て、パトリックは微笑む。
「……いいよ。うちも下級とは言え、貴族だから、いろいろ問題がないわけじゃないけど……それこそ、親戚から養子でもとればいいだけの話だ。まだ僕ら、若いから、君の弟が出来る可能性だってある。ただ……ルル」
あっさりと認めたかと思えば、言葉を切って何かを言いかけたパトリックに、彼が一体何を言い出そうとしているのか分からないほど、ルルの察しは悪くなかった。
ルルはゆっくりと頷いて、その言葉を待つ。
「あぁ」
「冒険者は、口で言うほど簡単な仕事ではないよ。だから、君に課題を出そうじゃないか」
「課題、か……」
どんなものが課題に出されるか。
それはなんとなく分かっていた。
父はこんな風に穏やかでいながら、その本質は苛烈な騎士である。
そんな彼が出す課題である。
言わずもがなであった。
パトリックは言う。
「そうさ……君は、十四の誕生日までに、剣の腕で、僕に認められなければならない。それが出来ないようでは、冒険者になってもすぐに死ぬだけだからね……いいかい?」
そう言った、パトリックの目は爛々と輝いていて、先ほどまでの優しげな微笑みとは異なった強い意志がその表情には宿っていた。
かつて魔王であったルルに挑んできた多くの戦士たち、彼らの持っていたものに勝るとも劣らない気迫が、そこに感じられたのだ。
だから、ルルは答える。
断ることは出来ないと、今も昔も分かっているから。
「あぁ……分かった。十四の誕生日までに、俺は父さんに認められるような剣士になってみせる」
パトリックの威迫を受けながらも、迷いのない表情でそう言い切ったルルに、パトリックは改めて笑った。
けれど、その笑顔はやはり、穏やかなそれではなく……戦士が好敵手を見つけたそのときのものに異ならなかった。
「それでこそ僕の息子だ。さぁ、そうと決まったら明日から特訓だね。君が強くなることを、僕は信じているよ」
そう言って、父は普段の表情に戻ったのだった。
果たして、ルルはパトリックに勝てるような腕前になれるのだろうか。
パトリックは強い。
この国最強、というわけでは決してないのだが、その腕は折り紙付きである。
なぜなら、彼の職業は、王国において最強と名高い王立騎士団、その剣術指南役に他ならないのだから。
レナード王国最強といったら、王立騎士団の団長、もしくは、宮廷魔術師長が挙げられるのが通常だろう。
けれど、剣術においては、おそらく王国でパトリックの右に出る者は、いない。
こと剣術において、彼の持った天稟は、他の追随も許さない。
そう言い切れるくらいに、彼は強いのだ。
並大抵の覚悟では冒険者になることすら出来ないことを悟ったルルは、食事をそうそうに片づけ、それから訓練用の木刀をとり、屋敷の庭へと向かった。
これからは毎日が特訓である。
そうしなければ、パトリックに勝つことなど、夢のまた夢なのだから。
そう思って。