第143話 頂きもの
次の日、王都正門脇にある騎士詰所にイリスと共に向かったルル。
荷物はそれなりに多いが、ルルとイリスの腕力からすれば大荷物と言う訳でもない。
旅慣れている、という訳では決してないが、もともと古代の様々な魔術を知っているがゆえに、荷物をかなり削れたという事もあり、遠出するにしては少ない方でもある。
そして、これから向かうべき目的地はログスエラ山脈であることから、当然のごとくリガドラも一緒であった。
「きゅいっきゅい~」
と楽しそうにくるくるルルとイリスの周りを飛び回ったり、道を歩く小さな子供にお菓子をもらったりしながら進む様は、確かに愛玩動物そのもので、ルルをしてこいつは本当に古代竜なのかと首を傾げさせる。
また、魔力が主食であるようだが、別に他に何も食べれないという訳でも、味覚が存在しないというわけでもなさそうで、美味しそうと思ったものはごく普通に口に入れることが分かった。
家にいるときも、イリスの作った食事を少し食べたりもしていたくらいである。
ただ、エネルギー源としては大して意味は無いようで、ルルからの魔力の摂取量に変化はない。
リガドラにとって、魔力以外の通常の食事はほとんど趣味に等しいらしい。
また、完全に消化するのか、それとも何か理由があるのかは分からないが、リガドラは排泄をしない。
世話をするルルやイリスにとっては楽でいいのだが、古代竜の生態の意味不明さをそれによって改めて知ることになった。
王都正門近くの騎士詰所に辿り着くと、ルルとイリスはまず、騎士詰所の責任者を呼ぶことにする。
そのために、まず、詰所の入口に立っている騎士に話しかける。
「……ここに来るように言われた、ルル=カディスノーラという者ですが……」
はじめ、ルルが正面に来たときには胡散臭そうな表情を浮かべていた騎士であるが、名前を名乗ると驚いたように頷き、
「あなたが……! と言うことは、後ろの方は、妹君のイリス様ですね? それと……小竜……? むさくるしいところですが、どうぞお入りください!」
と下にも置かない扱いを受けた。
闘技大会で名前は広まったようだが、顔自体はルルもイリスもそれほど売れていないらしい。
まぁ、あの闘技場の広さを考えれば、はっきりと認識できてなくて当然である。
何となく、子供だった、という印象はあっても、その顔形について覚えて無いのが普通のようだ。
イリスと顔を見合わせながら、お互いにその事実を確認すると、騎士に先導されて詰所の中に入っていく。
「きゅっ。きゅい。きゅっ。きゅい」
リガドラがきょろきょろとあたりを見回しながら飛んでいる。
建物は石造りの頑丈そうなもので、見た目よりは実用性重視の作りをしているようで、見てて楽しいものではない。
ただ、リガドラは割と楽しそうである。
しばらく進むと比較的広い中庭に出た。
そこでは何人もの騎士が訓練をしており、おそらくは訓練場なのだと思われた。
「こちらです……」
言われて中庭を囲むように作られた石造りの廊下を進んでいく。
途中、いくつものドアを通り過ぎた。
そして最後に辿り着いたのは、他のものよりも豪華な造りの扉で、先導してくれていた騎士は少しばかりの緊張を滲ませて、そのドアを叩いた。
「……失礼します。ルル殿とイリス殿が参られました!」
その声に対し、中から返答がされる。
張りのある、男性の声だった。
「うむ。中にご案内してくれ」
「はっ!」
そうして、騎士は扉を開き、中に進むようルルとイリスを促した。
どうやらその部屋は執務室のようで、本棚と大きな執務机、それに厭味にならない程度にそこそこ高価な調度品が設えられていた。
執務机にかけているのは一人の壮年の男性で、均整のとれた体つきは明らかに騎士のものだが、穏やかそうな表情と気品のある顔立ちはあまり戦いを生業とするものには見えない。
どちらかと言えば、王宮に仕える文官であると言われた方が納得のいく容姿をしているのだが、しかしかなりの腕を持っていることはルルとイリスの目から見て明らかだった。
「よく来て下さった。ルル殿、それにイリス殿。私はバシリウス=ランプレヒトと申す者。この詰所の責任者を務めてさせて頂いている。一応、爵位も子爵の地位を持っているが、それはついでのようなものでしてな……あまり気にしないでいただきたい……」
そんな風に始まった彼の挨拶に、ルルとイリスも返答する。
「丁寧な御挨拶、ありがとうございます。私がルル=カディスノーラ、そして、こちらが……」
「イリス=カディスノーラでございます。よろしくお願いいたします」
「きゅいー」
二人とも、よそ行きの顔で答える。リガドラだけは違ったが。
子爵、と言うとすでに二人の父に当たるパトリックよりも上の地位である。
気にするなと言われても父の立場に関わると問題なので、出来るだけ波風は立てないようにと考えてそうした。
そんな二人の反応に、ランプレヒト子爵は穏やかな微笑みを浮かべ、それから後ろに控えていた案内の騎士に言う。
「お前はもう下がって良いぞ。それから、厩舎のゲルトに準備するように伝えておいてくれ」
「はっ。では、失礼いたします」
そう言って、騎士は下がっていく。
扉が閉まり、騎士が遠ざかっていく足音を確認し、ランプレヒト子爵は若干その表情を変えて、ルルたちに言う。
「ふむ。これで、本当に楽にされても構いませんぞ?」
そんな風に。
その意味するところは明らかだが、貴族としての地位を持つ人物がそんなことを言う理由が思い浮かばず、なんと反応して良いものか二人とも迷った。
しかし、二人の横に飛んでいるリガドラはそんなことを気にするような存在ではなかった。
「きゅいー!」
と飛んで行って、ランプレヒト子爵の肩に飛び乗る。
ルルとイリスはそれを見て真っ青に、とまではならなかったが、少し顔を引き攣らせた。
言葉を理解できるから多少は空気も読むかと無意識に考えていたのだが、そんな訳は無かったようだ。
一般的な貴族であれば、ここで無礼であると怒ってもおかしくはないところだが、ランプレヒト子爵は浮かべていた微笑みをひっこめないまま、肩に載せたリガドラを撫でる。
「おぉ、おぉ。中々に人懐っこい小竜ですな。愛嬌がある……」
「……申し訳ないことです。実のところ、拾ったばかりであまり躾も出来ておらず……」
とルルは言い訳臭く謝った。
もちろん、嘘ではないのだが、そもそもこれから山に帰しに行く古代竜である。
躾などする気はさらさらない。
ルルの言葉にランプレヒト子爵は、
「拾われたのですか……という事は、この小竜は迷い竜なのですかな?」
「いえ、特に首輪なども付けておりませんでしたから……野生のものが王都に入り込んでいたのではないかと」
古代竜を飼っていたことがある者がいるのなら、迷い竜と言っていいのかもしれないが、いるはずがない。
だからそんな答えになったわけだが、ランプレヒト子爵はそんなルルの考えなど知らず、頷いた。
「ふむ……これほどの角と瞳を持っておるなら、すぐに捕まえられてもおかしくはありませぬ。ルル殿は運がよろしかったんですな」
そう言って。
どうやらランプレヒト子爵は小竜について詳しいらしい。
気になったイリスが尋ねる。
「……子爵は、小竜をお飼いになっておられるのですか?」
その質問に子爵は頷き、
「ええ。屋敷に二匹おりますよ。世話は私と言うより、妻と娘がしておりますから、私が飼っている、と言っていいのかどうかは分かりかねますが。その二匹もかなり良い血統のものと自負しておるのですが……ルル殿の小竜は我が家の二匹よりもずっと気品があって美しいですなぁ……」
どことなくうっとりしたような目でリガドラを見つめるランプレヒト子爵。
喉を撫でられたり翼の付け根をこりこりされたりして、リガドラも気持ちよさそうである。
もういっそ、ランプレヒト子爵に譲ってもいいのではないかとも思うが、リガドラにはログスエラ山脈の魔物の鎮静化を担ってもらわなければならない以上、そう言うわけにも行かない。
ルルは楽しそうなリガドラを子爵からゆっくりと離し、本題に戻ることにした。
リガドラを掴んで引き離そうとしたとき、リガドラはそうでもなかったが、子爵がだいぶ悲しそうな目でリガドラを見ていた。
しかし、子爵はおほん、と咳払いをしてすぐに気を取り直して話を始めた。
「そうそう、お二人をここにいらっしゃった目的は分かっております。陛下から直接に命令を賜る機会など、私のような木端騎士にはほとんどありませんのでな。お二人には、感謝しておりますよ……さて、本題の馬車なのですが、用意してございますのでこちらへどうぞ」
そう言って子爵は部屋の入口に向かって歩き出した。
どうやら、国王陛下からの賜り物を引き渡すのは、それなりに身分あるものでなければならないらしい。
また、どこかで間違いがあってはいけないから、という配慮もあるのだろう。
詰所の責任者が引き渡しを行うのは当然の話と言えた。
再度、詰所の中を歩き回って辿り着いたその場所は、厩舎である。
直接、王都正門まで出て行けるような作りになっていて、そこには立派な馬車が一台置いてあった。
「あちらが今回、国王陛下からルル殿に贈られた馬車ですな。馬の方は……こちらです」
そう言ってランプレヒト子爵は厩舎の中に進んでいく。
中は暗く、通常であればすぐには目がなれないところだろう。
しかし、ルルもイリスも感覚器官は通常の者の比ではない。
リガドラも古代竜らしく、やはりすぐに順応した。
厩舎の内部には実に様々な生物が繋がれていた。
どれもが馬――つまりは馬車を引くための用途に使われる生物のことであり、必ずしも本当の馬という訳ではない――として古くから親しまれて来たもので、街中でも街道でも良く目にする者が多い。
この中のどれを貰えるにしても、ログスエラ山脈までの旅路は楽になるだろうと思わせてくれるような良い馬が揃っていて、ルルは少しわくわくした。
イリスはと言えば、馬の足よりも可愛らしさに興味があるようで、大羊や旅兎などに興味を引かれていたが、ランプレヒト子爵はそう言ったものを通り過ぎていき、厩舎の一番奥まった位置にある大きな鉄製の柵で囲まれた場所まで進んだ。
他の動物のいる厩舎はそれほど厳重、という訳ではなく、頑丈そうではあるが、木製の柵であったり、一部分だけ鉄であったりする程度のものだったが、ここだけは違っている。
四方が全て鉄製の格子で囲まれていて、よほど危険な生き物がここにいるのだとそれだけで理解させられるような厳重さだ。
太い格子に視界が遮られて内部があまり見えないが、大きな動物のうごめく気配は感じられる。
「子爵……まさかここに私たちに贈られると言う“馬”が?」
ルルが不安になってそう尋ねる。
あまり物騒なものを贈られても困るからだ。
どんなものがやってきても御せる自信はあるが、しかしあまり時間がかかっても面倒である。
それに、どんなものが襲って来ようとも、ルルとイリスの二人がいれば大概はなんとか出来る以上必要以上に強力な“馬”は必要ないのだ。
だからこその質問だったのだが、ランプレヒト子爵は嬉しそうに答えた。
「よく聞いてくれましたな。まさにその通りです。ここにいるのは……」
子爵が言いかけたそのとき、
どがぁん!!
という音がして、目の前の鉄格子が揺れた。
そしてそれから、しばらくの時間が過ぎ、ゆっくりとその一部が開き、中から一人の男性が出てくる。
白髪交じりの華奢な男性だ。
彼はどうも体を押さえて苦しそうな様子で歩いてくる。
ランプレヒト子爵はそのことに気づいて、その男に慌てて駆け寄り、話しかける。
「おい、ゲルト! 大丈夫か……?」
「……ええ。だいじょうぶでさぁ……しかし、気性があらくて困ったもんで……本当に大丈夫なんですかい?」
男はそう言ってルルを見た。
ルルがその男に返答しようと口を開きかけるが、その前に子爵の方がゲルトに言う。
「なに。陛下が太鼓判を押す実力を持った少年だぞ。きっとこれくらいは簡単にだな……」
それを聞いたイリスが、
「……何か、相当なものが出てくる覚悟をした方が良さそうですわ、お義兄さま。頑張ってくださいませ」
と言って微笑む。
ルルもそれに応えて笑おうとしたが、格子の中から、
――ぐるぁぁぁぁ!!
と、世にも恐ろしい鳴き声が聞こえてきて、引き攣った笑みを浮かべることになった。