第142話 猶予の代償
「じゃあ入ってくれ」
そう言ってルルがドアを開けて家の中に招いた。
もちろん、そこはルルの自宅、ユーミスが大家である二階建ての貸家である。
王都の中にあるとは言え、かなり端の方にある上、周りにほとんど家が建っておらず、開けた土地にぽつんとあるような妙な立地である。
ルルに聞けば、
「……あぁ、この家もそうだが……周りの土地もユーミスのものらしくてな。何も大家をやりたいわけじゃないから遊ばせてるんだと。放っとけば税金も馬鹿にならないような気もするが、その辺りについてはうまくやってるらしい」
オルテスはその言葉に目を見開き、改めて周りの土地を見てみた。
かなり広い。
闘技場ほど、とまでは言わないまでも、ルルの住む家からその隣家までの距離は優に数百メートルはある。
こんなだだっぴろい土地を、端の方とは言え王都内に確保できるとは、特級冒険者の稼ぎは想像するさえも恐ろしく思えてくる。
「上級になれば、特級の半分くらいは稼げないものかなぁ……」
今まですっかり貧乏な生活が染みついていたオルテスであるが、物欲がない訳ではない。
家族とのびのび暮らせる生活が手に入りそうな今、色々と欲しいものもあるらしく、先立つものに飢えているようである。
ルルは笑いならその言葉に答えた。
「だったら腕を上げることだな……まぁ、初級冒険者の俺がいう事じゃないが」
オルテスはそんなルルの台詞に少し考えてから、肩を竦めて、返答する。
「……そう言えば、君は未だに初級だったね……詐欺だよ」
「実績は闘技大会での入賞だけだからな。冒険者組合ではほとんど働いていないぞ。小さな依頼を数件こなしただけだからな、まだ」
冒険者組合のランク付けは基本的には依頼の件数と質で判断される。
依頼をあまりこなしていないのなら、どれだけ実力があがってもランク自体は上がることは無い。
ある意味で当然の話だ。
だから、
「まぁ……それなら別におかしくないのか。じゃあ、そろそろお邪魔させてもらうよ……」
オルテスはそう言って、買い物袋を提げたまま、家の中に入っていった。
◆◇◆◇◆
ルルの家の内部は小奇麗で、よく片付いており、手入れもしっかりされていて好感が持てる。
ところどころに用途の分からない物体が置かれていたり、無造作に魔法具らしきものが配置されているが、基本的には変わり映えのしない一般的な家屋のようであった。
「あぁ、荷物はその辺に置いてくれ。後でカバンに詰めるから、適当で良いぞ」
言われて、オルテスは指示された場所に荷物をおろした。
ルルも同じようにし、それから、
「じゃあ、これからオルテスの武具選びだな。こっちだ……」
そう言って家の中を先導する。
かつかつと二階に登って行ったので、オルテスはそれを追いかけて階段を上がった。
がちゃり、という音が鳴って開かれたその部屋はルルの部屋なのだろう。
しかし、別に寝室と言う訳ではなさそうだ。
と言うのも、その部屋には眠るために必要な寝具が一切なく、所狭しと棚がならべられていて、素材や作業用の魔法具らしきものがいくつも敷き詰められていたからだ。
大きなテーブルが真ん中に、また端の方には小型の調合台などが設置されていて、さながらどこかの工房のような様相を呈している。
「……ここを見せられると、ルルが魔法具職人だと言われても納得がいくね……闘技大会に出場した身としては、どうしても戦士や魔術師としての印象の方が強かったから、どこか確信が無かったんだ……」
オルテスはそう言って頷いた。
そんなオルテスにルルは、
「まぁ、魔法具職人なんて、普通はもっと年寄りだし、俺くらいのやつは見習いなのが普通だからな。だが技術は保証するぞ。オルテスが気に入るような武具を作ってやるさ……」
そう言って胸を張った。
実際に魔法具を作ってもらったことがあるわけではないが、かつての対戦相手であるユーリが持っていたそれは記憶に残っている。
一般的な魔法具を販売している武具店に行っても中々お目にかかれない程度には性能が良いことも見て取れた。
あれを作った者になら、十分に任せることが出来ると確信できる程度には。
だからオルテスはルルの腕について、何の心配もしていない。
ただ一つの問題は値段なのだが、それも相談に乗ると言ってくれたし、あるとき払いの分割払いでいいとまで言ってくれている。
何一つとして、オルテスに損はあるようには思えない。
ルルが言った、条件、と言うのがよっぽど酷いものでない限りは。
「そう言ってもらえると頼もしいね。けれど……条件って、結局何なんだい? 僕が君に協力できることなんて少ないような気がするけど」
実際、剣の腕も魔術の腕もルルには遠く及ばないオルテスである。
戦えそうなのはナンパと市場での値切りの技術くらいしか考えられないが、14歳の闘技大会優勝者がそんなものに用があるとは思えない。
だからこその質問だったわけで、ルルはそれに頷いて、部屋の中をうろうろと歩きながら話し出した。
「あぁ……それなんだけどな、何。それほど難しい話じゃない。オルテスには、俺の魔法具の実験台になってほしくてな」
その話は、かなり物騒な響きをもって、オルテスの耳に飛び込んできたのだった。
◆◇◆◇◆
「……?」
買い物を終え、キキョウとクレールと一緒に自宅へ向かう途上で見えてきた光景に、イリスは首をふと傾げた。
それに気づいたキキョウがイリスに尋ねる。
「何かありましたかー?」
イリスはその言葉にゆっくりと首を振り、
「いえ……家の庭で、お義兄さまとオルテスさんが何かなさっているようなので、どうしたのかと……」
「兄がですか?」
オルテスの名前が出てきて、クレールも興味を引かれたようにそう言った。
イリスは頷いて、
「ええ。まぁ、とにかく家に向かいましょうか。ここからでは遠くて良く見えませんし」
そう言ったが、実際のところ、イリスにははっきりと見えていた。
何か魔法具をルルが差し出し、オルテスがそれを使う、という作業を繰り返しているのを。
実際、近づいてみれば、イリスが観察し、推測したままの光景がそこでは繰り広げられていた。
ルルとオルテスはイリスたちに気づいて、
「お、帰って来たか。買い物はどうだった?」
とルルが尋ね、
「……ルル。なんかこれ、腕がしびれるんだけど」
とオルテスが引き攣った表情で体の不調を訴えている。
「あぁー……柄の部分が悪かったかな? ちょっと電撃を発生させる部分が強力過ぎたのかも……ちょっといじってみるから貸してくれ」
そう言ってオルテスから彼が握っている片手剣を受け取る。
かちゃかちゃと剣の柄を分解し、内部に複雑に刻まれた刻印やら組まれた部品やらを検討するルル。
一瞬、イリスたちをほっぽりかけたが、すぐに気づいて、
「あ、悪い。荷物は中に置いてくれ。カギは開いてるぞ」
と言ったので、とりあえずイリスたちは荷物を置くべく家の中に入った。
先に帰った二人が荷物を置いていた場所にイリスたちも買ってきたものを置くと、先ほどのルルたちが気になった三人は改めて家の外に出る。
それから、イリスが代表して尋ねた。
「お二人とも、何をなさっているんですか?」
ルルに尋ねたつもりだったが、今ルルは、剣の改造に夢中らしく聞こえていないらしい。
それを見つめながら肩を竦めたオルテスが代わりに答えた。
「魔法具の実験だってさ。思いつきで色々作ってみたは良いけど、原理とか細かい構造とかが今一だから実際に使ってみて改善したいんだって」
イリスはそれでルルのしていることに納得が行く。
ルルの魔法具は、基本的には過去の魔導理論・技術に基づくもので、構造もそこから引っ張ってきているものが多いが、流石のルルも過去、技術者という訳ではなかったため、あいまいな技術や理論が少なからずあるのだろう。
そしてそのあいまいなまま、一応作ってみたは良いが、不具合が出るものも少なくなく、その修正をしようと努力しているわけだ。
オルテスにそのための実験体になってもらっているのは、現代の戦士でも使える様にするため、という感じだろうか。
しかし、それなりに危険な実験体をなぜオルテスが引き受けたのか分からない。
クレールを救ってもらった恩だろうか。
そう思っていると、オルテスが自ら説明しだした。
「ルルがこれに定期的に付き合えばルルの作った魔法具の支払いを猶予してくれるって言うもんだから、付き合ってるんだよ。しかし、失敗したかも……さっきから腕がぴりぴりするなんて序の口で、凍ったり燃えたりもしてるんだ……」
がっくりとした様子でそんなことを語るオルテスではあるが、その表情は別に心底嫌がっている感じではない。
おそらくはそれだけのことがあっても、面白いのだろう。
実際、ルルの作っているものは、現代にも似た効用のあるものも少なくないが、ここにしかない珍しいものも少なからず存在し、どことなくわくわくさせるところがある。
それに、以前キキョウがもらったような、非常に便利な品もあり、今は大したことが無いような性能だったり、何らかの欠陥があっても、将来性を感じさせるものも多い。
そのようなものの開発に関われると言うのは悪くない経験で、また、ここで付き合っておけば後々、ルルから直接購入したりできる可能性もある。
オルテスも中級冒険者であり、そう言ったものが周りに先んじて手に入るということの価値は分かっているだろうし、多少痛かったりおかしな目にあっても参加する意味があると考えているものと思われた。
そんなオルテスに妹であるクレールが言う。
「頑張って、お兄ちゃん! 応援してる!」
それは何でもない台詞だったが、オルテスにとってはそうではなかったらしい。
「あぁ、頑張るさ。いい武具が欲しいからね」
嬉しそうにそう言った。
やはり、長い間、病に苦しんでいた妹である。
相当に溺愛しているらしい。
頭を軽く撫で、それから再度ルルが改造を終えて差し出した武器を手にした。
その際、胡散臭そうな顔で、
「……もうピリピリしたりはしない?」
と尋ねると、ルルは、
「あぁ、もう大丈夫だ!」
と胸を張って答えたので、オルテスは安心してその剣に魔力を注ぐ。
するとオルテスの頭の上に小さな黒雲がもやもやと生じ始め、そして雷鳴を轟かせ始める。
それを見て、不安そうになったオルテスは、黒雲の浮いている場所から体をずらすも、黒雲はオルテスを追いかける様に場所を移動した。
その様子に顔を再度ひきつらせたオルテス。
そのままルルに首を傾げて尋ねる。
「……ピリピリしたりはしないんじゃなかった?」
そんなオルテスの言葉にルルは、両手を合わせてから堂々と言い放った。
「悪い。変な改造をしてしまったらしい。どうにもならん」
「ルル……!」
オルテスがそう言ってルルに向かってくるが早いか、黒雲がぴしゃぁぁぁんと雷を落とした。
その向かう方向には、オルテスが立っていて、彼は結局反応できずにその直撃を受けてしまう。
「……あばばばばばば!!」
そんな風に叫びながら感電に苦しむオルテス。
ルルはそれを見て、オルテスの手から魔術でもって剣を弾き飛ばす。
すると黒雲は徐々に色を失って空気の中に溶けていった。
それからルルは剣を拾うと、
「……何が悪かったんだろうな……あぁ、そうか、あの部分を繋げたのが良くなかったのか……」
とぶつぶつ言いながら、再度剣を分解していく。
倒れたオルテスには横を通り過ぎる時、回復魔術をかけていたので、失神から覚めればすぐに復活するだろう。
オルテスの扱いが、あまりにも酷かった。
そんな様子を見ていたキキョウが、
「……ルルさんって、結構酷い人だったりしますか?」
と尋ねたので、イリスが、
「何かに夢中になると、周りの状況が目に入らない、ということは昔からよくありましたわ……」
と答える。
クレールはオルテスの横でオルテスの名前を呼んでいる。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 起きて!」
それは無念にも崩れ落ちた兄に対する、介抱の台詞――
「ルルさんが次の実験するって言ってるよ! 早く起きないと!!」
ではなかった。
「クレールさんも割とお兄さんの扱い、厳しいですねー……」
キキョウがそう呟いて微妙な視線をオルテスとクレールに向けている。
「きっと、お兄様のことを信頼しておられるのでしょう。この程度で倒れる方ではない、と……」
「それはそれで別の意味で厳しいですね……オルテスさん、災難を背負ってるなぁ……」
遠い目でそう言ったキキョウ。
イリスもそれにならって空を見上げる。
夕日が今にも沈みそうな橙色の空が美しく、今日の終わりを伝えていた。