第139話 買い出し
光はクレールの体を包み込んでいく。
「……なんだかあったかい感じがします」
クレールが夢見心地のような表情でそう言った。
万能薬を使用する者を初めて見た面々は、その様子を興味深く見つめつつも、これでクレールの魔化病が完治してくれる事を祈った。
そして、クレールの奥底から漏れ出ていたような光の奔流は静かに明るさを失っていく。
それから、その光が完全に掻き消えたとき、そこに残っていたのは少しだけ変化したクレールの姿だった。
「……クレール。その髪は……」
オルテスが気づいてそう尋ねる。
クレールは自分からは見えないようで、首を傾げながら、
「……? 髪が……一体どうなっているの?」
と尋ねた。
そこでオネットが部屋の中をひっくり返し、手鏡を持ってきてクレールの前に持ってくる。
するとクレールは目を見開いて一言言った。
「……銀色……?」
そう、クレールの髪色は、一部だけであるが、艶のある金髪から銀髪へと変化していた。
一筋、きれいな金髪の中に銀色のメッシュが走っていて、どうしてそんなことになったのかよく分からないクレールは驚いたのだろう。
そしてそれは、ルルやイリスも同じことだった。
それはその色が非常に見覚えのあるものであるからで、お互い目を見合わせて首を傾げつつ、ひそひそ声で話し合う。
「……お義兄さま。あれは……魔族の……」
「いや……体を見る限り、特に魔族に変化している、とかそう言う事は無いようだ……単純に魔力量が増えたんだろう。それで、たまたま体の中でも魔力に反応しやすい部分に出たのだと思うが……」
一応、理屈付けては見たものの、ルルとしても謎であった。
確かに先ほどクレールが万能薬を飲んだとき、特にあの辺りに魔力が集まっているのは確認できたから、現象としては間違っていないのだろうが、問題はなぜ、そういうことが起こったのか、ということだ。
けれどその疑問に対する答えは分かりようがない。
魔化病、という病気に基づくものなのか、それとも万能薬を服用したことに基づくものなのか……。
「……ダメだな。考えてもクレール一人だけの話じゃあ、分からない。これは保留だ」
「そうですか……分かりました」
イリスも少し考えてはみたようだが、やはり分からないと言う方向で結論したらしい。
しかし、興味を引かれないわけでは無いようで、少し気になっているような表情をしている。
それはルルも同じだ。
ただ単に、色が似たものになった、というだけで繋がりはないのかもしれないが、古代魔族との共通点である。
何かある、と感じたため、これから機会があれば調べようと思った。
いずれまた、魔化病にかかった者がいた場合には調査する必要が生じた瞬間だった。
それから、ルルはクレールに質問する。
万能薬で確かに治ったのかどうか、確認するためだ。
「クレール……どうだ? どこか違和感があるところとかあるか? 今までとの変化とか……」
するとクレールは自分の体を触れたり歩いたり肩を回したりしながら考えて、答えた。
「体が……すごく軽くなった感じがします。それに痛みもなくて……以前は歩くだけで痛かったりした部分が今は何ともありません」
その言葉にオルテスとオネットが反応する。
「クレール! 歩くだけで痛かったって……!」
「なんで今まで言わなかったんだい……!」
その口調から察するに、クレールは出来る限り病状を隠して生活してきたようだった。
家族でも気付けなかったところは褒めるべきかしかるべきか。
歩くだけで痛みがあった、と言うのならルルと出会ったあの日も身体にかなりの痛みがあった可能性がある。
それであれだけ平気そうに、何の苦痛もないような表情でいられたのでは気づく方が難しいだろう。
クレールは家族二人の様子に申し訳なさそうな表情になるが、けれど、少しだけ不服そうに反論した。
「だって……そう言ったら二人とも、私の事、お家から出してくれなくなっちゃったでしょ? それは嫌だったの。普通に生活していたかった……」
オルテスはその言葉に言う。
「だけどクレール! それで体に何かあったら……!!」
オルテスは心から心配の気持ちを込めてそう言ったのだろう。
けれど、クレールにとって、オルテスの言葉はかつての自分に対する不理解に他ならないと感じられたようだ。
自嘲するように少し笑って、クレールは言った。
「そんなことを言いながら、家の中でずっと横になっていたら……きっと私、後悔しながら死んでいくような気がしていたの。部屋の中で、外と接触を持たない生活をずっと続けてたら……生きる気力もなくなっていきそうで」
それはクレールの正直な気持ちだったのだろう。
もちろん、それでもほとんどの時間は安静にしていたのだろうが、たまに外出することまで禁止されては敵わないと思っていたのだろう。
オルテスもオネットも言われて、思う所があったらしい。
特に責めなかった。
それからクレールは、
「でも、今はもう違うもの。病気は、治ったの。そんな心配はもうしなくてよくなって……だから、うん。二人ともごめんなさい。これからはちゃんと言うね……」
そう言って微笑んだのだった。
◆◇◆◇◆
その後も色々とクレールに聞いてみたが、特に問題はなさそうであり、魔化病は完治したと考えてよさそうだった。
この中で一番、魔化病について詳しいと思われるキキョウも治ったとみて間違いないと言った。
もちろん、確定診断は本職に任せた方がいいだろう、ということで後々診てもらうと言う話になったが、おそらくは大丈夫だろう。
万能薬を使用したことについては特に隠さなくてもいいと言ってある。
その場合は酔狂な冒険者――キキョウだ――がくれたと言えばいいとも。
下手に自分で手に入れた、などと言えば財産を持っていると思われる可能性があるので、それを避けるための理由づけだった。
それから、これからクレールがどんな風に過ごしていくのかとか、オルテスはどうするのか、とか、雑談に入った。
その中で、ルルたちの予定についても聞かれたので、明日辺りから、ログスエラ山脈に向かうつもりであることを告げた。
すると、
「では今日はこれからそのための準備をされる予定ですか?」
とクレールに聞かれたので、そう言えば大して準備などしていなかったなと思い出し、そろそろお暇しなければまずいと気づいた。
ルルは答える。
「いや……そうだな。まぁ、大概は魔術で何とかなるだろうが、どうにもならない部分はあるし――準備した方が良さそうだ」
そう言って立ち上がる。
他の二人――イリスとキキョウ――と二匹――フウカとリガドラ――も、分かっているようで、その場をお暇すべく立ち上がった。
すると、オルテス一家は思いついたように手を叩いて、代表してクレールが言う。
「でしたら、私と兄も、お手伝いさせてもらってもいいでしょうか?」
と。
それがログスエラ山脈までついていくという話ならともかく、聞けば旅に使う品物を一緒に買い物に行こうと言う程度の話だった。
それなら、オルテスとクレールの買い物上手兄妹は役に立つだろう。
それにそうではなくとも、もう少し彼等とは話していたい気分だった。
だから、ルルたちは二つ返事でその提案に頷いたのだった。
◆◇◆◇◆
「では、一旦ここで」
街の喧騒の中でイリスがそう言って手を振った。
「あぁ。気を付けろよ……って、このメンバーには余計なおせっかいか」
イリスの言葉に、ルルはそう返事をして微笑んだ。
流石に闘技大会準優勝者と第三位が含まれているグループに、いくら全員が女性とは言え手出しをしようという馬鹿が存在するとは思えない。
一歩間違えれば死んでしまうかもしれない行動だ。
むしろそんな選択を出来る者がいるのなら、ルルでも手放しで賞賛してやりたいと思ってしまうほどだ。
そうして、イリスと一緒にキキョウとクレール、そしてフウカがその場を遠ざかっていく。
ルルたちは、ルルとオルテスとリガドラの二人と一匹で残されたのだが、別に意地悪という訳ではない。
単純に、一般的な買い物が終わったので、今度は男女別れて必要なものを買い出しに行こう、という話になっただけだ。
ルルたちはともかく、女性には色々と必要なモノが多いらしい。
それがなんなのか、と尋ねることに問題がある、ということは流石に世間知らずのルルでも理解していたから、にこやかに彼女たちを送り出したのである。
そんなルルを見つめながら、オルテスが不思議そうにつぶやいた。
「……たまにルルの年齢が分からなくなるのはこういうときだね。妙に大人びた……というか、老成した表情をしているじゃないか」
そんなオルテスの言葉に自分の頬をふにゃふにゃとマッサージしながら、ルルは首を傾げる。
「そうか? 気のせいだろう……」
言ってみたはいいものの、オルテスが言いたいことは何となくではあるがルルには理解できた。
おそらく、年をとった男性特有の当たり障りのない曖昧な表情を自分がしていたのだろうと推測する。
前世でそんな顔を浮かべたことはそれほど多くは無いが、しかし全くなかったわけでもない。
魔王にもそれなりの心労は確かにあり、そういうときは先ほどのような顔でごまかしたような記憶がある。
しかしそんなことをオルテスに説明するわけにもいかない。
ルルは歩き出してオルテスに言った。
「オルテス。行かないのか?」
その言葉に、慌ててオルテスはルルを追った。
◆◇◆◇◆
王都の商業区画を三人の非常に目立つ少女が歩いている。
一人は金髪にメッシュの入った、非常にはっきりとした目鼻立ちの可愛らしい少女。
もう一人は、黒目黒髪というレナード王国においては珍しい色合いに、これまた異色と言ってもいい赤と白のコントラストの美しい袴姿の少女。
そして最後の一人は、輝かんばかりの銀色の髪に、妖しげな血の色をした瞳が強烈な吸引力を持つ、黒色のドレスの少女である。
三者三様の魅力があり、彼女たちが通ると男性は一人残らず振り向くが、一般的な男性はその高嶺の花具合に泣く泣くあきらめ、多少の腕の立つ者は一目見ただけで理解できるだけの力を持っていることに慄き、足を止める。
そんな彼女たちに話しかけられる人物は限られていて、それは残念なことに、権力を持ち、自分の力ならどんなものでも自由に出来ると勘違いしている者が大半を占めていた。
実際、彼女たちに何人かの貴族や、大店の主などが近づこうとしていたのだが、不思議なことに彼らはある特定の距離から彼女たちに一歩たりとも近づくことが出来なかった。
なぜそんなことになっているのかは理解できないが、なぜか足が、体が動かないからである。
悔しそうに彼女たちを見つめながらも、どうにもならないことを理解してすごすごと去っていく彼らを横目で見ながら、イリスがふっと微笑んで編んでいた魔術を解く。
「……イリスさんの魔術は本当にすごいですね! まるで万能……」
イリスが妙な術式を編んでいたことに気づいていたらしいキキョウが、そんなことを呟いたので、クレールが驚いて尋ねてきた。
「イリスさん、何かなさっていたんですか?」
その言葉にイリスはゆるゆると首を振って答える。
「それほど大したものではないですわ……邪まなことを考えている方々に、ちょっと、私たちに近づくことを難しくしただけで……」
その言葉に、先ほどから誰にもからまれていないことに気づいたクレールはなるほどと頷いた。
どうやら市場に来るたびに誰かしらチンピラに絡まれていたらしく、これは非常に助かると感心している。
それからクレールは尋ねた。
「魔術って、なんでもできるんですね?」
それは正しいようで間違っている認識だ。
と、現代の魔術師なら答えるだろう。
しかしイリスは少し異なる答えを返そうと口を開きかけた。
けれど、その前に、キキョウが被せる様に言う。
「いえいえ、クレールさん。イリスさんは……なんというか、参考にしてはいけない人ですよ。魔術は万能じゃないです。そんなに色々なことは出来ない……のが普通……のはずです」
それはごく当たり前の考え方だった。
ただ、クレールは納得できないようで、
「だって、イリスさんは……」
「この人はちょっと特殊ですから……少なくとも、私はイリスさんと同じことはできないですよっ。できたらいいなーと思うのですが……ちなみに参考までにお聞きしますけど、先ほど、変な人たちを遠ざけた魔術って私にも使えますか―?」
その質問に、イリスは少し考えて、
「……限定的になら、可能だと思います。個人を特定して、あの人物を近づけないように……とかならば。しかし先ほど私がやったように、となると……いささか練習が必要です」
「練習って、どれくらいですか……?」
キキョウが首を傾げる。
「キキョウさんなら、一年もあれば」
その答えにがっくりと来たキキョウ。
彼女はクレールを見て、ほらね、と言う表情で降参を表すように手を上げたのだった。
その様子に、クレールはイリスがよほどおかしなことをやっているのだということを理解できたらしく、改めて驚いて目を見開いた。