第138話 家一軒の力
「……安易すぎますわ」
解体の見学を早々に切り上げて家に戻ってきてみて、リガドラの名前を告げた瞬間にイリスに言われた言葉がそれだった。
彼女は珍しく呆れたような表情でルルを見ている。
「分かりやすくはあるのでしょうけれど……ちょっと可哀想です」
イリスの言葉に、ルルはとりあえずの自己弁護を試みた。
「いや、待て。こういう名前になったのにはしっかりとした理由があるんだ」
「……理由とは?」
どことなくいつもより二度ばかり涼しい感じのするイリスの瞳。
彼女に対してルルは言った。
「こいつは古代竜だろう? 人と比べても遜色のない知能を持っていると言われる、竜種の中の竜種だ。だから……元々の名前が――本名みたいなものがすでにあるんじゃないかと思ってな」
ルルの言い訳にイリスは少し納得したのか頷く。
「なるほど、本名ですか……けれどなぜそれが安易な名前を付ける理由に?」
イリスの追及は続く。
ルルは答える。
「本名が判明したら、いずれ捨てる名前なんだから、あんまり愛着が湧きすぎても問題だろう? だからあえて安易な名前にだな……」
イリスはそんなルルの言い分に多少の理があることを認めたのか、少し考えるような仕草になった。
けれど、それでも問題はあると思ったらしく、イリスは言う。
「しかし……もし、本名など無かったら如何するのですか? そうすると、リガドラが最も愛着ある名前になってしまうことに……」
確かにその可能性もあるだろう。
しかし、そのときはそのときである。
「なかったらそのときもっとしっかりした名前を考えてやるさ。それまでのつなぎ……あだ名みたいなものだと思えばいい。お前もそれでいいだろ? リガドラ」
くるりとリガドラの方を見てそう尋ねてみれば、
「きゅい。きゅい」
と頷いている。
もとは古代竜だっただけあり、話の内容も完全に理解している風である。
言葉がしゃべれない以上、それを確認する手段は無いのだが、なんとなくそんな気がするのできっとそうなのだろうと思う事にした。
それからしばらくして、キキョウが二階から降りてくる。
本来なら、この時間帯にキキョウがここにいるのは酒場の営業があるためにおかしいのだが、シフォンも鬼ではなく、闘技大会が終わったあと、しばらくは体を休めた方がいいと、休みをくれたらしい。
降りてきたキキョウは、太陽が高く昇っているにも関わらず先ほどまで寝ていたようで、ぼさぼさの頭のまま、同じような風体のフウカと一緒にテーブルについた。
それから、ぱたぱたと空中に浮遊しているリガドラを寝ぼけ眼で見て、
「……おはようございます……ルルさん」
「わふ……」
と一人と一匹そろって言ったので、リガドラは、
「きゅいきゅい~」
と丁寧に頭を下げてそれに答えた。
挨拶が成立している。
不思議な光景だった。
しかし、残念ながらそれはルルではない。
ルルは横から、
「おい、キキョウ。俺はこっちだ」
と突っ込みを入れた。
するとキキョウとフウカは、
「……あぁ、ルルさんが二人いますね……おはようございます~……」
「わふ~……」
と、かくりと挨拶してきたので、ルルはこれは駄目だと思いながら、一応挨拶をした。
「……あぁ。おはよう」
そんな様子を微笑みながら見ていたイリス。
彼女はそのまま、
「今、ご飯をお出ししますので、少々お待ちくださいね」
と言って台所まで去っていく。
とりあえずご飯を食べなければキキョウとフウカの目は覚めないと思ったのだろう。
実際、この一人と一匹の寝起きはあまり良くない。
しかし朝ごはんを食べ始めるとしゃっきりとし始めるので、とことんまで食欲に支配されているのだろう。
そんな者たちと会話してもまともに成立しそうもない気もしたが、忘れたら後でまた説明すればいいと、ルルは言う。
「そういえばキキョウ。万能薬は今日手渡しに行く予定なんだが、大丈夫か?」
闘技大会も終わり、賞品も既に授与されている。
ルルとイリスのもらった賞品は使い出のない魔法具と賞金だが、キキョウのもらったものは既に使うあてがあるのだ。
キキョウはぼんやりとしつつも、言葉はしっかりと聞き取ったようで、
「あ~……はい。はい……だいじょうぶです。しっかり保管してありますよ……」
と答えた。
ルルはそれに頷いて、午後の予定が決まったことを確認し、イリスの料理の完成を待ったのだった。
◆◇◆◇◆
「ふあぁぁぁ~。小竜! しかしその正体は古代竜なんて、ロマンがありますね!!」
リガドラの脇に手をやって抱き上げつつくるくると回りながら、キキョウはそう叫んだ。
ようやく目が覚めたらしく、今はもうしっかりと頭が回っている。
「きゅきゅきゅい~」
キキョウと一緒に回っているリガドラも楽しそうで、鳴き声を上げつつきゃっきゃしているので放っておいて大丈夫だろう。
リガドラについて、キキョウにはその正体まで説明したが、彼女は特に違和感なく受け入れた。
なぜかと言えば、曰く、リガドラに宿る魔力が小竜にしては多すぎて不自然だから、なのだという。
リガドラも古代竜らしく、魔力の扱いは巧みなようで、かなり分かりにくくその魔力は隠蔽されているのだが、キキョウには分かってしまうようだ。
とはいえ、リガドラに宿っている魔力は、体も古代竜そのものだったときと比べて相当に落ちていて、あくまで小竜にしては高い、という程度でしかない。
ルルの魔力を今日も朝昼、とお腹いっぱい食べていたリガドラだが、そんなに大量に食べたわけではなく、回復にはどうやらそれなりの時間がかかるらしい。
つまり、それまでは、普通の小竜よりは少し色々なことが出来る程度で収まりそうであった。
「まぁ、一応内緒だから言い触らさないようにな……言ったところで誰が信じるとも思えないが……」
これ、古代竜なんです、と言ってリガドラを指さしたところで鼻で笑われるか、首を傾げられるかが関の山である。
それは鶏を指して、これはコカトリスなんです、とか小魚を掬い取って、これはクジラなんです、と言うような所業であるからだ。
それくらい、小竜はどこにでもいる魔物であり、愛玩動物として世間に浸透している生き物であった。
キキョウが信じたのは、身近にフウカと言う、何となく似たような生態をしている生命体がいるからだろう。
聖獣、というのが一体どういった体の仕組みをしているのかルルには分からなかったが、その作りは良く似ている気がする。
何か共通点があるのだろうか、と思わないでもないが、同じ生き物なのだ。
似たような性質をたまたま持っていてもおかしくはないだろう。
「別に言い触らしたりはしませんよ~。私は可愛がれれば満足です。こちょこちょこちょ~!」
「きゅきゅっ!」
キキョウとリガドラは実に楽しそうに戯れていて、入り込む隙間がない。
そんな様子を、ルルとイリス、それにフウカは微笑みながら見つめていた。
今、三人と二匹は、オルテスの家に向けて歩いているところだった。
もちろん、その理由はクレールのために万能薬を引き渡すためである。
万能薬は、美しいカットのされた瓶に入れられた透き通った青色の液体で、これ一本でどんな病もたちどころに治ると言われる薬であった。
まともな手段で購入すれば家が建つと言われるほど珍しく高価な品物だが、闘技大会の賞品でもらった以上、元手はただである。
譲ったところでさして惜しくは無い。
もちろん、そんなことを言えるのはルルやイリスが金銭に対して無頓着だからで、キキョウにまでその感性を求めるべきではないが、幸か不幸か、キキョウの感性も一般人とは相当に異なるものだったことが幸いした。
ルルからすれば、さして大層な道具ではない無限の水袋で満足してくれたくらいだ。
いつか、もっとまともなお礼をしたいくらいだが……。
そんなこんなでオルテスの家に辿り着いた一向。
こんこん、と扉を叩くと、見慣れた少女が顔を出す。
「はいはい、どちら様……あっ。みなさん! 今日はおそろいでどうしたんですか?」
そう言って出てきたのはオルテスの妹、クレールだ。
今日も兄とよく似た金髪が美しく揺れる。
今日、ルルたちは特に何も予定を確認せずに来たものだから、驚いているようだった。
特に驚かせよう、と思ったわけではないが、オルテスにもクレールにも会うタイミングがなく、いつが都合がいいのか尋ねる機会がなかったからである。
「約束を果たしに来たんだ。今、時間は大丈夫か?」
そうルルが尋ねると、それだけでクレールは理解したようだ。
「大丈夫です! こ、こちらにどうぞ!」
と言いながらどたどたと中に走っていく。
母や兄を呼ぶ声が聞こえるので、相当慌てているのだろう。
俺達は彼女に続いて、ぞろぞろとオルテスの家に入っていった。
◆◇◆◇◆
テーブルの上に、輝くように青く透き通った液体の入った瓶が置いてある。
それを見ながら、口をあんぐりと開けているオルテス一家がそこにはいた。
「……これが、万能薬……」
まず、始めに言葉を口にしたのはオルテスだった。
「……家、一軒……」
続けて口を開いたのはクレールである。
兄妹らしく、その反応は良く似ていた。
「けれど、本当に良いのでしょうか? 大会で勝ち残って、これを手にされたのはキキョウさんなのですから……それを、本当にもらっても……?」
本来喉から手が出るほど欲しいだろうそれを目の前にして、そんなことばを口にしたのは二人の母、オネットである。
その言葉には真実、気遣いと遠慮の気持ちが込められていて、だからこそ俺達はこれを彼女たちに譲るべきだと気持ちを新たにする。
「これがなければ、魔化病は治らないんですから、いいんですよっ! それに……これを手に入れたのは、おっしゃる通り、私ですから、その使い道も自由に決めるのです。私は、クレールさんのために使ってほしいのですよ……」
いつもの元気だけが取り柄みたいな口調には、少しばかりの殊勝さが混じっていて、ある意味で彼女らしくなく、そしてそれが却って彼女の本当の気持ちを語っているような気がした。
万能薬の所有者はキキョウだ。
彼女が土壇場でやっぱりやめた、と言えばそれはそれで仕方がない。
そう言わせてもおかしくないだけの価値が、その薬にはあった。
そのことを、オルテス一家も分かっていて、だからこそ、約束したからと言ってもらえるとは限らない、と思っていたのだろう。
だから、今日、ルルたちがここにやってきたことに驚いたのだ。
けれど、キキョウの気持ちは変わっていない。
迷いなく、クレールのために万能薬を譲ると言っているのだ。
その気持ちに、オルテス一家は静かに涙し、それから三人そろって抱きしめあって、お礼を口にした。
「……みなさん、ありがとうございます。このご恩は、一生忘れません。なにがあっても……」
オルテスが言った。
「私の体が治ったら……なんでもできることを言ってくださいね。値切りとか……得意ですから!」
クレールが言う。
「魔化病……クレールがかかるまで、聞いたこともなかったその病の実情を知ったとき、私は絶望を覚えました。娘の命が、刻一刻と短くなっていく日々は、まさに地獄でした……それが、今日、終わると思うと……本当に、みなさん。ありがとうございます。誇張でなく、私はみなさんに頼まれたことなら、これからは何でもするでしょう。本当に、本当に……ありがとうございます……!!」
そう言ったオネットの瞳からはぼたぼたと涙が流れ落ちていく。
そしてそれは、オルテスもクレールも同じだった。
その姿に、ルルたちももらい泣きしそうになるが、しかし、それにはまだ早い。
「……まだ、ですよ。これを飲んでからです……」
そう言って、キキョウが瓶に嵌っているコルクを抜いて、クレールに手渡した。
震えて落ちそうになったその手を包み込むように握り、そしてその口元に運んでいく。
「……さぁ、クレールさん。飲んでください」
キキョウに言われて、クレールはその瓶の中に入った青い液体を少しだけ眺めると、瓶の口を徐々に近づけ、そして、くい、と瓶を傾けて喉に運ぶ。
ごくり、ごくり、とクレールの喉が音を立ててその液体を飲んでいくに従い、ふわりと彼女の体から魔力光が淡く吹き出してきた。