第134話 踊る
そして円舞曲が始まる。
偶然にもその曲はルルもイリスもよく聞き覚えのある曲で、二人で目を合わせながら微笑んだ。
かつての遺跡から発掘され、再現されたと言う曲の中の一つなのだろう。
少しばかりアレンジの違う部分もあるし、発掘されたものが完全ではなかったのか新たに作曲されている部分などもあったが、それでも懐かしいものは懐かしい。
お互いの手を握り、腰に手をやって滑らかに動き出すルルとイリス。
あえてダンスの練習などしなかったが、それでもかつて身に着けた動きは覚えている。
現代のものとは少しばかり異なるステップに、闘技大会の出場者らしいキレのある動き、そして相手の動きを完全に予測し、理解しているような息の合い方。
それは美しく、完成されていて、素晴らしいダンスであった。
その場にはダンスを専門とする職業のものもいた。
一番初めにこの楕円形の空間で踊った人々たちである。
しかし彼らから見ても、ルルとイリスの動きは洗練されて、新鮮なものに見えた。
自分たちが貴族などの上流階級に教えているそれとは明らかに異なっていながらも、基本的な部分では通底しているものがあることが分かる。
いや、むしろ、ルルとイリスの踊っているそのダンスの方が、一般的に広まっているそれよりもシンプルで飾り気がなく、ダンスの本質のようなものがそこにあるような気がした。
遥か昔から発展し続けた社交のためのダンスであるが、今目の前で踊られているそれは、むしろ競うためのもののようにも思えた。
優雅さを感じさせると同時に、相当な身体能力を有していなければ出来ないようなステップやターン、それに振付があり、それらは彼らをして初めて見るものだった。
そして、彼らはそこに一つの可能性を見た。
結果として、貴族社会にのみ行われていた社交ダンスの他に、スポーツとして行われる新たなジャンルのダンスがこの後、萌芽することになるのだが、それはまた別のお話である。
ルルとイリスのステップ、そして振り付けは激しいものになっていき、その場にいる誰もが驚きをもってそれを見つめていた。
それほどまでに動けば、こう言った場においては悪目立ちするか、気品がないと言われて蔑まれるものなのだが、彼ら二人のダンスに誰もが見とれていたため、そんな声はどこからも上がらなかった。
優れた芸術は言葉などなくとも、人の心に直接作用するということなのだろう。
二人が曲の終わりが近づいているのを感じ、最後に向けてその動きを進めていく。
そして、ルルとイリスが最後のステップを踏むと同時に、楽団の奏でる音色が切れると、その直後に歓声と拍手が送られたのだった。
「……随分、うまくなったな」
ルルが、歓声と拍手を聞きながら、背中を逸らせて顔を近づけているイリスにそう囁くと、
「お義兄さまがいなくなってからも、かなり練習したものですから……相手は、父でしたけど」
と笑顔を返してきた。
バッカスがダンスか。
全くそういうことが似合わない男であるので、イリスとバッカスが広いホールで音楽を流してダンスをしている様を思い浮かべると少し微笑ましい気持ちになる。
バッカスも、結局娘には甘いと言うか、頼まれたら断れなかったのだろう。
そして、ルルは言った。
「イリスがバッカスと踊るところ……見てみたかったな」
「父は、『あいつに見られたら死ぬ』と申しておりましたよ。今思えば、映像に残しておき、携行していれば良かったと後悔しております」
親の嫌なことを積極的にやってやろうなどとは、中々に酷い台詞のような気もするが、ただの冗談なのは分かっている。
実際に映像に残っていて、ルルが見ることになったとしても、あの男なら笑って許すだろう。
昔のことをそんな風に思い出しながら、ルルは、そのうちイリスとのダンスも映像に残しておこうか、と思った。
そのためにはまず、そう言った魔法具か魔導機械を作らざるを得ないのかもしれないが。
それとも探せばあるのだろうか。
そのうち探してみようか、と思った。
◆◇◆◇◆
「まさかダンスまで上手いとは思わなかったぞ。それに……流行とはかなり異なるものだったな。素晴らしかったが……」
ワイン片手にルルとイリスにそう言って話しかけてきたのはレナード国王グリフィズである。
後ろにはロメオとアイアスが控えていて、さらにその外側には女性と貴族が群がるように立っている。
ただ、少しばかり遠巻きにしているのは、仕事中の近衛騎士に話しかけるのが躊躇されるのと、国王に話しかけようにも、先にルルに対して国王が話しかけてしまったためにタイミングを失ったからだろう。
だから、もしかしたらさっさと国王との会話を切り上げた方が良いのかもしれないが、国王の視線は、存分に話をしようではないか、と言っているような気がする。
つまりはこれが、親交の深い貴族として扱う、ということなのだろう。
これでこれから先、ルルは嘗められないで済むかもしれないが、国王との伝手を当てにする者や、よく思わない者からの嫌がらせなどあるかもしれないことを考えると、プラスマイナスゼロ、と言ったところかもしれない。
ただ、国王自ら話しかけられたのだから無視するわけにも行かず、ルルは素直に国王の言葉に応答することにした。
「いえ、それほどでも……昔から、私もイリスもダンスの練習を良くしていただけのことですよ」
「ほう? 兄妹でダンスの練習をしていたというわけか。まぁ、カディスノーラ卿の息子なのだ。いずれこういった夜会に出ることなども考えてそう言ったことは学ぶか……」
勘違いか、それとも周りの貴族たちに対するあえてのミスリードか。
よく読めない表情で国王はそう言った。
おそらくは後者なのだろうが、特に指摘せずにルルは続ける。
イリスは全ての返答をルルに任せるつもりのようで一歩引いたところから話を聞いている。
「父としてはあまり私に後を継いでほしいとは思っていないようですが……」
「それはまた、なぜだ?」
「冒険者として生きたいと小さなころから言っていたので……気を遣ってくれているのだと思います。私としてもありがたいですね」
そう言ったとき、周りに貴族たちの表情は驚きに染められていた。
何せ、ルルの言っていることは、本来つけた筈の貴族としての地位を半ば以上投げ捨てている状態にあることの告白に他ならないのだから。
しかし国王は笑って、
「ふむ……儂も稀に自由に世界を回ってみたいと思う事はないではないからな。気持ちは理解できる」
本気なのかどうか。
この国王なら本当にそう思ったこともありそうだが、ルルはとりあえず冗談として処理することにした。
「いえ、いえ。国王陛下はこの国レナードを治める大切な方。根無し草のような生き方は私のような者にお任せになり、陛下御自身は玉座においてその手腕を発揮されることをお願い致します」
そう言って頭を下げた。
少し不敬かもしれない物言いであるが、自分のことは卑下するだけ卑下しているので多分大丈夫だろう、と思っての事だった。
実際、その言葉を聞いた貴族の中には少しばかり眉を顰めた者もいたが、大半の者にとってはそれほど気に留めるようなことでもなかったようだ。
国王もそうで、ルルの台詞に頷き、
「冒険者と国王、求められる資質は違うからな。儂にはルル、お前のように戦う力は無い。一人で旅するのは難しいだろう……したがって、お前の言う通り、冒険者の生き方はお前に任せることにする。ついては、たまに王宮を訪れ、何を見て来たか、儂に報告するのだ。お前は、儂の代わりに冒険者として生きてくれるといったのだからな、その冒険を、儂に教えてくれてもいいだろう?」
そう言った。
これはルルとしては予想外の言葉であり、少し、困った。
王宮にたまに来い、と言われてはいわかりましたというのは問題のような気がする。
親しくしている貴族、と言うよりもこれは寵愛を受けているレベルになってしまうのではないかと思ったのだが、国王はルルにその後に言葉を続けさせずに話題を変えて反論の機会を永遠に失わせた。
「それと、そうだな……ルル。今日で闘技大会は終わったわけだが、明日からはどうするつもりなのだ? 冒険者として生きていくつもりなのはわかった故、騎士に誘おうとは思わんが……」
この言葉は周りの者たちに対し、国王が誘わないのだから、お前らも勧誘はやめろという無言の圧力だろう。
国王の代わりに、などと言ったくだりも同じ意図だったのかもしれない
だとすれば非常にありがたいことで、ルルは心の中で感謝しながら、国王に答えた。
「既に依頼を一件、受けておりまして……まずそれを片付けようと考えております」
「ほう、どんな依頼だ?」
聞かれて、それを行ってもいいものか悩む。
守秘義務があるのは勿論だが、国王相手に拒否することはいいのかどうか、ということだ。
しかしその悩みに対する答えを自分で出す必要は次の瞬間になくなった。
国王とルルに対して、声が飛んできたからだ。
「それは儂が依頼したのですじゃ」
誰だ、と思ってそちらを見てみると、そこにいたのはウヴェズドである。
彼もまた特級冒険者であり、氏族の代表であるから夜会に出席しているのだ。
そして、たまたま通りがかったところで、二人の会話が耳に入ったのだろう。
ウヴェズドは続けた。
「実のところ、ここ最近、ログスエラ山脈の方で異変が起こっておりましてな。ルルにはその調査を依頼したのです」
その情報だけで国王はぴんと来たようで、すぐに反応した。
「……なるほど、古代竜はそこから来たのか」
ウヴェズドは国王の言葉に頷いて答えた。
「の、ようですな。古代竜が闘技場に出現する前にした依頼ですので、正直原因が分からなかったのですが、あの事件ではっきりしました」
「しかし、そうだと言うならもはや調査は不要ではないか?」
国王はそう疑問を口にした。
しかしウヴェズドは首を振った。
「原因は分かりましたが、今、かの山がどんな状況にあるのかは情報が欠けていますのでのう。当初の依頼は、ログスエラ山脈の異変の調査、でありましたので……どんな状況になっているのか、見てきてもらおうかと考えておるのです」
「ふむ……これは国としても取り組まねばならんかもしれんな。山を下ってくる魔物が増加したという報告は受けていたからフィナルの人員は多少増員しているが……それだけでは不十分かもしれぬ。考えなければなるまい……」
深刻そうな顔で二人はそう話し込む。
ここにきて、周りで聞いていた者たちは少し怯えている風であった。
和やかな会話、というわけでもないのだ。
しかも、魔物が襲ってくる現実的危険性がある。
魔物の群れがフィナルを超えてくる可能性は低いだろうが、王都でぬくぬくと生活している者たちにとっては恐ろしい話だろう。
「ルルよ。ウヴェズドがしたお前への依頼は、かなり重要なもののようだ。ついては、出来ればその内容を儂にも報告してもらえないかと思うのだが……」
国王はウヴェズドとルルにそう言った。
ルルとしては問題ないが、依頼主はウヴェズドである。
彼の答え次第なので、ルルは彼を見つめた。
ウヴェズドは少し考えてから言う。
「国家の一大事ですからのう。儂としても得られた情報を、特に魔物の出現に関して秘匿しようとは思いませぬ。ルルには何らかの重要な情報を持ち帰った場合に、国王陛下にも報告を奏上することを認めますぞ」
ウヴェズドの言葉に国王は深く頷き、すまないな、とお礼を言った
それから、
「して、ルルよ。フィナルまでどのような手段で行くつもりだ?」
と聞かれたので、
「馬車を考えていますが……」
と答えた。
つまりは王都に来たときと同じである。
しかし国王は首を振って、
「駅馬車などを使うと時間がかかるからな。これは国家にとっても重要なことなのだ。であるからして、儂からお前に馬車を贈ろう」
そんなことを言い出した。
馬車など譲られても正直、世話にも困るし、置き場所もないのだが……。
ルルはよっぽどそんな顔をしていたのだろう。
国王は頷いて続けた。
「馬車については王都正門近くにある騎士詰所に置き場所を作っておく。世話も詰所にいる専門の者に任せるゆえ、使いたいときに言うがいい」
王都正門にある騎士詰所には、伝令の為の馬が飼育されている厩舎や、馬車を置くための施設などがあり、確かに一台の馬車程度など余裕でおいておくことが可能だろう。
しかし、こんな場所でそんな扱いを決めてしまっては問題なのではないか。
ルルはそう思ったが、国王が、
「結局お前が儂に願い出た闘技大会の賞品は禁書の閲覧のみだからな。なんら金銭的負担が無かった故、予算が余っておる。これくらいは贈らせてくれ」
と言ったので、確かにそれなら、という雰囲気が辺りに漂う。
いつもは賞金の増額など物質的なものが求められるためにそのための予算が組まれているらしい。
それが使われていないから、流用してもいいだろうという理屈のようである。
ルルは最終的に頷き、国王からの贈り物を受けることになった。
そうして、夜会は終わり、帰宅する時刻になる。
ルルはイリスと連れ立って、ここに来たときとは異なり、徒歩で家まで戻ることにしたのだった。