第133話 印象
話題がなくなればいずれ人は来なくなるだろう、などと言う予想は非常に甘かったと言わざるをえないようだ。
ルルがやっとのことでそう理解したのは、いつまで経っても尽きない様々な人の訪問を捌いて一時間も経った頃だった。
闘技大会の話、古代竜の話を何度となく繰り返し、またそれが終われば父のことなどを聞かれた。
さらに、いつの間にか知れ渡っていたか、ここにロメオと一緒の馬車に乗ってやってきた理由まで尋ねられて、根掘り葉掘りとはこのことだなとルルはげんなりとしながら思ったのだった。
もちろん、隠すべきことは隠し、言っても構わないだろうと思われることは言って、自分でも不自然にならない程度にうまく捌いた、と考えているのでおそらくは評判が悪くなると言うことはないだろう。
貴族にしろ、ここにいる要人たちにしろ、冒険者と言う立場にあるルルからすればいずれ未来のお客さんであるのだから、その覚えを良くしておくことは損ではない。
極端に邪険にされないよう、適度に会話して、取り込まれないように注意しつつ振る舞う、と言うのは、魔族のときには中々経験できなかった面白いゲームのような感じもして悪くなかった。
ただ、それも精神的疲労がたまらない程度までの事だ。
ずっと延々とそればかり、というのでは流石に嫌になってくる。
しかも同じ話を繰り返すのは――たとえルルが数分前にその話をしたとき向こうが別の相手と会話をしていたために聞いていないからだと分かっていても、面倒になってくる。
なんとか少し休憩を入れるなど、一息つきたい……。
そう思ったルルの心を察してなのか、それとも元々の予定なのか。
ふと耳に音楽の音色が聞こえてきた。
見れば、会場の端にステージが設けられ、そこにオーケストラが並んで楽器を奏でているのが見えた。
耳障りにならないように、控えめな選曲であるが、その演奏は非常に高いレベルでまとまっていることが理解できる。
昔も、音楽家と言うのはいて、あの争いの最中でさえ、魔族領域においても、また人族領域においてもよく曲を奏でていた。
ルルも音楽は好きな方で、魔王城に楽団を招いたことも少なくない。
あの頃と変わらない音が聞こえ、またあの頃には無かった楽器が新鮮な音色を運んでくる。
ルルはその音に癒された。
何曲か、奏でた中には、ルルにも聞き覚えのある曲もいくつかあったので、近くにいる音楽に造詣の深そうな貴族などに誰の作った曲か、いつからある曲か、という質問をしてみた。
しかし、ルルが知っているそれらは、作曲者や年代が不明であるとされているようだということが明らかになっただけだった。
遺跡から発掘される魔法具に記録されていたりするなどした音楽を、譜面に書き起こしたり編曲したりして現代に蘇らせたものなのだという。
ルルは、なるほどと頷き、その曲に聞き入ったのだった。
それからしばらくして、何かの合図があったのか、それともルルの知らない慣習的な何かがあったのか、会場の中心部から人がさっと引いて壁の方に集まり出す。
会場の中心には、楕円形の空間が作られ、そこに男女のペアがいくつも進みだしていった。
「……何が始まるんだ?」
ルルがいつの間にかちょうど同じ位置にいたグランにそう尋ねると、
「ダンスだよ、ダンス。夜会では定番だろ?」
と言われて納得が行った。
グランの言うとおり、人の群れによって囲まれるように作られた楕円形の空間に進み出た人々は対面に立つお互いの手をとって、また腰に手を添えて音楽の始まりを待っているようだ。
ルルは自分が踊らなくて済んだことに人知れず感謝をしていたが、しかしそんな安心も次に放たれたグランの言葉で霧散する。
「最初に踊る奴は大体、事前に決まってるもんだが……次からは自由だからな。ルル、お前に誘いが殺到するぞ。覚悟しておくことだな」
グランがそう言ってルルの肩を叩いたので、ルルの時はぴきりと止まった。
そんなルルの様子にグランは満足したようで、笑いながらその場を後に去っていく。
なぜなのか、とその瞬間には思ったが、しばらくして目の前で男女が踊り始めると、その理由が分かった。
貴婦人たちがふらふらとやってきては、誰かを探しているようなのである。
そして、彼女たちは会話する。
「おかしいですわ……先ほどまでここにグラン様がいらしたのに!」
「ええ……向こう側から確かにこの辺りにいるのを見ました。ぜひ、次のダンスを踊っていただこうとここまで参りましたのに!」
「いえ! 先ほどまでいたのであれば、まだ遠くには行っておられないはずです! 探しましょう! もちろん、早い者勝ちですわ!」
まるで獲物を狙う狩猟者のような会話である。
なるほどグランは目立つ場所から逃げたのだなと深く納得がいった。
ルルは彼女たちにグランがどこに行ったのか心当たりがないか聞かれたので、その正確な方向を教えるついでに、なぜグランを追いかけるのか聞くと、彼は冒険者の中で女性人気がかなりある方なのだと言う。
その強さ、業績もさることながら、野卑な態度や言葉遣い、それに屈強な肉体など、殿方に屋敷から連れ去られてみたい、と考えたことのある貴婦人たちなどから絶大な人気を誇るらしい。
確かに、グランはそういう意味では魅力的かもしれないが、連れ去ると言うのなら貴婦人たちの方がグランを連れ去りそうな勢いなので、ルルは少し顔を引き攣らせた。
ちなみに、グランと人気を二分しているのは同じく特級冒険者のシュイらしく、彼の方を支持するのは知性ある男性に家庭教師をしてもらう中で芽生える禁断の恋に憧れる若い貴族女性たちらしい。
あの二人、あれで凄いもてるのだな、とぼんやりと思いながら、ついでにシュイ様の居場所もご存じありませんか聞かれたので、わざわざ魔力感知をして丁寧に教えておいた。
別に嫉妬している訳ではない。
女性には親切にしなければ、と思っただけである。
それから、ルルを目当てにやってきた女性たちもそれなりにいて、確かにグランの言う通りになったのだが、無駄に気配を消したり、腕を掴まれそうになったらそれとなく避けるなどして逃げ回った。
やってくる女性たちからは、ルルが逃げ回っている、などとは感じられず、なぜか自分のタイミングが悪くて捕まえられないように思えるだろう、絶妙な間合いであった。
そうして、一曲目の円舞曲がそろそろ終わりそうになったそのとき、驚くべきことに非常に高い技術を女性たちから逃げ回ることだけのために注いでいたルルの腕ががっちりと掴まれる。
まさか、一体誰が。
驚いてルルが振り返ると、そこにいた女性にははっきりと見覚えがあった。
長い黒髪を今は降ろしていて、中々に派手な美しさを披露しているが、その体型はよく引き締まっていて、明らかに戦闘を生業とする者である。
彼女と会ったのは、王都にルルたちがやってきたその日、それに予選二回戦を終えたときの打ち上げのときだろうか。
今日も先ほどグランと一緒に会い、そこで初めてまともに会話したが、非常にさばさばとした気風のいい女性だったのを記憶している。
ルルは、その女性の名前を呼んだ。
「……ヒメロス。まさかあんたまで俺と踊りたいなんていうんじゃないだろうな?」
そうは言ったが、もし彼女がそんなことを言ったとしても不自然でないくらいに彼女は今ドレスアップしている。
ワインレッドのドレスは彼女に良く似合っているし、身長も高く非常に目立つ。
特級冒険者、氏族“修道女”の族長ヒメロスはルルの言葉に微笑みながら、言った。
「それも魅力的だけどね……そうじゃない。ほれ、あれを見な」
くいと顎をしゃくって示すあたり、夜会の場においても冒険者は冒険者だなと感じないでもないが、相手が同じ冒険者であるルルだからこういう態度なのだろう。
ルルは彼女の示した方向を首を傾げながら見た。
するとそこにいたのは、緑を基調とする薄絹のようなドレスを身に纏ったユーミスである。
さすがに古族らしくその美しさは女神のごとしだが、その中身を知っているルルからしてみるとそれほどありがたいものには思えない。
ただ、周囲の男性にはそんなことは関係ないし、分からないようで、ユーミスに見とれる様に息を吐いて彼女に釘付けのようだった。
けれど、それも彼女の後ろから歩いてくる人物の姿が明らかになるまでのことだ。
さらり、と艶のある髪が流れて落ちているそのドレスは薄い水色の可愛らしさと流麗さの両方を持つものだった。
素晴らしい仕立てで、それだけでも芸術品と言えるような出来栄えだが、それ以上に目を引くのはそれを身に纏っている少女の方だ。
雪のように白い肌に、どんな風に染めようとも出ないだろうきらきらとした銀髪を降ろしている彼女。
それだけでも美しいのに、彼女を見たとき最も印象に残るのはその特徴的な瞳の色だった。
血のようにも、また炎のようにも見える赤色のその瞳。
その目は、今、一点をまっすぐに見つめていて、その間に入ることは誰にも出来ないことが察せられた。
「……イリス」
ルルはその名前を呆ける様に呼んだ。
そのときの気持ちを正確に表現する言葉をルルは持たなかったが、一言で言うならば、それは少し驚いた、という感じに近かったかもしれない。
いつもは大体が黒を基調とする服装で、魔族らしい、良く似合っている服装であったが、今、身に着けているもののように、柔らかな印象を与える華やかな服装をしている彼女は初めて見たかもしれない。
いや、小さな、子供の頃は何度も見ただろう。
けれど、これくらいに成長した彼女がこういったものを着ているのは、ルルにとって非常に新鮮で珍しい光景で、だから一瞬、反応が出来なかったのだ。
そんなルルの様子をどう捉えたのかは分からない。
ただ、イリスは、ルルとイリスの間に開かれた、人が避けるように開けた道を歩き、近づいて尋ねた。
「……お義兄さま。いかがでしょうか?」
その言葉に、その場にいた人々は安心を覚えた。
なぜと言って、彼らが兄妹であることが分かったからだ。
ルルとイリスに関する情報は、その出自に至るまではそれほど浸透しておらず、この場にいる者たちがはっきりと理解していたのは、この瞬間までは、優勝者と準優勝者である、ということくらいだった。
これが街中であればもっと詳しい内容が広まっていただろうが、貴族たちは闘技大会までルルたちの存在に気を留めたことは無かったのだから仕方がないだろう。
つまり、この場にいた者たちは、彼らが義理の兄妹であるということは分かっていなかった。
ルルとイリスは、そんな風に周囲の人々に注目されているということを気にもかけず、会話する。
よくも悪くも、彼らは昔から注目されることに慣れていた。
かたや魔王陛下であり、かたやその魔王の側近の愛娘である。
生まれたときから、多くの人の目があることが当たり前であった彼らにとって、他人の視線と言うのは元々、それほど気になるものではなかった。
ルルは言う。
「よく、似合っているよ……父さんたちも、きっとこんな姿のイリスを見たら喜ぶ」
ルルの言ったその言葉、父さんたち、の中に、パトリックたちのみならず、イリスの実の父母も入っていることがイリスには理解できた。
イリスとしてはそういう意味で聞いたわけではなかったのだが、そう言われて嬉しくなかったわけではない。
出来ることなら、バッカスたちにも成長した姿を見せたかったと思って、少し鼻がつんとした。
「そうですか……ありがとうございます。あの、お義兄さま。闘技大会の優勝者、準優勝者はダンスを踊ることが義務付けられているそうなのです。ずっと、という訳ではないようですが、何度か踊らなければいけないらしく……でも、最初はお義兄さまだと嬉しいなと思いまして……お願いできますでしょうか?」
そう言ってイリスが手を差し出してきた。
イリスは出来ることならもう少しルルに対して攻めたかったところだが、ルルの朴念仁具合と言うのはよく分かっている。
あまりやりすぎも良くないだろうと適当なところで切り上げ、とりあえずは本来の目的であるダンスに誘おうと切り替えたのだった。
ルルは、そんな話は聞いていないぞ、とあたりをきょろきょろしてグランを見つけるが、人の悪い目でルルを見つめて笑っているので何となくその意図が理解できた。
つまりはどんなに逃げ回っても最後には踊らざるを得なかったわけだ。
まぁ、そのお陰で他の誰とも踊らずに済み、最初はイリスの相手を出来ると言うものなので感謝すべきかもしれないが。
ルルはそう思って、イリスの差し出された手をそっと掴み、言った。
「勿論だ、イリス。ダンスは久しぶりだな……」
実のところ、かつてルルはイリスと踊ったことがある。
本当に、子供の頃、イリスの誕生日にふざけて踊ったくらいだが……イリスは覚えているだろうか、と年寄臭いことを思った。
すると、
「懐かしいですわ」
イリスがそう言って笑ったので、ルルも微笑んで一緒に楕円形の空間に踏み出したのだった。