第131話 着せ替えと馬車
「……これは……」
ルルがロメオに連れられて進んだその場所には大量の礼服が並べられて、十人弱の女性たちが立ってルルを出迎えた。
これは一体どういうことか、と分かっていてもロメオに聞きたくなったが、
「それでは、ルル殿。ここからは私ではなく、彼女たちの仕事ですので」
とそそくさと部屋を去って行った辺り、彼も中々、世渡り上手な男だと言えるのかもしれない。
かつて魔王だったとき、人のあしらい方が上手い文官がああいう態度だったのを思い出す。
しかしロメオは武官だろうに……と思わないでもなかったが、彼は近衛騎士である。
彼の仕事には文官としての側面もあるのだろう。
そして身に着けた訳だ。
上手な世渡りと言うものを。
そして、そんな彼の態度にげんなりとしたルルを待っていたのは、その部屋にいた女性たちの不躾と言ってもいいくらいに興味に輝く瞳だった。
「これは……毎年毎年むさい男ばかりでしたけれど、今年は可愛らしい少年で……腕が鳴りますわね」
その場にいた身分の高そうな女性がそう言った。
彼女の隣には同様に非常に身分の高いだろうことが身に着けているものでわかる女性が立っていて、彼女の表情は満面の微笑みである。
一種、肉食獣に似ていると言ってもいいくらいだ。
「そうですわ、そうですわ、アルファン侯爵夫人! 今年は参加を申し出て良かったです! ほらナナリー、貴女と同じくらいのお年頃ではなくて?」
彼女が呼びかけたのは、肩に寸法を測るためのメジャーをかけた少女で、彼女は平民身分のようである。
おそらくは職人であろうと思われた。
「……皆様、怯えていらっしゃるので、もう少し抑え目に……」
ナナリーと呼ばれた茶色の髪を三つ編みにした、顔に薄いそばかすの浮かんでいる少女はルルを気の毒な目で見てから、その場にいた二人の身分の高い女性にそう言ってなだめる。
改めてその場にいる女性たちを見てみれば、始めに言葉を発した二人の女性以外は平民の女性のようだが、身分が全員異なっている割には非常に仲が良さそうで不思議な光景である。
彼女たちはルルを見つめてはああでもないこうでもないと議論を始めた。
そしてそれが一段落すると、全員で様々な服を持ってルルの下に並び始めた。
「……い、一体何が始まるんです……?」
ルルが無駄な抵抗となんとなく理解しながらも、唯一冷静そうな職人の少女、ナナリーにそう尋ねると、
「それは勿論、あなた様の着せ替えごっこになります。ルル様。申し訳ございません……例年はこれほどではないのですが、なぜか今年は私達、デシエルト服飾協会に所属する会員の方々、それに熱心なパトロンを務めてくださっているご婦人方が参加を申し出られまして……是非に、あなた様が夜会に着ていく服を選ばせてほしい、と」
などと言った。
ルルからすれば、自分の着るものなど選んで何が楽しいのか、という気分だが、目の前にある女性たちの表情を見る限りそれはとても楽しいことらしい。
これはもうどうしようもないと、受け入れることにした。
しかし、そういえば、とイリスの事が気になってルルは尋ねる。
「……夜会に出ることが決まっているのは私だけでなく、もう一人……準優勝者のイリスがいたはずですが、彼女は……?」
同じ目に遭うのだとしたら、非常に可哀想だと思ったのだが、ナナリーは首を振った。
「イリス様に関しましては、既にドレスを選んでおられるとのことで、特にこのようなことは……ええと、まぁ、だから余計にあなた様の服選びに熱心に……」
なるほど、事情は理解できた。
しかしイリスはいつの間に夜会用の服など選んでいたのか。
やはり、女性はこういうことには熱心なのだな、とぼんやりと考えつつ、ルルは無心になってその時間をやり過ごすことにしたのだった。
◆◇◆◇◆
「……服に着られているような気が……」
ルルは夜会の会場に向かう途中の馬車の中でそう呟いて自分が来ているものを引っ張って見た。
結局、色合い的には余り派手でなく抑えられてはいるが、装飾が少し華美なような気がするものをルルは着せられた。
本来は、というか闘技場の一室で待ち受けていたデシエルト服飾協会の彼女たちが一押しのものは、目がちかちかするような色彩のものだったので、ルルが何とか頼み込んでここまで抑えたものである。
あれを着ないで済んだ、と思えば悪くないのかもしれないと思った
馬車に乗っているのは、ルル、それにロメオである。
彼は近衛騎士であるから、ルルよりも国王と一緒にいるべき人間なのだが、むしろその国王がルルと共に夜会に来るようにと命じたらしい。
その理由は、ルルがあまりそう言った場になれていないだろうから、作法をある程度教えるため、ということと、そして国王がルルを重要視している、懇意にしているということを夜会出席者たちに控えめに示すためだと言う。
ルルとしてはあまり大げさに国王と親交があるなどと喧伝したくはないのだが、聖女の精神魔術や転移魔術の話もある。
これから請われれば王宮に出仕せざるを得ないこともあるだろうし、そう考えるとこういう扱いになるのも仕方のないことかもしれない。
もちろん、基本的には冒険者としてやっていくつもりであるので、直接、父のように国に忠誠を誓って仕えるつもりはないのだが、関わり合いを断つことは諦めた方がいいだろう。
ルルの呟いた一言に、ロメオは微笑んで言った。
「いえ、いえ。非常にお似合いだと思います。きっと夜会にいらっしゃる女性の方々も、ルル殿の若々しい魅力に胸を高鳴らせるでしょう」
本気で言っているのか世辞で言っているのか、表情では極めて分かりにくい。
戦いの中で、ルルが高度な、もしくは強力な技術を見せたときは割と分かりやすく驚いていたのだが、こういうやり取りをするときは非常に心が読みにくくなるタイプのようである。
これは敵に回すと厄介そうだ、と思いながらルルは返事をした。
「若々しい魅力……と言っても、私などまだ14ですし、そもそも一介の初級冒険者に過ぎませんからね。そういう意味での魅力はないと思いますよ」
げんなりとしながらそう言ったルル。
その言葉の意味は、自分は夜会に出てくるような女性たちの結婚相手や遊び相手として魅力的ではないだろうということだ。
確かに闘技大会では優勝したが、ただそれだけであって他の肩書は何一つ変わっていないのである。
並べてみれば、かなりしょぼく、将来性などありそうには見えない。
しかしロメオから言わせれば違うらしい。
「私としては、会場に着いたらルル殿はしっかりと覚悟しておくべきだと考えますよ。確実に女性たちが寄ってくると思いますから……」
妙に確信ありげなその言葉にルルが首を傾げて、
「……どうしてです?」
と尋ねると、ロメオは真面目な顔で言った。
「それはもちろん、女性たちの背後には様々な人間がいるでしょうから、ですよ。ルル殿。あなたは自分が闘技大会で何を見せたか、少し考えた方がいいです」
「そんなに大したものは見せたつもりはないんですが……」
これは、ルルの正直な気持ちだった。
イリスとの戦いのときはそれなりに高度なものを見せたかもしれないが、現代の技術で不可能だとまで言えるほどのものでもない。
運と実力があれば、実現することは可能なはずだ。
本当に不可能なものあり得ないと考えられるものは、出来る限りしまっておいているつもりである。
けれどロメオは言う。
「もし許されるのであれば、私も貴方を近衛騎士に誘いたいくらいですから……。その際は、もちろん好待遇で迎え入れ、ゆくゆくは騎士団長の地位を譲る方向で調整します……そして、同様の事を考える者はまず間違いなく恐ろしい数、いますよ」
近衛騎士団長、と言えば国王にもっとも近い騎士の地位として、このレナード王国においてどんな騎士でも憧れるものである。
それを、こんなに簡単に譲る、などと言っていいものかと思うが、ロメオは首を振った。
「簡単になど言っていません。ルル殿、貴方が見せたのは、それに値する実力でした。しかも、私の見立てでは、まだ何か隠し持っていますね? ……十分に一国の騎士団長も務まる実力だと、私は考えます。まぁ、もちろん、一介の初級冒険者を突然、近衛騎士団に迎え入れ、かつ次の騎士団長に、などと言い始めたら様々なところから文句が付つくでしょうが……そういう苦労をしてでも、あなたに任せてみたいと思わせるものが、ルル殿にはあります」
あまりの持ち上げられっぷりに、ルルの方が恐縮する。
「過分な評価、ありがたい限りですが……私はそんなに素晴らしい者ではないですよ。デシエルト服飾協会の方々にすら、敵わないほどですから」
冗談交じりにそう言ったのは、話をそらすためでもあり、またあの場からとっとと逃げ去ったロメオに対する文句でもあった。
その両方の意図を理解したらしいロメオは、話に乗ることにしたらしく、肩を竦めながら言う。
「あの方々に勝てる騎士は中々おりません。まぁ……私の知る限りで言うと、アイアスくらいですね」
それは意外な台詞であった。
アイアス、と言うのは近衛騎士団副団長である、あの黒髪黒髭の巨漢であったはずだ。
デシエルト服飾協会の強力な女性陣をある意味最も苦手にしそうなタイプに思えたのだが、ロメオは吹き出しそうな顔で続けた。
「デシエルト服飾協会は、服飾や手芸などに興味のある方でしたら誰でも入会可能で、しかも金銭的負担など一切かからない団体なのですが……アイアスもそこに所属しておりまして」
つまり、アイアスが服飾や手芸に興味があるという事だろうか。
ルルが首を傾げてそう尋ねると、ロメオは頷いて言った。
「ええ。あの男、あれでレース編みが趣味ですよ。あの無骨で大きな手でかぎ針を器用に扱うんですね……本当に売り物にしても問題ないくらい、精緻で完成度の高いものを作り上げるので、欲しがる者が後を絶ちません。ただ、あの顔ですから……大々的にいう訳にもいかず、半ば公然の秘密となっておりますが。私の妹などは、アイアスがレースを編み上げてプレゼントしてくれるのをいつも楽しみにしているくらいですよ」
あまりにも意外な事実に、ルルは何とも言い難く、絶句する。
しかしよくよく考えればおかしいことではないのかもしれない。
一芸を極めて、近衛騎士団副団長にまでなった男である。
その集中力を別のところに――レース編みに使えば、それはプロ顔負けの技術になるのかもしれない。
そして、ふと目の前の男、ロメオも同様の趣味を持っているのだろうか、と思い尋ねてみる。
「ロメオ殿は……何か、ご趣味などは?」
すると、彼は言った。
「私はどうにも一つのことにしか意識を注げない一刻者ですから。アイアスのように多趣味というわけには……」
「多趣味?」
レース編みの他にまだ趣味があるのか、という意味での言葉だった。
「以前、ルル殿はリコル様にお会いになったかと思いますが……彼女の服はアイアス手製ですよ」
ルルは開いた口が塞がらない。
ロメオは続ける。
「全く器用な男で、うらやましい限りですよ。私も何度か勧められたのですが、どうしてもうまく出来ずにすぐにやめてしまいました。やはりこの手には剣が馴染むようで……」
もし、近衛騎士団団長、副団長が共にレース編みと服飾を趣味にしていたらレナードはどういう国になっていただろうか、とルルは一瞬考えてしまう。
頭の中に浮かんできたのは、騎士団の正装が極めて装飾性の高い、フリルのたくさんついたものになっている様子で、数十人、数百人となる騎士たちがそういう姿で王城の前に整列している姿は圧巻であった。
いい意味なのか、悪い意味なのかは何とも言えないが。
しかしルルはすぐに首を振ってその幻影を振り払い、
「いえ……私はそれでよろしいと思いますよ。剣の道も手芸の道も、究めれば楽しいと言う意味では同じかもしれませんが、やはり、騎士の方には剣を振っている姿が似合うと……いえ、もちろん、アイアス殿の趣味をどうこう言いたいわけではございませんので……」
どういって良いものか分からなかったので、しどろもどろな表現になってしまったルルにロメオは笑いかけ、
「あはは。この話をすると、皆、ルル殿のように慌てられるのです。あえて私の趣味を言うのならば、そんな方々の姿を見ることですよ……」
と楽しそうに言った。
ルルはからかわれていたのか、と思い、そしてアイアスの話は嘘だったのかもしれない、と考えて改めて尋ねてみる。
「では、アイアス殿の話は冗談でしょうか?」
しかし、ロメオは真面目な顔で言った。
「いえ、事実です……あ、そろそろ会場に着きます。ルル殿、ご準備を」
そして、止まった馬車からさっさと出て行ってしまう。
どうにも掴めない男だと、ルルはロメオに対する印象を改めたのだった。