第129話 会談
扉を開いたその場所に、息を乱して立っていたのは、古族の族長の一人であるロットスであった。
彼がここに来た理由は理解できる。
おそらくは、絶対障壁について、説明をしにやってきたのだろう。
けれど、そこまで急いでやってくる理由が分からなかった。
説明など、いつでも出来るし、早急にしなければならないというほどのものでもないだろう。
古族の秘匿技術であるのだから、説明など出来ることならしない方がいいくらいなはずだ。
ルルはそう思って首を傾げた。
レナード国王もルルと同様にそう思ったらしく、息を乱したロットスにまず落ち着くように言い、席を勧めてから尋ねる。
「ロットス殿……そんなに急いでどうされた? 絶対障壁についてであれば、既に解除されたと言う報告をうけております故、それほど慌てていらっしゃることもなかったのだが……?」
しかしロットスは首を振った。
それはつまり、彼の伝えに来たことが、絶対障壁が解除された、という話ではないと言う事に他ならない。
では何を伝えようとしているのか。
興味を引かれるも、ルルはふと、自分はこの場にいてもいいのだろうかと気になった。
ロットスが何か言おうとするのを一瞬止めて、質問する。
「ロットス様。少々お待ちを。私はここにいてもいいのでしょうか? もし国家機密に当たるような情報であるならば、私のような一下級貴族の倅、一冒険者に過ぎない者がいては差し障りが……」
しかし、そんなルルの言葉をレナード国王は、
「……良い。ロットス殿。この者がいても構わないだろうか? もし、ロットス殿が伝えようとされていることが今大会中に起こった異変に関わることであるならば、貴重な助言をくれるやもしれぬのだ」
そう言ってルルがいることを許す。
どうやら、ルルが古代竜の転移について詳しく話したことにより、一種のアドバイザーとしての価値を見出したようだ。
しかしそうは言っても、ロットスが許さない限りは出ていくほかない。
ロットスの言葉を待ったが、彼は一息に目の前に置かれた水を飲み干すと、言った。
「……ルル殿のことはユーミスから聞いております。彼は信頼できる者である、と。特級冒険者でありながらちゃらんぽらんな孫ですが、昔から人を見る目だけはありましてな。ここにいることを認めますぞ。とは言え、話すべきでないことは、外では話さないでいただきたいのじゃが……?」
そう言って言葉を切るロットスに、ルルは頷いて答えた。
「勿論です。ここで今から語られることは、胸に秘めておくことにいたします。なんでしたら、契約魔術でもって縛っていただいても……」
出来ることならそんなことはしたくないが、信用と言うのは大事だろう。
それに、いざとなればルルはいくらでも他人のかけた契約魔術など解くことが出来る。
だからこそ出た言葉だ。
それを分かってはいなかっただろうが、ロットスは契約魔術よりよほど裏切るのが難しい言葉を口にする。
「いえ、それには及びませぬ……ルル殿。貴方を信頼して語らせて頂こう……」
信頼、と言われるとルルとしてはこれは裏切れない、と感じてしまう。
これならよっぽど契約魔術で縛る、と言われた方が楽なのだが、言われてしまったものは仕方がない。
ルルは頷いて、ロットスに先を促した。
「では……しばらく前に、絶対障壁発生装置を発見しましてな。闘技場内の一室に――とはいっても、我々が絶対障壁発生装置を置いていた部屋ですが――隠匿魔術をいくつもかけて見つかりにくいようにされておりましたが、我々古族総出で探した甲斐もあり、発見、解除できたことはすでにお聞きになったかと思います」
「そうですな。古族の皆様に早期に対処して頂けたお陰で、観客達も混乱に陥ることなく帰路につくことが出来ました……しかし、それがどうかしたのですかな?」
首を傾げる国王。
彼に対し、ロットスは深刻そうな顔で告げた。
「それが……絶対障壁の解除自体は出来たのですが……装置が」
「……装置が?」
「一台、なくなっておるのです」
それは、彼らの技術流出を示唆するものであり、その報告に国王は目を見開いた。
「それは……確かなのですかな? どこかに探したりないところなどは……」
「古族総出で、隈なく探したのじゃが、どこにもありませぬ。そもそも、結局装置の場所自体は動いておりませんでしたでのう。例の日――不可思議な侵入者が来た日に解除された罠も全てかけ直しておったのですが、それが破壊された形跡もなく、持ち出せるはずなどないのじゃが……」
極めて不思議な現象を見たかのように、ロットスは考え込む。
実際、罠の概要を聞けば、解除する以外にその場所に侵入する方法は無いように思えた。
一度、ルルとイリスとの戦いの最中に解除され侵入された形跡があったようなのだが、そのときには何も盗まれておらず、またその直後に罠を掛け直したのだと言う。
つまり、装置を盗むのは不可能なはずだったらしい。
けれど現実は一台、装置がなくなっている。
これが示す一つの結論を、ロットスは歯噛みしながらも、口にせざるを得ず、言った。
「……おそらくは、我々古族の中に裏切り者がいる、と考えるほかありませぬ。罠を壊さずに通り抜けられるのは、事前に固有魔力を登録した我々古族のみ」
「それは……」
国王も困ったように眉を寄せた。
古族に疑い無しと思っていたのに、こんな有様である。
ロットスもおそらくは相当忸怩たるものがあるだろう。
人の上に立つ者として、下の者の裏切りと言うのは心を切りつけるようなものがある。
ただ、だからと言って追及しないわけにもいかない。
盗まれたのは、古族が自ら守っていた古族の技術なのであるから、レナード王国として直接責任を追及する、と言う話にはならないが、それでももしかすると強敵を生み出す利敵行為に当たる可能性はある。
だから国王は尋ねた。
「その裏切り者に、心当たりはあるのですかな?」
「いえ、それが……真実、心から申し上げるのですが、全くないのですじゃ……。今回連れてきた者は、厳選に厳選を重ね、その性質、能力について問題なしと古族が総意でもって判断した者たちなのです。裏切りなど、あり得ない。それが正直なところなのです……」
「しかし、そうは言っても、実際誰かが確実に裏切ったとしか思えない結果がある以上、犯人を捜さなければなりませんぞ。本当に心当たりはないのですかな?」
「……」
レナード国王の追及に、ロットスはだんだんと表情が青くなり、小さくなっていく。
気持ちは理解できる。
裏切り者などいないと言う確信があるのに、絶対にいるという状況が存在しているのだ。
どうにかして犯人を捜す必要がある。
分かっている。
しかしどうにもならない。
ロットスにもはや語れる言葉は無かった。
けれど、ルルはふと思った。
だから二人の会話に割り込んで言う。
「少々思ったことがあるので、口にしてもよろしいでしょうか?」
その言葉に助かったような顔をしたのはロットスも国王も同様だった。
どうにかして話の潤滑油が欲しいロットス、それに好き好んで責めているわけではない国王にとって、ルルの言葉はよいクッションになりそうな気がしたのだろう。
しかし、ルルが言ったのは、クッションどころではなく、むしろ核心を突いた言葉だった。
「お許しを得られたと考えて口にさせていただきます……今回、私は古族の方々に裏切りはなかった、と考えております」
その言葉に一番驚いたのは、ロットスであった。
それが最もうれしい言葉である筈なのに、現実を深刻に受け止めているため、ただの気休めに聞こえたらしい。
「そんなことはないと思いますぞ。どう考えても、古族が協力しなければ今回のことにはならんのですじゃ。ルル殿、儂に気を遣わんでも、事実をはっきりと言ってくださって結構ですのに……」
その口調は非常に疲れて病んでいるように思えた。
よくよく考えれば、いや、よく考えなくとも、闘技大会において、ルルは古族に負担をかけた出場者ランキングナンバーワンなのである。
そのことを思い出し、ここら辺で恩返しをしておかなければならないような気がしてきた。
だからルルはロットスが受け入れやすいよう、自分の思う所を少し角度を変えて言うことにする。
「ロットス殿は、古代竜が今回現れた理由についてはご存知ですか?」
ロットスも、こういう話になると冷静な表情を取り戻せるらしい。
思索的な顔になり、そして考えがまとまったらしく、言う。
「ふむ……おそらくは転移魔術ではないか、と思っております。ただ、そのようなものを扱える者は……長命な古族である儂ですらここ数百年は見ておりませんでのう。果たしてそんなことが可能なものがいるのかどうか……」
彼も彼で予想はついていたらしい。
とは言え、そこまで理解できているのなら、ルルも話しやすかった。
ルルは国王と視線を交わし、先ほどここでした話をしてもいいか、と尋ねると頷かれたので、ロットスに言った。
「ロットス殿。実は……」
そうして、おそらく転移魔術を使ったのは聖女であること、それをルルがその技術でもって確認したことを話すと、目を見開いて驚き、改めて水を要求し、一息に飲み干してからロットスは言った。
「なんとまた……おそるべき使い手がいるものですな。しかも、ルル殿と、聖女……二人も。しかしそうなると……」
だんだんとロットスも思考力が戻ってきたようで、先ほどまでの慌て切った蒼白な顔ではなくなってきた。
だからルルは言った。
最も重要な言葉を。
「ええ……転移魔術はほとんど使い手のいない魔術ですが、同様の魔術で、今回のような場合に使われた場合に非常に危険なものが一つ、あるとは思われませんか?」
と。
その言葉に、ロットスと国王は少し考え、それから一つの答えに辿り着いたのか膝を叩いて言った。
「なるほど……精神魔術だな? ルルよ」
「その通り、です。かの魔術は、現代では大した使い出が見いだせない魔術とされていますが……」
究めれば出来ることも多い、と言うのは古代における事実だった。
しかし、現代にそんな使い手がいるということがまず考えにくい。
現代では精神魔術による長期的洗脳は出来ないとされているからだ。
しかし、現実として、転移魔術を使用できる者がいたのである。
伝説で語られるような精神魔術についても使用できる、高度な使い手がいてもおかしくはなかった。
そして、それが聖女である可能性も決して低くはない。
状況から鑑みれば、むしろほぼ確実に彼女こそがそうであると言っても良さそうな話だ。
そしてそうであるとすれば……。
「精神魔術……それは、盲点でした。しかしそうだとすると……確かに古族に裏切り者はいない、という事になりますが……誰かが魔術により精神を操られている可能性がありますな……」
ロットスの言ったその言葉に、レナード国王は難しい顔になって言う。
「ふむ……ロットス殿自身が操られている可能性もある、ということになってしまいますな……」
ロットスは自分が知らないうちに裏切り者になっているという可能性を示唆され、目を見開くが、すぐにそれが正しい指摘であることに気づき、言った。
「……しかし、自分では全く気付くことが出来ないということになってしまいますぞ、それでは。儂は裏切り者なのじゃろうか……?」
どうしたものか、と新たに出てきた問題に頭を抱える二人。
ルルはそれを見ながら、考える。
ルルは、精神魔術にかかっているか、診断、解除することが出来る。
それは過去においては必要な技術であったから身に着けているのだ。
それを言い出すのは、自分もまた精神魔術を使おうと思えば使える、と告白するようなもので、ルルとしては非常に気が引ける。
しかし、ここにおいて、これを告げないと言うのは後々深刻な影響を与える気がした。
あとで、何らかの事情でそのことが露見したとき、糾弾されるのも恐ろしい。
それに、そもそもロットスに対しては返さなければならない恩というか、かけた迷惑を清算しなければという気持ちもあった。
だから、ルルは言った。
「……あの」
そんなルルに、
「なんだ?」
「なんじゃ?」
国王とロットスが同じタイミングで言う。
そんな様子に、おそらくは大丈夫ではないか、と根拠なく思ったルルは、覚悟を決めて言ったのだった。
「私は、精神魔術について、それにかかっているか診断し、かつ、かかっている場合に解除することが出来ます」
その言葉に、二人が驚いたのは言うまでも無かった。