第127話 改めて
圧倒的な暴力と威勢を示していた巨体が、ゆっくりと闘技場に倒れ込んだ。
ルルが古代竜との戦いから距離をおいて色々やっていた中で、騎士や冒険者たちはしっかりと戦っていたようである。
確実に古代竜にダメージを与えていき、大したけが人も出さずに下すことが出来たようだ。
ルルは空中に築いた足場である小型結界を崩し、地上に着地する。
その場にいる殆どの者の注目は倒れ、絶命したように見える古代竜に釘付けになっており、ルルに対する注目は集まらなかった。
冒険者や騎士たちの合間を抜け、古代竜の前に辿り着く。
そこには黒い鱗を光らせる巨体が傷ついて横たわっており、もはや戦いは終わったことを示していた。
まだ、息はあるようで、不思議な色をしたその瞳でその場にいる者を見つめ、そして最後にルルを見た。
何か言いたげなその視線をルルは受け止める。
それから、その瞳はゆっくりと閉じられていき、そして古代竜のその巨体からは生命の輝きが掻き消えたのだった。
それを見ても、誰も古代竜には近づかずに警戒するように囲んでいた。
もしかしたらまだ動けるかもしれない、生き返って襲い掛かってくるのでは、という恐れがあるのだろう。
竜は賢く、人を騙すという話も枚挙に暇がない。
死んだふりくらいは易々とするだろうと誰もが思っているのだ。
古代においてはそうではなかったが、現代において、小さな頃、母や父に竜に騙される人の童話のようなものを読み聞かせられた記憶がある。
ここにいる騎士や冒険者たちも、似たような経験をしているのだろう。
小さなころに刻まれた記憶は中々抜けないと言う訳だ。
仕方なく、ルルが率先して古代竜の、おそらくは亡骸に近づき、その動静を確かめることにした。
ルルが騎士と冒険者たちの囲いから抜けて、古代竜に近づこうとしたところ、ざわ、と声が上がったが、誰も止めることは無かった。
実際、誰かがやらなければこの戦いに明確な決着はつかないのである。
また、それを確かめるのに最も相応しいのは、おそらくは大勢を決するに至った初撃を加えたルルであるのも間違いなかった。
ルルは、もはや古代竜が動き出さないことを確信しているので、そんな周りの反応に苦笑するが、こんな存在に相対した経験がある者など、現代にはほとんどいないだろうことを考えれば誰も古代竜の生死確認を名乗り出ないのも特に不思議なことではない。
未知のものを恐れるのは、いつの時代だって同じだ。
と、思っていたのだが、ルルが古代竜の亡骸に近づくと同時に、ルルに供をするように後ろについて歩き出した者があった。
イリスではない。
彼女もその生態に詳しいと言う訳ではないだろうが、古代竜を全く見たことが無い、というわけでもないので、この古代竜にもはや危険はないという事くらいは分かってるのだろう。
特に心配もしていない様子で、少し遠くからルルを見ている。
では誰が、と思って振り返るとそこにいたのは、近衛騎士隊長たるロメオであった。
顔を見てみれば、先ほどまでそこにあったはずの涼やかな美貌は失われ、切り傷やら砂や泥による汚れやらで結構な様子である。
それを見てルルが笑うと、
「……随分と余裕があるのですね、貴方は……ルル殿。私は自分が恥ずかしくなってきます」
と言って少し怒ったような顔をする。
古代竜の生死確認をするのだから、もう少し気を張ってくれ、ということなのだろう。
その気持ちは理解できた。
だからルルは言う。
「いや、申し訳なく……しかし、おそらくあの竜はもはや動き出さないと確信していますから。意味無く不真面目、という訳ではないですよ」
その言葉にロメオは不思議そうな顔をして、
「……それはまた、なぜです? 竜は死んだふりまでするというではないですか。油断するのは、危険では……」
やはり、彼もまた竜の童話をよく読んでいたのかもしれない。
それは間違いとは言い切れないが正しい情報でもない。
ルルは、そのことを良く知っている。
とはいえ、自分は古代竜の生態についてとても詳しい、などと言っても信じてもらえるはずがないことは分かっていた。
現代において、彼らの生態はそのほとんどが謎に包まれている。
竜の頂点であり、とても強く、おそろしい。
せいぜいがその程度の認識に過ぎないのだ。
だから、ルルは過去の知識に基づく説明はせず、何となく納得できそうな話をすることにする。
「先ほどまで感じられた古代竜の魔力が今はもう、あまり感じられません。おそらく、絶命したことによって霧散したのだと思われます……」
言われてロメオはなるほどと頷き、
「……確かに、言われてみると先ほどよりも感じられる魔力が少ないですね……」
ただ、それで確信できた、というわけではないようだ。
実際、古代竜が元気に動き回っていた時と、今とで魔力の差がそれほど大きいわけではない。
ただ、不自然に減少していることは確かで、集中して感知すれば分かる程度の違いはある。
古代竜がその高い知能でもってそれも隠匿しているのだ、と反駁されればそうかもしれない、という話になってしまうような事実に過ぎない。
けれど、一応の説明にはなる。
実際に生きているかどうかは、近づいて確かめればいいのだ。
だからルルは、恐れずに古代竜の下に近づき、そしてその鼻先に触れた。
その瞬間、ロメオの息が止まったような気がした。
やはり、彼ほどの男をもってしても怖いらしい。
最も、その恐れは、強いから、とか強大な存在だから怖いとかそういう訳ではなく、もっと生理的なもののようである。
すぐに自分の反応を恥じたロメオは、ルルに続いて自分も古代竜に触れた。
「……反応がないですね。やはり、もう絶命したものと考えて差し支えないのではないかと」
ルルがそう言うと、ロメオも頷いた。
「……襲い掛かってくる様子もありませんね……大丈夫なようです」
その言葉を聞いた、古代竜の周りに囲いを作っていた者たちはやっと安心できたようである。
警戒を解き、勝鬨を上げて、それから微笑み合ってお互いの健闘を称え合った。
それを見て、やっと落ち着いたか、と思いながら息を吐いたルルに、ロメオが手を差し出してくる。
握手を求めていることは明らかだった。
共に、古代竜という化け物と戦った者として、今のこの気持ちを分かち合おう、ということだろう。
ルルは頷いてその手を取り、力強く握りしめたのだった。
◆◇◆◇◆
闘技場内もやっと落ち着き、古代竜の脅威もなくなった。
その情報はすぐに観客達にも伝わり、半信半疑で、本当に倒されたのかと覗きに来るものが数人現れ、他の観客達がいるところまで戻り、そのことを聞いた他の観客がまた見に来て……。
ということが何度か続き、三十分くらいしてやっと古代竜が倒されたという事が周知された。
闘技場に張られている絶対障壁は未だ解けておらず、その結果、闘技場には未だ観客達が残っている。
本来ならいつになったらここから出ることが出来るのかと不安がるところかもしれないが、ロットスがどれだけ長くても一時間は持たない、と絶対障壁の限界時間について保証したため、そのことを観客達に伝えているのでそれほどの混乱は起こっていない。
もちろん、出来るだけ早くこの密室状態を解消しなければならないので、ロットスは他の配下の古族と共に絶対障壁発生装置を探しに行っている。
先ほど発見したとの報告もあり、おそらくはさほどの時間もかかることなく、この状態は解消されることだろう。
それから、表彰式について、レナード国王グリフィズがルルに提案をした。
「……どうせしばらくはここに閉じ込められているしかないのだ。ついでと言うか、暇つぶしにはなるであろうし、観客達も見たいと思っているだろう。ルルよ。表彰式の続きをせんか?」
などと。
随分と茶目っ気のある王様だな、とルルは思ったが、彼の提案は悪くないものだ。
実際、混乱は起こっていないが、どことなく観客達から不満のようなものが発せられているのが感じられ、それはあの古代竜と絶対障壁による閉じ込めによるストレスが原因だろうが、表彰式を続ける程度でそれが解消されるならやった方がいい。
二つ返事で引き受け、表彰式の続きが行われることになった。
幸いと言うべきか、必然と言うべきか、闘技場の施設は古代竜の襲撃に遭ったにもかかわらず、何一つ被害を受けていない。
闘技場ステージに当たる部分については破壊されてしまっているが、建物自体はまるで問題ないのだ。
したがって、表彰式も問題なく行えると言う訳である。
そのことが拡声器を通じてアナウンスされたとき、大きな歓声が闘技場を包んだ。
観客達もやはり、ストレスがたまっていたという事だろう。
その発表一つで、不穏な空気は明るいものに変わり、闘技場の空気は変わった。
表彰台など、闘技場ステージ上にあったものは全て破壊されてしまったが、拡声器などは闘技場建物に予備があり、また簡易的なものではあるが、やはりある程度の高さのある台などもあった。
そこに登った国王、それにルル。
お互いに視線を交わしあって、何となく微笑んだ。
「……近年稀に見る激戦と、国を揺るがしかねないアクシデントがあった割には、質素な表彰台で申し訳ない限りだが……」
そんな冗談から始まった国王の言葉に、観客達も微笑む。
古代竜が突然襲い掛かってきたのだ。
本来なら笑って済ませられるような出来事ではないのだが、ここにいる全員が同じ危険に置かれていたこともあり、そうやって笑いにして、黙っていれば湧き上がってくる震えや恐怖を振り払おうとしたのかもしれない。
式は和やかに進んでいく。
「では、そろそろ表彰と行こうか。皆も既に知っている者もいるかもしれないが、ここに倒れておる竜は、古代竜。その一体で一国をすら揺るがすと言われる化物だ。だが、その化け物に先制して一撃を加え、事態を有利な方向へと導いた者がここにおる。今大会最大の立役者にして、優勝者である、ルル=カディスノーラだ!」
少し持ち上げすぎではないか、と感じられるその言葉。
ルルはそんな意図を込めて国王を見ると、国王もルルが古代竜討伐についてはそれほど持ち上げられたくはないと言う意図を感じたらしい。
少しトーンダウンして言う。
「もちろん、ルル一人ではなく、ここにいる騎士、冒険者たちも力を合わせて倒したものじゃ……とは言え、戦でもそうじゃが、一番槍と言うのには誰よりも強い度胸と気概というものがなければならぬ。皆に勇気を与えた。それだけで、ルルを賞賛するに余りある。儂は我が国にこれほどの勇士がいたことを喜ばしく思う……」
国王の言葉に、歓声があがる。
ルル、ルル、という声が観客達から叫ばれる。
むず痒いが、たまにはこういうのもいいかもしれない、と思った。
そして、国王は深く息を吸い込んで、その言葉を言った。
「……したがって、ルル選手の健闘を称え、第700回レナード王国闘技大会優勝の栄誉と賞金、そして副賞として"魔剣アスカロン"を与える!!」
ルルが国王の近くに控えていた者から、賞状と鞘に収まった剣をうやうやしく受け取ったその瞬間、今まで闘技場を覆ってきた、全てのそれとは異なる、まるで何かが爆発したかのような巨大な歓声が、闘技場を飲み込んだ。
その歓声は途切れることなく長い時間続き、大会運営職員がやってきて、絶対障壁の解除がアナウンスされたあとに至っても、中々静かになることは無かった。
それだけ、今回の大会は、多くの者を興奮させ、また様々な出来事が起こり、人々を夢中にさせたということだろう。
しかし、観客達とて、いつまでもここにいるわけにもいかない。
表彰式のあとには、やることが色々あるのだから。
酒場で酒盛りもそうだし、夜会だってある。
それに明日は王都から出る者たちも多くいて、店などをやっている者は忙しくなるだろう。
だから、徐々にその声も静かになっていく。
それに、まだ国王の言葉は終わってはいない。
一つ、重要な台詞を言っていない。
国王はそれを口にする。
「さて、最後に一つ、優勝者であるルルには聞かねばならぬことがある……毎年、闘技大会の優勝者には一つ、国王である儂から、何かを贈らせて貰っておる。特に制限はつけないが……何かあるか?」
制限はつけない、と言っているが、実際のところ限界はある。
事前に大会運営から、これ以上のものは求められない、ということは告げられていた。
たとえば、侯爵位をくれ、だとか、国家予算に匹敵する金銭を寄越せ、みたいなものは当然認められないという話をだ。
貴族として引き立ててくれ、とか優勝賞金を倍にしてくれ、程度なら可能だとも言われている。
ルルの望みが叶うかどうかについては、運営に聞いてみたが、直接訪ねて見なければ分からない、という話であった。
なので、ルルは、観客達が固唾を呑んで見守る中、自らの願いを言うべく、口を開いた。