第126話 報い
と言ってもルルにはもはやあまりやることはない。
ルルが古代竜に放った魔力集束砲の一撃でほとんど戦いは決したと言ってもいい状態にあったからだ。
あとは、絶望的でしかなかった戦いにやっと勝機を見出すことが出来た騎士や冒険者たちを地味に援護しながら適当に立ち回っていれば、古代竜もそのうち力尽きることだろう。
実際、闘技場ステージにいる騎士や冒険者たちの攻撃は確実に当たり始めており、古代竜による攻撃も外れ始めている。
どちらが勝つのかはもはや明らかで、そしてその時が来るのは時間の問題だった。
それでも未だ、古代竜の放つ爪や牙、しっぽ、それに体当たりや若干威力が弱まった息吹などはそれなりに脅威である。
直撃を受ければ重傷を負い、また当たり所次第では即死もありうるようなものだ。
ルルはそう言った危険にさらされている者たちの前に目立たないように結界を張ったりしながら、損耗を出来るだけ減らすべく努力した。
終盤に至って、なぜルル自身があまり攻撃しないようにしているのか、と言えば闘技大会で優勝し、古代竜まで単騎で退けた、などという話になってくれば国内のみならず国外までその名が轟いてしまうかもしれないと思ってのことだ。
闘技大会優勝者、くらいならともかく、古代竜を一人で倒した、とまで言われてしまうと際限なく持ち上げられてしまいそうで、それは少し面倒臭いかもしれないという気がしたと言うのもある。
強いと言われるくらいならいいが、あまり褒め称えられ過ぎてもむず痒い。
ここは、古代竜はみんなで倒しましたと言い訳がつくようにしておくのがいいだろうと思った。
そして、そういう立ち回りをしているルルに対して突っ込みが入らないのは、先ほどの魔力集束砲の派手さによるものだろう。
古族の族長らしいロットスだけは、お主まだ全然戦えるじゃろう、何やっとるんじゃ、という目でルルをたまに見て首を傾げているが、他の騎士や冒険者たちは彼ほどの魔術的知識、技能がないようで、ルルが未だ余裕綽々であることはばれていないようだ。
その場にいる者たちが魔術師よりも剣士など武術家寄りの者が多いこと、ルルが出来る限り魔力を隠匿していることがその理由の大きなところを占めるが、それでも分かってしまうロットスは相当な魔術師なのだろうと言うことが分かる。
けれど彼とて古代竜の前に余裕などあるはずがなく、特にルルの元まで来てもっとちゃんと戦えと言うとかそう言う事は特になかった。
そんな風にルルが地味に色々やったり観察していると、古代竜はとうとうその体力の限界に達したらしい。
高度を落とし、落下してきた黒竜は、息も絶え絶えの様子でその場にいる戦士たちを睥睨しながら、最後の威勢を示しながら戦う。
戦士たちも、ここまで来て負けるわけにはいかぬと、猛烈な攻撃を加えていく。
そんな中、ルルはそれには加わらずに、古代竜が初めに出現したあたりをじっと見つめていた。
戦闘に積極的に加わっていかなかった理由は、ここにもある。
ルルの目は人族のもの。
魔族だったときと比べてその性能は比べるべくもないが、その身に宿る膨大な魔力と、古代魔族式の魔術でもって拡張強化された特殊な視力でもってその一点を分析していたのだ。
結果として分かったことは、
「……まだ、つながってるな」
そう言って、ルルは空中に結界による足場を作っていき、疾風のような速度でその空中の一点に辿り着く。
普通の視力で見れば、そこには何も存在してはいない。
ルルがそこに飛んでいくところに気づいた者も数人いたが、そこから黒竜に魔術を飛ばす気なのだろうと思ったらしく、すぐに興味を失って自分の戦闘に集中を戻した。
ルルが魔術を飛ばしてきても、おそらく誤射されることはない、と無意識に判断している辺り、彼らはルルの魔術に信頼をもっているようで、そんなに油断していいのかとルルとしては思わないでもなかったが、まぁ実際自分が誤射しなければいいのだからと思って気にしないことにした。
それに、今この場にルルがいる理由は黒竜を魔術で撃つためではない。
牽制程度に弱めの魔術を古代竜に向かって飛ばしているのは事実だが、そんなのは片手間に過ぎない。
そうではなく、ルルの目的はこの場所にある……。
「……繋がるか?」
ルルはその右手に魔力を宿らせ、深い蒼色に輝かせてから、ゆっくりと、古代竜が出現したその場所に触れた。
すると、そこには確かに手ごたえを感じた。
腕に宿らせた大量の魔力が消費されていく感覚がある。
「術は生きている……」
そう言ってすぐに、ルルの右手が触れているその場所を中心に、立体的な魔法陣が構築されていく。
その現象に気づいたのは、やはり地上で戦う者の中ではロットスただ一人だった。
古代竜を前にしながら、その強大な存在から目を外してしまうほどに、その魔術は異質で、ロットスをして見たことのないものだった。
「……なんじゃ、あれは……」
呆けるように口を開いて、ロットスは呟く。
しかしそれで答えが誰かから返ってくるはずもない。
周りを見ても誰もその異質な現象に気づいてないらしく、不思議に思って感覚を尖らせてみれば、ルルの方からはその不可思議な魔術に基づく魔力が一切感知できないことに気づいた。
確かにこれでは気づけと言うのが無茶だろう。
一体あの少年は何者なのか。
深い疑問を感じるが、やはりそれだって誰も答えてはくれない。
ロットスはため息を吐いて、言った。
「……後に、ユーミスにでも繋いでもらうかのう……」
そうして、彼は古代竜への魔術攻撃に戻る。
けれど、ちらちらとルルの構築している奇妙な魔術に視線を送ることはやめることが出来なかった。
ルルは、魔法陣を構築し終わると、ぶつぶつと呪文を唱え始める。
それは彼にしては珍しいことで、それだけその魔術が難しいか、特殊なものであるということに他ならない。
「……道を辿りて報いを受けよ――返呪」
その瞬間、ルルの目の前にぼんやりとした光が輝き、そしてその向こう側に闘技場ではない景色が一瞬映った。
眠る女。
金色の髪、陶磁器のような肌、それに匂い立つような聖気……。
古代竜が出現する瞬間にルルは感じていた。
魔力だけでなく、闘技大会開会式で感じた、その力――聖気を。
ルルの右手に宿っていた蒼光は、ルルの目の前に現れたその光の中を通って、その向こう側にいる女へと向かい、宿った。
それを確認すると同時に、光は静まり、向こう側の景色もぼんやりと消えていく。
それから、少し意地の悪いような、満足そうな、珍しく魔王然とした笑みを浮かべたルルは、一言言った。
「……死にはしないだろうが……少しは苦しむといい」
その言葉を聞き取った者は誰もいなかったが、もし彼の表情を見て、その言葉を聞いたものがいたら震え上がったかもしれない。
そこには確かに、かつての魔王の面影があった。
◆◇◆◇◆
ゆったりとした、微睡の中に浮かんでいたはずだった。
歓喜と希望の中に、未来と目的の達成を思って、静かに横になったはずだった。
しかし、これはどういうことだ。
からからと進む馬車の中、横になっていた聖女はあまりの激痛に眠りを妨げられ、飛び起きる様に目を覚ました。
「……う……げ、げはっ……」
咳をしながら、体をくの字に折り曲げて、また胸や腹を掻きむしって、その瞳を充血させている聖女。
そこには聖女と言われる者としての美しさは無く、ただ痛みに耐えられずにのた打ち回る一人の人間がいるだけだった。
「これは……なんです……うぐぁ……うっ……がは……」
咳をする聖女の口から、血が吐き出される。
その血液は彼女が身に纏っている純白の衣装にぽとりと落ち、墨の広がるように色を染め上げていく。
その時間は長く続き、がたがたと音を立てて暴れる聖女に気づいたのか、眠っていたノンノが目を覚まして驚いて聖女に近寄る。
「……せ、聖女様!? どうされました!? 何が……血が……血が! まさか誰かに……?」
その言葉は、自分がいつのまにか眠ってしまっているうちに、聖女が襲撃されたのか、という意味合いの言葉であった。
それは必ずしも間違いではないが、正しいとも言えない。
聖女は、自分がなぜ、こんなことになっているのか、おぼろげながらその理由がつかめてきた。
自分の体の奥底に、不快な魔力の塊を感じる。
熱く熱した鉄の棒を突きこまれているかのような、焼けるような疼痛が責め立てる自分の腹と胸。
それはつまり、そんなものを自分に注ぎ込んだ何者かがいるということに他ならない。
しかし、そんなことが誰に出来る。
聖女の馬車は、特別製で、製作から聖女自身が口を出して作らせた、いわば一種の砦のような作りをしていた。
少々な魔術程度なら跳ね返すし、これを超えて聖女に何かを出来るような者など、いないと考えても間違いとは言えないほどだ。
もちろん、馬車を破壊する気で魔術を叩き込まれたらどうにもならないが、見る限り馬車は何の被害も受けてないのである。
馬車の持つ、魔力を遮断する力を超えて、自分にこの呪いのような魔術を叩き込める存在――
そんな者が何人もいるはずがなかった。
ただ、一つ言えることは、自分は先ほど術を使用しており、それによって遠隔地と一種の経路を繋いでしまった。
そこから辿って聖女自身に辿り着き、さらにそれを通して聖女に何かしら影響を与えることは、理論的には不可能ではない。
あくまで理論的には、であって現実的にそれを行おうとするなら卓越した技術や魔力が必要になってくるのだが、現実的に被害が及んでいるのだ。
そういうことが出来るものがいると考えるべきであった。
とはいえ、一体誰が……。
レナードにおいて、このような者が出来る者と言えば、特級冒険者や宮廷魔術師など、限られた者のはずである。
そのうちの誰かが、聖女の罠に気づき、対応したという事だろうか。
そうすると、おそらく自分の企みのうち、一つは失敗したという事になろう。
せっかく送り込んだ古代竜も無駄になった可能性が高い。
そのことを思って、聖女は歯噛みした。
「……全く……見通しが甘かったですわ……」
そう呟いた聖女に、慌てるノンノは少し勘違いをしたらしい。
「聖女様……まさか、何か病でも患っていらっしゃるのですか? 今回の旅は、ご無理をして……?」
そんな事実など一切ないが、聖女としても、まさか色々な企みに失敗した結果、その報いを受けてこうなったのだとは彼女に言う訳にはいかない。
言ったところで信じるとは思えないが、それ以上に説明するわけにはいかない話だ。
ちょうどいい勘違いであるし、ならばそういうことにしておこうか、と思った。
「……そんなところです。いい? ノンノ……このことは、信徒の方々にも、また他の神官の方々にも他言無用で……」
「そ、そんな……! お医者様に見せて、治療をしなければ大変なことになってしまいます!」
そう言い募るノンノの気持ちは理解できたが、本当に医者に見られて困るのは聖女である。
だから、聖女は続けた。
「……いえ、この病は、治療法がないのです。ただ、すぐに死んでしまうとか、そういうものでもないから……そんなに心配することでもないのよ?」
そう言うと、ノンノは少しほっとしたような表情をするが、けれど心配そうなのはあまり変わらない。
心から気の毒そうな目で聖女を見て、言う。
「聖女様……でも、こんなに血が……」
言われて、自分の服を見てみれば、確かに聖女の着ているものは赤く染まっていた。
ぽつぽつと大きな水玉模様のように、真っ白な地に赤が映える。
聖女は赤が嫌いではなかったが、確かにこのままではあまりよろしくは無いだろう。
アルカ聖国の聖女と言えば、そのトレードマークとなるカラーは、穢れの無い、純白なのだから。
ノンノにも、何か仕事を与えた方が冷静になれるだろう。
そうも思って、聖女は言った。
「そうね……では、ノンノ。私は大丈夫だから、替えの服を出してもらえるかしら? トランクの中に、入っているはずだから……」
言われて、物凄い勢いで頷き、動き出したノンノ。
その様子に聖女は微笑み、自分が大したことないことを示した。
実際は、まるで何も収まっておらず、痛みは大きくなっていくばかりだ。
暴れまわって全て破壊してしまいたいくらいの気分だったが、取り落すわけにはいかない仮面を聖女は今、身に着けている。
ノンノを不安にさせてはならない。
そう思って、聖女はいつも通りの微笑みと優しげな視線を浮かべ続けた。