第12話 心配と秘密
ルル、イリス、グランの三人で屋敷に着くと、そこには母がこちらを見つめて立っていた。
穏やかな表情だ。
凪いだ海のように静かで、揺らぎない。
けれどルルはだからこそ、本能的な恐怖を感じた。
ルルの母、メディアは穏やかで優しい性格をしているのは間違いない。
だから、静かなことは見慣れているのだが、それにしたって顔を合わせてなにも言わない、ということはほとんどない。
物静かな、お淑やかな様子でなにかしら話しかけるのが常なのだ。
なのに、今回に限ってはなに一つとして言葉を発しないのである。
これは、非常に危険なことだ、とルルは思った。
そして案の定、その予想は当たる。
静かだが、何か感情を理性で抑えたような声で、母は近づくルルに言ったのだ。
「……どこにいたの?」
ユーミスが説明してくれたという話ではなかったのか、とルルは思ったが、これはそういう意味ではないのだろう。
どこにいて、なにをしていたのか、自分の口で説明しろと言う、つまりはそういうことなのだ。
そしてそれが何の前振りなのかを分からないほどに、ルルの察しは悪くなかった。
「……ちょっと、遺跡の方まで」
言ったか言わないかの刹那、母の平手打ちが風を切って飛んでくる。
その様子をルルはその鋭い知覚能力で察知したのだが、しかしこれを避けることはあらゆる意味で許されないだろう、とルルは甘んじてその平手を受けた。
ぱんっ。
と、音がして、ルルの頬がじんじんと痛む。
しかし実際に傷ついているのは、叩かれたルルではなく、むしろ叩いたメディアのようだった。
平手打ちをしたあと、よろよろとルルに近づいたメディアは、ゆっくりと柔らかにルルを抱きしめて、呟くように言ったのだ。
「……しんぱい、したでしょう? 分かってるの……?」
「悪かったよ……でも行かなきゃならなかった。俺はそれが分かってた……」
普通の親なら、ここで口答えするな、とか、意味の分からないことを言うな、とか、子供のお前が行ったところで一体何の役に立ったというのか、とかそういうことを言うことだろう。
けれどメディアはその辺り、ひと味違った。
「……そう。なら、仕方ないわ……グランさん、この子は役に立ちましたか?」
突然そう聞かれて、一瞬まごついたグランであったが、すぐに立ち直ってはっきりと答えた。
「間違いなく役に立った。明日、この村の長に説明することになるだろうが……村の遺跡で魔導機械を発見してな。それが稼働して村を襲おうとしたんだが……それを停止させたのは、そこのルルだ。ユーミスの結界があったから一日くらいは持ったかもしれねぇし、死人までは出なかったろうが、放っておいたら家の一軒二軒は破壊されていた可能性はある」
ルルがいなかった場合、ユーミスが村で結界を張り続け、グランが魔導機械を一体一体つぶしていくことになっただろうから、その可能性は確かに高いだろう。
岩巨人はともかく、魔砲蜂については飛んでいるだけあってかなり手間取ったかもしれない。
そうすると、すべての破壊には時間がかかったと思われる。
ルルは、そう言う意味で役に立ったのだと言うことだ。
それを聞いてメディアは頷き、
「そうですか……それなら良かった。ご迷惑をおかけしなかったか心配で。パトリックに武術を学んでいたからどうにかなったのかしら……?」
少しだけ首を傾げる。
メディアはルルの正確な実力というものを知らない。
弱いわけではない、というのはパトリックとの訓練を見てきたから分かってはいるものの、岩巨人を実際に見て、それにルルが勝てるかと聞かれたら無理だと答えるくらいの感覚でしかないのだ。
だから、特にその点については触れないことにした。
グランもわかったもので、ルルと目線をあわせて頷いている。
訳すなら、黙ってりゃいいんだろ、わかってるよ、だろう。
それからメディアはひとしきりルルを抱きしめ、その安全を確認して安心したのか、次にグランの横に立ってルルとメディアを見ていた少女に気づいて首を傾げた。
「……あら、貴女は誰かしら? はじめて見るわ。……この村の子ではないわよね?」
その質問に、待っていましたという風に堂々と前に出てきたイリスは、深くお辞儀をし、それから言った。
「お初にお目にかかります、奥様。私はイリス、と申します。訳あって、このたび、グランさまとルルさまの探索された遺跡の中で、長きに渡って眠り続けておりましたところ、お二人に救われました……」
すらすらとそう言ったイリスは、次に自分の身の上について話す。
その口調もまたよどみなく、また感情がよくこもっていて、メディアはその内容によく耳を傾けた。
イリスがかつて、大切な人を失ったこと、その敵を追いつづけていたこと、その際に罠にはまってあの遺跡の装置で眠り続けることになったこと、そして、すでに両親がいないということ……。
そのすべてを聞き、すっかりイリスに同情してしまったメディアは、涙ぐみながらイリスを抱きしめ、そして言った。
「そう……そうなの。辛かったわね。その年でそんな……ご両親がいない、頼るものもいない、ということなら……そうよ、うちに来ればいいわ!」
いいことを思いついた、というようなその母の言葉。
自ら切り出すことなく相手に切り出させたイリスの手管に驚きを禁じ得ないが、そこまで言わせてなおイリスは固持した。
「いいえ、奥様……命を助けられ、さらに衣食住まで与えてもらうわけには参りません……」
楚々とした様子で目を伏せて、そんなことを言うイリス。
メディアはその謙虚な様子にさらに胸を打たれたのか、ルルに話を振ってきた。
「そんなことないわよね? ルルだって、イリスちゃんと一緒に暮らしたいわよね?」
「え? あ、あぁ……」
言われていることは願ったり叶ったりなのだが、ルルがメディアを押し切る形ではなく、その反対になっていることがなんとなく腑に落ちない。
ただ特に反論すべきところもないので、ルルは頷いて賛意を示した。
「いっそのこと……そうだわ、うちの娘になっちゃう? 下級貴族だから養子にとるのはそんなに難しくないし……娘もほしかったのよね。やっぱりかわいい女の子にいろんな服を着せたいというのは女の浪漫だわ。そうね、そうしましょう。イリスちゃん、うちの娘に、なる?」
「え、ええと……?」
だんだんと母の剣幕がおかしくなってきたことにイリスが気づき始める。
家に置いて貰う、まではイリスの予想通りだったようだが、養子がどうこうとまで言い始めるとはさすがに考えていなかったらしい。
「そうよ。それがいいわ。ちょうどうちには息子一人しかいないわけだし……娘が一人いてもいいのよ。パトリックが帰ってきたら、相談しましょう。きっと二つ返事で賛成してくれるわ! こんなにかわいいんですもの!」
「お、奥様……」
イリスがあわてて止めようとするも、メディアは取り合わない。
どころか、イリスの口に人差し指を当てて、
「違うでしょ? お・か・あ・さ・ま。はい、言ってみて?」
「お、おかあさま……」
「あぁっ! かわいいわ! これであなたはうちの娘ね!」
そのままメディアはイリスを抱き上げてくるくると回り始める。
イリスはルルを見ながら「どうすれば……?」という顔をしているが、何とも言いようがなかった。
ルルが首を振って、諦めろ、と伝えると、イリスはがっくりと肩を落として諦めてしまった。
そんな様子を見ながらグランは、
「まぁ、めでたいんじゃねぇか? 下級とは言え、貴族の娘なんて地位はなかなか手に入らないしな」
「そうかもしれないが……」
ルルとしては、予想と少しずれた形でイリスとの共同生活が始まりそうなことに、何ともいえない気分に陥る。
「ま、ともかくこれでお前らについては安心だな。俺は宿に戻るぜ。それと、明日の朝、飯食ったら宿に来い。相談したいこと、聞きたいことがあるからな。ユーミスにもあるだろう。もちろん、イリスの嬢ちゃんも一緒にな」
グランはそうして手を振って宿の方に歩いていく。
去っていくグランに、母はイリスを抱き上げながら、
「この度は本当にありがとうございましたー!」
と手を振っていた。
イリスは母の胸元でぐったりしていたが、体力的なものというより、精神的な疲労だろう。
しかしこれからイリスが養子になるということは、ルルの妹になるというわけである。
かつての友人の娘が、妹に……。
ということは、かつての戦友バッカスはルルの義理の父と言うことか?
そう考えると、不思議な気分になる。
「ともあれ、みんな無事に終わってよかったな……」
そう呟いて、三人で屋敷の中に戻る。
そうして、長い一日が終わったのだった。
◆◇◆◇◆
次の日の朝、宿に行くとグランとユーミスが首を長くして待っていたようで、着くと同時に、
「やっと来たわね」
とユーミスに言われてしまった。
メディアがイリスをかわいがって手放そうとしないので、家を出るのがだいぶ遅れたから、その文句も仕方がない。
昨日のイリスは魔族謹製の技術で作られた隠蔽効果の高い漆黒のドレスを纏っていたのだが、今日は母の趣味で全く正反対の明るい色を着せられている。
空色のワンピースに、真っ白なつば広の帽子をかぶったその姿は本当に人形のようですらある。
そんな風に、イリスの見た目は非常に整っているため、似合わないと言うことはないのだが、過去魔族と言えば暗闇を象徴して黒、もしくはそれに近いくすんだ色を好む傾向があり、イリスもその例に漏れず、ほとんど明るい色の服装を纏うことはなかったからか、少し恥ずかしそうだった。
ユーミスは、ルルが宿に着いたときには不機嫌そうだったが、イリスの姿を見た瞬間にそんなものは吹き飛んだらしく、ちらちらとイリスを見ては手が伸びそうになっているので、
「撫でたいなら撫でればいいだろ」
とルルは言った。
イリスもイリスで、
「……そうなのですか? では、あまりさわり心地のいいものではないと思いますが……どうぞ」
と、帽子を脱いで律儀に頭を差し出すものだから、ユーミスもとうとうなで始め、最後には機嫌良さそうに膝の上に座らせてしまった。
対面に巨体の男とエルフの女性、さらにその膝の上に座る七歳くらいの少女。
自分はどこかの家族の面談でもしているのだろうか、と冗談を思い浮かべつつ、それはとりあえず端においてルルは本題に入ることにした。
「それで、今日は何の相談だ?」
ユーミスはイリスを撫でるのに忙しいらしく、ルルの質問に答えたのはグランだった。
「まぁ、相談というか……質問だな。まずお前、ユーミスの結界をいじったろ? あの技術、一体どこから知ったんだ?」
それは一言で核心を突く質問だった。
とは言え、まず間違いなく聞かれるのが分かっていたから特に驚きはない。
ルルは落ち着いて用意していた答えを言う。
「教えてもかまわないが、それは俺にとって非常に重要な秘密だ。知りたいというのなら、二人にはそれなりの誓いを立ててもらわなければ話すことは出来ないぞ」
ルルとしては、別に嘘をついたり惑わせたりするつもりはなかった。
特に隠さなければならない理由も無く、黙っていてくれるのならすべてを話してもかまわないとすら思っていた。
本当に黙っていてくれるのか、という部分に若干の不安があるが、それについても解決方法はある。
だからこういう言い方になったのだが、ユーミスは少しルルを侮っていたようである。
「分かったわ。絶対に言わない……」
そう言ったのだが、ルルはその言葉に対して、
「嘘だな……一応言っておくが、この場には虚偽感知の魔術をかけている。嘘をついてもかまわないが、全部分かるからな?」
「……え、それこそ嘘でしょ? 魔力の流れとか感じないのだけど」
ユーミスが驚いて辺りを見回す。
「本当だよ。じゃあ……今からいう質問に嘘でも本当でもいいから答えて見ろ。好きな食べ物は?」
「肉」
「親友の名前は?」
「メリア」
「生まれ変わったら何になりたい?」
「鳥」
「……最初から、嘘、嘘、本当、だろう?」
ルルがゆっくりとそう言ったので、ユーミスは驚いて目を見開く。
「本当にかかってるのね……でも、別に誰かに言いふらすつもりはないわよ?」
「言いふらすつもりはなくても、誰かに言うつもりはあるってことだろ?」
「そうね。私たちは冒険者。組合長に対する報告の義務があるわ」
「気持ちは分かるけどな、それじゃ結局誰かに言うって事だろうが。だったら話さないって言っている。……ちなみに、話す場合には、契約魔術をかけるからな。それがいやなら俺は何も言う気はない」
そんなルルとユーミスのやりとりを見ていたグランが、ユーミスに言った。
「ほれ見ろ。こいつを……ルルを普通のガキだと思うと失敗するぞ。対等の相手だと思えって言ったろうが」
「それはグランの印象でしょう? 私はまだこの子がどういう人間か、把握してなかったのよ。話してみないと分からないことはあるわ……けど、まぁ、分かったわ。契約魔術まで持ち出されるとは思わなかった。なんだか試すようなことをしてごめんなさい。グランから昨日のことは聞いたのだけど、もう少し深く、あなたの人格を知りたかったのよ……」
ルルの感知魔法によれば、その言葉に嘘はないようである。
「でも、報告する気はあったわけだ?」
「聞いてしまったらそれは言わないとならないのは本当だからね。ただ、出来る限り言わないつもりでいたわ。それでも組合長には多少の強権があるから……それを行使された場合のことまで考えると、絶対に、言わないとまでは保証できないのよね。だからその辺がひっかかったんだと思うわ。……でも、別にあなたが話す気になっても、聞く気はなかったわよ? 興味はあるけど……術式の改変の方法なんて聞いて、組合長に報告、なんて事態になったらそれこそ厄介な気がしてならないわ。出来ればそんな事態はごめん被りたいし、何も聞かなければ報告なんてしなくていいじゃない」
それも本当らしい。
「じゃあ、聞かないのか? せっかく質問しておいて」
「そのつもりだったのだけど……契約魔術を使えるのよね? それで縛るというのなら教えてもらえないかしら? 話せなくなるなら、話す義務も果たしようがなくなるものね。それでいいんじゃないかしら」
「よくはないと思うが……グランはそれでいいのか?」
グランに尋ねると、首を縦に振った。
「俺ははじめから誰に言う気もないからな。組合の規則にまじめに従うなら報告する義務もあるかもしれねぇんだが……今回は結局何の収穫も無しだしな。少しくらい報告漏れがあってもいいんじゃねぇか? それにユーミスが理屈こねくり回して報告しなくていい理由をこさえてくれたことだし、何の問題もねぇじゃねぇか」
結局のところ、二人ともそういう義務を絶対に果たそうとは思っていないということだ。
大ざっぱかつ適当な二人組。
この村に来た当初から感じているこの二人に対する印象は何も間違っていないようである。
「ま、そういうことなら……話そうか。イリスもいいか?」
「はい。ルルさまのご随意に……」
そうして、ルルは二人に契約魔術をかけ、話し始めたのだった。