第117話 歓声とすれ違い
光と爆音が収まったとき、そこに広がっている光景を見て驚愕を表さなかった観客は一人たりともいなかった。
観客たちは、その瞬間、ほとんど反射的に目をつぶってしまっていた。
しかし、あれだけの衝撃である。
古族の絶対障壁が破壊されたらしい音も聞こえた以上、ルルとイリスの破滅的な魔術の生み出す影響が観客席まで伝わってきていないことも奇妙に感じて、ゆっくりと目を開いたのだ。
すると、ステージを円形に取り囲む観客席の最前に数人の魔術師たちが立って、結界を張っているのが見えた。
強力な結界だが、しかし古族の絶対障壁ほどではないようにも思える。
それであの衝撃を耐えきれるはずはないのだが、一人の魔術師が独り言のように言った言葉でなぜ観客席に何の被害も及んでいないのかが知れる。
「……やれやれ。古族の結界がほとんどの衝撃を吸収してくれなければ、どうにもならなかったのう……本当によかったわい」
それを言ったのは、言わずと知れた魔術師中の魔術師、ウヴェズドであり、その言葉になるほどと頷いた観客たちは心をほっとさせた。
とは言え、あくまで被害がなかったのは観客席についてだけだ。
ルルとイリスの収束砲は天と地に向かって放たれていたのであり、側面の観客席を覆っている結界部分は余波で破壊されたにすぎない。
となると、実際にルルの収束砲の直撃を受けたステージが問題になるが、光も煙も収まったそこには、案の定、というべきか、まさかというべきか、ステージと呼べるものは存在していなかった。
かろうじて、それを構成していただろうと思しき破片が転がっているのは見えるが、その大半はあの一撃で消滅させられたのだろう。
そして、深くえぐられるように闘技場中心部は円形の大穴が出来上がっているのだ。
ルルの一撃で、地面がそこまで掘削されてしまった。
つまりはそういうことなのだろうと理解した観客たちは、まず驚愕と戦慄を覚え、次にその直撃を真正面から受けた少女の安否を考えた。
あんな攻撃を受けて、果たして生き残れるような者などいるのだろうか。
観客たち全員がそう思ったのは言うまでもないことだ。
けれど、割れた結界からゆっくりと浮遊しつつ降りてきたルルは、当然のことながらイリスの生存を信じていた。
むしろ、死ぬような攻撃など放つはずがない。
ステージのあった場所に着地し、自らがあけた大穴の縁に立って底を覗くルル。
すると、視線の先にはしっかりと原型をとどめたイリスがいた。
着ているものは収束砲の衝撃でもってかなりぼろぼろになってしまっていたが、それも含めて膨大な魔力を浸透させていたからか、ぼろぼろでありながらも服としての原型をたもっている。
間違いなく生きているなと理解したルルは、そのまま穴の一番奥に飛び込み、そしてイリスのところにたどり着くと、魔術でもってイリスの服を修復してから肩に背負って地上に上がったのだった。
『……る、ルル選手!? イリス選手は……!?』
現状、まだ試合の勝敗はついていない。
しかし状況から見て、それは明らかである。
運営が拡声器でもって訪ねたのは、イリスの生存についてであって、勝敗についてではないだろうと判断したルルは言った。
「もちろん生きてるぞ……ま、気絶しているようだけどな」
『で、では……ルル選手の勝利と言うことで、よろしいでしょうか?』
「まぁ……さすがのイリスも気絶してしまっては、これ以上は戦えないだろうからな。そうなるんじゃないか?」
そう言った瞬間のことである。
拡声器から、巨大な声が闘技場全てに響かせるように叫んだ。
『……みなさん、お聞きになったでしょうか。今日この日がくるまで、様々なことがありました。古族の技術提供により、特級クラスの実力者すらも参戦することが可能になった今大会。本当の王国最強を決めるべき戦いで、誰がその頂点に立つのかを、その開催の前より誰もが予想し、夢想し、楽しんできました……しかし、いったいこんな結末を誰が予想したでしょうか。すでに名の知れた特級冒険者、それに騎士たちが次々と破れていく中で、最後の試合に勝ち残ったのは無名である初級冒険者二人、しかもこの二人は兄妹であるということです……どちらもその立場に相応しい力を予選、本戦において見せ続け、勝ち残ってきた本物の強者。時代というのはこんな風に変わって行くものかと、彼らが勝つ度に思い、鳥肌が立ったものです』
その声が、何を最後に言うのかは、観客たちは全員が理解していた。
しかしそれでも、その声に観客は聞き入った。
この一週間以上続いた戦い、その一つ一つを思い出してふつふつとわき上がってくる感情がそうさせていた。
声は続ける。
『しかしそれでも、彼らがここまで登ってくるとは、誰も思わなかった。いずれ名のある実力者につぶされ、来年、再来年の大会に出場して……いつか栄光を手にすることはあるだろうと、そうは思っていたけれど、それでも、今日この日、この場所で彼らを称賛することになるとまでは思っていなかった。それなのに……彼らは我々の期待に応え、その実力を遺憾なく発揮し、決勝の名に恥じない戦いを繰り広げ、そして一つの結果を我々の前に見せてくれた……』
実力を遺憾なく発揮し、などと言われてしまうとルルとしてはまだやれたのだが、と反論したくなってしまうが、ここはそういうことをしても興ざめだろうと、ルルはその声を聞きながらステージの中心近く、自らが開けた穴の縁に立ち続ける。
あたりを照らす魔力灯、それに夜空に輝く星々を、感慨深い気持ちで見つめていた。
何か胸をすくような思いがする。
すると、肩に乗せていた少女の目がゆっくりと開かれたのを感じた。
「……お義兄さま」
「気がついたか、イリス」
まだ戦うか?
という視線でイリスを見つめるルル。
けれどイリスは微笑んで、
「……いえ、私の負けです。それに……この演説の中、まだ戦いますとは申し上げにくいですわ……」
拡声器から響く司会の声は、未だに続いている。
確かにこの熱の籠もった声の中、私はまだ戦えますと言うのは微妙だろう。
それに、イリスは心から敗北を認めているらしい。
それは、その瞳の光からルルは理解できる。
納得があるのなら、別にかまわないだろうとルルは微笑み、イリスとともに司会の声を聞いた。
『この闘技大会は……そして、この試合は、間違いなくこれから先何年、何十年、何百年と語り継がれるものとなるでしょう。今大会においてみなさんが目にした全て、それはどんな伝説にも勝る宝となるはずです! 私も、絶対に忘れることはありません……人に出来ること、その可能性の先を、この大会に出場した者たちは、その全力でもって我々に教えてくれたのだから。そしてその頂点に立つ二人の試合は……我々に夢を見せてくれたのだから。さぁ、みなさん。称えましょう。我々に夢を希望を見せてくれた者たちのために。そして、この国における戦士の頂点に立った者を正しく称賛するために!』
そして、司会は深く息を吸って、最後の言葉を一息に叫んだ。
『我々の前で、信じられないほどの熱戦を繰り広げてくれたルル選手とイリス選手。その戦いを制したのは、ルル選手でした! したがって……レナード王国、第700回王都闘技大会の優勝者は、ルル=カディスノーラ選手!! みなさん、盛大な拍手を彼に!!』
そんな司会の言葉と同時に、地鳴りのような歓声と拍手が、ルルに向かって送られた。
割れんばかりの、というのはまさにこういうことなのだろうなと思うと同時に、これほどまでたくさんの人々に視線を向けられて祝福されていることになんだか不思議な気分がしてくる。
改めて考えてみなくても、全員が人族である。
対して、闘技場の中心……にある深い穴の縁に立って、その歓声を受けているのは元魔王と、古代魔族の少女なのだ。
昔だったら絶対にあり得ない状況。
どんなに隠しても、昔の人族であれば、ルルはともかくイリスが魔族であることを見破り、即座に牢獄に叩き込むか神聖魔術でもって消滅させただろう。
けれど現代にそんなことは起こらない。
時代は、変わったのだと改めて理解した。
そしてルルはゆっくりと手を挙げて、歓声に応える。
すると、歓声はわっ、と大きくなり、ルルの名前を観客たちは幾度と無く叫んで称賛してくれた。
その中にはイリスの健闘を称えるものもあって、意識を取り戻したイリスが少しつらそうな様子で、しかししっかりと手を掲げて健在であることを示すと、やはり歓声は増した。
延々と続きそうな歓声。
しかし、そう言うわけにもいかない。
それに、表彰式は今日行われるわけではなく、明日に行われる。
賞品や式次第の関係もあって、時間帯的に難しいということと、今日のこの興奮のまま王都の酒場に夜、金を落としていってもらいたいという経済的なところがあるようだ。
実際、いつまでも続く拍手と歓声を司会の声が止める。
『……では、表彰式は明日になります! 優勝されたルル選手には、国王陛下にお願いを一つ、聞いていただける権利が与えられますので、なにを望むのかが楽しみですね! それでは、みなさん、ご帰宅には足下にお気をつけて! 飲み過ぎやトラブルはご遠慮願います! それでは!』
あっさりとした言葉だが、それくらいでないといつまでも歓声が収まらないと言う経験から来る判断なのだろう。
ルルとイリスもその言葉が終わる頃には運営に導かれて闘技場から引っ込んでいる。
主役が立ち続けるとなにをいってもダメだから、ということらしい。
さらに、このままいきなり闘技場から出るとおそらくは二人とももみくちゃにされる危険があるということなので、しばらく闘技場でゆっくりして、観客が先に闘技場から退去したのを確認した上で、裏口から出ることを勧められた。
実際、その申し出が無くともイリスの治療があって医務室に行く必要を感じていたのでちょうどいい話だった。
それからルルとイリスは医務室に行き、しばらく観客たちが減るのを待つことになった。
◇◆◇◆◇
「……イリス、痛むところはあるか?」
イリスが医務室のベッドに腰掛けている中、ルルは備え付けられた簡易イスに座ってそう尋ねる。
本来であれば、医務室に常駐している治癒術師に治療を頼むのが筋なのだが、イリスは古代魔族だ。
人族とは体のつくりが若干異なるため、深手を負っている今回のような場合にはルルが見るのが望ましいということで、遠慮してもらうことにする。
その際、まさかイリスは古代魔族なので、などと言うわけにはいかないので、妹の体のことは兄が一番よく分かっているなどという分かるようで分からない理屈で押し切ったのだが、医務室常駐の治癒術師は思いの外すぐに引いてくれた。
というのは、ルルの戦いぶり、魔術に対する造詣の深さを見るに、治癒術についても相当の見識があってこういうことを言っているのだろうと判断したかららしい。
実際、治癒術師としてもルルは現代のそれより優秀なため、その感覚は事実であり、問題はなかった。
イリスはルルの言葉にうなずきながらも、少し苦しそうな表情をして言う。
「……体そのものは問題ございませんが……やはり魔力の回復が遅いですわ。使いすぎ、のようです……」
その言葉にルルは呆れた顔をする。
「そりゃあ、あれだけ無茶すればそうなるだろう……特に最後の収束砲は本当に限界まで魔力を酷使したな? やりすぎだ……」
いいながら、ルルはイリスの手を握ってそこに直接魔力を注いでいく。
普通ならこんなことは出来ないのだが、古代魔族の技術はそれを可能にしていた。
ルルの膨大な魔力は、古代魔族の少女一人の魔力枯渇など簡単に補えるほどのもので、ほんの数分でイリスの体内魔力は万全な状態にまで回復する。
それを確認したルルは、ゆっくりとイリスの手を離した。
イリスはなぜか名残惜しそうにそれを見て、しばらく自分の握られた手を見ながらぼうっとしていた。
ルルは続ける。
「これからは、あんな無茶はしないでくれ……この世界で、この時代で、俺の隣を任せられるような者はイリス、お前以外にいないんだからな」
ぼうっとしていたイリスであるが、ふとかけられたその言葉にはっとしたようにいルルを見つめて、言う。
「……それは、どういう……?」
真意を問うべく、発した質問だった。
その言葉にルルは笑ってうなずき、
「イリスの実力も、思いも認めるってことだよ……」
イリスはその言葉に、一瞬、強い喜びを感じた。
実力を認められたのはうれしいが、思いも認める、と言ったのだ。
それはつまり……。
と、そこまで考えたところでそんなわけあるまいとイリスは首を振って妄想を振り払う。
それから、その言葉の意味をはっきりさせようと、改めて聞いた。
「思いとおっしゃいますと……?」
ルルはその言葉にきょとんとした顔で答えた。
「……? 魔王の側近に憧れていたんだろう? まさかあんなに無茶するくらいにこだわっていたとは……」
まぁきっとこんなものだろう、とは思っていた。
だからそれほどショックはない。
けれどイリスはふぅ、となんだかため息が出てしまった。
そんなイリスの様子にルルは首を傾げる。
それが、イリスにとって非常に残念な答えだと言うことを、ルルは分かってはいなかった。