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蘇りの魔王  作者: 丘/丘野 優


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第109話 始まりに吹く風

 四位決定戦、五位決定戦はそれぞれグランとヤコウの戦いで決めることになった。

 本来ならユーミスもここに参加するはずだったが、魔力枯渇は深刻なようで、戦えるほど回復はしていなかったらしい。

 泣く泣くあきらめて、二人の戦いを見物しているだけに収まった。

 結果、グランが勝利し、ヤコウが五位ということになった。

 ヤコウもユーミスほどではないとは言え、かなり消耗していたらしく、その身体でグランを相手にするのはかなり厳しかったらしい。

 全力を出せず敗北した、という格好に近く、少し悔しそうにしていた。

 グランはルルとの戦いで消耗してはいたが、ヤコウやユーミスのように魔力枯渇、というところまではいっていなかったので十分に実力を出して戦えたのが大きかったようだ。

 来年は俺が優勝すると言いながら、四位になったことを悔しがっていた。


 ◆◇◆◇◆


 闘技場の石造りの壁や床を揺らす歓声が、ステージに出ずとも耳に、そして肌に伝わってくるのが感じられる。

 控え室から闘技場ステージまでの長い廊下をこつりこつりと歩きながら、ステージ入り口から廊下に差し込んでいる光を見て、ルルは滅多に感じない緊張、のようなものが体に走っているような気がした。

 とは言っても、それは少し息を吸えば途端に消えていくようなもので、幾度と無くあった過去行った演説前のそれと比べれば大したものではない。

 どれだけ多くの観客がこの闘技場に詰めかけているといっても、せいぜいが数千から数万と言ったところなのだから、地表を埋め尽くさんばかりの赤き目の魔族の軍勢のひしめいていたあの頃を思い起こせばいかほどのことでもない。

 ルルは、緊張から表情が硬くなるのではなく、むしろちょうど気分が良くなってくるような心地良い気持ちになってきて、その口の端を僅かにあげて、微笑みを浮かべながら闘技場ステージに向かって歩き出した。


 観客の前にルルが姿を現すと同時に、先ほどから続いていたそれは一層力と音量を増した。

 その声の中には、ルルを称賛するもの、また反対に批判するものなど、様々なものが混じり合っていたが、そのどれもに共通するのは強い興奮とこれから行われるだろう試合に対する大きな期待であった。


 ルルはそんな歓声をあげる観客たちを睥睨するように一瞥すると、そこから強い迫力を感じたのか歓声は威圧されたように静まり、そして闘技場内を異様な雰囲気が支配していく。

 それは、観客たちの本能が訴えかける、絶対的強者に対する恐怖であったが、もともと非戦闘者である者が大半を占めている観客たちに、そんなことは分からない。

 一部の戦士たちを除き、観客たちは自らの体の芯からわき起こってくるその感情を恐怖とは名付けずに、試合に対する期待であると考えて、一瞬ののち、余計に巨大な歓声をルルに向け始めたのだった。


「平和な時代になったな……」


 かつてであれば、たとえ戦ったことが無い者でも、今し方ルルが向けたような威圧を感じれば、それがその場から逃げ出せと自らの本能が告げているのだと言うことを理解できたものだが、現代の人間からはそう言った直感がもはや失われているらしい。

 昔に比べて、遙かに平和になったらしい今の時代が、おそらくは人からそういう感覚を奪い去ったのだろう。

 それは幸せなことではあるが、同時にどことなく寂しいものを覚えつつ、ルルは苦笑してステージの中心へと立つ。


 イリスが登場したとき、その歓声はルルに向けられているものとはやや異なるものだった。

 どことなく野太い男性のものが多いというのだろうか。

 女性の声も聞こえるが、なぜか悶えるような独特のものが多い。

 さらには、ルルの魔の手から救い出してあげるだとか、ああいう悪い男に引っかかったらだめだとかそんな台詞まで聞こえてくる。


 そう言えば、グランの話によれば、イリスとキキョウはルルと同居しており、またいつも一緒にいることも多いから、いつの間にか愛人扱いされているのだったかと思い出す。

 二人ともルルにだまされたかわいそうな娘扱いと言うことで、それほど評判は悪くないのが救いだが、ルルとしてはげんなりする話である。


「……黒姫! がんばれー!」「応援してるわー、黒姫ちゃん!」


 などという声も聞こえてくる。

 黒姫、というのがイリスのあだ名らしく、フリルが多くついている可愛らしい装飾のものだが、色合いが黒一辺倒であることからそのような名で呼ばれるようになっているらしい。

 さらに瞳の赤や、銀色の髪に、真っ白な肌の色などが彼女の神秘性を際だたせ、姫の名を頂戴したというわけだ。

 その上、実際にこうやって決勝まで登ってくるほど強力な使い手であることから、その名はものすごい速度で広まっていき、今では王都の多くの人間が知っているのだという。

 流石に全員という訳では無かろうが、二人に一人以上は知っていることだろう。

 もちろん、そこにはルルの名前も付属されて。


 こつり、こつりと緩やかに闘技場ステージに入ってきたイリスの手には何も把持されていなかった。

 武器も何も持たない、と言う選択は、イリスが古代魔族であることからすれば、手加減する気がないということを表す。

 過去の魔導武具であればそちらを使った方がよほど効率的に戦えるだろうが、現代の武具を持つくらいなら素手の方がましであることを、ルルは当然理解していた。

 武具にとって、重要な要素はいくつかあるが、その最たるものはどれだけ多くの魔力に耐え、また増幅するか、という点に集約されることが多い。

 現代の武具はその意味で、古代魔族の体よりも劣っているのである。

 肉を切り分けたい、とかそういう場合でない限り、古代魔族にとって、現代は己の体こそが最大の武器となる時代だというわけである。


 イリスは闘技場ステージで、ルルの対面に立ちながら微笑み、そしてそっと空を見上げて呟いた。


「……お義兄にい様。今宵は星がきれいですわ……」


 言われて見上げてみれば、そこには満点の星空があった。

 現在、時刻としては太陽が落ちてからしばらく経った頃であるため、そこには数多くの星が瞬いている。

 今までの試合は、こんな時間に行われることはなかったが、最後の、優勝を決める一戦はこの時刻に行われるということだ。

 それは、試合が終わった後、別会場で貴族たちの夜会が行われるからで、主に主催者側の事情が多くを占めている。

 庶民にとってはほとんど関係のないことだが、闘技大会自体のスポンサーの問題もあるので仕方のないことだろう。

 明日の閉会式も同じ理由で遅い時間帯に行われ、その後に大会の優勝者・準優勝者を招いて同じく夜会が行われることになっている。

 いささか面倒な気もするが、大会のスポンサーたちの主催するものなのだ。

 出ない訳にはいかないだろう。

 そして、今日の試合がそんな時間に行われている以上、辺りは暗闇のはずだが、闘技場内は極めて明るく、観客たちからもよくルルたちの姿が見えていることだろう。

 それは、闘技場内を浮遊している球状の魔力照明灯マジック・ライトが辺りを照らしているからで、この時間帯でも問題なく試合が出来る理由である。

 そして、基本的に全て結界の外に設置してあるので壊れる心配もない、というわけである。


 そんな中であるから、本来空を見上げても星など見えないはずなのだが、ルルとイリスの視力は普通ではない。

 イリスは古代魔族として、光の中でも星が見ることくらい造作もなく出来るし、ルルもまた、そう言った調整は習熟した魔術でもって容易に行うことが出来るからだ。

 つまり昼間であっても星が見える二人なわけだが、この場で星に言及したのは、やはり星は夜に見るものだという感覚があるからかもしれない。


 ルルはイリスの言葉に応じて頷き、言う。


「そうだな……今も昔も、星空はあまり変わっていない……あの頃とほとんど同じだ」


「少し位置の変わっているものや、光の大きさの変化しているものもありますが……そうですね。あまり変わっておりません。地上に存在するありとあらゆるものは、私たちのよく知らないものになってしまっているというのに、不思議な気持ちが致します」


 そんなイリスの言葉に少し寂しげな色が感じられたのは、決して気のせいではなかっただろう。

 古代魔族がルルとイリスを除けば一人も存在いないらしいこの世界の中で、彼女にとって変わらなかったものなど星空くらいしかない。

 ルルですら、種族も口調も変わっているのだ。

 中身が変わっていないとは言え、この世に変わらないものなど何もない、という無常を感じて寂しく思っているのかもしれない。

 だからルルは言う。


「何千年も経てば、変わらないものなんてないさ……けれど、あの頃だって何一つ変わらなかった訳じゃない。毎日、毎日、何かしら変化していたさ……」


 主にそれは戦争によって、ということになるが、今日いた人物が明日にはいなくなっている、などと言うことは幾度と無くあったのだ。

 むしろ、一日の変化という意味では今の方が昔よりも緩やかだ。

 イリスと出会って七年間、変わったことはそれほど多くない。

 年を取り、実力がついて、村を出て……。

 せいぜいがそれくらいで、誰かが永遠にこの世界から失われた、などということはまだほとんどないのだ。

 村人のうち、寿命で無くなった者は何人かいた程度で、しかもそれは仕方のないことだった。

 理不尽に命を失った知り合い、というのが存在しないだけ、この世界はぬるま湯のように優しい。

 そんなルルの気持ちを理解できたらしいイリスは頷いて言った。


「そう、ですわね……明日も必ず、お義兄にいさまがいる。そう信じられるこの時代は、平和で、優しくて、幸せで……出来れば永遠に続いてほしいと心の底から思いますわ。……でも」


 イリスの声が少し性質を変えた。

 どうしたのかとルルが首を傾げると、イリスは続けた。


「……気づいて・・・・おられますか?」


「……何を?」


 イリスが何を言い出そうとしているのか、ルルには何となく理解できた。

 先ほどから、ルルとイリスの声は周囲に聞こえないようにイリスの手により遮音結界が張られていた。

 さらに外には他愛のない会話に聞こえるように偽装魔術まで組み上げられているくらいだ。

 だから、大事なことを話そうとしているのだと、そう理解できた。


「この世界に、変わらないものなど何もない。……その通りですわ。けれど私は、この時代ならば、穏やかにお義兄にいさまと暮らしていけるのではないか、とどこかでそう思っていたのです。ずっと変わらずに……いえ、変わってほしい部分はあるのですけど、それは置いておきまして……」


 なんだか一瞬、ごにょごにょと口ごもったが、イリスはすぐに立ち直って続けた。


「戦争が行われていたあの時代に、私はずっと感じていました。何かが変わっていく空気を、決して留まってはいられない、強い川の流れというものを。お義兄にいさまも、そういうものを感じたことはありませんでしたか?」


 ない、とは言えない。

 あの時代、多分だが、誰もがそれを感じていただろう。

 本当ならば、戦争など誰もしたくないと心のどこかで思いながらも、いざ敵を前にすれば武器を抜いて思い切り振ことしかできないだろう自分の存在というものを感じていた。

 変えようと思っていても、どう変えればいいのか分からない。

 そもそも変えることがいいことなのかどうかすら分からない、そういう流れというものが、生きているとたまに見えることがある。

 そしてそういうものは、世が混乱しているときにこそよく見える。

 あの頃は、誰にもそういうものが見え、感じられていた。


 今、この時点で振り返ってみれば、人族ヒューマンと魔族との対立は、本来ならば根気よく対話でも重ねれば解決出来たことなのかもしれないし、勇者と魔王の戦いも、同様だったかもしれない。

 けれど、あのとき、あの場所にいた魔王や勇者、人族や魔族には、それが可能であると信じることは出来なかった。

 大いなる流れが、あの時代にいた者全てをかっさらうように押し流して、一つの終局へと導いていたのだ。

 だから誰もがそれではいけないと思いながらも、その流れに従い、また逆らおうとして押し流され、川底へと静かに沈んでいったのだ。


 最後の、魔王としてのルルの勇者との会話は、そういう流れを断ち切ろうとするあがきだった。


 それが成功したのかどうかは、あの時代のことが詳しく分かっていない以上、分からない。

 けれど今のこの時代の穏やかさを見れば、失敗したとまでは言えないだろうと言う気がしている。


 けれどイリスは、そんな、ルルが信じようとしていた甘い推測を叩き割る。


「お義兄にいさま。私には、今、そう言った時代の流れる音が聞こえるのです。肌にひしひしと感じるこの不安は、決して間違いではないと……あの時代を生きた者の一人として、確信を持って言えます。この闘技大会の中でうごめいていた、いくつもの事柄を鑑みてみても……何かが少しずつ動き出している……そんな気がするのです」


 聖女、魔族、古族エルフ、リコル、キキョウ……。

 ほんの数日の間に過ぎないのに、様々なことがあった。

 その全てに、ルルもイリスと同じく、何かを感じていた。


 今まで判然としなかった、いや、判然とさせようとしてこなかったそれがいったい何なのか、ルルにはやっと理解できた。


 それは、流れ。

 時代のうねりと言い換えてもいいだろう。

 数千年前に吹き荒れた風が、今この時代にも吹き始めようとしている。


 そういうことなのだろうと。


 風がどこから始まるのかなど知ろうとしてもその答えを知ることは出来ないが、風が吹いていることは、誰にだって分かるものだ。


「……穏やかな日々は終わると、イリスはそう言いたいわけだな」


 ルルは重くそう言って、イリスを見た。

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