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第107話 イリスの勝算

「そう言うわけで、万能薬パナケイアが入手できることは確定したぞ。ついでに、俺とイリスのどちらかが闘技大会で優勝することもな」


 エステルとの会話を終えて大会事務局を出たあと、ルルとイリスはその足でナジョワール家、つまりはオルテスとクレールの家に向かい、一緒に食事をとることを提案した。

 場所はシフォンの切り盛りする"時代の探求者エラム・クピードル"の酒場。

 食事代はナジョワール家の懐具合を考えて、ルルたちの奢り、ということにしようと思ったが、わざわざ呼びつけて一緒に食事をとった理由を話すと、ならば金銭的な心配はすることはないだろうとオルテスが払うことになった。

 これでお礼を済まそうというわけではないが、今日は良い日だからおごらせてくれ、ということらしい。

 オルテスはその整った顔を珍しく歪めて涙を流し、妹のクレールと母のオネット抱き合いつつルルとイリスにお礼を言ったのだった。


「本当にありがとう……冗談でも何でもなく、君たちのお陰で僕の妹は助かったよ……なんと言ったらいいのか分からないが、何度お礼を言っても足りない……ありがとう」


 そんなオルテスの手放しの感謝に、ルルは何とも言えず恥ずかしそうな顔をして、


「気にしなくて良い……とまで言うとむしろ色々気負ったりするだろうからそこまでは言わないが……まぁ、良かったじゃないか。これでナジョワール家の経済事情も好転するな」


 と、冗談混じりに言った。

 その言葉に一番に反応したのはクレールで、その輝くような金髪をぴょこぴょこと振り乱しながら言う。


「そう、その通りなんです! 今までどれほど私の病のために家族に負担をかけてきたか……そのことを思うと、それが一番嬉しく、喜ばしいことです。これで市場で値切れば貯金がどんどんたまっていくのね……!」


「……値切りを止める気はないんですね」


 ぼそり、とイリスがそう呟くと、クレールは言った。


「当たり前ですよ! 市場の品物の値段なんてあってないようなものなんですから! どんどん値切って出来るだけやすくすませる! これこそが賢いお買い物の基本その一なんです!」


 未だ病気は治っていないはずなのに、その剣幕は、本当に病気なのかと聞きたくなるような勢いがあってルルは苦笑する。

 クレールの母であるオネットも似たような表情をしていることから、クレールのこんな姿は日常茶飯事なのだろう。

 オルテスもルルやオネットに近い表情で微笑んでおり、仲のいい家族なのだろうと言うことが理解できる。

 ルルもイリスも、そんな三人の姿を微笑ましく見ていた。

 それは二人が、かつて失ってしまった何かをそこに見ているからなのかもしれない。

 ルルは、遥か時の彼方に過ぎ去った仲間たちを、イリスはもう会う事は出来ないだろう、父母を。

 だからナジョワール一家の光景は彼らにとって、なんとなくうらやましく、そして心の深く柔らかいところを刺激されているような気がしたのだった。


 ◇◆◇◆◇


 それからしばらく酒場で思い思いに食事をしている中、オルテスがイリスのところに近づいていって、質問した。

 ルルはカウンターの方でシフォンと会話しており、席を外している。


「イリス。明日は君とルルの試合だって聞いたけど……勝算はあるのかい?」


 オルテスは今日も依頼に出ていたから、その情報は依頼を終えて街に帰ってきてから聞いたのだろう。

 今、王都は専ら闘技大会の話題に包まれていて、少し街を歩くだけでその日の試合の状況は分かってしまうくらいだ。

 しかも、明日行われるもっとも重要な試合は、決勝戦だけ。

 この街にいて耳に入らない方がおかしいだろう。


 オルテスの質問にイリスは遠くの方にいるルルを少し見てから、話し出す。

 その様子は、遠くにいる恋人の話をするようであり、また人生を賭けた好敵手を語るようでもあって、何とも言えない闘志がイリスの体から立ち上っているのが、実力のある剣士であるオルテスにはよく見えた。


「……正直言って、それほど自信はありません。お義兄にいさまは、私の知る限り、最強の戦士でいらっしゃいます。まともに戦って負けた姿を、私は一度たりとも見たことがありません……」


 イリスがそう言ったとき、ふと、何か沈痛な表情を一瞬浮かべたような気がしたが、オルテスにはその表情の理由は分からなかった。

 しかしそれも当然のことだ。

 イリスはそのとき、自分が見ることの出来なかった、魔王の敗北を思い出していたからだ。

 イリスは続ける。


「けれど、決して無敵ではないことも、私は知っております。勝つ方法が無いわけではないと言うことを、私はかつて、痛いほどに教えられました……ですから、今回の戦い、私は負けるつもりはありません。全力をもってお相手し、そして、勝つ。そう信じて挑むだけです」


 オルテスはそんなイリスの言葉に驚いて目を見開く。

 なぜなら、彼の感覚からすれば、イリスはもっと穏やかで、冷静であり、かつルルに対しては絶対服従を旨としているような少女に思えていたからだ。

 いや、その感覚自体は間違えてはいないだろう。

 ただ、戦い、というものに対して、そういう風に、絶対的な崇拝を向けるような相手にして、紛うことなく本気で挑もうという心境を持てているということに驚いたのだ。

 普通、そこまで信頼を寄せている相手に、本気で武器をふるうことは難しい。

 オルテスとて、クレールを相手に武器を振るえと、本人がぜひにそうしてくれと言っていると言われても、おそらく出来ない可能性が高い。

 それはなにもおかしいことではなく、失いたくないからこその自然な感情である。

 けれどイリスは、ルルを喪失したくないと考えているのに、心からの本気で挑もうとしている。

 そこにオルテスはイリスのルルに対する深い思いを感じた気がして、一瞬言葉を失った。


 おそらく、この少女は、本当にルルを信頼しているのだろうと。

 自分ごときが本気を出した程度で倒せるはずがないと、そう思っているのだろうと。

 そしてまた、だからこそ本気で挑みたいという、戦士としての矜持も併せ持っているのだろうと。


 どうすれば、これくらいの年でこれほどに誇り高い戦士になれるのだろうとオルテスは改めてイリスの存在を不思議に思ったが、それを考えるとルルもさらに奇妙な存在である。

 まともに彼の戦っているところをオルテスはほとんど見れていないが、街を歩くだけで耳に入ってくる彼の話を聞けば、それが強い、では収まらず、いっそ理不尽と言えるような実力であるということはすぐに分かる。

 魔術でもって王都においてトップクラスの魔術師と真っ向勝負をして打ち勝ち、剣術で挑んでも特級でも指折りの実力者である者を完全に封殺してしまうような実力を持っているのだ。

 年を聞けば、未だ14を越えた程度でしか無く、それなのに、そのような理不尽な強さを身につけているのは一体どういうことなのか。

 全く理解が出来ない。


 冒険者として、色々と不思議な現象には出くわしてきたが、そのうちで最も奇妙で理解が難しい出来事は何かと聞かれたら、ルルの存在であるということになるだろうとオルテスは思っている。

 それくらいに、ルルは不思議な存在なのであった。

 けれど、本人にその強さの理由を尋ねても、曖昧に微笑むか、話をうまく逸らされるかのどちらかで、まともに聞けそうもない。

 だからといっておかしな方法でもって詮索するのは恐ろしく、それに何よりナジョワール家にとって何よりの恩人なのである。

 これ以上は聞かず、詮索すべきではないだろうと諦めてしまっているのが実状だ。

 いつか自分から話してくれるのでも待とうかと、気長な気持ちでいるというのもある。


 それにしても、そんなルルに勝てる可能性はあると言うイリス。

 一体どんな方法でもって勝とうとしているのか知りたくなり、オルテスは尋ねる。


「……具体的には、どうやってルルに勝とうと思ってるのか聞いても良いかな?」


 場合によっては誰かに言っただけで無効になってしまうような作戦もあるだろうから、そんな聞き方になった。

 答えてくれなくてもそれはそれで仕方ないと思っての質問だったが、イリスは答えてくれる。


「色々と考えていることはありますが……まず、お義兄にいさまは私より、力をお持ちではないので、その辺りに勝機がある、と考えています」


 オルテスはその言葉に首を傾げる。

 イリスは見るからに華奢で、とてもではないが力がありそうには見えない。

 身体強化魔術などにより強化すれば岩くらい砕けるようになるのかもしれないが、それでもシュイやウヴェズド相手に魔術戦を仕掛けて勝つような膨大な魔力量を持つらしいルルに挑むのは難しいのではないだろうか。

 身体強化は、基本的には本人の持つ筋力を基準にかけ算のようにして強化するもの。

 成人男性同士ならば多少の筋力差にそれほど意味はなく、魔力量がものを言う分野だが、男性と女性となると話は違う。

 せめて魔力量が勝っているというなら話は別になるが、ここにおいてもイリスはルルにかなわないはずで、そうなると力比べとなれば厳しいのではないだろうか。

 そうイリスに言うと、彼女は困ったように微笑んで言うのだ。


「実は私……馬鹿力なんですの」


 なにを言うのか、とオルテスはその台詞を笑い飛ばそうとした。

 けれど、イリスはオルテスがそんな視線を向けていることに気づいて頷き、それから後ろを振り向いて別のテーブルに座る巨漢の全身鎧を身に纏った男性の肩をたたき、


「申し訳ないのですが、少しばかりお体をお借りしても?」


 と尋ねた。

 その言葉に、その巨漢の鎧男は驚いたような顔をして、それからイリスの顔を見て少しばかり顔をだらしなくさせて言った。


「お、おう……別にかまわねぇが……?」


 おそらくは別の意味にとったのだろうと言うことは明らかだったが、イリスは気にせずにお礼を言って、


「あぁ、ありがとうございます! では失礼いたしますね……」


 そう言ってしゃがみ、鎧男の足を片手で掴むと、無造作に、ひょい、という感じで持ち上げて、さらに酒場の天井近くまで軽い動作で投げて、それからキャッチして見せた。

 その様子が目に入ったらしい酒場中の客が驚いたようにイリスと鎧男を見ると、鎧男の方は目を白黒させたままイリスに足を捕まれて未だ地面から少し浮いた位置に持ち上げられている。

 イリスはといえば、


「申し訳ありません。お騒がせしました……鎧の方。ありがとうございました」


 そう言って鎧男の足をゆっくりと地面に置き、お辞儀をしてオルテスの正面の椅子まで戻ってきた。

 見れば、鎧男は未だになにが起こったのか把握できていないらしく、硬直している。

 そんな鎧男に、周りに客が説明を始め、最後には気味の悪そうな目でイリスを見て、少しばかり遠くのテーブルに移って隠れるように酒を飲み始めた。


 オルテスは一部始終を眺めた上で、戻ってきたイリスに呆れたような声で言った。


「……なるほど、ルルばかりに目がいっていたけど、イリス、君も相当な存在だったんだね……」


 特級のユーミスに勝ったのだから、当然弱いはずが無く、とてつもなく強いのだとは思っていたが、まさかこれほどだとは思わなかった。

 さきほどの一件で、なぜ酒場中の人間が驚いたのかと言えば、そこに魔力の働きが一切感じられなかったからだ。

 この店に来ている者の大半は冒険者で、それ以外も腕っ節を頼りに生きているようなものばかりである。

 当然、身体強化魔術については商売道具であるからよく知っており、その発動を関知できないと言うことは駆け出しでもない限りあり得ない。

 けれど、そんな彼らをしても、今のイリスには一切の身体強化魔術の発動を感じなかった。

 それはつまり、彼女が、素の力のみで、あの巨大な鎧男を持ち上げ、天井まで投げあげ、そしてキャッチしたということに他ならず、そんなことが出来る者はこの酒場の中におそらくだが一人もいないだろう。

 グランならば出来るかもしれない。

 力自慢の上級冒険者なら、可能かもしれない。

 けれど、容易なことでもないのは間違いない。

 なのにイリスはやったのだ。

 それがなにを意味するか理解できないほど、オルテスは察しが悪くなかった。


 イリスはそんなオルテスに笑いかけ、


「腕相撲勝負でしたら、間違いなくお義兄にいさまに私が勝ちます。明日の試合方式、腕相撲に変えていただけたりしないでしょうか……?」


 と冗談混じりにそう言ったものだから、オルテスは吹き出して自分の目の前にある酒の入ったジョッキを掲げて腹の底から大笑いしたのだった。

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