第101話 キキョウの秘密
ヤコウの姿は非常に変わっていた。
いや、まるで人には見えない、ということではない。
その意味でなら、ヤコウはまっとうな人族のように見える。
けれど、その服装や身につけているものがこの辺りではまるで見ないもので、観客たちの目線は別の意味でヤコウに釘付けになる。
まず服装なのだが、橙色を基調とした非常に派手な色合いのもので、ちょうどキキョウの着ているものの丈を短くし、前合わせの部分を正反対にしたようなものだ。
首には大きな球がいくつも連なっている数珠を下げていて、髪型は赤に近い橙の髪が逆立って荒々しい印象を受ける。
足下は非常に簡素なもので、裸足に木の皮などのような樹木の繊維で作られたらしいサンダルのようなものを履いている。
異様、と言ってもいいだろう。
ただ、キキョウと雰囲気が似ているからか、ステージ上がまるで異国になってしまったかのような感じがする。
「……やっぱり、知り合いなのか?」
ルルがそう口を開くと同時に、二人の会話が聞こえるようになった。
隠したい話はもう終わったということなのかもしれない。
とは言っても、大音量で叫んでいるというわけではないのが、聞きにくいことには聞きにくいのだが。
「……約束を、忘れるなよ?」
ヤコウの方が、キキョウに向かってそう言った。
服装さえ考慮しなければ、ヤコウは精悍な青年、と言った雰囲気で、声もそれと見合った張りのあるものだ。
キキョウは彼の言葉に微妙な表情をして、けれどしぶしぶ、と言った感じで、
「わっかりましたよ……はぁ……クソババアめ……こんな奴をよこしてくるなんてぇー!!」
その声を聞き、ルルとイリス、それにキキョウを知っている酒場の常連らしき観客たちも安心したように息を吐いた。
いったいどんな約束をしたのかは分からないが、物騒なものではなさそうだということが分かったからだ。
それに、ヤコウとキキョウはお互いを深く知っている知り合い、と言うわけではないらしいことも。
そのクソババア、という人物の知り合いがヤコウで、ヤコウはクソババアからなにか頼まれてキキョウに伝えにきた、という感じなのだろう。
キキョウはその伝えられたことを好ましいとはあまり思っていない様子だが、絶対に拒否しなければならないことだとも思っていないようだ。
キキョウは続ける。
「ですが、ヤコウ! 私が勝ったら私の好きにさせてもらいますからねっ!」
ヤコウが語った約束、とは自分が試合に勝ったらなにかキキョウにしろということなのだろう。
その反対に、キキョウもなにかヤコウにしてもらうことを約束したのかもしれない。
ヤコウはキキョウの言葉に明るい笑みを浮かべながら言った。
「おぉ、もちろんだ。ただ、俺は弱くないぜ? キキョウ、あんたが国でも指折りの乗り手だとしてもな……」
その言葉に、キキョウはため息を吐いて、
「別に好きでやってたんじゃないんですけど……」
と言った。
ヤコウは、
「それでこうやってわざわざ呼び戻されるくらいの実力にまでなってるんだからすげぇよ。尊敬するぜ」
そう言って笑った。
その一言で、どうやらヤコウがキキョウとした約束は、キキョウが彼女の故郷の国に帰るということなのだということが分かる。
ルルはそれで、キキョウと初めて出会ったときに家出娘らしいと思ったことを思い出す。
どうやら家族が連れ戻しに来たと、言うところだろうか。
東の国がどういうところなのかは分からないが、キキョウの故郷から見れば遙か西にあるこんなところまで家出してきた少女を心配しないわけがなかったということだろう。
キキョウがババアババアと普段から呼んでいるその人物がどう言った者なのかは、キキョウが何度か大巫女と呼んだことから、そういう立場の者なのだということくらいしか分からなかった。
ただ、それ以上にキキョウがそれなりに大切に思っているということもその語り方からは理解できていた。
ババア、というのは端的な悪口だが、そこにはかなり親しい者に甘えるような響きもあったのだから。
キキョウは言う。
「あの妖怪ババアに言っておいてくださいよ。本人が直接謝りに来たら考えてやらんこともないって」
その言葉にヤコウは少しあわてて、
「お、おい……さっきから言おうと思っていたが、ババアとか言うの止めろよな……! あの地獄耳、どこで聞いてるかわからねぇぞ!」
おびえているようですらあるそのヤコウの雰囲気には和やかな雰囲気すら流れたくらいだ。
キキョウはそれを見て、鼻で笑い、それから、
「はっ。いくらあのババアだってこんな西方くんだりで悪口言っても聞こえませんよ……ババアババアババア妖怪ババア年増ババアー!!!」
当てつけなのか何なのか、そんな風に叫んだ。
「お、おまえ!?」
ヤコウはそれこそおびえて辺りの空を観察し始める。
そして、ふと見た方向になにかを見つけたらしく、
「あっ……」
とつぶやいた。
キキョウも、観客たちも、そこになにがあるのかとふと見てみると、そこにはもくもくと黒い雲ができあがり始めており、そしてそれは徐々にキキョウの方に近づいてきて、結界をすり抜けると、彼女の頭上で停止する。
「う、うそ……ババア……化け物かっ……!?」
そう言った瞬間、黒雲はバリバリと雷を帯び始め、そしてキキョウに向かって何本もの稲妻が走る。
「ひゃあっ!!」
キキョウはそう言いながら、稲妻を器用に避け続ける。
ヤコウはその様子をあきれた様子で眺めていて、
「……だから止めろって言ったのに……」
と呟いていた。
観客たちはもとより、ルルとイリスもそれを見て唖然としていて、
「……お義兄さま……あれは相当高度な魔術では……」
「あぁ……遠隔魔術だな。そこまで大規模な魔術ではないようだから、結界のすり抜けも、まぁ、方法さえ知っていれば不可能ではないが……しかしキキョウの故郷は遙か東だろう? そこから発動させているのだとすれば、確かにキキョウの言うとおりちょっとした化け物だな」
そんな会話をしていた。
かつての古代魔族でも出来る者は少ないだろう。
全くの皆無ではなく、側近たちには可能だったろうし、それなりの実力者には不可能ではないが、それでも相当な力だ。
キキョウの言う大巫女というのがいったいどういう人物なのか、かなり気になってくる出来事で、あとで少し聞いてみようと思った。
それから、キキョウに対する黒雲からの雷撃は終わり、キキョウは息を荒くしながら地面に伏している。
「ぜぇっ……ぜぇっ……」
ヤコウはそれを見ながら気の毒そうに呟いた。
「ある意味尊敬するけどよ、もう少しものを考えてから行動しろよ……大巫女様に逆らっちゃならねぇってことは向こうでは子供でも知ってるだろうが。……しかし、向こう見ずなバカとは聞いていたが……ここまでとはな。俺はやだぜ? お前みたいなのが上司になるの。命がいくつあっても足りねぇよ」
「……はぁ……はぁ……上司? って何のことですかっ……?」
キキョウが息も絶え絶えの様子でそう尋ねると、ヤコウは答える。
「次の頭はあんただって話だよ。大巫女様がそう言ってたぜ」
「なにを言ってるんです? 頭はチヅル姉さんじゃないですか……」
「それだけ切羽詰まってるってこった……」
そう呟いたヤコウに、キキョウの表情が変わる。
それから、少しだけ必死になったような雰囲気で尋ねた。
「……そんなにまずいんですか?」
しかしそんなキキョウに、ヤコウは笑って言った。
「はっ……国を出てきたあんたには関係ない話だったな。忘れてくれ……」
そうして話を切り上げる雰囲気を出したのだが、その瞬間にヤコウは体が粟立つようななにかを感じたらしく、びくりとしてキキョウを見た。
すると、キキョウの瞳は先ほどまでのようなのんびりとした、気の抜けたものではなく、ルルやイリスも始めてみるような真剣で、しかも鋭いものに変わっていた。
その体からも珍しくピリピリとした圧力が放たれていて、今のキキョウを初見で見ていたら、おそらく侮れない強者であろうと感じるだろう。
そんなキキョウの様子をヤコウは敏感に察知したようで、微笑みをひきつらせる。
それから、ヤコウに対して、キキョウはいつものような明るい声ではなく、暗く、地の底から呟くような声で言った。
「……ヤコウ。話してください」
「だからあんたには関係が……」
冷や汗を垂らしながらも、そう言ったヤコウは中々根性があると言えるだろう。
しかし当然ながら、キキョウの雰囲気が和らぐことはなかった。
どこかから取り出した鉄扇を構え、キキョウは言う。
「いつまでもそんなこと言うつもりならこちらにも考えがありますよ」
そうして、鉄扇をひとまとめにしている要の部分をとってしまった。
すると、扇の骨が一つ一つ浮き上がり始め、キキョウの周りに静止する。
よく見れば、その扇の骨の一つ一つは、すべてが短剣だったらしく、鋭い刃を光らせて、そのすべてが今やヤコウを狙っているようだった。
おそらく、扇として使うのは、手加減であった、ということなのだろう。
本気になったときは、ああやって別々の刃として扱う、そういうことなのだと思われた。
試合開始の合図は未だないが、武器を構えていることについて認められていないわけではなく、相手に攻撃を加えないのであれば、今のキキョウのように武器を空中に浮かべていようがルール違反と言うことはない。
そして、その様子から想像するに、試合開始と同時にあの短剣の数々は、ヤコウに一瞬で襲いかかるのだろう。
ルルとイリスは、どうせならば試合の中で、途中までは鉄扇として扱い、途中で要をはずして、不意打ちをすればよかっただろうに、と思ったのだが、
「……あんたの戦い方は大巫女様から聞いてるからな……分かってるぜ、その短剣の扱いがどういうものかということもな」
と、ヤコウが言ったので、なるほど不意打ちの意味がないと判断してのことだったのか、と納得する。
大巫女という人物がなにを考えているのかは分からないが、とにかくキキョウを倒すことをヤコウに求めているらしく、そのための情報は惜しまないというところだろうか。
おそらくはヤコウもキキョウも、本来は仲間同士だからいいのだろうが、あんまりばらされるのはうれしくないのではないだろうか。
そう思ってみていると、キキョウはヤコウの言葉に眉を寄せて言う。
それは、
「あのババア……私に不利なことばっかりしくさりやがって! もういいです! 今度会ったときがあのババアの最後です! ヤコウ! あなたの首をあのババアの前に持って行って勝ち誇ってから墓にたたき込んでやるんです!」
などと言う物騒な台詞であった。
未だ消えずに結界内をさまよっていた黒雲もその言葉には腹を立てたのか、雷撃を再びキキョウの周囲に落とす。
しかし、キキョウは短剣を避雷針にしてすべての雷を避けた。
ヤコウはその様子を見て感心していたが、けれどその後、闘技場ステージの焼け焦げた地面を見て首を振る。
「……キキョウ。地面を見ろよ」
「……? 何の話ですか?」
そう言われてキキョウがそこを見ると、闘技場ステージには焦げ跡でもって、
『出来るもんならやってみると良いわ、このバカ娘』
と、でかでかとした達筆で描かれており、それを見て顔を真っ赤にしたキキョウが、
「上等です! その首洗って待ってるといいです! ババアーー!!」
と黒雲に向かって叫んだ。
「……なんだか随分と仲がいいらしいな」
ルルがキキョウとその大巫女とおぼしき者とのやりとりを見てそう呟くと、隣でイリスも笑って、
「確かに……なんだか、キキョウさんとは親子のような関係の方のようですね」
と頷いた。
それからしばらくして黒雲はその身を小さくしていき、雷も生み出させなさそうな大きさになると、結界の外へとふよふよと出て行った。
それを確認した闘技大会の運営は、少ししてからキキョウに拡声器で質問する。
『キキョウ選手! 少しお疲れのようですが、このまま試合を開始してもよろしいですか!?』
謎の攻撃にさらされたキキョウに対する配慮だったのだろう。
しかしキキョウはいらいらしているのかそれに対しても大声で、
「今すぐ始めて問題ねぇですよ! 早く試合を開始してください! 私の短剣たちが今すぐヤコウの血を吸いたいと叫んでますっ!」
と、恫喝か何かのような台詞を言っておびえさせた。
運営はそれにあわてて、
「で、では……本人の同意もとれましたので、試合を始めたいと思います……それでは……始めッ!」
そうして、試合は始まった。