第100話 聞かれたくない話
闘技場の出場者用の席に座っているとイリスがやってきたので手を振って場所を示す。
するとイリスはルルのことを発見したようでうれしそうにこちらに走ってきた。
イリスは隣に腰掛けながら、ルルが聞こうと思っていたことを話す。
「……ユーミスは医務室にいますわ。怪我などは大したことはないのですが、やはり魔力を使い過ぎたようで、しばらく安静にして回復を図るべきとのことでした。とはいっても、一日二日で回復するだろうということですけど」
イリスとの戦いで相当な無理をしたということだろう。
確かにユーミスは、現代の魔術師として、古代魔族相手にかなり健闘していた。
ルルやイリスからいろいろ学んでいたとは言え、イリスがそれなりに本気で戦っていたのにそれなりにいい勝負ができていたということは、ユーミスの七年間の努力とその才能を示している。
この場にいれば賞賛してあげたいくらいだ。
ただ、今日明日は安静にしていなければならないようだから、賞賛はその後になるようだが。
「そうか。まぁ、体に大事ないならいいさ……それにしても、最後にやられたな、イリス」
ルルはそう言って微笑む。
イリスはその言葉に少しだけ不機嫌そうな表情になったが、すぐに表情を元に戻し、それからため息を吐いて首を振る。
「ええ。少し……というか、かなり油断したのは否めませんわ。低級魔術の発動にあわせて無詠唱の別の魔術を重ね掛けし、さらにそれを隠蔽する、などということまでユーミスが身につけていたとは思いませんでしたから。少なくとも三つ以上の魔術を組み合わせて使っていたように思いますが……本当に、会ったばかりの頃と比べて魔術師として成長したのだなと感じました」
イリスの言うとおり、ユーミスの最後の魔術はそれなりに高度だった。
ほとんど魔力量が残っていないなか、よくそこまで魔術を重ね掛けできたものだが、それはそれほど不自然なことではない。
確かにユーミスの魔力量がイリスやルルに及ばないのは事実だが、それだけにいろいろ小器用な技術を持っているらしく、最後の魔術を使う際に、ユーミスがその背中と足に展開していた飛行魔術を解いて、魔力を回復させたのをルルは確認していた。
普通であればそんなことはできないはずなのだが、ユーミスの背中と足についていたあの小さな羽は、ただ飛行のために風を操ることだけの用途で存在している訳ではなく、非常に小規模な魔力タンクとして機能するものだったらしい。
自らの魔力を呼び水とし、周囲の魔力をわずかながらに集めることが出来るようで、羽を具現化する前よりも多くの魔力を回復していたのを見た。
その技術がたまたまの発見だったのか、それともただの偶然だったのかは本人に聞いてみないと分からないが、突き詰めていけばかなり有用な技術になりそうで、ルルとしては後で聞いてみようかと考えている。
周囲の魔素を集めて、自らの魔力とする技法はかつても存在していたが、複雑だったり、扱いにくかったりして個人の魔術師の技術としては、それほど有用性は高くなかった。
ユーミスの技術に発展可能性があるのなら、もしかしたら非常に有用な魔力回復術式が出来るかもしれない。
まぁ、すべてはユーミスが起きてからの話だが。
反対に、気休め程度の意味しかない可能性もあるわけだし。
しかしそれにしても、イリスの言うように、ユーミスは成長したものだ。
昔は魔術の支配権を簡単にルルやイリスに奪われるくらいの技術しかなかったのに、今ではそれも容易にさせないような実力を持っているのだから。
とは言え、本気のイリスに勝てるほどではなく、あえなく負けてしまっただけだが、それでも十分だろう。
「……次戦うことがあったら、負けるかもな?」
ルルがイリスに冗談混じりにそう言うと、イリスは拳を握りしめていった。
「次も、負けませんわ……!」
かなり冷静に闘技大会に取り組んでいるのかと思っていたのだが、思いの外、熱くなっているらしく意外だった。
ルルはそれから話を変える。
ルルがグランに勝ち、イリスがユーミスに勝利した。
闘技大会に出場した本来の目的は、王宮にあるだろう禁書などを閲覧させてもらえるよう国王に頼むためだったが、今はもう一つ目的がある。
オルテスの妹クレールの魔化病治療のため、万能薬を入手することだ。
闘技大会のチケットは高額かつ人気があるため、手に入れられなかったクレールは来ておらず、オルテスも今日は別の短期依頼を受けているらしく、来ていないが、決勝がある明日は、決勝戦出場者の権利として一人5人までなら大会観戦に招待することが出来るらしいと先ほど聞いたので、もしよければオルテス一家を招待するつもりでいる。
オルテス自身は出場者だからただで自由に見れるが、クレールとその母はそういうわけにはいかない。
ルルたちの知り合いは大概が、というかほぼ全員が大会出場者であるから誰か招待したい人が他にいるわけでもなく、ちょうどいいだろう。
そして、クレールに与えるべき万能薬を手に入れるためには、三位入賞が必要であり、それを確実にするためには、もう一人勝ち残ってもらわなければならない者がいる。
「キキョウの次の相手は……誰だ?」
ルルがその名前を告げると、イリスは頷いて見てきたらしい掲示板の情報を口にする。
「ええと……ヤコウ、という方がキキョウさんの次の相手のようでした」
当然ながら、というべきか、残念ながら、というべきか、その名前にルルは聞き覚えがなかった。
予選でも、本戦においても戦っていたのだろうが、タイミング悪く見ていなかったらしい。
イリスはどうかと尋ねてみれば、
「私も存じ上げません……ただ、どういう方なのか、掲示板の前にいた観客の方にお尋ねしたところによると、随分と変わった方のようですよ」
「というと?」
「体全体が隠れるローブを着ていらして、フードまですっぽりと覆うように被っているらしく、その顔を見た方は今のところいない、とのことです」
確かにそれは変わっているかもしれない。
とは言え、顔を隠すとか武器を隠すとかそういうタイプの出場者がいないわけではない。
極端なところにいくと仮面を被っている者までいるくらいなのだから、それだけでもっておかしい奴だとは言えないだろう。
そう思って首を傾げると、イリスはさらに続けた。
「戦い方も奇妙……と言いますか、決着のつき方がなんとも言えないと言う話も聞きました。試合が始まって数十秒、ないし数分が経過すると、電池が切れたように相手が倒れてしまうのだそうです。実際に武器を合わせたことはここまで一度もないらしく……」
なるほど、それは変わっている、とルルは思った。
いったいどういう方法なのかは分かりかねるが、戦わずにして勝利を納めてきたということなのだから。
それも、本戦をここまで上ってきているのだから、相手にはそれなりの強者が何人かいたはずだという前提がある。
それなのに、そんな勝ち方が出来る、と言う時点で奇妙な話だった。
「毒か何かか?」
ルルがそう尋ねると、イリスは首を傾げる。
「どうでしょう……中にはそういう風におっしゃる方もいるようですが、そうだとすれば気づいて耐えきる方もいらっしゃったのではないでしょうか。それくらい、対戦相手のことについてある程度情報収集をされている方なら、対策をすることもそれほど難しくはないでしょうし……」
得体の知れない毒だったとしても、極論、肌に触れたり息を吸ったりしなければ良いわけだから力業で対応することは不可能ではない。
常に結界を張っているとか、風を相手に向かって吹かせ続けるとか、遠距離攻撃一辺倒でやるとか、ほかにもいろいろあるだろう。
しかし、そういう方法ではどうにもならなかった、ということがここまで無傷でヤコウが勝ち残っていることからはっきりと分かる。
そしてそうなると……。
「キキョウ……もしかして負ける可能性がある、か?」
「何の心配もない、とは言えない状況のようですね……通常の冒険者であればなんとかなりそうな気は致しますが、ここまで得体が知れない者があいてとなりますと……」
なんだかんだ言って、キキョウは強い。
ふざけているのかまじめにやってなのかは分からないが、あんな性格でも問題なくここまで勝ち残れていることからそれは明らかだ。
だからこそ、万能薬の入手も安泰だと、泰然自若としていられたのだが、ここに来て、そういう態度をしているわけにはいかなくなった。
「最悪、俺かイリスがどこかでわざと負けて三位になるしかなさそうだな」
そうルルが言うと、イリスは不服そうな顔で言った。
「優勝と準優勝を、私とお義兄さまで占有するつもりでしたのに……」
言われて、そんな話もあったなとルルは笑う。
出来ればそう出来るに越したことはないのだが、目的を見失ってはならないだろう。
最悪、優勝して禁書を見せてもらうことと、万能薬を手に入れるという目的を達成できればそれでいいのだ。
優勝と準優勝をすれば、注目を集め、名誉も受けられるのは確かだ。
しかし、禁書と万能薬以外はあくまで付属品であり、ないならないでそれで良い。
それに、まだキキョウが負けると決まったわけではない。
そうイリスに言うと、彼女は頷いて、
「そう、ですわね……こうなったらどうしてもキキョウさんには勝ってもらわなければなりませんわ……! いつもとは逆ですが、今日は私が応援いたしましょう」
そう言って、イリスは懐から扇子を取り出した。
どうやらキキョウからもらったらしく、気に入って重宝しているらしい。
それをもって、観客席の前の方に行き、まるでキキョウのごとく応援の言葉を叫び始めた。
「キキョウさーん! がんばってくださーい!!」
彼女にしては珍しいことだが、キキョウがそんなことをしているのを見て意外と気に入ったのかもしれない。
彼女が声を向けた方向を見れば、闘技場の中心ステージに向かって二人の選手が入ってくるところだった。
キキョウは奥の方から出てきており、こちら側の門から入ってきたのは対戦相手のヤコウの方だ。
確かにローブを深々と被っており、その顔かたちは全く見えない。
ただ、ローブの縁取る輪郭から、なんとなく男性であることは分かった。
感じる魔力はそれほどでもなく、さして強そうには見えない。
キキョウの魔力の方が多いくらいだ。
もしヤコウが特に何の隠蔽などもしておらず、本当にこの程度の魔力しか持たないというなら、特級たちの方がよほど歯ごたえがありそうで、キキョウが負けそうだとは思えなかった。
ただ、それでもヤコウには幾人もの出場者が敗北しているのであり、油断は禁物であろう。
必ずしも魔力総量だけが戦いの勝敗を決めるわけではないことは、今も昔も同じはずだ。
そう思って見ていると、ステージ中心まで来て向かいあって構えた二人が会話を始めたようだ。
イリスがそれを見て、首を傾げる。
どうしたのかと思って尋ねると、イリスは言った。
「キキョウさんはともかく……ヤコウはここまで一度も口を開いたことがないそうなのですが……?」
「そうなのか? 見間違いじゃないなら、なにか話しているみたいだけどな? キキョウが独り言をしゃべっているわけじゃないのなら」
こちらからはキキョウの口元だけしか見えない。
かなり小さな声で話しているのか、その声もまた聞こえないため、おそらく会話しているのだろうと言うことくらいしか分からない。
魔力で聴力を上げれば聞き取れないわけではないのだが……。
「私たちにも聞かれたくない話はあるのです。キキョウさんにもあるかもしれませんわ……おそらく、そう言う話だからあの程度の音量で話しているのでは……ですから、今日のところは、盗み聞きは、やめておき、後で本人に聞くことにしましょう」
確かにそれはイリスの言うとおりであろう。
ルルやイリスも、聞かれたくない話はどうやっても闘技場の観客たちの耳に届かないように音量を押さえたり、こっそり遮音結界を張りながらしゃべっていたのだから。
そうこうしているうちに、キキョウとヤコウの話は終わったのか、キキョウの口元は止まった。
それから、驚くべきことに、ヤコウは自らのローブに手をかけて、それを脱ぎ去った。