俺とワールド・オブ・リング(6)
「だから言ってるじゃない、国境だとか川の流域だとか、気まぐれに毎日変わるものを測って書き付けても、何の意味もないわよ。あんたの元いた世界とやらではそんなのが流行ってるの?」
信じられない世界の設定だった。ここまで来ると、異世界ファンタジーものでは中々見つかりそうなものではない、少なくともSF文庫ぐらいまでは下らないと……。
「いや、でも……。そ、それじゃあ、ガルフリースがハテノファリアに北西にあるとか言うのも変わったりするの……?」
「はあ、何言ってるのあんた。そんなわけないじゃない」
頭が痛くなりそうだった。
彼女たちの、主にアカシアさんの、懇切丁寧な説明が行われ、俺は大体のこの世界の地理の仕組みを学び取る事に成功した。まず、この世界の地理は非常に曖昧で変化しやすいものである。俺自身しばらく理解することができないでいたが、要するに、昨日まで自分の村のすぐ隣を流れていた川が、寝て起きるとかなり離れた場所を流れていたり、国境の小麦畑が、気づいたら向こうの国の領土になっていたり、という具合だ。しかしながら、村が急に数千kmも離れた所に移動したり、国自体が一夜にして消えてなくなる、という事は通常起こらないらしい。生活にとって不便な事は起こりうるが、致命的な事は起こらないのだそうだ。
まずこれに対して、どうしてそういう事が起こるのか、という疑問がある。それに対してのホノカの答えは、
「知るわけ無いじゃない」
アカシアさんの答えは、
「きっと、そういう風に世界が作られているんだと思います」
確かに俺は、夜のうちに何故川が動かないのか、なんて問われても困るしなあ、と納得しかけた所で次の疑問が出てくる。夜起きて観察すればどうなるんだ? それに対しては、
「こう、ぼやあっと消えて、ぼやあっと現れるのよ。あんまり見たこと無いけど」
「徐々に分解されて、再生成される感じかしら。でも近くで観察するのは中々できないわね。どこで変化が起こるか分からないし、自分まで巻き込まれると危ないから」
「夜にしかその変化は起きないんですか」俺は素朴な疑問を投げた。
「大抵、夜に起こりますね。本当に極稀に朝や昼に起こりますけれど。何ででしょうか、考えたこともありませんでした」
二つ目の疑問がある。それでも、おおまかな国の配置が変わらないのなら、地図があってもいいはずだ。なのに無いというのは少しおかしい。現実世界でも文字よりも古く地図が開発されていた、という事を聞いたことがある。航海をするにも、土木作業をするにも、農業をするにも、そもそも共同体を作るのだって地図があって困るということはないはずだ。必要なのも紙とペンぐらいなものだが……。
アカシアさんが少し複雑な表情を浮かべて、理由を説明する。
「私たちは……この世界の人は、そういう事は分かるんです」
「分かる、ってどういう……?」
「えっと、例えば、中々そういう事はありませんけど、ハテノファリアが突然南に移動したとしましょう、全体として。そうなれば私たちは、ああ、ハテノファリアが南に動いたな、って誰から言われなくても分かるようになっているんです」
新たな概念が俺の頭を襲った。
「それに、新しい子供が生まれた時、誰も教えなくても、その子はどこにどんな国があって山があるか分かりますからね」
とんでもない世界だと思った。
この世界では先天的な事柄として、地理があるのか。人間の本能というか、生まれ持った知識に地理が含まれるのか。現実世界の前提すら覆すような話だな。
「ええっと、それじゃあお願いがあるのですけれど、アカシアさん」
「何かしら、なんでも言って頂戴、力になるわよ」
隣に座っている金髪と対照的な笑顔が俺に向けられる。
「世界地図を、描いて欲しいんです。俺、ここの人達と違って、勝手に把握できないんで」
「わかった、やってみるわ。私の知っている範囲でいいわね?」
「あれ? アカシアさんやホノカみたいなここの人たちは、地理が全部分かるんじゃないんですか?」
「ああ、それは、全部といえば、まあ全部なんだけれど。あくまで私たちにとって、ですしね」
彼女たち、というか、この世界の人たちに、先天的に与えられる地理の知識は、どうもその人物が係る可能性がある地域までに限られるらしい。現実世界で例えるのだとすれば、少し難しいが、例えば、俺は観測も出来ない宇宙のはての星に関わりあいになることはほぼ無いだろうから、俺はそこの地理を知り得ない、ということだ。
「他の行動範囲を持っている人と情報を交換しあえば、まあ完全な地図も作れるんだろうけど、無用の長物になりがちだし、あまり市場には出回ってないわね」
「他の人と……?ここの人たちって、そんなに色んな場所に棲んでいるんですか」
「あ――、そうね。まだ喋ってなかったわね。逆なのよ。私たち個人の行動範囲自体が、そもそも狭いのよ」
ここでホノカが口を開いた。
「あんたの口ぶりだと、多分国境の事も知らないのね」
国境、思い当たる節がある、そういえばコッキョウ酔いとかいうのに、アカシアさんがなっていたんだっけ。あの時は、取るに足りないファンタジー用語として聞き流していたけれど。この世界は俺にとってファンタジーじゃなくなった以上、知らなければいけないんだよな。
そんな世界の説明が煮詰まった、違うか、クライマックスになった所で、比較的低い声が飛んでくる。
「魔術師殿、従士殿、そろそろガルフリースに近づきます、用意をして下さい」
「あら、いい所でしたのに」
馭者が話の終わりを告げた。とりあえず従士の俺は仕事をこなさなければいけないんだった。
「それじゃあ、従士様。後の話はまた時間が出来た時にしましょうか」
「分かりました、ありがとうございます」
彼女との馬車との会話は想像以上に長引いてしまっていたようだ。だが、得る物も大きかった。とりあえずこの世界が一筋縄ではいかないほどややこしい物だということは、はっきりと認識できた。それに自分に味方してくれる確かな人が増えただけで喜ばしい事だ。
「べ、別にまだきちんと信じたわけじゃないんだからね。あんたがただ大ぼら吹いてるだけだっていう可能性だって十分あるんだから! これで、私からの信頼が得られたと思ったら大間違いよ!」
――この娘を除いて。