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「――ここも霧が相当濃くなりました。お嬢様、もう時間が有りません。一刻も早く、ここを立たなくては」


 ローブ姿の大人の女性が、少女に向かって懸命に訴えかける。

 大人の女性は、そのフードの付いた黒いローブの端々を泥に汚されていて、酷く陰鬱いんうつな様子に感じられた。

 少女は、二つ結びの金色の髪を持ち、青色の騎士用外套サーコート鎖帷子チェインメイルの上から身に纏い、幾つかの金の装身具を着けていた。そして、その中世的な出で立ちに反して、両太ももには銃のホルスターがしっかりと固定されている。

 深く重い霧に覆われた、人気ひとけのない夜の街路に二人はまるで取り残されたかのように立っていた。


 その女性の言葉を聞いた後、少女はトルコ石のように青い自らの目を潤ませうつむいた。

 少女はおもむろに右脚のホルスターから拳銃を引きぬくと、まるでその銃に語りかけるかのように、拳銃を自らの顔前まで持ち上げ、じっと見つめる。少女が目蓋まぶたを閉じると、目の端から涙が頬を伝い落ちた。

 それから、十数秒の沈黙があった。彼女はゆっくりと目を開き、前を見上げ、一呼吸してこう言った。


「分かったわ、アカシア。この街を離れましょう。"忘却の霧"は今の所、私たちにはどうしようもできない……。諦めるしか、無いものね」


小さく震え、悲哀を帯びたその声は、霧中に散っていってしまいそうな程だった。


「――ありがとうございます」


アカシアと呼ばれたローブの女性はしぼりだすような声でそれに応じた。


 少女はホルスターに拳銃を戻し、一度大きく深呼吸をした。まるで身体中から出てきたため息のようだった。

 そして少女は街路の霧の薄い方へ、暗い闇の反対側へと、急ぐような足取りで、しかし確実にその石畳を踏みしめながら歩き始めた。大人の女性も、少女を追うようにローブをひるがえし、歩き始める。


 二人の消えた後、そこには白黒モノトーンの街が残された。

 石レンガで作られた街路を挟む家々は、ヒビの一つも入っていないというのに、まるで廃墟のように重く沈んでいた。深く地をう霧が月の光を遮って、地面もほとんど見えなくなり、荘厳な静寂が辺りを包む。


 この街は滅ぶのだ。どうしようもなく、無慈悲に。

 そして、確かにここに存在したはずの人々の笑顔から市場の盛況、町外れの像に到るまで全て、いずれ人々の記憶から消えるのだ。

 ――"忘却の霧"に、飲まれて。



 一年前に見た不気味で退廃的な夢。当時の俺は不思議な気持ちでそれを見ていた。

 確かに目を塞ぎたくなるような悲哀はあったが、同時に何故か、自分にはこれが自然の摂理であるかのような、冷徹な錯覚が感じられたのだ。


 それからの忙しい現実の中で、その夢を見たという記憶はいつしか棚の奥へとしまわれていき、もう思い出すことは無いはずだった。中世めいた世界で滅んだ白い街は俺には関係ないように思えたから。

 しかし、それどころか俺は後に知ることになるのだ。


 ――これは俺の人生と、この世界全てに関わる、決定的な夢なのだったと。

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